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2024年4月15日 (月)

日清・日露戦争(1)

 『流れをつかむ日本史』では、日清戦争も日露戦争も朝鮮半島に関わっていることを明快に記している。わかっていることではあるが、これくらいすっきりとまとめてくれるとわかりやすい。中学や高校の教科書はどう書いているのだろう。

 

 朝鮮では、日本の明治維新に倣って近代化をはかろうとする勢力と、保守的な勢力が対立していました。この政争は、保守派の大院君(国王の父)が勝利しました。日本は、清と天津条約を結び、両国の朝鮮からの撤兵と、出兵の際には事前通告することが取り決められました。
(小略)
 同年(明治二十七年)朝鮮では、西洋の宗教に対抗する東学という宗教団体を中心に、甲午農民戦争が起こりました。朝鮮政府は、鎮圧のために清に援軍を依頼し、日本も朝鮮に出兵しました。そしてこれを契機に日清両国は交戦状態となり、八月には宣戦布告がなされました。日清戦争が始まると、民党(立憲民進党や立憲自由党など)は戦争支持に回り、巨額の軍事予算が成立しました。
 日本軍は、朝鮮から清軍を一掃し、遼東半島まで占領しました。また黄海海戦では、清の誇る北洋艦隊を打ち破りました。日本と清は、下関で講和交渉を行い、下関条約が調印されました。
 これによって、朝鮮の独立、遼東半島・台湾・澎湖諸島の譲渡、賠償金二億両(テール)の支払い、講習など四港の開港、最恵国待遇などが合意されました。

Dsc_0477_20240414153601春帆楼(しゅんぱんろう)

講和交渉が行われた春帆楼。赤間神宮の隣にある。

Dsc_0478_20240414153601日清講和記念館

ここで伊藤博文と李鴻章が交渉した。

 

*後に三国(ロシア・ドイツ・フランス)干渉により遼東半島は返還を余儀なくされる。

 

 日本はこの賠償金によって重工業化を果たすことになる。

 

 さらに清国から独立することができた朝鮮は、日本にとって不都合な行動をとる。そのことが日露戦争へと繋がっていくのだが、それについては次回。

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コメント

こんにちは
結局朝鮮の悲劇というのは70年近く没交渉だった日本がどんな変化を遂げていたのか分からなかった(と、いうより知ろうも知らなかった・・・)事でしょう。日朝関係は1811年の最後の朝鮮通信使(これも江戸までは行っておらず、対馬止まりでした)以降、幕末動乱や王政復古などがあったのにも関わらず、朝鮮は日本の変化を知らずじまいでした。もし朝鮮にまだ日本を警戒する意思があるのなら、当時交流のあった対馬藩を通して情報を手に入れられたのに、です。多分朝鮮側としては今までの付き合いを続けるのなら日本に関しては大丈夫だろう、と思っていた節があります。これがオランダを通して可能な限りリアルタイムな欧州情報を手に入れていた日本の徳川幕府とはえらい違いです。
では、
shinzei拝

shinzei様
現実の推移と、観念とがずれてしまう国民性なのでしょうか。
観念が先行して、変化を受け入れるのが苦手なのでしょうか。
そんな風に感じられています。

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