大事なもの
前回、同じ本を繰り返し読むようになったと書いた。そういう本は私にとって大事な本である。そういう大事に出来る本は、多分世の中にたくさんあるのだと思う。まだ出会っていない本のどれほど多いことかを思うとクラクラする。しかしそうやって出会いを求めて次々に自分が大事に思いたい本を探していても、期待したものが得られないものだ。
自分の欲しかったものはこれではないのではないか、と思い、つぎを探す。読み散らした本の山が積み上げられる。そうして時間だけが失われていき、失望が自らを苛む。どうだろう、これではまるで理想の女性を追い求め続けたドン・ファンではないか。最も女性を愛するものが、最も女性を愛していないという背理。理想の女性は、じつは女性ではないのだ。そんなものは存在しないのだから。
いま、積み上げられた本の山には、私にとって大事な本が埋もれている。女性ならそんなに多くとは付き合いきれないが、女性と違って本なら多少数が多くても誰にもとがめられない。あと一人や二人、ではなくあと二冊か三冊か、もっとたくさんか、自分にとって大事だと思える本と出会いたい。そのための再読三読である。読むほどますます好きになる本というのがあるのだが、そのためには深く知らなければならない。大事なものは探すものではなく、大事にすることそのことの中にある。
余談だが、大事なもの、というとお金が思い浮かぶが、お金は大事なものを得るための道具で、使い切れないほどのお金を貯め込んで、一体自分にとってどんな大事なものを手に入れようというのだろうか。お金がたくさん貯まるほど快感だというのはちょっと倒錯ではないかと思う。使わないお金にどんな意味があるのだろう。もちろん私だって欲しいものはまだまだあるからお金はあった方が善いが、いま物を片付けていて、たくさんありすぎるのも考えものだなあ、と実感しているので、昔ほどは欲しいと思わなくなった。いま考えている大事なものとは違う気がしている。
お早うございます。
一昨日のラジオ深夜便を目が覚めたので聞いていましたら・・・、
「幸せは探すものではなく、気が付くものだと。」言っていました。
OKCHANさんの記事の中に、
>大事なものは探すものではなく、大事にする事そのことの中にある。
何か通じる物がありますね。
投稿: マーチャン | 2024年3月10日 (日) 10時14分
マーチャン様
ありがとうございます。
なるほど、気がつく、というのはわかりやすいですね。
ちょっと違うかもしれませんが、「涙が出るのは悲しいからではなく、涙が出るから悲しいのだ」なんていう言葉もありましたが、他人の涙を見てもらい泣きをし、そこで初めて悲しみや感動が引き出されるということもありますね。
それも気がつく、ということかなと思います。
投稿: OKCHAN | 2024年3月10日 (日) 10時29分