負担増
賛否がいろいろあるが、子育て支援法が成立するようだ。少子化対策の一環として子育て支援を拡充するのだろうが、それが少子化対策になるのかどうかについてはいささか疑問に思っている。子供が欲しい人は子供を持とうと思うだろうし、子供を育てるのは負担だと思う人は子供を持とうと思わない。だから子育て支援を拡充することで負担を軽くしようということなのだろうが、それで気が変わる人というのがどれほどあるのか疑問に思うからだ。
結婚ですら、育ち方も考え方も違う二人が一緒に生活することになるからなかなか大変だ。ましてや子供を育てるのは大変だ。そうして支援が必要だと強調すればするほど、子育てというのは大変なことなのだ、ということを意識させられてしまう。結婚も子育ても好いことがこれだけたくさんあるよ、という話はあまりニュースにならないから、まあ結婚しなくても独りが気楽で自由でいいや、と思う若者がどんどん増えて、それが当たり前になってしまったことが少子化の原因だろうと思う。そういう空気がすでにできあがって、多少の経済的支援が空気を変えることに繋がるのかどうか。
それと、多くの人に未来に対する期待、希望があまり持てなくなって、不安ばかりが膨らんでいる気がしている。まさかこんなことは起きないだろう、というようなことが次々に起きている。不安にならない方が無神経ともいえる。それが無意識のうちに、自分はともかく子供の未来はあまり明るくないのではないかと思わせているところがあるのかもしれない。
それはともかく、テレビの街頭質問にはいつもながらいらだちを覚える。「子供支援による負担増をどう思いますか?」という質問の愚かしさに誰も腹が立たないのだろうか。この質問は、「負担が増えるのは負担ですか?」、またはただ単に「負担はいやですか?」と訊いているに等しい。それなら「負担です」、「いやです」と答えるしかないではないか。
空から金が降ってくることはないのだから、子供支援に予算を使えばその分は国民が負担するのは当たり前のことで、その子供支援によって子供を持つ家庭が助かることの恩恵と、自分が負担することのバランスを不当だと思うかどうかという質問でなければならない。なかなか難しい訊き方になるはずだ。笑わせてくれたのは、「子供が三人もいて家計が苦しいのです。ここに負担が増えるのは困ります」という主婦だった。質問する方も、答える方も、なにも考えていない。そしてそれをテレビはさもおおごとのように、庶民の声として報じている。
「年金生活者はただでさえ生活が苦しいから負担が増えるのは困る」、というのもあった。年金を負担しているのは誰か。これから負担してくれるのは誰か。それを考えれば多少苦しくても年金生活者こそ率先して支払うのがあたりまえだろうと思うが、暴論なのだろうか。幸いなことに、日本にはどうしても生活できなければ生活を支援するシステムがちゃんとある。
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私が結婚したのは20代後半ですが
「二人が一緒になれば、何とかなる」という思いだけを支えに
生活や子育てには何の不安もありませんでした。
「子育て支援金」という新聞活字を見た時
すぐに思い出したのが中国の「一人っ子」l政策です。
どちらも個人の意思を無視して国家の体制維持を優先したものですが
日本も共産主義的な国家体制に近づいたのか、
という溜息を禁じ得ません。
投稿: ss4910 | 2024年4月20日 (土) 15時37分
ss4910様
二人でだんだん積み上げて家族を創っていく、ということに価値観が持てなくなった若者が増えているということでしょうか。
かけがえのないものを持つということがどれほど大事かということを知らずに生きるのは寂しいと思います。
かけがえのない人を持つ、ということは、愛する、ということですからね。
投稿: OKCHAN | 2024年4月20日 (土) 17時30分