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2024年3月 9日 (土)

忸怩たる思い

 片付けを続けているが、片付けるということは多くの物を捨てるということでもあり、その「物」にかかった金や資源のことを思うと忸怩たる思いがある。戦後まもなくして生まれたから、物不足で苦労した親から、物を大事にする、使い切るということをとことん教え込まれた。それが心根にとことん染みついたので、物が捨てられない性分になり、片付けがなかなか出来ずにいた。性格的にケチでもあるが、物を大事にすることはしばしばケチにも見えて、その境目がわからない。

 

 それぞれの物にはそれなりの思いや思い出が張り付いている。それでもこの二三日、涙をのんで捨てることに努めている。何年も使わなかった物は自分にとって不要な物だったのだという見方に徹しようとしている。ゴミ袋が次々に増え、それを処分しているうちに、今までなかったスペースがわずかながら生み出されてきた。とはいえ捨てることができた物はほんの一部ではあるが。

 

 まだ本に手は出していない。しかし次第に未練は捨てようという気になりつつある。場合によっては未読の本でもここまで読まないのは自分にとって不要な本、縁のなかった本だと思うしかないなどと、私としては今までにはなかった覚悟が生まれつつある。そういう年齢なのだと思う。

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コメント

お宅に集められた物たちはシアワセだと思います。結果的に捨てられるとしてもじゅうぶんに惜しまれつつ処分されるのですから。
それに反し、わが家の、特に夫の部屋の物たちはものとしても不幸ですね。主が居ないまま部屋の3分の1は処分という憂き目に遭いました。
”そんなひどいことを!と思われるかも知れませんが、とても他人様の目に触れさせる状態ではないので私の独断で処分しました。この事を夫が知れば”その中にはアンタに上げようとおもったダイヤの指輪があった筈!・・・ぐらいは言うでしょう、はらいせに。

おキヨ様
ダイヤの指輪を失って残念でしたね。
もしかしたら金の延べ棒もあったかな。
物を買ったりもらったりしたときに、その物はただの物ではなく、何らかの思い入れが張り付くもので、それが尊重されないと怨みがこもって物の怪(もののけ)になるそうです。
私の周りにも次第に物の怪の気配が・・・。

明日死ぬかもしれない身になってしまえば、ダイヤも金の延べ棒も価値のあるものとは思えませんね。
今日午後には伊豆から妹がわが家へやってきますが、彼女にわが家の金の延べ棒を背負わせて伊豆に返そうとおもっております!
金の延べ棒はわが家が恋しく、周りの延べ棒も集めてわが家に戻ってくるよう躾けました✌

おキヨ様
伝書鳩みたいによくしつけられた金の延べ棒ですなあ。
減らずに、しかも相手にも喜んでもらえれば何よりです。
ただ、あまり大きかったり重かったりすると、扱いに困るから邪魔ですね。
腰を痛めそうです。

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