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2024年4月

2024年4月30日 (火)

ナルチシズムの例

 E・フロムの『悪について』という本を読了した。この中にナルチシズムの例として取り上げられた例を引用する。

 

 ある人が医院に電話をかけて診察の約束を求める。医者は今週は無理だから、翌週のこれこれの日ではどうかと答える。患者はもっと早く診て欲しいと言い張り、急ぐ理由を何も言わずに、自分は医院から五分しか離れていない所に住んでいるという。医者が自分の所へあなたが来るのに時間がかからなくとも、私の問題は解決しないと返答しても、患者には分かったような気配がない。彼はもっと早く診てくれるのが当然だといわんばかりに、医者に主張し続ける。もしその医者が精神病医であったなら、これはすでに重要な診断をしたことになるだろう。すなわち、その人間が相当なナルチシズムの人、つまり重症患者であることを。その患者は医者の立場が、自分のそれとは別であるということが理解できない。患者の視野にあるものは全て、医者に会いたい自分の願望と「自分が」行くのに時間がかからないという事実だけなのである。自分とは別の予定と用事をもつ別個な人間としての医者は存在しないのである。患者の論理は、自分が行くのが容易なら、医者が診断してくれるのも容易だということなのだ。医者の最初の説明に答えて、患者が「ああ先生、もちろんですとも、馬鹿なことを申し上げてすみません」と答えるなら、患者に対する診断も少しは変わってきただろう。この場合もまた、自分と医者の立場を区別できないナルチシズムの人には違いないが、最初の患者に比べてその症状は、重症ではない。注意されると自分の立場に対する現実を理解することが出来、すぐにそれに対応することが出来るのである。この二人目の患者は、自分の失敗に一度気づくと、まごつくだろうが、最初の患者は全然まごつかないであろう。・・・彼にはこんな簡単なことが分からない鈍感な医者を、いかに酷評しても足りない気がするであろう。

 

 これを読んでいて、過去に出会った他者の立場に立つことのできない人のことをいろいろ思い出したりした。いわゆるカスタマーハラスメントなどというのもこれに該当するような気がする。私が「お客様は神様です」ということばを心の底から嫌悪するのも、お客を神様にしてしまうことの社会的害悪を感じるからである。そんなことばにのせられて、神様になったつもりが、じつは精神の病に冒されることになっているのだ、というのは極論か。

続・衰退

 持ち合わせはこれしかないので、ざる頭で過疎化による日本の衰退ということを考えている。いま日本のあちこちで限界集落が増加している。経済合理性から見て、限界集落へのインフラ整備や維持は非効率である。ある程度の人口が集中している所の方が効率がよいからそちらが優先される。こうして鉄道はどんどん不採算な所から廃線に追い込まれる。経済も含めての人間の活動は移動し交流することによって維持されるものだから、移動が制限されれば活動も失われていく。

 

 移動手段として車を代替させるというけれど、道路も維持管理にコストがかかる。地方の道路も次第に荒廃するだろう。人間の営みが次第に失われていく。毛細血管がどんどん失われているのが日本のいまの状態だろう。それは合理的に見えるけれど、国は都市部だけで生きていけるのか。むかしは地方があって都市部が成り立っていた。しかしいまは地方がなくても都市部は成り立っているかのように見える。それはよその国が地方の代わりになって、日本を支えてきたということではないか。食料の輸入が日本の食を支えている。

 

 しかし、世界の国と比べて日本は活気を失って見えるのはどうしてだろう。やはり地方からのエネルギーを失って、本体そのものの活力を失わせているのではないか。活気が失われるということは国力が失われているということで、いまの円安はその結果だろう。経済合理性を元に日本を運営していたら、結果的に経済が衰退してきたということの意味をよくよく考える必要があると思う。

 

 これは養老孟司などが言う、都市という人工的なものの中で生きる人間に対しての危惧、自然との交流を失うことの問題を見直す必要があるのではないか。日本人は何を見失っているのか、それをもう少し考えてみようと思っている。

衰退

 昨夜半からの雨が今朝も降り残っているが、空が明るくなってきたからまもなく降り止むだろう。室温は23℃、これが涼しく感じるようになったのは、冬から春へ体がもう順応したからか。連休後半は好天らしいから、遠出を予定していた人には朗報だ。昨日は東京方面に向かう渋滞を報じていたが、まだそれほどひどいものでもなさそうだった。後半はもっと渋滞するだろう。観光地もかき入れ時だ。オーバーツーリズムだという。オーバーツーリズムに対応すれば閑散期には無駄になるものも生ずる。なかなか受け入れる方も出かける方も大変だ。

 

 北海道で、母熊らしいヒグマが軽自動車に向かってくる映像は衝撃的だった。フェリーで北海道に渡り、少し長期に車で各地を走り回りたいというのがささやかな夢なのだが、なかなか雑用が途切れないので決行できない。出来れば地方を走り回りたいのだが、峠道などで熊に出会うことを考えるとちょっと怖い。二十代から三十代の前半に、仕事で年に数回北海道に行った。延べにすると五十回近く行ったはずで、行けば一週間以上道内各地を回った。その時の北海道と、いまの北海道を重ねてみたい気持ちがある。

 

 その時に見えたことは、北海道開拓は拠点に人が入って原野を開き、ついにはささやかな集落を形成し、その集落を道路と鉄道が線状につなぎ、やがて人口が増えて面状に展開していくという図式だった。点から線へ、線から面へ、と言うのが人間の繁殖の姿なのかと思ったら、いまはその逆の展開に変わっている。すでにその時にその気配は感じられ始めていたが、面が構成できなくなり、点をつなぐ線が失われ、ついに点すら消滅していく。呑み鉄本線などで鉄道の廃線を見せられるとそれがリアルに実感できる。実際にそこに行って、自分の記憶の北海道と、今現在の北海道を重ね合わせて感じたいと思うのだ。

 

 日本全国の地方のあちこちが過疎化している。過疎化しているから線が失われていくのだが、線を失うことで末端に血が通わなくなっていく。日本という国を身体にたとえればそういうことだ。血管が失われれば末端は死滅する。しかし線を維持する力がもう失われてしまったのだから衰退は免れないのだろう。

2024年4月29日 (月)

破局を避ける可能性

 いま読んでいる、フロム(1900-1980)という精神分析学者が1964年に書いた『悪について』という本が面白くなってきた。それまでわかりにくかったのをなんとか読み進めていたが、第四章の『個人のナルチシズムと社会のナルチシズム』に入ったら書いてあることが分かりだして、付箋をつけだしたら付箋だらけになってしまった。

 

 引用したい所がたくさんあって困るくらいなのだが、まずこの章の後半の部分から、どんなことが書いてある本なのかをある程度見当がつくだろう部分を引用する。

 

 我々は、最も破壊的な軍備の発達を招来した人間の知的発達と、あらゆる病的な兆候をもち、顕著なナルチシズム的状態に停滞している人間の心的・情的な発達とが、大きなずれをもつ歴史的時代に生きている。この矛盾の結果あらわれやすい破局を避けるために、いかなることをすればよいのか?あらゆる宗教的教義にもかかわらず、予測可能な未来において、人間がこれまで進め得なかった前進をすることは、はたして可能なのか?フロイトが考えたように、人間は自己の「ナルチステックな芯」を克服することが不可能なほど、ナルチシズムは深く人間に浸透しているのか?それでは人間が人間として完成するまでに、ナルチステックな狂気によって人間が破壊されるのを防ぎうる希望はあるのだろうか?こういう質問に答えられるものは誰もいない。ただ人間だけが、その破局を避けうる助けとなる最善の可能性が何であるかを検討できるということだけである。

 

 エーリッヒ・フロムはドイツ生まれの社会心理学者、精神分析学者で、フランクフルト大学の講師をしていたが、ナチスが政権を取ったことでユダヤ系だった彼はスイス・ジュネーブに移り、その後アメリカへ移住した。彼の社会心理学の原点に、ナチズムに対する考察があるのは自明であろう。六十年前に書かれたこの文章が、現在ただいまでもそのまま通用することに、人間の業の深さを感じないだろうか。このあと、様々な考察が展開される。ナルチシズムについて、個人の事例、社会の事例が面白いので、あとで逐次いくつかを紹介することにする。

予想外に早く

 今日午前中はマンションの総会。出席者は全体の半分にも満たないが、委任状を提出している人がかなりいるので、今日は全体の三分の二を超える参加という扱いで、議決案件の賛同が多ければ可決される。案件は多いがそれぞれの質疑のあと、二つにまとめられて二回の挙手で賛否を問う。質問は殆どなし、いつも一人か二人、自己顕示が目的ではないかと思うような意味の分からないくどくどした質問があるのだが、さいわいというか、残念ながらというか、そういう質問はなかったので、予想外に早く終了したのはありがたかった。そういう質問をどうしてするのか考えるのもちょっと面白かったりする。それにしても尻の肉が落ちたので、パイプ椅子に長時間座っていると尻が痛くなる。

 

 どうも分からないのは、出席もしない、委任状も出さないという人が少なからずいることだ。総会の議事内容と委任状は各戸に配布されているから、そこに部屋番号と氏名を書いて賛否のどちらかに丸をつけて目安箱に放り込めばよいだけなのである。たいていそういう人ほど普段の生活の中でつまらないことで自治会の役員にクレームをつける。どんな行事にも自分は参加せず、他人にしてもらうのが当たり前、という赤ん坊のような人間だ。こういう人が地域を劣化させる。

 

 それと気になったのは会長や担当役員が説明をしているときに私語をする人である。説明はマイクでしていて、自分たちの私語はひそひそ話しているから差し支えないと思っているようだが、会場は近くの小学校の講堂だから結構声が響くので、ひそひそ声もみんなに聞こえてしまうのだけれど、本人たちはそれに気がつかないようだ。みんなが振り向いたり、そちらに視線を向けていた。久しぶりに会ってうれしかったのかな。でも、そういう人は総会が終われば挨拶もそこそこにそそくさと帰ってしまうものだ。沈黙に耐えられないのだろう。

 

 さあ昼飯を作ろう。

『遊心譜』

 宮崎市定『遊心譜』(中公文庫)を読み終えた。既読だと思っていたが、ほとんど内容に記憶がないので、はじめて読んだのだと思う(たぶん)。宮崎市定の本は何冊か棚に列んでいるが、どれも再読三読するに足る本ばかりで、今回読んだこの本も素晴らしい。解説を書いた礪波護によれば、宮崎市定の出版された随想集は五冊あり、この本が最後のもので、巻頭の『遊心譜自序』が宮崎市定の絶筆だそうだ。最初の一冊、『中国に学ぶ』そして三冊目の『東風西雅』はすでに読んでいて棚にある。残りの二冊も揃えようか、悩むところだ。

 

 内容は、『連環』『遊心』『国際』『学界』『師友』『自伝』と項目分けした小文がたくさん収められていて、どれも内容の濃い、読みでのあるものだ。この中の『榊亮三郎博士のミトラ教研究聞書』という、榊亮三郎の『大唐西域記』の講義についての「大族王」に関する部分を論じて考察した文章は、これだけでこの本を購入する値打ちがあるほど素晴らしい。東西の文化や宗教の交流、そしてミトラ教、拝火教、弥勒信仰その他の関係についての想像の広がりは人をわくわくさせるものだ。知らなかった関係が様々な研究から浮かび上がるのを知ることは、何よりも胸躍る楽しいものだと思う。そういうことをこの本は山ほど教えてくれる。

2024年4月28日 (日)

『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』

 『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』は2023年の日本映画。主演がいま朝ドラで注目の伊藤沙莉なので録画しておいたものだ。伊藤沙莉は以前から好感を持ってみていた女優だが、NHKのドラマ『ももさんと七人のパパゲーノ』で主演したのを見てファンになった。深刻なテーマを扱いながら伊藤沙莉だからそれを重すぎないように演じることが出来ていた。素ではこういうことは出来ないと思う。こういう気疲れしないタイプの女性は素敵だと思う。気疲れさせないというのは一つの才能、美徳であってうらやましい。

 

 新宿歌舞伎町を舞台にしたこの映画は、現実でありながら異次元みたいな歌舞伎町のイメージをとことんデフォルメして見せていて、何でも起こりえる世界でありながら、細かいドラマをいくつも重ねる手法で、それぞれの人物の抱える人生も浮き彫りにしていく。かなり深刻なこともドライに踏み越えて、完全にコミカルなタッチなのにコミカル映画のあまり好きではない私が最後まで見せられてしまった。見終わってみればそれなりに残るものがある。こういう映画というのもあって好いのだ、と改めて感じた。

 

 それも伊藤沙莉のおかげである。

雑事

 あれをしよう、これをしなければ、と思うものをすぐメモしておく。そうしないと何をするつもりだったのか忘れてしまう。そのメモの項目がどんどん増えて、済んで消したものが少ししかないのを見て、我ながら尻の重いことよ、とあきれている。

 

 今朝から、出しっぱなしのストーブ二台を仕舞い、扇風機二台と入れ替えた。入れ替えないとスペースがないから全部はおさまらないのだ。つぎに包丁を久しぶりに研ぐ。包丁は月に一度くらいは研ぐべきらしい。思えば半年くらい研いでいない。切れない包丁はかえって危ない。ステンレスの包丁は長持ちするけれど堅いから研ぎにくい。研ぎ慣れないときは研ぐと却って刃が丸くなったりしたものだ。いまは研ぎ立てだけはよく切れるようになる。

 

 マンションではあるがささやかな半間の床の間がある。床がしっかりしているのでそこにもぴったり入る本箱をおいている。その周辺のスペースに、旅行の時の資料や地図が乱雑に積み重ねられていて、どこに何があるやらわけが分からない状態になっている。その下に針箱があるので必要なときには引っ張り出すのに苦労する。めったに必要になることはないが。

 

 そこを整理して不要なものを処分しようと思って手をつけたが、旅先で集めたパンフレットなどを眺めていて時間ばかりが過ぎてしまった。つい思い出を読んでしまう。まだ途中である。パンフレットもこうして読んでもらってはじめて持って帰った意味をもつことができるのだ。今日は天気予報では最高気温が29℃まで上がるらしい。NHK名古屋の、夕方の男ぶりの好い気象予報士の寺尾さんは、もしかしたら30℃になるかもしれませんね、と言っていた。初冷房が必要になるかな。

居庸関

 桑原隲蔵『東蒙古紀行』から

 

八月二十八日(明治四十一年) 行程一百五十里
午前二時半離褥、四時五十分出発。五時半八達嶺を過ぐ。いわゆる居庸関の北口なるもの。南北の二門あり。明の弘治十八年建つる所。天いまだ明けず。暁霧濛々、極目の歓を尽す能わず。五時五十五分青龍橋(十里)を過ぐ。六時五十分三鋪村(二十里)を過ぐ。この間已に京張鉄路の汽車の往来するを見る。七時七分居庸関(二十二里)を過ぐ。関上の三字は明の景泰元年書する所。南北の二門あり。皆明代築く所。
居庸関は秦漢以来天下の要塞となる。『呂氏春秋』『淮南子』已に九塞の一に加う。関の古史に関係ある尤も古くしてかつ広く、一々列挙すべからず。清の顧炎武の『昌平山水記』、朱彜尊の『旧下旧聞』にほぼ備わるを以てここに贅せず。

 

 このあと顧炎武の『昌平山水記』の引用をもって居庸関の詳細の説明としているが、原文とその書き下し文なので書き写すのが大変だからここまでとする。この日の分のほんの書き出しのところである。ちなみに中国の一里は約五百メートル。霧のために万里の長城からの景色を見ることが出来なかったようだ。前日の晩には八達嶺の麓に宿泊していた。このあと、南口という所まで行ってから汽車に乗っている。路程は累計で記している。この旅は東蒙古紀行なので、居庸関はその通過点ということである。

 

 この本で覚えたことばが打尖(だせん)ということばで、食事を摂ることのようである。私の漢和辞典には出ていない。離褥はしとねを離れるのであるから起きるということばだと分かるであろう。極目とは見渡す限りという意味だから、極目の歓とは高い所からの広い眺望である。地名にふりがなのないものが多いけれど、そもそも中国の読み方で読んでいるからふりがなのつけようがないのであろう。漢字で只読むだけのことである。慣れればどうということはない。

 

 もし紀行文を読むことが好きならば、この本を是非おすすめしたい。ただし、漢和辞典を脇に置く必要がある。

2024年4月27日 (土)

つながる

 先日来じっくり読み進めている宮崎市定の『遊心譜』をもうすぐ読み終える。いろいろと教えられることが多いが、学問の奥深さを改めて感じさせられた。先日この本の冒頭には宮崎市定の恩師の矢野仁一博士について書かれていることを紹介した。そして関連して桑原隲蔵博士のこと、そして私の愛読書で、その紀行文である『考史遊記』のことも紹介した。

 

 そうしてよくよく読み比べたりしていたら、『考史遊記』の中の『東蒙古紀行』という旅に、その矢野仁一博士が桑馬隲蔵博士と行をともにしていたことに気がついた。基本的に『考史遊記』の旅では同行者は地元の案内人のみであるが、その旅だけは同行者がいたのである。

 

 それが矢野仁一博士であったことを知り、なんとなくうれしい発見だった。だからなんなのだ、といわれればそれまでであるが、バラバラに見えていたものが関連が見つかると私はうれしい。その『東蒙古紀行』に八達嶺に立ち寄るところがあるので、次回はその部分の一部を引用しようと思う。

一汗かく

 来月末に兄弟で佐渡へ行くのにカーフェリーの予約をした。弟からは乗っていく車の車検証のコピーも送られてきたので必要なものはそろっている。佐渡汽船にネットでアクセスして入力すべきことを入力し、予約は終わったのだが、支払いを完了しなければならない。そのための認証コードが送られてきて、さて全て済んだと思ったら、エラーが出た。何か打ち間違えていたのだろうか。やり直せというからもう一度一からやり直した。再びエラーとなった。何を間違えたのだろうか。もう一度やり直す。またエラー。仕方がないからキャンセルをして、初期化したつもりでもう一度一からやり直したがまたエラーである。

 

 佐渡汽船に電話で問い合わせた。調べてくれたら、カード会社がカード支払いを止めているようで、佐渡汽船の問題ではありませんとのことで、そちらで処理しないとこちらでは残念ながら如何ともしがたいといわれる。

 

 カード会社に電話したら、自動音声で、電話でのオペレーターとの通話は混んでいるので二十分くらい待つと通告される。代わりにWEBですると早いというので、WEBを開いたのだが、なんだか八幡の藪知らずに迷い込んだようで、聞きたいことの答にたどり着けない。だんだんいらだちが募ってくる。仕方がないので再び電話する。そうして二十分間ひたすら待ち続けて、ようやくオペレーターと話すことが出来た。状況を説明して、そのあと本人確認のための質問をされる。本人だから問題なく答えることが出来る。そうしてオペレーターが調べたら、やはりカード会社がストップしていたのであった。それも、私が認証コードを打ち間違えたのではなかったかもしれない、大変申し訳ありませんということであった。全て解除するので、お手数をかけますが30分ほど待ったあと再度手続きすれば認証されるはずですとのこと。

 

 そういう経過のあと、ようやく予約が完了した。じつはカード会社から個人情報が漏れてしまったという通知があって、カードの再交付を受けて間がない。漏れたのは私のせいではなく、カード会社の落ち度である。そういうわけで新しいカードなのである。それでもすでに一ヶ月以上問題なく使用してきたが、何かちょっとしたことでセキュリティが働いたのであろう。しかし理由はどうあれ、一汗かかされて面白くなかった。

揚げ物

 揚げ物が好きだけれど、揚げ物は片付けが面倒だ。昨晩は天ぷらを作った。九十九里の魚を食べて育ったので、いい小イワシがあればイワシを開いて天ぷらにしたいところだが、なかなか手頃なものが手に入らない。たぶん知多あたりで獲れているのだろうが、それを捌いて食べる人があまりいないから流通していないのだろう。残念である。たまに捌いたものが売られているが、なんだかさらし粉くさかったりしてがっかりすることが多い。結果的に天ぷらを作るとなると精進揚げを作ることになる。

 

 昨晩のネタは人参、なす、ピーマン、椎茸、それにカボチャ。ネタはいろいろある方がうれしいが、そのためにどうしても作りすぎてしまう。大きめの皿に二つ、山盛りとなる。酒の燗をつけながら熱いうちに次からつぎに食べていく。残りはソバのタネにしたりや天丼にする。汁でふやけた天ぷらも好きである。

 

 天ぷらを食べ終わったら手早く油を処理し、使った調理器具や食器を洗っていく。考えずに一気にやるのがいい。思ったより簡単に片付くものだ。また太るなあ。でも美味しかった。

2024年4月26日 (金)

字幕

 前回はテレビの音量についての実感について書いたが、録画した映画やドラマを大画面テレビで見るのを楽しみにしていて、その時はAVアンプで大音量にする。映画館の気分を多少とも感じたいのだ。だから聞こえにくいということはないはずなのだが、日本映画はしばしば台詞が聴き取りにくい。特にタレントが出演している映画で顕著だ。舞台で鍛えられている俳優は普通に聞こえるが、タレントの多くは発声がまるで違うから音はするけれど何を言っているのか聴き取れない。これは音をかなり大きくしても聴き取れないのである。

 

 外国映画ではそういうことはない。そもそも発声がちゃんとしていない俳優というのはあり得ないのではないか、などと思うけれど、じつは字幕に助けられているという点もあるのではないかと気がついた。日本映画にも字幕を入れてもらえると、発声のお粗末なジャリタレだかジャニタレが混じっても何をしゃべっているか知ることが出来て、いらだちが解消されるかもしれない。耳の遠い老人用に日本映画にも日本語の字幕を入れてくれるとありがたいなあ。ただし、字幕は普通の外国映画なみの大きさで良い。映像を邪魔するほどのものは迷惑だ。

モノラルなので

 テレビの音声が聞き取りにくくなって音量を上げていたら、娘がその音の大きさに驚いたので、自分が思った以上に耳が遠くなっていることに気づかされた。音が聞こえやすくなるというスピーカーがコマーシャルされていたのでそれを買おうかと思っていたら、息子がそれを知って買ってくれた。おかげでだいぶマシになった。只、そのスピーカーはモノラルなので、それが不満である。そうしたら、そういう声が多いからであろう、ステレオタイプのスピーカーも新しく売り出されたようだ。それに換えるかどうか考慮中である。

 

 聞こえやすいかどうかというのは、音量だけの問題ではないことをこのスピーカーは教えてくれる。音がこもっているとか濁っているのとクリアであるとの違いで、クリアで音と音との輪郭がはっきりしているとそれほど音量を上げなくても聞こえるのだ。それがよく分かるのは、NHKの海外ニュースの時の同時通訳の人たちの声だ。同じ音量で整えて放送しているはずなのだが、聴き取りやすい人と聴き取れない人とがいる。まるで違う。放送局はミキサーという役割の人がいて、音量調整をしているはずで、しかしその人は物理的な音量を機械のメーターで見て調整しているだけで、聴き取りやすさなどたぶん考慮の外だろう。ただ、年齢によって聴き取りにくくなる音というものもあるから、こちらの都合ばかりをいうわけにも行かない。

 

 それにしてもNHKと民放の音量の差はどうしてこんなに違うのだろう。民放を見ていて、NHKに切り替えると、その音の小ささに苛立つ。さすがにアナウンサーの発声はきれいだからなんとか聴き取れるが、それでも音量が違いすぎる。そのNHKでも、普通の番組とスポーツやバラエティの番組の音量の違いが大きい。スポーツ番組になると途端にうるさいくらいの音量に変わる。その上アナウンサーがテンションを上げてしゃべるからうんざりしてスイッチを切ることになる。スポーツ番組を見る気にならなくなった大きな理由はじつはこれかもしれない。

また挫折するのか

 難しい本だって、ちゃんと読む人がいるから出版されているのであって、私に読めないはずはない、と思って買ったのに、歯が立たなくて押し入れにしまい込んでいた本が一山ある。ベルグソンやピカート、それにE.フロムの本などだ。E.フロムは大学時代の英語の授業に『愛するということ』が使われて、苦労しながら読まされた記憶があり、翻訳本なら読めるだろうと思って、その『愛するということ』と『悪について』、そして『人間における自由』という本を購入した。『愛するということ』はなんとか通読したが、ほかの本は読み切れなかった。

 

 その中の『悪について』をいま読み直している。なんとか半分近くまで読んだが、理解したとはとてもいえない。しかしながら昔と違ってところどころ分かるところもあった。フロイトの系譜を正当に次ぐといわれるフロムは、精神分析的手法で社会をそして世界を読み解いていく。こんなものの見方、切り口で戦争へ暴走する人間というものを解析する方法もあるのかと思うけれど、ではどうしたら善いのか、それは後半に書かれているのだろうか。最後まで読めるのだろうか。

 

 ほかの著者の本も数冊あるので、とにかく分からないなりにいまの本を読み切ったらつぎに挑戦するつもりだが、一冊で挫折するかもしれない。

2024年4月25日 (木)

明日からは

 明日の夜ぐらいからゴールデンウイークの民族大移動が始まるのだろう。子供たちがまだ中学生、高校生までは、私の両親は健在だったので実家の千葉県まで家族で帰省した。普段は五時間あまりで帰れるところが、八時間くらいかかるのが常で、ひどいときは十一時間もかかった。それだけの思いをしても、両親が私の子供たちと会うのを楽しみにしていたので、帰る値打ちがあった。

 

 いまは正月やゴールデンウイークは引きこもり生活であり、テレビで見る渋滞は他人事である。その代わりにゴールデンウイーク明けにはどこかへ出かけようかと考慮中である。いまはいつでもどこでも混んでいる。それは外国人が増えたこともあるけれど、リタイアした暇な老人が増えたからでもある。私もその一人であるけれど、これだけ暇な老人ばかりを旅先で見ると、だんだん出かけるのがおっくうになる。たいてい夫婦二人連れである。仲が良くて結構なことだが、あまりうらやましいとも思わない。理由は以前書いた。

 

 需要が増えれば当然のことながら宿代も高くなる。そうしてのんびりしたい安い宿が結構混んでいて、一人旅を受け入れてくれないことも多くなった。安い分、人数を稼がなければならないのだろう。ささやかな蓄えではあるが、子供たちに何も残さない、使い切るぞ、と宣言しているので、あまりケチケチせずに使ってもいいかな、などと思い始めている。もういつまでも一人旅に出かけ続けられるかどうか分からないではないか。ちょっと贅沢な旅をするつもりなら、宿は選べるようだ。基準を少しあげることにしようと思う。

快晴なので

 本日は朝から快晴。窓を開け放ち、爽やかな風を入れる。洗濯物がたまっていたので、朝ご飯の前に洗濯。こういう気分の好い日はトイレ掃除や炊事場周りの掃除をしたくなる。出かけるのに好い日だけれど、腰の痛みがなかなか引かないので、近場の散歩程度にして様子を見ることにする。膝は体重を少し落としたら痛みが気にならない程度になった。

 

 来月末に兄弟(弟夫婦と妹)で佐渡へ行くことになった。私は佐渡に何度も行っているので、だいたいの位置関係と所要時間の見当がつく。カーフェリーで車ごと渡る予定である。佐渡は大佐渡と言われる北部の景色が良い。最北部地帯には二ツ亀や大の亀という見所があって、民宿も多く、食べきれないほどの魚が食べられるのだが、ネット検索して宿の予約をしようとしてもなかなか見つからない。以前泊まった宿に電話したが、電話に出ない。コロナ禍もあって廃業したところが多いのだろうか。なんとか一軒見つけて予約することが出来た。ついた晩は両津に一泊するつもりだから、佐渡で二泊する。天気さえ良ければ同行者は喜ぶだろう。私も十年ぶり七回目の佐渡行だ。カーフェリーもネット予約できるのだが、弟の車で行く予定なので車のサイズなどを訊かなければならない。

 

 佐渡はイカが美味しい。美味しいイカが食べられると好いのだけれど。

付和雷同が嫌いなので

 トランプに対して熱狂的に支持している人たちを見ると、どうしてそんなに彼を信頼できるのかが分からない。毛沢東に心酔して、文化大革命で紅衛兵や大衆がどうしてあれほど膨大な数に膨れ上がり、たくさんの人を殺したり、文化遺産を破壊したのか分からない。ドイツ国民がヒトラーの率いるナチスをどうしてあれほど熱狂的に支持したのか分からない。私は付和雷同が嫌いなので、そういう熱狂に走るということ自体が分からない、と思っているが、実際に渦中にあったら本当に冷静でいられるのかどうかは自信がない。さいわいなことにその中に巻き込まれたことがないので分からないのだ。

 

 どうして歴史を知ろうとするのか。きっかけは、何度も書いてきたが、日本はどうしてあんな愚かな戦争を、いま歴史を振り返れば勝てるはずのない戦争を始めて、当然のように自滅してしまったのかが知りたかった。文化大革命について経緯を知ろうとするのも同じような理由である。

 

日露戦争のあと、勝ったのだからロシアからどうして賠償金が獲れないのか、それに激高して大衆が大挙して暴動を起こし、あちこちで焼き打ちが起きた。誰かが先導してそれに付和雷同しての騒ぎだった。それをマスコミは農民一揆の再来のように賛美した。しかし、農民一揆の多くは姓名を明らかにしてその責任を引き受ける指導者がいて、かなり管理されたものだった。そういう意味で、日露戦争のあとの焼き打ちは全くの暴動だった。それが結果的に軍部の暴走のエネルギーとして備給され、中国への侵略や太平洋戦争に繋がったのだと思う。そのことは司馬遼太郎も書いていた。

 

 不思議なのは、誰か、ヒトラーのような、独裁的な指導者がいて日本を亡国に導いたということではないということだ。だからあたかも責任者が存在しないかのようであり、日本国民全体が責任者であるともいえるし、扇動に加担したマスコミに大きな責任があるともいえる。軍部だけが悪だったというのは、そのようなことにしないと戦後の処理を収めようがなかったからではないかと思う。だから、国民は自分に責任がないと思い、マスコミは戦時中のことは口を拭って、手のひらを返して正義の味方を標榜している。

 

 責任の自覚のないところには同じことが起きる恐れが存在する。その時、また付和雷同的に行動する怒濤のような大衆に巻き込まれて一緒になって熱狂したくない。だから歴史の本を繰り返し読む。

2024年4月24日 (水)

待たされる

 本日午後は泌尿器科の定期検診。泌尿器科はいつも予約時間通りに診察が始まらずに待たされる。今日は二時のはずが三時前になってようやく診察が始まった。待てど暮らせど私の番が来ずに苛立つ。ようやく呼ばれた。この頃泌尿器科は医師がコロコロ変わる。今回はよくしゃべる若い医師だった。急な代診だったらしく、私を前にして一生懸命カルテを見ながら問診をする。結論として、細菌の量が減少しているから順調であるということであった。糖が出ている、というのは糖尿病だから当然の結果で、カルテを見れば一昨日の結果が記されているはずである。

 

 ちょっと無用のことをいろいろ言うのでイラッとする。なかなか診察が始まらなくてイライラしている人たちが待合室にまだ何人もいた。どうなっているんだ、と怒っている人もいたのだ。テキパキしたら良いのにと思う。いらぬことを言うぐらいなら、待たせて申し訳ない、くらい言えば好いのに。想定に会わせて本を読みながら待ったが、想定よりもずっと遅れると気持ちがざわついて本が読み続けられない。

 

 これで病院などの一連の用事が済んでさっぱりしたので、小雨の中の帰り道の足取りは思いのほか軽かった。膝の痛みも殆どない。やはり歩かなければ錆びつくようだ。こんばんは何を作ろうかな。つまみは鶏皮ポン酢、それと手羽の照り煮にしようか。

同じ本が

 手持ちに何冊か同じ本がある。持っていることを忘れて買った本もあるが、別に理由があって二冊あるものもある。自宅で何度も読み、実家でも読むために両方に置いていたものと、父に読んでもらうために買ったものだ。父は読書家と言うほどではないが、中国関係で読みやすい本を選んで渡すと時間をかけて楽しんで読んでくれた。それらを、弟が実家を改築したときに引き上げたのだ。その一冊に『考史遊記』(岩波文庫)という本がある。著者は明治の東洋史学の創始者の一人である桑原隲蔵(じつぞう)、京都大学名誉教授でフランス文学者の桑原武夫の父君である。

 

 その『考史遊記』は、明治末に必ずしも身体強健ではなかった桑原隲蔵博士が、長髪族の乱(太平天国の乱)のあとの荒廃した中国各地の史跡を苦労して訪ね歩いたときの紀行文である。少し厚い本だが、著者自身が撮影した写真が豊富に収められているのでそれを見るのが楽しい。最初は歯ごたえがあるが、読み進むにつれて読み慣れてくると夢中で読める本である。尋ね当てた歴史で有名な史跡の惨憺たるありさまの記述には様々な感慨を覚える。

 

 宮崎市定の『遊心譜』を読んでいたら『桑原史学』という小文があって、その桑原隲蔵の功績をたたえ、中でも『蒲寿庚の事蹟』という論文は世界の中国研究者に高く評価されたことを記している。この研究は宋代の蒲寿庚というアラブ系の人物が、貿易管理官としてどういう仕事をしていてその時代の経済、海外と中国との関係、当時の中国の文化などがどういうものだったのかを著したものだ。愛読書の『考史遊記』の著者の本なので、たまたま東洋文庫に収められていることを知り、大分前に手に入れたのだが、私の知識では簡単に読み解けるものではなかった。何度も挑戦しながら通読できずにいる。

 

 東洋文庫版では解説を書いているのは宮崎市定である。今回、宮崎市定の小文を読んで、もう一度チャレンジしてみようかと思って本棚から下ろして座右に置いた。

『「昭和」という国家』

 司馬遼太郎の『「昭和」という国家』(NHK出版)という本を読み終えた。もともとは『雑談 「昭和」への道』という司馬遼太郎が「昭和」(特に昭和二十年まで)について12回にわたってNHKの番組で独り語りしたものを文章に起こしたもので、それに田中彰という北大の名誉教授が批判的な論文を寄せたものが併載されている。批判的、というのは悪い意味ではなく、司馬遼太郎の言うこと書いたことをことごとく金科玉条のように述べる風潮に対して、是々非々で自分の論を述べて、そのことで司馬遼太郎の言いたいことをより際立たせる意図があってのものである。世の中に横行している、司馬遼太郎の片言隻句を取り出して牽強付会に用いる輩を嫌悪してのことである。たしかに司馬遼太郎は神様でも預言者でもないのである。

 

 司馬遼太郎は官僚が嫌いなようである。秀才と自他共に認めるような人も嫌いなようである。もちろん官僚にも秀才にも、市民のため、地域のため、国のために鋭意務めている人もいることくらい承知しているが、あの太平洋戦争という日本を亡国に導いた者たちについての嫌悪が、どうしても拭いきれないからだ。

 

 立身出世するために努力し、苦労をする。そしてその苦労が報われて力を振るえる立場に立つ。力を持たなければ、自分がしたいことが出来ないから立身出世をめざすのだと思いたいが、力を持ったあとで、それを自分のためにしか使わない者のなんと多いことか。志があったはずの人間まで、力を持つ立場に立ったとたんに変節する。それを散々見せられると、立身出世の先頭に立つ秀才、そして秀才が担う官僚がどうしてもゆがんで見えてしまう。

 

 司馬遼太郎が言う「昭和」という時代が、どうして日本を一度滅亡させてしまったのか、そしてその構造が、果たしてそのあとの日本で変わったのかどうか。どうもあまり変わっていないのではないかと思えてしまう。

 

 同時に、大衆を煽り、軍部の言いなりだったマスコミが、戦後手のひらを返していながら、相変わらず大衆を愚民とみて自分が啓蒙しようというエリート意識を持ち続けている状態も変わっていない。そのマスコミはじつは大衆以上にリアリストではないことに、未だに気がついていない。

 

 歴史は自ら様々な本を読み込み、柔らかい心でそれを咀嚼しないとならない。答を先に持ちながら歴史を読んではならないだろう。

2024年4月23日 (火)

雨をすり抜ける

 午後一番で免許更新の予約をしていたので管轄の警察署に行った。小雨が降ったりやんだりしていたが、帰り道に少し霧雨にあたったものの傘を差すほどもなく、雨と雨の間をすり抜けた。警察署は電車で15分あまり、さらにもよりの駅から20分弱歩く。道路が斜めに交差していてわかりにくく、うっかり筋を間違えると遠回りをすることになる。いつも行きか帰りか余分に歩いて、自分の学習能力のなさに情けない思いをする。行き帰りで七千歩ほど歩いたので汗だくになった。

 

 免許の更新はかなりデジタル化していて、殆どのことは機械に向かって自分で入力する。そういう操作の苦手な人は戸惑うだろう。私の前のまだ若そうな黒いニットのフードをまぶたにかぶった男は、若いくせに操作がのろくて、見ていて歯がゆい。係の人が手伝っていた。私は特に問題もなくあっという間に終了。写真を撮ってもらって更新手数料の支払いも済ませて免許のできあがるのを待つだけだ。つい本を夢中で読んでいたら呼ばれているのに気がつかなかった。金切り声気味だったから何度も呼んだのかもしれない。済まないことであった。これで次の更新は三年後、その時の自分の老化を客観的に判断して、さらに更新するかどうか決めようと思う。

 

 帰ってシャワーを浴びて着替えたらさっぱりした。体重が一キロ以上減っていた。夜のビールでたちまち元へ戻るだろうけれど。明日は泌尿器科の定期検診。これはいつも待たされる。その分じっくり本が読める。木曜日にちょっとした用事を済ませると今週の主な用事は全て完了。ただし来週マンションの総会がある。連休にはたいてい出かけないので、年に一度か二度の全員参加の総会なので参加することにしている。若い人はたいていゴールデンウイークでいない。委任状を提出して不参加である。ひまなお年寄りメインの総会だが、へんにくどくどと、どうでもいいことを言う人さえいなければ、割合簡単に終わるはずである。とにかく役員の人はよくやってくれている。

成長

 自負とプライドはいささか違うものだと思う。ドラマ『舟を編む』に倣って辞書を引いてみる。手許の岩波国語辞典によれば、

 

自負 自分の才能や仕事に自信を持ち、誇りに思うこと、またはその心。

プライド 誇り、自尊心。

 

そこで自尊心を引くと、自尊心では項目が立てられていないので、自尊を見てみる。

 

自尊 ①自分で自分をえらいと思いこむこと。
   ②自分の人格を尊重し、品位をたもつこと。

 

「思いこむこと」というのはずいぶんな言い方だが、たしかにこのことばにはそういう表現がふさわしい気もする。

 

 NHKのドラマ『舟を編む』が最終回を迎え、ついに完結してしまった。大変気持ちの好いドラマで、人は自分の限界を自分で定めて縮こまって生きることが多いけれど、世界は未来に向かって開かれていて、少しずつ積み上げればその限界は打破できるものであり、そうして思いのほかに大きく成長できるのだという希望を抱かせてくれた。

 

 このドラマの冒頭が、主人公が何の気なしに多用していた「なんか」ということばがどういう意味だったのか、そこから世界が広がる。

 

こちらは『広辞苑』で調べてみる。

 

なんか ①一つの例としてしめす。
    ②望ましくないもの、価値の低いものとしてあげる。

 

主人公はそのことばが自分自身の枠を創り出していることに気がつくことが出来ることで、その枠を取り払うことが出来るようになっていく。

 

 このドラマはまさに成長の物語で、成長物語は見ていてこちらも元気にさせることが多い。好いドラマだった。彼女の得たのはプライドではなく、自負であった。

時代を見る

 宮崎市定が『遊心譜』の冒頭で、京都大学時代に師事した矢野仁一博士の長寿を言祝ぎ、数え年の九十五歳で論文を書いたことを賞賛している。そういう宮崎市定も1901年生まれで没年が1995年だから長命であった。しかも晩年まで著作を残してくれて、それを楽しめることはありがたい。

 

 続く小文は『わけの分らぬ文化革命』と題したもので、一部を抜粋して引用する。

 

 1960年代、中国全土を席捲して毛沢東の文化大革命華やかなりし頃、何の関係もない筈の日本言論界までが、物の怪にとりつかれたように心酔して熱烈な声援を送り、一人の反対も許さぬような雷同的風潮を造り出したのは、甚だ異様であった。さらに異様だったのは、一流と言われる中国通ほどその見通しを誤り、重大な過失を犯して自他を傷つける残念な結果を残したことである。この間にあって殆ど只一人、敢然として文化大革命の真意を疑い、雑誌『共産圏』に、「わけの分からぬ中共文化革命」なる三十頁の大論文を寄稿して、それがいつもの権力闘争に外ならぬことを看破されたのは、なんと当時数えの九十八歳、矢野仁一老博士であった。実に胸のすくような快挙であったが、惜しむらくは若輩の知識人の蒙を啓くことが出来ず、誰もこれに呼応する者がなかった。 それから二十年、博士の洞察が誤っていなかったことが、事実によって証明された。
(小略)
 そもそも歴史家とは、長い目を以て社会の変遷を追跡する任を荷なうものであるが、その長い目とは、単なる理論ではなく、実際の長期に亘る体験によって錬磨されねばならぬ。
(後略)

 

 このあと矢野博士の経歴が簡略に紹介されている。

 

 矢野博士だけが文化大革命の本質を見抜いていたかどうかは別にして、その時代の浮かれたような、文化大革命賛美の空気を私は高校生時代に朝日新聞を通してよく記憶している。そうしてその賛美する事例に首をかしげることがしばしばで、そのあと文化大革命とは何だったのかを様々な本を読んで考えてきた。文化大革命について、そして共産党中国について、そして朝日新聞を筆頭とした日本のマスコミというものがどういうものか、いろいろ教えられた気がする。それによって本物の、時代を見る目の持ち主の考察にいくつか出会うことが出来た。

2024年4月22日 (月)

糖尿病検診

 本日は糖尿病検診の日。月曜日はたいてい病院が混むので、今日は少し早めに行って列んだ。午後にも用事があったので早めに済ませたかったのだ。雨を心配したが、さいわい行きも帰りも傘は必要がなかった。途中、ツツジやハナミズキが満開で目を楽しませてくれた。

 

 採血して検尿を済ませたら、自分で血圧を測っておく。血圧はいつもより高めだが、心配するほどではない。血液検査の結果が出ると診察に呼ばれるが、一時間ほど待つことになる。その間に読みたい本がじっくり読めたので、待つのは苦にならない。検査結果は前回よりわずかに悪かったけれど、美人の女医さんの顔が曇るほどのことはなく、体重が少し増えているのでもう少し減量に努力しましょう、といわれただけだった。じっとこちらの眼をのぞき込むように話しかけるので、年甲斐もなくドキドキする。「はいっ」「はいっ」と、言われたことに元気よく答えて診察終わり。

 

 薬局は当然のように混んでいて、こちらもいつも以上に待たされたが、昼には帰ることが出来た。冷蔵庫内が寂しくなっているので買い出しをして遅めの昼食を摂り、すぐに午後の用事に出かける。帰ってから歯医者の予約。連休の狭間に行くことになったが、どうせ出かけないから暇である。これで一段落したので、改めてビールを買いに行く。五時前には飲まないルールなので、いまそれを待っているところである。

 

 今週は泌尿器科の検診もあるし、免許の更新もあるのでいろいろ忙しいのだ。膝は大分治ってきたが、腰に鈍痛がある。ストレッチは軽めにすることにする。温泉に行きたいところだけれど連休は混むから、連休明けに行こうと思う。

眼と読書意欲

 読書意欲が衰えて久しかったのが、昨年末から以前のように本がどんどん読めるようになった。本が好きで、もちろん読むのが大好きだから、どんどん読めるととても楽しい。どうして急にまた読めるようになったのか、今頃になって理由を考えてみたら、昨年の秋に白内障の手術をしたからではないかと思えてきた。

 

 手術前は目がかすんで、コントラストが低くて文字も見にくく、読書をしていても眼の疲れが甚だしかったのだ。おまけに紙面もうねって見えて不快感もあった。白内障の手術で手元にピントの合う眼内レンズを入れてもらったので、いまは読書を快適にすることが出来る。もちろんあまり集中が続くと眼に疲れが来るので、適度にやすめて目薬をさしたりして眼をいたわるようにしている。以前買った電熱式の眼のウォーマーもときどき使う。

 

 その代わり以前は裸眼で見えていたテレビが、クリアに見たいときはめがねが必要になったが、クリアに見たい番組は映画と一部のドラマくらいなので普段は気にせず裸眼で見ている。

 

 そのテレビも購入してからすでに十数年を超えていて、いつ寿命が来てもおかしくない時期に来ている。東京オリンピックを機に4Kテレビにしようと思っていたのに、思いのほか頑張ってくれていてありがたい。ちゃんと使えているあいだは大事にしようと思っている。

『黄河の水』

 鳥山喜一『中国小史 黄河の水』を読み終えた。この本は少年少女向けに戦前に書かれた本で、戦後まもなくの昭和26年に一部書き換えてあらためて発刊された本である。いまは角川文庫に収められている。そういう本だからとても読みやすいけれど、中身は濃い。まだ若いころに上司に中国の歴史に詳しい人がいて、その人とよく中国について話をした。その人に入門書として薦められた本なのだ。その人は中国王朝と皇帝の名前をほとんどそらんじてみせるほどの中国通で、それなのに中国にはついに行かなかった。現代中国のあり方になじめないと感じていたようだ。中国好きだからこその気持ちからであって、私にはよくわかる。

 

 この『黄河の水』は中国の歴史に詳しくなると、新しい知識をここから得るというほどのことはあまりないけれど、通史というのは歴史の流れをもう一度見直すときにとても参考になる。戦前戦後の時期の文章の書き方、名前の読み方は、私の知るものとは大分異なったりしているけれど、それも面白いと思った。時には初歩に帰るのも好い。

 

 そう思ったら、つい中国学の泰斗である宮崎市定の本(『遊心譜』)などを引っ張り出して拾い読みを始めてしまった。やめられなくなりそうだ。

2024年4月21日 (日)

プーアル茶

 久しぶりにプーアル茶を飲んでいる。体脂肪や血糖値を下げる働きがあるともいわれるので、もう少しこまめに飲んでいたら好かったのだが、癖の強いお茶なので、しまったまましばらく飲みそびれていた。息子が美味しい紅茶やお茶を定期的に送ってくれるので、それか好きなコーヒーとを飲むことが多い。

 

 一時はほとんど毎年中国に行って、様々な中国茶を買って帰って飲んだものだが、行かなくなって五年以上経つから、とっくに手持ちはなくなった。私の一番好きなのは少し甘みのある軽発酵の白茶であるが、本当に美味しいものにはなかなか出会えない。神戸や横浜の中華街で買ったこともあるが、残念な味だった。気持ちが苛立っているときはジャスミンティーを飲む。心が静まる。蓮茶も悪くない。

 

 中国に行ったときに薬草茶をいくつか選んで買ったことがある。いつもは一人旅なのだが、たまたま一緒に行ったYさんが不思議そうな顔をして私を見た。そんなものを飲むの?という顔であったが、たしかに当たり外れがあり、途中で捨てることになるものも多い。薬効はともかく、味がどうしてもなじめないのだ。でもたまに当たりがあって組み合わせると美味しくなったりする。プーアル茶に、見た目はオリーブの葉っぱみたいな薬草茶をあわせたら、味がマイルドになってプーアル茶が飲みやすくなった。その葉っぱもいまは使い切ってない。名前も知らないままだから探しようもない。

 

 癖のあるプーアル茶を飲みながら、また神戸の中華街でも歩いて探してみようかなと思った。

降りそうで

 マンションの中庭のツツジがどんどん咲き始めた。ツツジは咲いている盛りは好いが、終わり方があまりきれいとはいえないのが難だ。今日は外を歩いていないから確かなことはわからないが、雨のはずなのに昼まで降った気配はないようだ。ベランダの植物に少し水をやった。ニラはどういうわけかあまり勢いがない。パセリは順調に繁茂している。ネギはどんどん葱坊主だらけになっていく。カイワレの取り残しを放置した鉢は、背丈がどんどん伸びて花が咲きまくり、いまは種が出来つつある。これで種を取ったて蒔いたら、またカイワレが食べられるだろうか。

 

 朝から撮りためた番組をずっと見続けていたら腰が痛くなった。ささやかにストレッチをしてみるが錆びついた体はあちこちが痛い。酒を数日我慢しているので、体がオイル切れしている気がする。明日は待ちに待った糖尿病の定期検診の日だ。それが終われば好きなものを食べ、お酒もゆっくり飲める。待ちに待ったのは、もちろん検診ではなくて、そのあと検診にあわせて行っていた節制を解除できることである。

 

 午前中にいくつか見た番組の中で、『新・プロジェクトX』で取り上げられていた、東日本大震災から復旧するまでの三陸鉄道の話に特に感銘を受けた。この三陸鉄道の話は別の形でも繰り返し報じられて承知しているのに、それでもこうして番組で関わった人たちの姿を見ると思わず目頭が熱くなってしまう。

 

 サマセット・モームの『人間の絆』という小説で、「絆」ということばを覚えて好きなことばになったけれど、様々な災害の時に、マスコミがそれを報じるときに、めったやたらにこの「絆」ということばを使うものだから意味が軽くなったようで嫌いになった。でもこの『プロジェクトX』という番組を見ると、あらためてそのことばの真の意味が胸に響いてくる。

 

 続いてH3ロケット打ち上げ失敗から再びの挑戦によって打ち上げを成功したドキュメントを見た。あの失敗の時にはこのブログに少し苦言を書いたけれど、今度は成功して本当に好かった。ただ、他の国ではどんどん成功して次々に大型ロケットを打ち上げている。すでに日本は大分遅れてしまった。そのことの責任は重い。一生懸命やっただけでは取り返すのはなかなか大変だろう。こういうことは結果が全てである。きつい言い方だが、失敗が成功のもとだという言い訳は、他に成功しているところがないときにだけ通用するのだと思う。

ただ焼く

 とても大きな玉のジャガイモが売られていたので買った。皮をむくのが楽そうだというのが最大の理由である。どう料理しようか。ただ焼くことにした。新じゃがらしいので試しにたわしでこすって洗ってみたら、結構きれいになったのでそのまま使う。厚切りにスライスし、油を敷いて熱したフライパンにならべて蓋をする。ジャガイモは水分が結構あるから油がはねるのだ。その分蒸すことにもなるので中に火が通りやすい。

 

 片面が好い色になるまで焼けたら、一度火を止めてしばし待つ。すぐ蓋を取るとまだ油がはねて危ない。以前経験している。ひっくり返してこちらも丁寧に焼き上げる。ただそれだけ。本当は味付けしたいけれどフライパンが汚れるので横着者の私は、味付けは食べるときにする。

 

 焼き上がったのを皿に盛り、ひとつずつそのつど塩とガーリックパウダー、そして黒こしょうを好みの量振りかける。パセリをみじん切りしておいていろどりにする。熱いうちに一気に食べると、ひたすら美味しい。好いジャガイモであった。残り物の野菜を使ってウインナソーセージを刻んで入れてコンソメで味を調えた野菜スープを添えればそれだけで満腹である。まだいくつか残っている。

2024年4月20日 (土)

やたらに眠い

 どういうわけかやたらに眠い。春眠暁を覚えず、というけれど、それにしてもどうしたことか。今朝は明け方前の三時過ぎに救急車の音に起こされた。窓の下を通り、どうやら隣の棟に急病人が出た気配だった。早めに寝たし、救急車が去ってからはすぐに眠れたから寝不足ではないと思うのだが、まるで徹夜したかのように眠くて、午前中も午後もうつらうつらしていた。体調が悪いということもない。何かのスイッチが一時的に切れたみたいになっている。こういうときは運転したら危ない。出かけるつもりはないけれど。

 

 疲れるほどのことは特にしていないけれど、体が眠りを必要としているのだろう。こういうときはスイッチが入り出すまでぼんやりしているのが良さそうだ。今日は土曜日で、世の中の人もゆっくりしているだろうから、年金暮らしという、人様にお世話になっている身としてもそれほど後ろめたくはない。時間がもったいない、という強迫観念をしばし忘れることにする。

 

 今日したことは、『呑み鉄本線』の京都丹後鉄道編の再放送を見たことだけだ。丹後半島、伊根、宮津、好いなあ、また行きたくなった。

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12051-9_20240420115201伊根の舟屋

負担増

 賛否がいろいろあるが、子育て支援法が成立するようだ。少子化対策の一環として子育て支援を拡充するのだろうが、それが少子化対策になるのかどうかについてはいささか疑問に思っている。子供が欲しい人は子供を持とうと思うだろうし、子供を育てるのは負担だと思う人は子供を持とうと思わない。だから子育て支援を拡充することで負担を軽くしようということなのだろうが、それで気が変わる人というのがどれほどあるのか疑問に思うからだ。

 

 結婚ですら、育ち方も考え方も違う二人が一緒に生活することになるからなかなか大変だ。ましてや子供を育てるのは大変だ。そうして支援が必要だと強調すればするほど、子育てというのは大変なことなのだ、ということを意識させられてしまう。結婚も子育ても好いことがこれだけたくさんあるよ、という話はあまりニュースにならないから、まあ結婚しなくても独りが気楽で自由でいいや、と思う若者がどんどん増えて、それが当たり前になってしまったことが少子化の原因だろうと思う。そういう空気がすでにできあがって、多少の経済的支援が空気を変えることに繋がるのかどうか。

 

 それと、多くの人に未来に対する期待、希望があまり持てなくなって、不安ばかりが膨らんでいる気がしている。まさかこんなことは起きないだろう、というようなことが次々に起きている。不安にならない方が無神経ともいえる。それが無意識のうちに、自分はともかく子供の未来はあまり明るくないのではないかと思わせているところがあるのかもしれない。

 

 それはともかく、テレビの街頭質問にはいつもながらいらだちを覚える。「子供支援による負担増をどう思いますか?」という質問の愚かしさに誰も腹が立たないのだろうか。この質問は、「負担が増えるのは負担ですか?」、またはただ単に「負担はいやですか?」と訊いているに等しい。それなら「負担です」、「いやです」と答えるしかないではないか。

 

 空から金が降ってくることはないのだから、子供支援に予算を使えばその分は国民が負担するのは当たり前のことで、その子供支援によって子供を持つ家庭が助かることの恩恵と、自分が負担することのバランスを不当だと思うかどうかという質問でなければならない。なかなか難しい訊き方になるはずだ。笑わせてくれたのは、「子供が三人もいて家計が苦しいのです。ここに負担が増えるのは困ります」という主婦だった。質問する方も、答える方も、なにも考えていない。そしてそれをテレビはさもおおごとのように、庶民の声として報じている。

 

 「年金生活者はただでさえ生活が苦しいから負担が増えるのは困る」、というのもあった。年金を負担しているのは誰か。これから負担してくれるのは誰か。それを考えれば多少苦しくても年金生活者こそ率先して支払うのがあたりまえだろうと思うが、暴論なのだろうか。幸いなことに、日本にはどうしても生活できなければ生活を支援するシステムがちゃんとある。

料理を楽しみたいが

 三分クッキングという料理番組が月曜から土曜日に放送されていて、一時期ディスクにせっせと録画していた。ディスクで五六枚はあるので、料理としては100種類以上は収録されていることになる。ほかに料理番組を録画したものが数枚ある。まだ半分も見ていないし、実際に作ってみたものは十種類もない。いくつかそのままレパートリーに加えたが、もっと試したいと思っている。

 

 昨日は豚バラスライスに短冊形の焼き海苔をのせ、アスパラを幅に合わせて切ったもの二本を海苔にのせ、海苔にチューブのシソ梅を少し塗りつけて巻いた豚バラ肉をフライパンで焼いた。どこで見たか忘れたが、美味しそうだし簡単そうだったので覚えていたので試したのだ。何もつけなくても美味しい。

 

 アスパラから結構水分が出るので、一度焼き目を裏返したら蓋をして蒸し焼きにすると、ちゃんとアスパラにも火が通る。本当はただの練り梅を使っていたけれど、手持ちはシソ梅だったのでそちらを使ったが、悪くなかった。手が汚れることを気にしなければこういう料理も悪くない。

 

 料理をいろいろ試したい気分になっているのに、来週は糖尿病や泌尿器科の定期検診(別々)、歯医者、それに免許更新予約日が次々に重なっていて、試した料理で美味しく酒を飲むという楽しみを楽しむのを控えなければならない。控えなければいけないと思うから、なおさら料理をして酒を楽しみたい気分になるのかもしれない。

 

 あと一週間もしたら世間はゴールデンウイークだ。混むときはどこにも出かけないつもりだから、その時にせっせと料理と酒を楽しむつもりで、それまで待つことにする。

2024年4月19日 (金)

なにも考えない

 散歩して少し汗をかいたらさっぱりした。頭の中がごちゃごちゃしてきているので、なにも考えないことにした。そうして録画した映画の中から、ただ面白ければ良いという基準で選んだ『キングダム 遙かなる大地へ』と『キングダム 運命の炎』という二本を見た。『キングダム』はシリーズ映画で、これらが二作目、三作目になる。三作目も物語の途中なので、さらに次々に続編が作られるようだ。

 

 見てなにも考えなかったから、感想はただ面白かった、しかない。中国の戦国時代の終わり、やがて秦の始皇帝が全土を統一する過程を描いているということになっているが、戦国の七雄と言われた秦、韓、魏、趙、斉、楚、燕が、秦によって統一されていったのだが、それをこのペースでひとつずつ描いていけばまだまだ終わらないわけである。

 

 漫画が原作だから、戦いも、主役や相手役は超人的な力を見せる。昔子供の時に水滸伝や三国志を読みながら思い描いた豪傑や英雄の姿を思い出す。それにしては主演の山崎賢人は軽いけれど、まあ漫画なのだから良しとする。

 

 しばらく映画が見られなかったから、頭をリセットするために明日も気楽な映画を見ることにしようか。

書狂

 陽気が好いので散歩したいところだが、膝が痛くて出かける気にならない。弟のところで飲み食いしすぎて体重がかなり増えてしまったので膝に負荷がかかっているのだろう。何しろ弟は私などより食べることが好きなので、義妹の料理は美味しいのだ。弟は一緒に料理もするし、片付けも手伝う。私は手伝う余地がないのである。

 

 足にもむくみが出てしまった。帰ってきて、少し酒も食事も控えめにしていたら、少しずつ体重は落ちて、それとともにむくみも軽くなりつつある。かかと上げや腿上げなど、軽い足の運動をしているうちに、マンションの階段を上り下りしても膝の痛みはだいぶ軽くなった。そろそろ散歩をする気になってきたので、近場を歩いて少し汗をかいた。

 

 出かける気にならなかったのは、膝の痛みだけではなくて、本が読めて仕方がないのと、花粉症の症状があることで引きこもりを選んでしまうからだ。私の花粉症は杉ではなくヒノキではないかと思う。スギ花粉の時期はたいしたことがなく、今頃の方がくしゃみや鼻水、眼の周りのかゆみが酷い。おまけに黄砂である。これにも反応している気がする。爽やかな春の風を入れたいのに窓を開け放しに出来ないのは腹が立つが、どうしようもない。

 

 本に婬することが甚だしくなりすぎて、眼が悲鳴を上げている。といってしばらく本を閉じていると、眼は何か読むものを探してキョロキョロして止まらない。まるで椎名誠が目黒孝二をモデルに書いた『活字中毒者地獄の味噌蔵』という短編小説の主人公みたいだ。まあ目黒孝二みたいに一日二冊三冊読むのが当たり前という書狂には足もとにも及ばないのであるが・・・。本好きが極まると、書狂という呼び名も褒め言葉に聞こえるようで、私もそう呼ばれたいほど読めればと思うがそこまでのことはないのが残念だ。

日清・日露戦争(3)

 山本博文の『流れをつかむ日本史』から日露戦争についての経緯と結果の部分の一部を引用する。

 

 日清戦争後、ヨーロッパ列強は、中国にますます進出していきました。特にロシアは、旅順・大連を租借して、朝鮮にまで影響力を及ぼしています。1900年の義和団事件のあとには、大軍を満州に駐留させました。

 

 義和団事件については、清朝滅亡にも間接的に繋がる事件であり、中国滞在の各国の人たちの北京籠城については様々な本があるので、是非読んで欲しい。『蒼穹の昴』でも西太后の対応についてその裏面史が語られていた。その際の多くの日本人の毅然とした行動は賞賛に値する。あの日本人はどこへ行ったのかと思う。奥野信太郎も日本大使館に避難して実体験した記録を残している。   

 

 明治三十七年二月、日本はロシアに宣戦布告し、日露戦争が始まります。翌年一月、日本軍は、多大な犠牲を払いながら旅順を陥落させ、三月の奉天会戦でロシア軍の主力を打ち破ります。
 日露戦争最後の決戦は、対馬付近で行われた日本海海戦です。東郷平八郎率いる日本艦隊は、ほぼ無傷でロシアのバルチック艦隊を壊滅させました。この背景には、明治三十五年に締結された日英同盟が大きな意味を持ちました。イギリスと敵対国になったため、バルチック艦隊はスエズ運河を通過することができず、諸国の港にもほとんど寄港できなかったのです。

 

 この戦争については司馬遼太郎の『坂の上の雲』に詳しいのはご存じの通り。

 

 アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、講話の斡旋に乗り出し、ポーツマス条約が結ばれました。ルーズベルトは、日本が力をつけることを警戒していたので、賠償金の支払いなどを認めませんでした。日本が得たのは、韓国における優先権、旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道と付属施設の利権、樺太南部の割譲、沿海州・カムチャッカ沿岸の漁業権などです。
 国民はこの講和条約を不満に思い、日比谷焼き討ち事件などの暴動が起こりました

 

 このポーツマスでの交渉については吉村昭の『ポーツマスの旗』に詳しい。すでに日本は戦費もつきかけ、戦争を続けるだけの兵力も兵器も底をついていたが、それを公にするのはロシアにつけ込まれるだけであったから、非常に困難な交渉となった。しかし日本国民は日本の窮状を知らず、新聞などの扇動により、暴動に繋がった。この交渉を担った小村寿太郎の苦労を思うと、私同様、胸が熱くなるはずである。

2024年4月18日 (木)

占領から占領へ

 読んだ本について書くときに、関連して言及した本を本棚や押し入れから引っ張り出して脇に置く。すぐ元に戻せば良いのだが、つい置きっぱなしにする。だからすぐ定席の周りには本があふれる。そうしてその本をパラパラめくれば、ついそのまま読み始めてしまう。そうしていま読み始めた本が、鳥山喜一『黄河の水』、そして司馬遼太郎の『「昭和」という国家』である。

 

 山本博文の『流れをつかむ日本史』から、日清戦争・日露戦争、そして太平洋戦争への流れをトレースしていたのだが、それが中途半端に終わっている。もう少し後にそれを締めくくろうと思っているが、その参考に司馬遼太郎の『「昭和」という国家』を開いたのである。

 

 最初の方に注目すべき文章があった。戦時中の日本人があれほどアメリカ憎悪を刷り込まれ続けたのに、敗戦のあと、連合国軍(実質はアメリカ軍)によって日本が占領されたあと、それほど目立った反米行動がなかったのはなぜなのか、ということについてである。あれほど憎んでいたのなら、または憎まされていたのなら、テロ行為が続発して当然ではないのか。私もそう思う。確かに日本はあまりにも完膚なきまでにとことん負けたことで、反抗する気力を失ったともいえるが、戦闘行動はともかく、だからこそのテロはあっても不思議ではない。

 

 司馬遼太郎は、それをそもそも日本は日本軍部という組織に占領されていたのであって、その占領から解放され、新しくアメリカによる占領に替わっただけであり、その新しい占領が心配したほどのことはなく、日本軍部によるものよりもはるかにましだったからだという。それだけ連合軍による占領が巧妙だったともいえるが、日本軍部による日本人への占領がそれだけ酷かったということでもある。

 

 軍部だって日本人ではないか、という反論もあろうが、司馬遼太郎は日本軍部というのは日本とは異質な存在、鬼っ子であると繰り返し言う。彼らのほとんどが愛国的であったことなどいささかもなかったと断ずる。国のこと、国民のことを本当に考えたらあんな戦争は始めなかったし、無意味な作戦での大量の死を「自分の責任ではない」と平然と言うことが出来るはずがないという。まったく同感である。日本は鬼に占領されていたのか。

 

 どうしてそのような鬼っ子が生じたのか、生じさせたのか、そのことを考えるために歴史を学ぶことが必要だと語るが、それこそ私が大学入学後に歴史を本気で読み始めた理由でもあった。

下品に堕さないように

 お上品に構えるつもりはないが、下品にだけはならないように心がけている。特に言葉遣いには気をつけているつもりなのだが、世の中がその辺に無頓着なので、その影響を受けないように注意しているつもりである。先般読了した村上陽一郎の本で言う「教養」とは、下品に堕さないために何を身につけるのかということであり、そのことを様々なテーマを取り上げながら語っていたものだと思う。

 

 その本でも、少しきつめのことばで最近のテレビの芸人や話術について、しばしば嫌悪するようなものを見せられる、と嘆いていた。確かに身内受けの笑いの多いこと、恥知らずなことに私もしばしばついて行けない。何を言っているのか、どこが面白いのかわからないこともある。むかしは面白かったものが面白くなくなったのは私の問題なのかと思っていたけれど、むかしのお笑いといまのお笑いは違うのかもしれない。観客を、そして視聴者を笑わせようという点は同じなのだろうが、いまは情けないことに観客の方がここで笑わないのは野暮だと、強要の笑いを笑わされている。またそれをうれしがっている観客がいる。この何が面白いのだ、という思いを抱かせた時点でお笑いではないと思うのだが。

 

 公共の放送の中でのため口には下品な感じを受ける。知性は知識のあるなしではなく、「品性とは何か」を意識しているかどうかだろう。自分が誰を相手にして語っているのかを意識できないのは知性的ではない。毎日毎日テレビでそういうものを見せられ続けて、下品であることに鈍感になっているのがいまの日本のような気がしている。いまはほとんど『笑点』以外はお笑い番組を見なくなった。バラエティニュースのひとつかふたつをたまに見れば十分である。

 

 繰り返すが、お上品にすましかえるつもりはないが、下品なものはいやなものだと思える感性は失いたくない。

『エリートと教養』

 村上陽一郎『エリートと教養』(中公新書ラクレ)という本を読了した。副題が、『ポストコロナの日本考』となっていて、そちらに惹かれて読み始めたものである。東大の名誉教授で科学哲学者の村上陽一郎の本は、若いときから科学について考えるときに、折にふれお世話になった。著作も多い。

 

 この本の内容をまとめて簡単に紹介するのは難しい。後書きにもあるが、第一章『政治と教養』は『中央公論』に載せたものだが、その他はWEB上の雑誌に個別に掲載したものであり、もともと関連性を考慮していなかったものを、ほとんど一から書き直すようにして一冊の本にしたもので、村上陽一郎が様々なテーマに沿って、その知識を傾けて論じたものである。その知識というのがそもそも半端ではないので、話は広がりに広がり、著者の手の上でただ転がされている心地がする。こういう人が見ている世界というのは私などとはレベルが違うのを思い知らされるが、それを楽しむつもりで読ませてもらった。

 

 ただし、本当に読めたのはうわべだけだったような気がしている。自分の不勉強が今回も身にしみている。論じられているのは、政治、コロナ禍、エリート、日本語、音楽、生命など。著者は自分の膨大な知識空間を自在に行き来しながら軽やかに論じて、楽しそうである。

2024年4月17日 (水)

非常ベル

 三時過ぎにマンションの非常ベルが鳴った。断続的に鳴り続け、ようやく鳴り止んだと思ったら、しばらくしてまた鳴り始めた。断続的に鳴るときはまず何かの間違いである。むかしはずいぶん多くてびっくりしたものだが、いまは少し悪擦れしてしまった。とはいえずいぶん久しく非常ベルは鳴らないでいた。先日は、別の棟で連続してけたたましく鳴り、騒ぎになったが、これはいたずらのようであった。

 

 今回はどうなのだろう。一瞬、避難するときに何と何を持ち出すのか考えた。本を読んでいたけれど、本など読んではいられない。外へ出て様子を見たが、騒ぎが起きている気配はない。三十分ほどのうちに完全に鳴らなくなった。

 

 窓を開け放したまま空気清浄機をつけっぱなしにしていたら、「PM2.5などの濃度が高くなっています」と繰り返し警告してくる。黄砂が飛んでいるのだろう。この空気清浄機は夜、電気を消すと「おやすみなさい」と言う。

お前のいる場所

 森本哲郎の『ことばへの旅』全五巻を読み終えた。読むのが何度目になるのかわからないくらい何度も読んでいるが、あまりにも読みやすい本なので、つい読み飛ばしてしまい、読みながら考えることを忘れてしまう。本当は区切りごとに本を閉じて、著者と一緒にもう少し考えて読むべき本なのだ。

 

 第五巻のなかにイソップの寓話が紹介されている。

 

 安全な高い場所にいる山羊が、その下を通ったオオカミに悪口をさんざんあびせました。すると、狼はこう言いました。
「そんなふうにオレの悪口を言っているのはお前じゃない。お前のいる場所だ」

 

 これは第五巻のなかの『身のほどについて』という章にあって、著者はこの話の紹介に続けて、

 

 この話に具体的な教訓をつけるならば、私たちは、ともすると自分の属している組織にものを言わせていないか、ということになるでしょう。組織人とも言われる現代人は、とかく組織の中の自分を本来の自分と錯覚しがちです。そして、組織に組み込まれた役割としての人間になりきってしまい、そのあげく、人間としての役割を忘れてしまうのです。だから、いよいよ自分がわからなくなってしまう。いや、ひとごとではありません。長いあいだ新聞記者をやってきた私自身、自分がこのような山羊だったのではないかと気づいて、思わず顔を赤らめます。

 

 森本哲郎は朝日新聞の学芸部の記者であり、編集委員を務めたあと独立して評論家になった。評論家というよりも、梅原猛のような思想家だったと私は考えている。

 

 身の程を知るという。身分をわきまえろ、という意味にとられることも多いが、自分自身を知ること、そこから自分のことばで考え、自分のことばを語ることであると著者は言っているようであり、それに私も賛同する。

 

 この文章が書かれたのは昭和五十年代の初めなので、組織と個人がこのように不即不離のところがあった気がする。しかし現代はずいぶんものの考え方は変わっている。だから未だにそのことに気がついていない長谷川某代議士のように、「お前のいる場所」からものを言う人間の愚かさが際立つのだろう。

遅れてきた者は

 歴史を少し囓っていると、人間の本性のようなものがそこに映し出されている気がする。遅れてきた者は、遅れを取り戻すために強引に割り込み、しばしばえげつないことをする。勝てば官軍だが、敗者になるととことん悪者扱いされる。

 

 西洋列強の中で遅れたドイツがどういう行動をしたか、日本がどうしたか、そうしていま、中国がその遅れを取り戻そうとして先行者たちからたたかれている。

 

 しばしば私が思っているのは、図々しい者は本質的に図々しい場合もあるが、じつは自分が損をしているから取り戻そうという強迫観念から図々しい行動を無意識にとっているということだ。

 

 そういう図々しさ、えげつなさというのは、じつは弱さから発しているのではないかと思う。だから許されるということではないが。

2024年4月16日 (火)

日清・日露戦争(2)

 山本博文の『流れをつかむ日本史』から

 

 日清戦争によって清からの独立を果たした韓国では、王妃の閔妃(びんひ)がロシアに接近して権力を握ります。
 このため朝鮮公使となった三浦梧楼は、大院君と結んで閔妃を殺害します。しかし、三浦は日本に召喚されて投獄され、大院君も失脚します。国王の高宗に権力が移りますが、暗殺を恐れた高宗は、ロシア公使館に駆け込み、そのままそこで政務を執り始めます。
 これはロシアの属国だと宣言したようなものです。約一年後、王宮に戻った高宗は、国号を大韓帝国と改め、皇帝を称しました。閔妃には「明成皇后」の諡(おくりな)を贈ります。これまでは清の属国であったため「国王」だったのですが、強国ロシアを後ろ盾にして清に遠慮する必要がなくなったのです。
 しかし、当時の日本にとってみれば、朝鮮は国防の生命線でした。大国と思われた清を追い払ったら、今度は正真正銘の強国であるロシアが喉元まで進出することになったのです。

 

 このあとロシアと日本は開戦する。

 

 ノンフィクション作家の角田房子には『閔妃暗殺』という本があり、いつか読もうと思いながら未読である。彼女の本は『甘粕大尉』、『墓標なき八万の使者』を読んだことがある。日露戦争、そして安重根による伊藤博文の暗殺があり、それを機に朝鮮併合が行われる。

 

 現在の韓国とのこじれた関係について考えるには、この辺の歴史をよく知らないといけないのだが、まだ不勉強である。

何が悪かったのかわからない

 昼から二時間近く時間を無駄にした。プリンターがネットワークに繋がらなくなったのだ。私は、液晶画面だけでは書いてあることが頭に入りにくくて、ハードコピーしたものが必要である。インク代がムダではあるが、ハードコピーは頻繁にする。パソコンで調べた情報も、短いものはとにかく、ある程度長いものはポイント部分をプリントアウトして、それを読みながら考える。

 

 午後もそんな風にしてプリントしようとしたらエラーとなってプリントが出来ないのである。プリンター自身の診断によれば、無線LANが繋がっていないという。仕方がないのでもう一度設定し直した。面倒な暗号化キーも打ち直した。そうしたらパスワードが間違っているのでつなげられません、という。打ち間違えたのかと思って何度も打ち込んだが、正しいはずなのに受け付けないのである。だんだん腹が立ってきた。いったいプリンターがおかしいのか、ルーターがおかしいのかも不明である。

 

 いろいろ試行錯誤して、ついにはパソコンとプリンターを直接USB接続し、プリンターの診断ソフトで一から全て見直して見た。そうしたら突然プリントが始まった。どこでプリンターの目が覚めたのかがよくわからない。そのあとはUSB接続を外して無線LANにしても、何事もなかったように普通にプリントをしてくれるようになった。未だに何が悪かったのかわからない。ハンマーでたたき壊さなくて良かった。

したいこと、やりたいこと

 したいこと、やりたいことだけしていれば良いなら楽であるが、したくないけれどしなければならないことが、生きていく上では必ずついて回る。それでも独り暮らしが長い上にこの歳(もうすぐ七十四歳)になると、したくないけれどしなければならないことというのは案外限られてきて、したくないならしないでもなんとかなることが多い。そのためには、どうしてもしなければならないことなら、先送りしないですぐに済ませておく、というのが最も楽であることもようやく学んだ。

 

 そういう意味では、今のところ大きな災害にも遭遇せずになんとか楽しく暮らせていられるのはありがたいことだ。だからこそ自分自身がそういう事態になったらどうするのか、準備と覚悟を決めておくことは必要だと思っている。

 

 話はがらりと変わるが、私がしたくないことの最たるものが、行列に列んで待つことである。列んで待つくらいなら、別のところに行くかあきらめる。だからテレビなどで有名な店の前で長い列を作って列んでいる人たちや、何かのセレモニーなどで一番をとるために徹夜で列んでいる人たちを見ると、どうしてこんな思いをして列ぶのだろう、と不思議でならない。戦時中や戦後すぐのように、限られた配給に列んでいるのは死活問題だから仕方がないが、その列ぶほどの熱情が理解できない。

 

 どうしても欲しい、どうしても見たいという思いが列ばせているのだと思うけれど、どうも列んでまでしてこういうものを見てきた、こういうものを食べた、こういうものを買った、というのが一つの自慢なのではないかという気もする。そう自慢すると、「へえー、すごいねえ」と、誰かから、いいね!をもらえるのが快感なのではないか。どうも目的がそちらにあって、その目的の方がずっと大事なことになっているような気がしている。

 

 自分にそんなところがないか、ときどき自分を点検している。いまこのことは本当に自分がしたいことなのか、それともこんなことをした、とブログに書きたいからしているのか、なんて、思うことがないではない。本棚に列んでいる本を見ても、本当に読みたくて揃えたのか、人に見せたくて揃えているのか、ちょっと考えたりする。ただ、人は少しは「へえー、すごいねえ」と言われたいものでもあって、私もそういうことで背伸びすることで自分をちょっと向上させてもいるのである。見栄は自分を磨く大事なエネルギーなのだ。

尼御前

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北陸道で福井から金沢に向かうときには、ときどき尼御前のサービスエリアに立ち寄る。今回は久しぶりだ。

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『奥の細道』のことを書いたときにも、『平家物語』のことを書いたときにもこの句を引用した。しかし尼御前のサービスエリアにこの大きな石の句碑があるとは承知していなかった。

 

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木曽義仲軍に大敗した平家側の老将、斉藤別当実盛を偲んで詠んだ句である。あわせてこの銘板にはこの地が尼御前岬と呼ばれている由来も記されている。

頼朝に追われて落ち延びていく義経一行に同行していた尼御前と呼ばれる女性が、この先の安宅の関を越えるには女性連れでは無理であることを知り、足手まといにならないためにこの岬の断崖から身を投げたという。

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その尼御前岬はこのサービスエリアの裏手にあり、以前は裏手に抜ける道がいくつかあったのに、リニューアル後に久しぶりに来たら今回は一カ所だけになっていた。抜けたすぐ先に咲いていた桜。

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坂を下って左手奥が尼御前岬になる。右手には散り始めている桜並木がある。花曇りである。

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こんな花も咲いていた。葉の形状からこれも桜だと思うのだが。

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尼御前岬公園という公園があり、ここに尼御前が立っている。

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ほとんど少女とも見える若い女性の像で、とても美しい。

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ここは崖の上なので、その崖は見えない。日本海は静かに凪いでいた。

これで今年の桜は見納めだと思う。

2024年4月15日 (月)

九頭竜湖の桜

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金沢へ向かうときは、東海北陸道を北上して北陸道で行くのがいつものコースだが、今回は郡上白鳥から中部縦貫道を走った。郡上白鳥からは油坂を越えると分水嶺の向こう、たちまち福井県に至る。ただし、トンネルを三つほど抜けたらもう一般道、国道158号線である。まだ繋がっていないのだ。

むかしは郡上白鳥から油坂峠を越えた。道は狭いし一気に高度が上がり、しかも途中のトンネルは狭い。スリリングな道で、その代わり景色は素晴らしかった。いまはその峠道は通行止めのようだ。

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いまは中部縦貫道を全通させるために急ピッチで工事中である。桜とダム湖である九頭竜湖とを写真に撮るために車を駐める場所が、工事用の車がならんで駐められない。

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それでも何カ所か駐める場所があった。この辺の桜はソメイヨシノではないようだ。

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先日の佐倉城址公園の桜で今年の桜は見納めかと思ったが、運良く九頭竜の桜を見ることが出来た。早めに咲く年には、まだ川岸に雪が残ったりしていることがある。

坂道を一気に下る。

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ダムを発電所側から見上げる。対岸に桜並木が見える。

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遠目の桜も美しい。

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その桜をアップにしてみた。満開で一部散り始めたというところで、両岸の桜を楽しみながら走ることが出来た。九頭竜インターが出来ているはずだが、通り過ぎてしまい、下山インターで福井側の中部縦貫に乗る。こちらはつい最近福井北インターまで繋がった。大野や勝山、そして永平寺を一気に駆け抜け、福井に下って北陸道に乗った。

日清・日露戦争(1)

 『流れをつかむ日本史』では、日清戦争も日露戦争も朝鮮半島に関わっていることを明快に記している。わかっていることではあるが、これくらいすっきりとまとめてくれるとわかりやすい。中学や高校の教科書はどう書いているのだろう。

 

 朝鮮では、日本の明治維新に倣って近代化をはかろうとする勢力と、保守的な勢力が対立していました。この政争は、保守派の大院君(国王の父)が勝利しました。日本は、清と天津条約を結び、両国の朝鮮からの撤兵と、出兵の際には事前通告することが取り決められました。
(小略)
 同年(明治二十七年)朝鮮では、西洋の宗教に対抗する東学という宗教団体を中心に、甲午農民戦争が起こりました。朝鮮政府は、鎮圧のために清に援軍を依頼し、日本も朝鮮に出兵しました。そしてこれを契機に日清両国は交戦状態となり、八月には宣戦布告がなされました。日清戦争が始まると、民党(立憲民進党や立憲自由党など)は戦争支持に回り、巨額の軍事予算が成立しました。
 日本軍は、朝鮮から清軍を一掃し、遼東半島まで占領しました。また黄海海戦では、清の誇る北洋艦隊を打ち破りました。日本と清は、下関で講和交渉を行い、下関条約が調印されました。
 これによって、朝鮮の独立、遼東半島・台湾・澎湖諸島の譲渡、賠償金二億両(テール)の支払い、講習など四港の開港、最恵国待遇などが合意されました。

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講和交渉が行われた春帆楼。赤間神宮の隣にある。

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ここで伊藤博文と李鴻章が交渉した。

 

*後に三国(ロシア・ドイツ・フランス)干渉により遼東半島は返還を余儀なくされる。

 

 日本はこの賠償金によって重工業化を果たすことになる。

 

 さらに清国から独立することができた朝鮮は、日本にとって不都合な行動をとる。そのことが日露戦争へと繋がっていくのだが、それについては次回。

用事で金沢へ

 今日は朝から金沢へ向かう。白山に近いところでちょっと用事がある。観光ではないので、写真は撮るかどうかわからない。九頭竜から福井北まで中部縦貫道が繋がったらしいので、往きは郡上白鳥から油坂峠を越えて九頭竜へ抜けることにする。九頭竜から先の中部縦貫ははじめて走る道である。安全運転で行くよう自分に言い聞かせる。

 

 昨日はトイレ掃除や部屋の掃除、洗濯、布団乾燥など、帰宅してから一日おいての雑用に少し汗をかいた。いなくても部屋は汚れる。私はいないのに散らかってしまうのは不思議である。なんだか体が重い。実際に体重計に乗ると重くなっている。弟のところで上げ膳据え膳で楽をしていたからだ。膝が痛いのは負荷が大きくなっているからだ。

 

 冷蔵庫が空になっていたので買い出しをした。野菜は値段が下がったものもあるし、相変わらず高いものもある。肉や魚も高い。竹の子を買いそびれた。竹の子ご飯を作りたかったのに。帰りに道の駅などで探してみよう。明日は雨らしい。雨の中を走るのはいやだなあ。

2024年4月14日 (日)

もし・・・たら

 山本博文の『流れをつかむ日本史』のなかの、大政奉還に関する流れについての著者の感想を引用する。

 

 しかし慶喜は、督促してまで大政奉還の受諾を求めました。形式的にではなく、本気で大政を奉還しようと考えていたのです。
 その後の歴史的経緯から考えれば、政治の実権を握る根拠となる将軍職を手放したのは失敗でした。しかし、この時点では、大政奉還によっていったん事態を収め、その後は自分の政治力で国政の主導権を握るという選択もあり得るように思えたのでしょう。
 激動する政治の場では、相手の内情や本当の実力は見えません。慶喜の場合は、相手を過大評価し、一時後退の手段をとったために、流れを相手に渡してしまったのです。このとき、別の決断をしたら、政局は別の形で動き、日本近代のあり方も全く違っていたかもしれません。

 

 まったく歴史はこの、もし・・・たらの連続であるなあと思うことが多い。そういうときに、少なくとも最悪ではない決断をするトップがいてくれれば、もう少しましだったのにと思わせるのが昭和の前半だったように思う。明治維新は得失はあるものの、結果オーライだったと考えられないことはない。しかしそのあとが酷かった。そのことを司馬遼太郎は、それが重大なことなのに、悪い方へ悪い方へと曲がっていくという、当時の為政者のお粗末さを感じて感情が先走り、ついに昭和という時代について冷静な、まとまった文章をあまり残せなかったのではないかと思う。

 

*司馬遼太郎には『「昭和」という国家』という本はある。過去との対比の中で昭和を論じていて、昭和が日本の歴史の中で異質であるという彼の持論がうかがえる。しかし本当に異質な時代だったのだろうか、と私は納得することが出来ないでいる。そうしてただいま現在の日本がその異質な時代の延長のうえにあることを常に意識している。

 

 次回はその辺に関する部分を引用する。

時代の転換点

 山本博文『流れをつかむ日本史』(角川新書)という本を読んだ。『平家物語』を読んで、いかに自分が日本の歴史に疎いかを思い知らされたから、まず日本史の通史を読もうと思ったのだ。帯に「時代の転換点を押さえれば歴史がわかる」とある。『黄河の水』という鳥山喜一の中国通史を折にふれて繰り返し読んで実感しているので、その帯のことばに強く共感する。

 

 歴史の区分をどうするかということと、転換点とは少し違うような気がするが、転換点をどこに置くかで時代の見え方も変わるところがある。それは何を大事なことと考えるのかという、考え方の違いだから当然と言えば当然なのだが。

 

 今回読んだ『流れをつかむ日本史』では、新書形式ながら比較的に新しい歴史情報も取り入れられているので、自分の頭にあった知識を多少修正することになった。少し駆け足で読み過ぎたので、時間をおいてもう一度読み直してみたい。自分の最も知識の欠けている鎌倉後半から室町時代については、いつか『太平記』などに挑戦して知りたいと思う。

 

 ところで私が大学入学以降に歴史に興味を持ったのは、なぜ日本は中国と戦争を始めたのか、そして太平洋戦争にまで突き進んでしまったのかが知りたかったからで、そこから中国史にのめり込んで日本史がおろそかになっていた。ただ、自分なりにつかんだ明治以降の日本の近現代史についての見方からすると、著者の山本博文の見方がとても納得するものがあり、その点は特に明記しておきたい。ポイントをあとで引用するつもりである。

 

 自分なりにいろいろなことを断片的に取り込んでいるけれど、なんとなくそれらに関連性を感じられるようになってきた。それらが線となり、面となり、立体になれば良いなあと思っている。

ちょっと寄り道

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大洗の明太子パークに立ち寄る。私は買わなかったが弟が買ってくれて、酒のつまみや食事の時に出してくれた。味見もしたけれど、普段スーパーで買うものより美味しい。

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ガラス越しに生産工程を見学できる。本日の生産量5000キロ、とパネルに書いてあった。すごいなあ。

これで大洗を切り上げて帰路につく。残りの桜を見るために佐倉城址に立ち寄る。桜には歴史博物館があるが、その後背部にある広い公園が佐倉城址である。

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駐車場から本丸跡の方向へ歩く。足はもう恢復していた。

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弟夫婦と妹。佐倉城址公園なのだが、桜城址公園と看板が出ている。下は葉桜で、上の方だけ桜が残っている。

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少し傾きかけた日のなかで、名残の桜を眺める人たち。

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ソメイヨシノではない桜のようだ。

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花が輝いているように見える。

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こちらの白い桜は大島桜らしい。

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こちらは満開。

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桜を堪能して帰路についた。

2024年4月13日 (土)

大洗磯前神社

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大洗磯前神社は海を見下ろす高台にある。

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拝殿に参拝。

 

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山門前には福の神がいた。なでて福にあやかる。

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蛙もいる。蛙にまで石をのせることはないと思うが。

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ここは海に立つ鳥居が見物(みもの)だという。

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鳥居を見に行くには下まで降りなければならない。

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下から見上げる。あとでここを登るときには息切れはするし膝は痛いしで、参った。

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ここは鹿島灘。いまは潮が引いているので磯を歩けるのだが。

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ということです。

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潮があげてきているらしい。波が打ち寄せるようになってきた。

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階段下の狛犬はかなり摩滅している。頭に赤い飾りがあると思ったら、誰かが椿の花を乗せたものらしい。

大洗で食べる

先日弟の家に滞在していたとき、弟夫婦と妹と四人で、日帰りで大洗に行った。弟がおいしい魚を食べに行こうと提案してくれたのだ。

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こんな店があちこちにある。海岸の大きな駐車場にも、店の前の駐車場にも車がたくさんいたから、大洗は盛況のようだ。春休みの済んだ平日だったけれど、潮干狩りの出来る場所もあってそちらも混んでいたらしい。

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写真の左下は私の弟と妹。弟は何度か大洗に来ていて、店によって値段や魚の量が違うらしく、ここがお勧めだという。混むので、11時を少し過ぎたくらいであるが早めに席に着く。

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店のなか。右手の台に焼く物や揚げ物などが後ろの奥までずらりと並んでいる。とりあえず弟のお勧めのバラちらし丼を頼む。

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様々な魚が山盛りでご飯の上に乗っている。ご飯よりも魚の方が多い。大きなお椀の青さの味噌汁がついている。

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きれいに食べ終わる。満腹してしまって、食べたいものもないではなかったが、焼き物などはもう食べられない。見た目よりずっとうまかった。向かいは妹で、これも完食。

あまり昼にボリュームのあるものは食べないので、普段の一人旅ではこういうところで食べることはほとんどないが、今度は機会があれば食べようと思った。

このあと土産物の海産物を物色して、それから車で近くの大洗磯前神社に向かう。薄曇りだが、風があまりないので歩くと暖かい。

少し休んだ方が

 国賓待遇でアメリカ訪問中の岸田首相がアメリカ議会演説をした。普段の日本語での演説は、私には聞き苦しく感じられるのだが、英語での演説は私にはわからないので聞き苦しくも聞き苦しくなくもない。日本語よりも、えー、うーん、というおかしな「間」がないようなのがましに聞こえるのだろう。

 

 ところで立憲民主党の泉代表が、演説の中での岸田首相のジョークに反発したと報じられている。日本ではこのような拍手喝采は受けないという自虐トークだが、それを余計な発言だと述べ、そもそも日本では拍手喝采を受けるような状況ではない、とお怒りのようだ。

 

 まあそのとおりではあるのだが、そういうことをわざわざ自分の発言として述べるのも「余計な発言」だと思うけどなあ。それにしても、国内ではなく、海外で国を代表して出かけた自国の首相の海外での演説を批判して「反発」して得意になっているように見えるのはいかがなものか。

 

 相手が何か言ったらその言葉尻を捉えてやろうといつも待ち構えているいうのは、あまり見ていて品性のいいものではなく、好感は持たれにくいのではないか。なんだかそういうことを繰り返しているうちに、人相が悪くなってきたように見えている。どうもお疲れのようだから少し休んだらどうだろうか。

 

 あくまで私の感想であるが、枝野さんより少しはましだと思って期待していたのに残念だと思う気持ちからのイヤミである。正直な感想は、この人にはリーダーの素質が欠けているような気がする。万一政権交代があったとき、国家を率いる能力があるようにはとても思えないのだが、私だけの危惧なのだろうか。

2024年4月12日 (金)

東京電力から

先ほど千葉の弟の家から我が家に帰宅した。途中どこかに立ち寄るつもりだったが、首都高の渋滞がいつも以上だったし、海老名の手前での工事もあって大渋滞。御殿場まで三時間半以上かかり、その上予想外の降雨もあり、意欲は減退してしまった。

これで富士五湖や箱根を見に行ったら、帰るのは夜になってしまう。今度ゆっくり来ることにして直帰した。いつもは五時間あまりで帰れるのに、今日は七時間以上かかってしまった。いささか疲れた。

帰ってパソコンを開き、メールを見たら、東京電力から支払いが滞っているから添付の振込用紙を使って至急振り込むようにとのこと。えらいことだ・・・。とはいえ、こちらは名古屋なので東京電力から督促を受けるいわれはない。

東北学

 またまた赤坂憲雄の『東西/南北考』の『東北学、南北への地平』という文章のはじめの部分からの引用。

 

 そこには確かに、いくつもの東北が埋もれている。東北は多元的な種族=文化の交錯する、カオスの土地である。古代蝦夷のかすかな記憶をとどめて、アイヌ語地名を刻印された東北が、ひそやかに身悶えしている。なぜ、マタギの山言葉のなかには、アイヌ語が含まれているのか。なぜ、丸木舟はその北の境界を越えると、まったく形式や技術をたがえるのか。そうして北に開かれてゆく東北があり、西や南へと繋がってゆく東北がある。あるいは、いくつもの東北はまた、太平洋側/日本海側のはざまに、海/山のあわいに埋もれている。だから、東北学はいくつもの東北をめざす。いくつもの東北は、いくつもの日本を孕み、いくつものアジアへとつらなる。東北はいま、この弧状をなす列島の大きな歴史をめぐる、再審の現場と化してゆく。

 

 縄文文化が数多く残る北東北、そしてマタギの伝統を残す阿仁や打当あたりをふたたび訪ね歩いてみたい気がした。見えているはずのものを見ないで歩いたけれど、もう少し目をこらしたら何かが見えるだろうか。

穢れと差別

 赤坂憲雄の『東西/南北考』の『穢れの民族史』より引用する。

 

 穢れとは何か。人の死にまつわる穢れがあり、女性の月経・出産に関わる穢れがあり、そして、獣の肉や皮革処理がもたらす穢れがある。そうした穢れの観念や禁忌の群れが、複雑に絡まり合いながら、西日本を中心として、被差別部落という名の差別のシステムを産み落としてきた。東北の中世には、あるいは北海道のアイヌや沖縄の島々には、被差別部落は存在しない。穢れのタブーをもって、人が人を差別する制度そのものが見いだされない。列島の全域を対象として、穢れの民族史が掘り起こされるとき、西の差別のシステムは根っこを浮かされ、相対化の運動の渦中に投げ込まれる。穢れと差別を巡る風景は、もはや自明ではない。西の社会が固有に分泌した、かぎりなく地域的(ローカル)な歴史の一齣に過ぎないことが、白日のもとにさらされる。これもまた「ひとつの日本」が壊れてゆく現場である。

 

 曾野綾子が、自分が東京に生まれ育って身の回りで部落差別を見聞きしたことがない、と自分の経験を書いたら、批判されたと語っていたのを思い出す。私も生まれ育つ間には経験がないことで、部落差別を知ったのは住井すゑの『橋のない川』を読んでからである。母に聞いたら母も経験がないと言い、人に聞いてはじめてそういうことがあるのを知ったそうだ。曾野綾子が、経験がないという事実を書いたら、それが「部落差別など存在しない」と曾野綾子が主張したと批判されたようだ。そんなことは言っていないことは自明のことなのに、それを批判し非難する、そのことに恐ろしさを感じた。

 そういえば以前にも書いたが、営業所に強引に踏み込んだ男と応対したら、部落差別に関する書籍を購入せよと分厚い本を差し出された。一冊三万円だか五万円だかするようなことを言った。そういうものは本社の総務部に行ってくれ、と突っぱねたら、個人として差別に反対するのが当然ではないかと言い、はじめて指の欠けた手をわざと見せた。もちろん追い返したが怖かった。私の、部落問題らしきものとの遭遇、は人生でいまのところそれだけである。

2024年4月11日 (木)

日帰り旅行に出かける

 今日は朝から弟夫婦と妹と四人で茨城の大洗や霞ヶ浦などの日帰り旅行に出かけている。

 帰りは遅くなると思われるので、報告は少し後になる。

 さらにあさっては朝早くに帰路につくので、明日の晩に何か書く暇がなければ、次回のブログはちょっと先になるかもしれない。明日は余裕があればどこかに立ち寄るつもりでいる。その報告もゆっくり行うつもり。

  

いくつもの日本

 赤坂憲雄『東西/南北考』(岩波新書)という本を読んだ。赤坂憲雄は民俗学者。東北文化論を考察し、東北学について研究している。私は東北で大学時代を送り、父の郷土である東北に思い入れがあるので、東北学の三部作のうち、二冊ほど読んでいろいろ考えさせてもらっている。日本民俗学といえば柳田国男という巨人がいて、そこを原点にして民俗学が展開発展してきたが、近年それを批判的に読み解き、さらなる研究によって乗り越えようという動きが民俗学の一部にあり、非常に興味深い。民俗学が閉塞状態であるという批判もあったから、喜ばしいことである。

 

 この本でもそういう研究が多数引用されていて、もちろん著者もその急先鋒のひとりでもある。だからといって柳田国男を否定するわけではなく、柳田国男の呪縛から民俗学を解放し、乗り越えなければ民俗学の未来はないと思っているだけで、高く敬意を表していることは柳田国男の著作や研究からの引用も多数取り上げられていることもわかる。

 

 柳田国男は『ひとつの日本』という捉え方から各地域の民族文化の差異の、その源流にある共通性を推察し、提示して見せた。赤坂憲雄は、その共通性というのはある時代以降の共通性で、本当の源流の多様性を語ろうとする。「ひとつの日本」は柳田国男の創り出した幻想で、じつは「いくつもの日本」があるのだということを多数の研究を示して提唱する。

 

 全く相反する主張に見えながら、じつはもっと根源的な視点に立てば、両方ともなるほどと納得できるものではないかと読みながら思った。そのことはたぶん著者も承知のことであろう。この本の中では菅江真澄の残した資料なども取り上げて論じられていて、読みながらなんだかわくわくした。民俗学に多少とも興味がある人なら、すでに承知していることとは異なる主張に反発せずに丁寧に読んでみて欲しい。新しい視点を教示される喜びを知ると思う。

2024年4月10日 (水)

明日にはわかることだが

 今日は韓国の総選挙の日だ。明日にはわかることだが、選挙結果が気になる。先頃までは与党が善戦しそうだといっていたはずなのに、直前になってやはり野党の勝利がたしからしいと報じていた。ネギの値段についての尹大統領のコメントを針小棒大に報じて、左派好きのマスコミは一斉に少数与党をたたいている。こんなことで野党が大勝利し、また文在寅時代のような韓国に戻るのだろうか。

 

 韓国のことは韓国の国民が決めることだが、李在明をトップとする野党が韓国を運営することになれば、日本との約束や了解事項はまたぞろひっくり返されることだろう。いまの韓国の経済停滞や少子化対策が出来ていないことの責任は、現政権だけではなくて、前政権にもあると私など思うのだが、韓国国民はそう思わないのだろうか。

 

 予想通りの結果なら、また不愉快な韓国を見ることになりそうだ。アメリカはトランプの天下になり、ウクライナは支援が打ち切られて立ちゆかなくなり、プーチンは高笑いし、習近平はつぎは自分だと意気込むだろう。まさか日本もそれに似たようなことになるのだろうか。なるかもしれない。

しゃべりすぎる

 昨日は昼過ぎまで嵐のような風雨だった。いま千葉の弟の家にやっかいになっている。

 

 普段独り暮らしで誰も話し相手がいないし、独り言を言う癖もないので、弟と夜、杯を交わしながら話し出すと、日頃思っていたことが止めどなくあふれてきて、ついしゃべりすぎる。弟も弟の嫁さんも聞き上手なので、しゃべりながら好い気持ちになり、つい酒を飲み過ぎる。知ったかぶりもいい加減にしなければと思うけれど、酔っ払いはセーブが利かない。

 

 今晩は呑む相手が替わる。船橋で久しぶりに人と会って二人で飲む予定だ。たぶんまたしゃべりすぎるだろう。面白がってくれる人なので、ありがたい。

『歌わないキビタキ』

   梨木香歩『歌わないキビタキ 山庭の自然誌』(朝日新聞出版)を読んだ。植物たち、鳥たち、獣たちを見る、著者のその見方感じ方の深さに、自分は一体普段何を見ているのだろうと思った。そもそもここに書かれている植物や鳥、獣をどれだけ具体的に想像できるだろうか。ただ名前を知っているだけではなく、その生態ごと知る、知ろうとする梨木香歩に脱帽する。

 

 山荘に暮らし、四季の窓辺から見える様々なことが記されていて、名前も知らないものたちごと、その山荘の空気を感じる。こういう生活をしてみたかった気持ちはある。しかしこういう生活はその自然との共生が可能な技術と知識を必要とする。さらに体力も必要だ。そして山の孤独を楽しむ精神の力も必須だ。それがいまの自分にないから、こういう文章を通して疑似体験させてもらった。

 

 慌てて読みすぎた。いつかもう一度、植物図鑑でも脇に置いて、検索しながら楽しみ直したいと思う。                   

2024年4月 9日 (火)

恢復

 しばらく前に義弟(妹の夫)が脳出血で倒れ、それに気づいた通りがかりのひとがすぐ救急車を呼んでくれて一命を取り留めた。意識不明の状態が続いて心配したが、意識を取り戻してから少しずつ口もきけるようになったものの、脳の損傷があるために記憶などが少しまだら状態になっているようだった。その上コロナ禍に重なったため、面会もなかなかままならず、妹も気をもんでいた。たまに面会したときの様子は妹がスマホの動画に撮って見せてくれていたので、様子はだいたい承知はしていた。私も倒れてからずっと義弟には会えなかったのだが、ようやく面会が比較的自由な施設に移り、妹もいまは頻繁に面会に行っているという。

 

 最近は一時帰宅も出来るようになって、昨日も帰っているというので、弟夫婦に連れられて妹の家へ行った。義弟は妹から私たちが行くことを聞いていたのだろうが、我々が誰であるかちゃんとわかっていて、心配していたよりもずっとしっかりと受け答えをした。義弟は「ときどき、わからなくなることがあるんですよ」などと笑いながら言った。義弟のいつもの笑顔だった。ただリハビリが出来ない期間が長かったため足腰が弱っているから、立ち上がることくらいは出来るが、移動は車椅子である。

 

 恢復と言っても倒れる前のように戻るということは無理だが、介助すれば生活できる状態になったということだ。それにしても、当たり前ではあるが、妹がこれほどかいがいしく義弟の世話をしているのを見て、夫婦というのはこういうものなのだなあと思わされた。そう思うのは、私が自らの妻とどう向き合っているのか、と比較してしまうからだろう。

 

『椿の恋文』

 千葉の弟の家に来てゴロゴロしている。弟の娘が近くに住んでいるので、家族(亭主と娘二人の四人)で挨拶にやってきた。ついこの間までよちよち歩きだったのが、いまは上が小学生、下が幼稚園の年長だ。人見知りをしていたのがなくなり、話しかければしっかりと返事をする。本当に子供の成長は早い。それはその分・・・というのは愚痴なのでやめておく。

 

 ゴロゴロしながら小川糸の『椿の恋文』を読了した。『ツバキ文具店』からの三冊目で、書店で気がついてすぐ購入してあったのだが、しばらく古典を集中して読んでいたので後回しになっていた。読み出せばたちまち夢中になって読んでいた。ポッポちゃんこと鳩子も結婚して、先妻の子と別に自分の子供二人も生まれて、家族五人の所帯を切り盛りしててんてこ舞いの日々を送っている。その鳩子も反抗期の上の子(QPちゃん)との関係に悩む母親である。それでも下の子供たちが小学生に上がり、ようやく一息ついたところで代書屋を再開する。

 

 様々な人と出会い、代書をするために相手の人生を知る。難しい手紙をとことん考え抜いて本人の代わりに書くことで、鳩子は別の人生を追体験する。そのことで成長し、人に対しての優しさが付け加えられていく。今回もその手紙文の見事さに惚れ惚れする。この本を読まないのは本読みとしてもったいない。おすすめの本だ。

終点

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神社から長良川鉄道の線路沿いに歩いて若宮集古館に向かう。古い屋敷を見ることが出来る。若宮家は長滝白山神社の宮司の家。ずいぶん昔に子供たちと母と一緒に見学させてもらった。予約が必要なのだが、頼んだら快く入れてくれた。

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左へ入ると若宮集古館。

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なんと閉鎖されていた。老朽化して維持が困難になり、令和四年で若宮家が手放したそうだ。いまは郡上市が管理していて、修繕する予定だそうだ。

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屋敷の外観。

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長良川鉄道の線路。向こうが終点の北濃駅。歩くと遠いので、駐車場に引き返す。

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田舎でのんびり独り暮らしを夢見たときもあった。高齢になると、そういう生活は無理だと知った。

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車輪が眼みたいに見える。左手、コブシと桜。

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長良川鉄道終点、北濃駅。さらに九頭竜を越えて福井とつながる予定だったことは、呑み鉄本線で伝えていた。

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執着北濃駅という駅の食堂。ここでラーメンを食べて、すこしおそい昼食とした。

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左手、長良川鉄道終点の看板。線路はこの先で終わっている。

終点なので私も引き返すことにして帰路についた。

これで長良川桜見物の報告終わり。

2024年4月 8日 (月)

長滝白山神社(2)

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参道をゆっくり歩いていたら、後ろからスタスタと足音がして、山伏が追い抜いていった。歩いているのだけれど走るように速くて、あっという間に姿が見えなくなった。右手にはホラ貝を持っている。

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普通はこのまままっすぐ階段を上り、拝殿に向かうのだが通行止め。右へ行くよう表示があるが、山伏は左手へいったのでそちらへ行く。小さな坂道があって回り込むことが出来た。

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神社に併設されている長滝寺。

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お経を朗々と唱えていた。ここにも雪が残っていた。私は神社の拝殿の方へ向かった。しばらくしたらホラ貝の鳴る音がびっくりするくらい大きく聞こえてきた。

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宝篋印塔。

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長滝白山神社の拝殿。ここはとても天井が高い。正月の祭礼の花奪い祭り(はなばいまつり)は有名である。

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大きな奉納絵馬の額。

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本殿。

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この巨木の横を通って、若宮集古館へ向かう。

長滝白山神社(1)

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長滝白山神社参道。

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駐車場はこの長良川鉄道の白山長滝駅の前にある。神社名と駅名の白山と長滝の順番が違うのが面白い。

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ここは白山への美濃側からの登山の通り道にあたる。この先の山を登り、阿弥陀ヶ滝を通り過ぎて峠をいくつか越えて石徹白へ至り、石徹白の白山中居神社の横からが本格的な白山への登山道となる。いまそこから登る人はまれである。

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駐車場の奥の方にはまだ雪が残っていた。子供がまだ小さい頃、五月の連休に来たときに雪がたくさん残っていたこともある。ここは雪深いところなのである。

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地図の左下が駐車場。まっすぐ参道を進み、長滝寺や長滝白山神社に参拝して中央上部の若宮考古館を覗こうと思う。

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参道途中にはいくつか見るべきものがある。これは宝暦義民の碑。一揆があったのだ。

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参道は上り坂になっていて、途中から白山の前山が遠望できる。

長良川と河原の桜

洲原神社の後に、白山神社の中の主要な神社の一つ、長滝白山神社に行くことにしたが、途中、長良川の河原の桜がきれいだったので立ち寄った。半分桜に酔っている。ちなみにもう一つの主要な白山神社は、石徹白(いとしろ)の白山中居神社(はくさんちゅうきょじんじゃ)。

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ここでも川の向こうの山の桜がたくさん目についた。花が咲いてはじめてここに桜の木がたくさんあることがわかる。日本はそういう意味でそこら中に桜の木がある。

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河原の桜がちょうど満開のようだ。

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好いなあ、桜。

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このあたりは川が蛇行している。前にも書いたが、この長良川は青空だと水がほんとうに青くてきれいなのだ。

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桜を満喫した。さらに北上して、郡上八幡、郡上大和、郡上白鳥も通過する。

2024年4月 7日 (日)

馴れる

 パレスチナのガザの人が、毎日のイスラエルの攻撃に馴れてきてしまったと語るのを見た。馴れなければ精神が壊れてしまう状態が続けば、馴れるしかないということだろう。馴れることが出来ない人間はもう生きていくことが出来ないところへ追い込まれているという状況なのだろうと思った。

 

 ドストエフスキーが『死の家の記録』というという小説の中で「人間は、いかなることにも馴れる動物である」と書いていた。悪臭と狭さと過酷な労働と寒さの中のシベリアでの刑務所生活を綴ったこの小説は、ドストエフスキーが実際に体験した実話を元にしているという。耐えがたいその悪臭にもいつか馴れていく。人の死にも馴れていく。不条理の中でも馴れることが出来るのが人間という生き物で、そういうものしか万に一つを生き延びられないということか。アウシュビッツに収容されて、ただ死を待つユダヤ人たちもその死にいつしか馴れていった。そうしていまはユダヤ人の国イスラエルがガザの人々を無辜に殺している。

 

 そういうものから世界は脱したと思っていたら、いま再びそういう地獄があちらにもこちらにも出現している。そうしてその地獄は少しずつ広がり始めているような気がしている。世界を創造したのは神ではなく、悪魔だったのか。創造したのは神だったが、神は人間にあきれ果てて退場し、すでに悪魔と交代したのか。

洲原神社(3)

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長良川鉄道。鉄道から長良川沿いの桜が楽しめる。走行中の車両に何度か出会ったが、こちらも走っているときばかりだったので、写真を撮れるタイミングがなかった。桜をバックのラッピング車両は、記憶に残るようなとても良い景色だった。

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こういう咲き方も好い。

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山に煙るように桜が浮かび上がる。

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足下にはタンポポの花。

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こちらはスミレか。

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少し先まで歩いて行くと、さらに見事な桜が見えた。

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これも桜だと思うのだが。よその家の庭の中なのでそばまで行くわけにはいかなかった。

洲原神社(2)

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洲原神社の山門。右手が長良川。

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洲原神社絵馬堂。

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木刀と天狗が奉納されている。一心流 鈴木長七郎と書かれているから何かの願掛けか、試合でもあったのだろうか。

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こういう木組みを見ると、本当に宮大工というのはすごいなあといつも思う。

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常夜燈としだれ桜と本殿。

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参拝の人もいる。ここは白山神社の前宮になるらしい。このあたりは白山信仰の地で、白山神社はあちこちにたくさんある。

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ここの狛犬は格別いい顔をしている。

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向こうの峰が鶴形山で、この中腹に奥宮があるらしい。この一帯は仏法僧の繁殖地でもある。

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しだれ桜は色が濃い。ちょっと後ピンになってしまった。

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鶴形山は所々岩がむき出しで、絶壁になっている。ピンク色に見えているのも桜だろうか。

車を止めたすぐそばが長良川鉄道で、その向こうの山にも桜が見えたので見に行く。

2024年4月 6日 (土)

洲原神社(1)

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洲原神社の鳥居の下から。右手に長良川が流れているので河原の方へ行く。

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写真を撮っている女性がいる。

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真似して下から撮ってみた。

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ここは日当たりが良いから満開に近い。向こうの橋を対岸に渡ると、ネモフィラがたくさん咲いているところがあるらしいが、まだ行ったことがない。

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ここの景色が特に好きだ。山の桜が霞む。

 

 

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端の方にチラリと桜、というのも好い。

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長良川も飛騨川もこういう淵が美しい。鮎がどこでも釣れる。

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山門前から撮る。ここの若い桜はまだ咲き始めだ。

見苦しい

 責任をとるべき人が責任をとらないという日本の悪弊を、今回の自民党の裏金問題でまたまた見せられている。誰もが感じているだろうけれど、塩谷議員の処分不服の表明は見苦しい。自らに責任があるということを全く自覚している様子がない。政治評論家の田崎史郎も、処分されて当然です、といいきったという。岸田首相が責任をとっていない、首相の態度が冷淡だ、などということをくどくど言っているようだが、そういうことを理由に自分の処分が不当だという根拠に出来ると考えていることがそもそもおかしいのだが、それがわからないのだろう。

 

 スピード違反で検挙されて、ほかにも違反者がいるのだから自分が検挙されるのは不当だ、といったって通用しないことはまともな人ならわかることだ。ただ、残念ながら世の中はまともでない人が幅をきかせるところで、その言い分を熱心に聞いて報道するマスコミも多い。間違ったこと、法律に違反することをしたら、他人がどうあれ自分が処分されたらそれに従うのが正しい。不当だ、といい立てることが出来るのは、していないことをしたとされたり、したことと処分の重さが(自分が思うだけでなく)誰が見ても著しく違うときだけだ。

 

 ところで、大分前に今回の裏金問題を一番最初に認める発言をしたのがこの塩谷という人らしいと書いたことがある。ある政治評論家が語っているのをテレビで見たのだが、誰が言っていたのか忘れた。もしそれが事実なら、悪事を暴いたことは評価されて良いのだが、それなら今回の危機的大騒ぎの元凶でもあるのだから、自民党が最も処分したいのは別の意味でも塩谷議員だということになる。たぶん自分がそういうことをしたという、その自覚もないのだろう。私には、おどおどとしているその様子に無責任の醜さが見えてしまう。ああいう男にだけはなりたくない。

美濃市の桜

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東海北陸道の美濃インターで降りて、国道156号線を長良川沿いに北上する。美濃にわか茶屋という道の駅に車を駐める。そこから歩いてすぐのところに長良川の桜を見るところがある。いまは下手の方を見ている。道の駅は左手奥にある。小雨がぱらついていたのでレンズに雨滴がかかってしまった。その雨滴の少し上、山の上にあるのが、

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お城の形をした展望台。道の駅でちょっと買い物をしたら、あの展望台から見下ろす桜も好いですよ、とお店の女性にいわれたが、戻ることになるので今回はパス。

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土手の桜。まだ満開の手前か。

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なかなかきれいである。

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さっきは左手の橋の上から写真を撮っていた。川はもちろん長良川。

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こちらの桜はまだ半分も咲いていない。長良川は晴れていればもっと青くて美しいのだが。

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対岸の山の桜がピンクのもやのように見えて、これも好きな景色だ。

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しだれ桜の木があったが、こちらはまだ咲き始めたばかり。色が濃いから満開になったら見事だろう。

このあと洲原神社へ行く。ここから近い。

2024年4月 5日 (金)

長良川の桜

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毎年この時期には長良川沿いの桜を見に行く。今日は場所によって満開、六分咲き、まだ咲き始めと様々だった。名古屋の桜を堪能してから出かけることが多いので、長良川へ行くときはたいてい散り際で、桜吹雪の中を走る。それもいいものだ。今年はいつもより少し早い。そういえばつい思い出すのは、長良川の桜を見た帰り道の高速で、渋滞の最後尾にいて追突され、死にかけたことだ。その場所は鬼門なので、避けている。

桜に酔いしれて(酒は飲んでいない)、先ほど帰宅したところである。写真を整理して、あとでゆっくり報告するつもり。上の写真はいつも立ち寄る洲原神社のすぐ近くの桜。満開であった。

帰ったら免許更新の案内のはがきと、固定資産税の案内が来ていた。免許更新は三月から完全予約制となった。QRコードを読み込み、スマホでするのが簡単そうだが、私はパソコンでWEB予約した。あっという間に完了した。コロナワクチンの予約よりはるかに簡単だ。

そのあと近所のコンビニへ固定資産税を納入しに行った。こちらも簡単。こういうことはすぐ済ますのが結局面倒がなくていい。むかし男手一つで子供の世話をしていて、それにてんてこ舞いしていたとき、あとでしよう、などと支払うべきものを後回しにして忘れてしまい、延滞金を払う羽目になったり、支払いも面倒なことになって学習したので、とにかく払うものはすぐ済ませるという習慣がついている。

今回は長良川沿いに、同時に長良川鉄道沿いに北上し、終点の北濃駅まで行って引き返した。呑み鉄本線でこの駅が紹介されていた。その時に郡上白鳥の酒蔵の元文という酒がうまい酒として紹介されていたが、そこで弟への土産にその酒を買った。

次回からは、順次立ち寄ったところの桜を紹介する。

来世の姿

 人は永遠の命を願うが、それはかなわない。来世の存在を信ずるのも、永遠の命を願う心から発しているのかもしれない。ところで来世の自分とはどんな自分なのだろうか。若くして死ぬ人もいれば、百を超えて大往生する人もいる。死んだときの姿がそのまま来世の自分だというなら、高齢者は却って残念だろう。若く美しい姿で来世を生きたいと思う。

 

 しかし幼くして亡くなってしまったら、そもそも若く美しい時を迎えられなかったから、幼いままでいるしかない。来世は、姿形は曖昧としていて、意識のみで生きているのかもしれない。それなら肉体がないようなものだから、物欲もないということか。しかし・・・私はしつこいのだ。意識とは時々刻々と変わるもので、ましてや若いときと高齢者になってからでは全く意識も違うように思う。それなら来世の意識はいつの私なのだろう。

 

 意識というと、心の働きのことなのか、知能のことなのか。AIは膨大な知識を持っているが、それは知能といえるのか、ましてやAIは心を持ち得るのか。精神とは何か。来世の自分とは精神のことか。

 

 このことをずいぶん昔から考えてきたように思う。これからもずっと考えるだろう。

弟に会いに行くつもり

 しばらく弟や妹の顔を見ていないし、春にはまた兄弟でどこかに行こうと話していたので、その打ち合わせに久しぶりに千葉まで行こうかと思い立った。弟は子供や孫がたくさんいるのでいろいろ忙しい。だから顔を見たいと思えばこちらから行く方が早い。

 

 電話をして、来週、弟のところにやっかいになることにした。弟夫婦に全て任せて両親の墓参りもしばらくしていないから、行かなければ罰が当たる。何か土産を買おうと思うけれど、ここしばらくどこにも出かけていないので、何も用意がない。今日はどこかに出かけて何か物色してこようと思う。ついでにちょっと桜でも見てこようか。

 それにしても思いのほか天気が悪い。雲が全天を覆っていて、いまにも雨が降りそうである。花曇りどころではない。南に前線があるので、北の方が少しましらしいから長良川を見に行こうか。

2024年4月 4日 (木)

救援の意向

 ネットニュースの見出しに「台湾地震で中国が救援の意向」というのがあったので中身を見ようとしたら、削除されたのか、記事が見当たりません、と表示された。

 

 どうしてこの見出しが目を引いたのか。台湾では大きな地震がときどき起きるのは日本同様であるが、中国はいつもたいした支援は行わず、しかも出動が遅いという印象があるからだ。あるときなどは、各国が台湾支援をすることに苦情に近い言いがかりをつけているのを見たような記憶がある。台湾は中国の一部だから中国の許可を受けずに勝手に支援するな、といわんばかりだったので覚えているのだが、川勝知事の得意なことばを借りれば、私の「曲解」だろうか。

 

 「支援の意向がある」とはなんたる言い方か、と思ったので、記事を確認しようと思ったのだ。支援するなら黙って支援すればいいのであって、意向がある、などとわざわざいうのはどういうことか。支援してもいいけれど、代わりにいうことをきけ、というように私の耳には聞こえてしまう。何しろ「曲解」する耳なので・・・。そしてその「曲解」を招きそうだと気がついたので、この記事は削除されたのだろうか。

 

 ところで日本の支援の「意向」はどうなのか、なにもまだ聞いていないけれど。岸田さんは忙しそうだからね。

『青頭巾』

 『雨月物語』の『青頭巾』と『貧福論』を読む。これで『雨月物語』の読了である。『青頭巾』は気味の悪い話で、稚児への執着が嵩じて、その稚児の死後、鬼に変わった僧侶がその屍肉を喰らい、ついには墓場の新仏の肉まで喰らうという妄執の物語である。それを名僧が諭して物語は終わるのだが、そのイメージが子供の時に読んだままよみがえってきた。

 

 子供の時に先生たちとキャンプに行ったことがある。その時にある先生が怖い話として、難病に冒された病人が、死人の骨が効くといって墓を暴いて骨を囓る話をした。それが耳についてしまって怖がりになってしまった。どうしてもそれを連想してしまう。

 

 妄執にとらわれ、鬼になった僧が名僧にかぶらされた青頭巾をかぶったまま、与えられた偈をひたすら念じ続ける姿は、鬼気迫るものがあると同時に哀れさも感じさせる。今回読んだら、この鬼は一年あまりも荒寺の中で念じ続けていたと書かれていたが、私は野原の中で座禅を組んだまま念じているイメージで記憶していた。鬼はすでに死んでいるのに、妄念が宙に浮かんだまま、念ずる声だけが止まずに続いていたというところが凄いではないか。

 

 そういえば『雨月物語』ではないが、『あなめ』という話もあった。野原で「あなめ、あなめ」という声が聞こえるので誰だろうと探してみたら、野ざらしのドクロがあり、その眼窩から草が生えているのが見えた。草が穴から生えて、痛い痛いとされこうべが嘆いていたのである。それを取り除いて供養してやったという話だが、詳しい話は忘れた。もしかしたらそのドクロは小野小町のもの、という話だったかもしれない。

 

 もう一つの話『貧福論』は、蓄財を論じて徳川の世を言祝ぐという仕立てらしいが、あまり面白くなかった。物語にこのような話を入れるという形式もあるらしい。『雨月物語』を書いた上田秋成には『春雨物語』という物語集もあって、手持ちの全集に含まれている。いつか読むつもりだが、今回はここまでとする。

かさにかかる

 新入生、新入社員の季節である。街を歩けば新入社員はスーツも着崩れしていないし、まだ身になじんでいないのでなんとなくわかる。その新入社員の扱いに困ると、先輩や上司にあたる人が語っているのをテレビで見た。アドバイスや、時にちょっとした注意をしただけで叱責されたと受け取られて激しく落ち込んだり、簡単にやめてしまうことがあるからというのだ。

 

 それはほんの一握りの人ではないか、大げさではないか、と思うけれど、人手不足の時代にはせっかく獲得した貴重な人材を損なうと責任を問われることになりかねないから、なかなか気を遣わなければならないのかもしれない。むかしなら飲みに誘って飲みニュレーションをして、多少は気心を通わせることも出来たが、いまの若者は誘いにくいのだとぼやいていた。

 

 いまはなんとかハラスメントということばがはやっていて、ちょっとしたお誘いがパワハラを受けたなどと言われかねないのだろうと推察する。先輩や上司は新人などの若者に対して立場の上で上位にいるから、誘いは断りにくい。行きたくないけれど行かざるを得ないと思わされるのはパワハラだという理屈なのだろう。交流の機会を若者側から求めるのは普通はあり得ない。必要であることをまだ知らないのだから。必要であることを認識し、断りにくいからこその上位者からの誘いであり、結果的に多少の気持ちの通い合いが生ずればお誘いには意味がある。ずっとそうやってきたのだ、と私などは思うが、あれも部下にとってはパワハラだったのだろうか。

 

 話題の参議院議員の長谷川某のような、自分の権力のかさにかかった言動を繰り返すのは明らかにパワハラである。そのようなパワハラは誰にも嫌悪の対象でしかないが、それを否定するからといって、ただ上司や先輩からの指示注意や飲むお誘いまでパワハラとされては、なかなかコミュニケーションがとりづらくて大変だろうなあと深く同情する。意思がある程度伝わって、共通の目的に組織が動くことが力となるのであって、それが困難だというのはそれこそ組織のパワーを生かすことが出来ないだろうと思うのだが。

2024年4月 3日 (水)

ことば

 本を読むのが子供の時から好きだから、ことばも好きである。ことばには様々な意味があるのは、そもそもことばが抽象だからである。ものごとや意味をことばにするとき、ことばや意味をそのままことばに全てこめることは不可能である。そのことがしばしば忘れられてしまうけれど、同じことばが人によって受け取られ方が違うことは少しも不思議なことではない。

 

 そんなことを思うのはNHKの連続ドラマ『舟を編む』を楽しみながらことばについて、そして辞書について思いをいたしているからである。西洋的な思考、科学的思考では、そのことばを厳密に定義し、誰にでも共通の意味を与えようとする。しかしそれはそもそも不可能なことなのではないかと思う。だから哲学の本を開けば、その考えを厳密に伝えようとするために新しいことばが創造され、使われることになる。哲学が難解であることの原因の多くがそこにある。既存の思想とは違う自らのオリジナルを伝えようとすれば、すでにあることばではどうしても伝えきれないから、ことばを創造する。そのためにますますわかりにくくなっているのである。

 

 日本の場合は少し違うような気がする。ことばが曖昧で多義的であることをこそ伝達の力にするところがある。同じことばが様々に受け取られること、墨が紙ににじんで広がるようにつたわることで、曖昧でありながら、厳密でないことで却って気持ちが伝わる。それこそが日本文化の特異性であり、優しさではないかと思う。例えば俳句など、もともとは連歌を元にしていて、そのイメージの広がりが連想世界を生み、人による違いが同時に共感へとつながるという詩の世界だ。

 

 ことばの厳密さが科学的だとする教育を受けて育った私は、それだからそのことを理解できずに苦手だと思っていたが、いろいろ先賢の先達によって、芭蕉や蕪村を手がかりにこの歳にしてようやくにその面白さを知り始めている。そうして、ことばをもう一度元から考えようとして、その先賢の一人、いつも繰り返し引き合いに出している森本哲郎の『ことばへの旅』という本を再び横に置いて、何度目かの読書の楽しみを味わっている。手元には第一集から第五集までがそろっていて、今週中に全て読み直すつもりだ。

 

 ここから考えたことを書き出せばいろいろあるけれど、まだ書いてあることをただオウムのように口まねするだけになりそうなので、少しの期間、ざる頭の中で発酵させてからときどき取り出してみようと思っている。

二三日後に

今朝の地震は台湾の東海岸、花蓮県の沖が震源だったという。マグニチュードはNHKは当初7.5、昼には7.7としていた。民放では7.2と報じているところや7.4と報じているところなど様々だった。花蓮ではビルが傾いた映像があったり、山岳地帯での山が崩れる映像が報じられたりしていた。

花蓮県といえば、あの太魯閣(たろこ)渓谷の絶景が思い出される。大理石の絶壁が織りなす渓谷は、日本では見ることが出来ない見事な景色だが、しばしば地震などで崖崩れがあり、渓谷を縫う観光道路はそのためにしばしば長期の通行止めになる。私が見に行ったときも、ようやく開通したとのことで、運良く見ることが出来た。たぶん今回も大きな被害があったはずで、通行止めになっていることだろうと思う。トンネルなどが崩れたら閉じ込められてしまう人もいる場所だから心配だ。

本当の被害の概要は早くても二三日後にしかわからないだろうと思う。被害が甚大でなければ良いのだが。

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太魯閣渓谷の入り口。写真はたまたま写りこんだ知らない人。

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こんな岩が崩れたりしたらひとたまりもない。

たぶん、台湾で

NHKBSの海外ニュースを見ていたら、九時少し前に地震警報が報じられ、しばらくしてから津波警報が発された。震源地は台湾直近の浅い海底のようで、マグニチュードは7.5だという。

九時半過ぎまで繰り返し繰り返し繰り返し津波から逃げるように呼びかけ続けているが、肝心の台湾での地震などの情報が報じられていない。たぶん台湾では能登地震と同じ程度か、もしかしたらもっと大きな被害が出ているのではないかと思われる。台湾国内で報じられているものの断片でも報じてくれれば、全体の様子が多少は見えるのに、どうしてそれを報じないのか。中国に止められているのか。

避難の呼びかけも必要だが、一番の大本を報じないではニュースの価値がないのではないか。もどかしさといらだちがつのっている。

などと書いていたら、ようやく台湾の情報が報じられた。台北では今のところ一部に壁面落下などが見られるが、建物の倒壊などの大きな被害はないようだ。だいたい被害の大きなところほど情報がないものだ。深刻な被害の地区がなければ良いが。

『蛇性の婬』

 『蛇性の婬』は『雨月物語』の中で一番長い話。婬は淫と同じ意味。淫蕩な蛇の妖怪に見初められた男の体験した恐怖の物語であるが、その蛇の妖怪は、退治しようとする者には祟りをなすが、男には危害を加えようとしない。そのことで思い出すのは、『白蛇伝』という中国の怪異談である。そこには愛があったのではないか。

 

 私は子供の時に『白蛇伝』のアニメ映画を見た。日本の本格的なアニメ映画の最初の作品ともいわれている。その映画を見て子供なりに感じたのは、どうしてこの白蛇は退治されなければならないのだろうということであった。異類婚の話は東西を問わず数多くある。そういう話を数多く読んできて、哀れさを感じてしまうのはどういうことか。

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 西湖のほとりに建つ雷和塔に閉じ込められた白蛇の精と同様に、この『蛇性の婬』の蛇の妖怪も法力で鉄鉢に閉じ込められて永遠に埋められてしまった。私なら、正体さえ見せないでくれれば、多少寿命が縮むかもしれないが、とても魅力的だから仲良く暮らしてもいいと思うが、向こうが見初めてくれないだろうなあ。

Dsc_0184_20240402171001西湖

 

2024年4月 2日 (火)

咲き始めの桜

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木津用水の土手道に到着。ここはむかし美濃から名古屋への物流を支えた水路のひとつ。くだりは水の流れに、帰りは土手を人が綱で舟を引いた。

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たくさん咲いている木もあったがソメイヨシノではないようで、花の色が白い。

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いまにも咲きそう。週末には満開になるのではないか。雨だけど。

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いまにも咲き出しそうなつぼみを従えて誇らしげに咲く花。

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こんな風な桜並木。

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川にかかる小さな橋の上で母子が何か話している。大きな黒い魚、たぶん鯉が見えるのだ。どうもパンか何かを上からあげているらしい。

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向こうの土手下ではおじさんが何か摘んでいる。食べられる野草でも生えているのだろうか。

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冬は水量が少ないが、今の時期は水量も多いし、流速も早い。浅いとはいえ、落ちると危ない。

この後公園で一休み。缶コーヒーを飲みながら、春休みの子供たちの歓声を聞きながら春のそよ風を楽しんだ。ただし鼻がむずむずして、くしゃみが出た。

帰り道はとても遠くて足取りも重い。途中で休憩するところがないのだ。前を行くのろのろと歩くおじいさんになかなか追いつけない。こちらも同じペースなのか。

帰ったら七千歩を軽く超えていた。シャワーで汗を流し、着替えたらさっぱりした。

ちょいと散歩

膝が痛いのは運動不足と体重過多によるものと確信し、今週は天気がいいのは今日だけという天気予報を見て慌てて散歩に出た。久しぶりの散歩である。目的地は木津用水沿いのコッツ山。小さな遊園地である。平行四辺形のとんがっている対角線に目的地があるので、二辺を往き、別の二辺を戻る。用水沿いに桜並木があり、まだ咲き始めとは思うがそれを見るつもりだ。

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裏道を歩き始めてすぐのところにある小さな公園。ここの桜も少し咲き始めていて、右奥にはユキヤナギも咲いていた。

所々の家の庭や菜園の傍にいろいろな花が咲いている。名前を知っているけれど不確かだったり、知らない花などがあり、名無しのまま掲載する。

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これはタンポポだと思うけれど葉が見えなかったので自信がない。

長い一辺の終わりに近いところに神社があって、いつもそこで一息入れる。

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雲はあまりないが、すっきりした青空でもない。少し汗をかいた。

ここまで来れば木津用水(いまは合瀬川)は近い。用水の土手道がもう一辺となる。

『吉備津の釜』

 『雨月物語』のなかの『吉備津の釜』を読む。比較的に短い話だが、結構怖い。吉備津神社の「鳴釜神事」が取り上げられている。話のテーマは女性の嫉妬心の恐ろしさである。嫉妬心は男にも女にもあって、男のそれはシェークスピアの『オセロ』が有名だ。

 

 しかしこの物語の、祟られる男の好色というのが私にはよくわからない。姿が美しく従順な妻がいながら、別の女に入れあげる、などということは私の理解の外である。祟られて当然だと思うばかりである。

 

 身持ちの悪い息子をまっとうな男にしようとして、両親は妻にするのにふさわしい娘を探す。さいわい念願以上の娘が見つかる。それが吉備津神社の神主の娘・磯良(いそら)であった。念のため、良縁かどうかを磯良の父親の神主は「鳴釜神事」で吉凶を占う。釜で湯を沸かし、吉縁であれば釜が鳴る。ところが釜はかすかにも鳴らないのである。しかしそれを押して婚事は執り行われ・・・。

 

 男はしばらくは仲睦まじかったけれど、しばらくして本性を現し、ねんごろになった別の女と逃げてしまう。そのあとに起こる恐ろしい災いが描かれるのだ。何が起きるのか、詳しい話は実際に読んで欲しい。

 

 その話を覚えていたので吉備津神社には数年前に行った。

Dsc_3631吉備津神社本殿。

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2024年4月 1日 (月)

『平家物語』読了

 『平家物語』をようやく読了した。私の読んだ、覚一本をもとにして杉本圭三郎が全訳注した講談社学術文庫版では、全部で3000ページ弱もある。本文、現代語訳、語釈、そして関連資料の引用を含む解説文が数ページずつ繰り返されていく。ただ物語を楽しむのなら、現代語訳だけを拾っていけば楽に読める。解説の引用文は語釈もふりがなも書き下し文もない原文のままだから、読むのに苦労するが、慣れればなんとかわかる。この解説が物語世界を理解するためには最も重要といえる。『平家物語』にはいろいろな異本があるので、それらも比較して違いが示されている。覚一本は比較的に後にまとめられたもので、文学性が高いようだ。

 

 そういえば、昨年見たアニメ映画『犬王』には琵琶法師が出てくる。冒頭が、三種の神器のうちの、壇浦で失われた宝剣、草薙剣にまつわる話であった。そして能の守旧派と革新派の争い、そして『平家物語』の語りの伝承に固執する主流派と変革していこうとする革新派との争いが描かれていた。南北朝から戦国にかけての室町時代の話であった。

 

 この覚一本はその時代の覚一検校が書き残させたものをもとにした『平家物語』である。その頃に書かれた吉田兼好の『徒然草』の第二百二十六段には、後鳥羽上皇の時代に信濃前司(しなののぜんじ)行長という人物が平家物語を作ったとある。

 

「この行長入道、生仏(しょうぶつ・人名)といひける盲目に教へて語らせけり。さて、山門(延暦寺のこと)のことを、ことにゆゆしく書けり。九郎判官のことはくはしく知りて書き載せたり。蒲冠者(かばのかんじゃ・源範頼のこと)の事は、よく知らざるけるにや、多くのことどもを記しもらせり。武士の事・弓馬のわざは、生仏、東国のものにて、武士に問ひ聞きて書かせけり。かの生仏が生まれつきの声を、いまの琵琶法師は学びたるなり。」

 

 この『徒然草』の文章が事実であるかどうかは論議のあるところらしいが、ひとつの伝聞記録ではある。すでに鎌倉時代から語り物としての『平家』はあったようで、文章としては『源平盛衰記』のようなものも盛んに読まれていた。こうして様々なものが『平家』の語りに取り込まれていき、次第に完成されていったのが『平家物語』なのだろう。

 

 夢中で読み進めているうちに、『平家物語』の文章のリズムになじみすぎてしまい、ほかの本を読むとテンポが違って読みにくくて困っている。それほどのめり込んだのは久しぶりであった。

 

 たまたま現代文解釈の参考書に小林秀雄の『考えるヒント』の中の『平家物語』に関する評論が問題文に使われていて、「『平家物語』は折にふれて読む、」などと書かれていた。折にふれて読むほどなじむというのもすごいことだと思う。そこには、『平家物語』を名文というけれど、そうともいえるけれども違うともいえる、として、これは語りとしての名文であろうという。全く同感である。真剣に読めば誰でもそう思うに違いない。だから私のような粗雑な読み手にも、そのリズムに影響されるということが起きるのだろう。

 

 つぎは読みかけの『雨月物語』の残り(あと四話)を読了し、『方丈記』を再読しようと思う。『方丈記』はまさに『平家物語』と同時代の随筆である。以前読んだときは何も考えずに読んだが、『平家物語』を意識して読み直そうと思う。並行して『醒睡笑』を少しずつ読み進めるつもりだ。これは一話ずつ楽しんで読むものなので、年内に読み終えればいい。

『灌頂巻』

 平家物語の末尾は『灌頂巻』としてまとめられた、平家滅亡後の建礼門院の消息である。京都吉田の地に逼塞していた建礼門院だが、興味本位の人の目があり落ち着かない。つてを頼って得度し、大原の寂光院に移り、安徳天皇の菩提を弔い平家の一門の成仏を祈ることになる。壇浦の海に沈んだ女性たちも多かったが、生き延びたものもおり、清盛の娘である建礼門院の妹二人も都にいて、平家とは直接関係のない公家に嫁いでいたので、生活の糧は彼女たちが届けていたようだ。

*灌頂の灌(かん)は注ぐという意味。「くわんぢゃう」とふりがなされていた。灌頂は密教ではじめて仏門にはいるとき、または修道者がある地位に進むときに、香水を頭の上に振りかける儀式、と辞書にある。別に、墓に水をそそぐという意味もある。

 

 そこへ後白河法皇の御幸がある。後白河法皇の目に映る大原の風景、寂光院のたたずまい、暮らしぶりなどが詳しく描写された後、建礼門院が、木曽義仲の来襲を避けての平家の都落ち以来の、自分が体験した事実を語っていく。『平家物語』のまとめともいうべき語りである。

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 後白河法皇が去り、やがて亡くなる。建礼門院の静かな暮らしが続き、やがて彼女も病臥した後、かわいい息子の元へ旅立つ。静かな物語の終わり方である。

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 以前大原を歩いたことがあるが、もう一度歩きたいと思っている。

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 全体のまとめについてはもう一回だけ書くつもりである。

神様か?

 アメリカの、ティム・ウォルバーグという共和党の下院議員が、「パレスチナガザ地区への人道的援助など一切不要で、そのための金などびた一文も出すな、原爆を投下して広島や長崎のようにしてしまえ」と語ったそうだ。まともな人間ならそれを聞いて身の毛のよだつほどの恐ろしさを感じるだろう。そういう人間がいることは信じがたいが、現にいるのである。そしてたぶん、彼がそう公言したということは、自分の意見に賛同するものがいるという確信があり、現に少なからずいるのだろうと想像される。そうでなくて、誰も賛同するはずのない意見を言う人間ならそれは狂人である。

 

 彼はアメリカの正義を信じ、ガザ地区に原爆を投下することが正義だと信じているのだろう。彼にはガザに住む人間は、第二次世界大戦の時の日本人同様悪魔たちに見えているのかもしれない。神として悪魔に鉄槌を下すことがどうして正義でないことがあろうか。正義に反するものを排除する、神の裁きを神に代わって行使するのが正しいことだと信じているのだろう。

 

 そういう人間を何と呼ぶか。悪魔である。

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