ナルチシズムの例
E・フロムの『悪について』という本を読了した。この中にナルチシズムの例として取り上げられた例を引用する。
ある人が医院に電話をかけて診察の約束を求める。医者は今週は無理だから、翌週のこれこれの日ではどうかと答える。患者はもっと早く診て欲しいと言い張り、急ぐ理由を何も言わずに、自分は医院から五分しか離れていない所に住んでいるという。医者が自分の所へあなたが来るのに時間がかからなくとも、私の問題は解決しないと返答しても、患者には分かったような気配がない。彼はもっと早く診てくれるのが当然だといわんばかりに、医者に主張し続ける。もしその医者が精神病医であったなら、これはすでに重要な診断をしたことになるだろう。すなわち、その人間が相当なナルチシズムの人、つまり重症患者であることを。その患者は医者の立場が、自分のそれとは別であるということが理解できない。患者の視野にあるものは全て、医者に会いたい自分の願望と「自分が」行くのに時間がかからないという事実だけなのである。自分とは別の予定と用事をもつ別個な人間としての医者は存在しないのである。患者の論理は、自分が行くのが容易なら、医者が診断してくれるのも容易だということなのだ。医者の最初の説明に答えて、患者が「ああ先生、もちろんですとも、馬鹿なことを申し上げてすみません」と答えるなら、患者に対する診断も少しは変わってきただろう。この場合もまた、自分と医者の立場を区別できないナルチシズムの人には違いないが、最初の患者に比べてその症状は、重症ではない。注意されると自分の立場に対する現実を理解することが出来、すぐにそれに対応することが出来るのである。この二人目の患者は、自分の失敗に一度気づくと、まごつくだろうが、最初の患者は全然まごつかないであろう。・・・彼にはこんな簡単なことが分からない鈍感な医者を、いかに酷評しても足りない気がするであろう。
これを読んでいて、過去に出会った他者の立場に立つことのできない人のことをいろいろ思い出したりした。いわゆるカスタマーハラスメントなどというのもこれに該当するような気がする。私が「お客様は神様です」ということばを心の底から嫌悪するのも、お客を神様にしてしまうことの社会的害悪を感じるからである。そんなことばにのせられて、神様になったつもりが、じつは精神の病に冒されることになっているのだ、というのは極論か。
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