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2024年4月12日 (金)

穢れと差別

 赤坂憲雄の『東西/南北考』の『穢れの民族史』より引用する。

 

 穢れとは何か。人の死にまつわる穢れがあり、女性の月経・出産に関わる穢れがあり、そして、獣の肉や皮革処理がもたらす穢れがある。そうした穢れの観念や禁忌の群れが、複雑に絡まり合いながら、西日本を中心として、被差別部落という名の差別のシステムを産み落としてきた。東北の中世には、あるいは北海道のアイヌや沖縄の島々には、被差別部落は存在しない。穢れのタブーをもって、人が人を差別する制度そのものが見いだされない。列島の全域を対象として、穢れの民族史が掘り起こされるとき、西の差別のシステムは根っこを浮かされ、相対化の運動の渦中に投げ込まれる。穢れと差別を巡る風景は、もはや自明ではない。西の社会が固有に分泌した、かぎりなく地域的(ローカル)な歴史の一齣に過ぎないことが、白日のもとにさらされる。これもまた「ひとつの日本」が壊れてゆく現場である。

 

 曾野綾子が、自分が東京に生まれ育って身の回りで部落差別を見聞きしたことがない、と自分の経験を書いたら、批判されたと語っていたのを思い出す。私も生まれ育つ間には経験がないことで、部落差別を知ったのは住井すゑの『橋のない川』を読んでからである。母に聞いたら母も経験がないと言い、人に聞いてはじめてそういうことがあるのを知ったそうだ。曾野綾子が、経験がないという事実を書いたら、それが「部落差別など存在しない」と曾野綾子が主張したと批判されたようだ。そんなことは言っていないことは自明のことなのに、それを批判し非難する、そのことに恐ろしさを感じた。

 そういえば以前にも書いたが、営業所に強引に踏み込んだ男と応対したら、部落差別に関する書籍を購入せよと分厚い本を差し出された。一冊三万円だか五万円だかするようなことを言った。そういうものは本社の総務部に行ってくれ、と突っぱねたら、個人として差別に反対するのが当然ではないかと言い、はじめて指の欠けた手をわざと見せた。もちろん追い返したが怖かった。私の、部落問題らしきものとの遭遇、は人生でいまのところそれだけである。

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コメント

私が約60年前に現住所から4キロほど先にある村だったところは当時部落民と呼ばれる人たちが住んで居ました。
こうして書くとそれほど古い話ではありません。
私もまだ若く、もの知らずでしたから、時々聞く”部落民とは何だろうと思い、私の仕事場に見える長老にそのことを聞いたことがありました。老人は私が尋ねたことを、喜んで私に話してくれたことをよくおぼえています。

昔自分たち部族に起きた事実をその事に全く関りのない人間に話す、という事が老人には大事な事だったのでは、と今になって思います。また当時20代であった私にも部落民などという、大時代な名称が衝撃だったのを覚えています。


おキヨ様
部落差別には、差別したりされたりするような本質的な根拠は存在しませんから、実際に差別が存在している地域や記憶が縮小して消滅していけば良いと、私などは脳天気に考えますが、それではどうしても許せないという人がいるようですね。
自分がそういう立場だったらどうするか、考えたこともありますが、今はもうその気がありません。

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