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2024年4月19日 (金)

日清・日露戦争(3)

 山本博文の『流れをつかむ日本史』から日露戦争についての経緯と結果の部分の一部を引用する。

 

 日清戦争後、ヨーロッパ列強は、中国にますます進出していきました。特にロシアは、旅順・大連を租借して、朝鮮にまで影響力を及ぼしています。1900年の義和団事件のあとには、大軍を満州に駐留させました。

 

 義和団事件については、清朝滅亡にも間接的に繋がる事件であり、中国滞在の各国の人たちの北京籠城については様々な本があるので、是非読んで欲しい。『蒼穹の昴』でも西太后の対応についてその裏面史が語られていた。その際の多くの日本人の毅然とした行動は賞賛に値する。あの日本人はどこへ行ったのかと思う。奥野信太郎も日本大使館に避難して実体験した記録を残している。   

 

 明治三十七年二月、日本はロシアに宣戦布告し、日露戦争が始まります。翌年一月、日本軍は、多大な犠牲を払いながら旅順を陥落させ、三月の奉天会戦でロシア軍の主力を打ち破ります。
 日露戦争最後の決戦は、対馬付近で行われた日本海海戦です。東郷平八郎率いる日本艦隊は、ほぼ無傷でロシアのバルチック艦隊を壊滅させました。この背景には、明治三十五年に締結された日英同盟が大きな意味を持ちました。イギリスと敵対国になったため、バルチック艦隊はスエズ運河を通過することができず、諸国の港にもほとんど寄港できなかったのです。

 

 この戦争については司馬遼太郎の『坂の上の雲』に詳しいのはご存じの通り。

 

 アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、講話の斡旋に乗り出し、ポーツマス条約が結ばれました。ルーズベルトは、日本が力をつけることを警戒していたので、賠償金の支払いなどを認めませんでした。日本が得たのは、韓国における優先権、旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道と付属施設の利権、樺太南部の割譲、沿海州・カムチャッカ沿岸の漁業権などです。
 国民はこの講和条約を不満に思い、日比谷焼き討ち事件などの暴動が起こりました

 

 このポーツマスでの交渉については吉村昭の『ポーツマスの旗』に詳しい。すでに日本は戦費もつきかけ、戦争を続けるだけの兵力も兵器も底をついていたが、それを公にするのはロシアにつけ込まれるだけであったから、非常に困難な交渉となった。しかし日本国民は日本の窮状を知らず、新聞などの扇動により、暴動に繋がった。この交渉を担った小村寿太郎の苦労を思うと、私同様、胸が熱くなるはずである。

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