馴れる
パレスチナのガザの人が、毎日のイスラエルの攻撃に馴れてきてしまったと語るのを見た。馴れなければ精神が壊れてしまう状態が続けば、馴れるしかないということだろう。馴れることが出来ない人間はもう生きていくことが出来ないところへ追い込まれているという状況なのだろうと思った。
ドストエフスキーが『死の家の記録』というという小説の中で「人間は、いかなることにも馴れる動物である」と書いていた。悪臭と狭さと過酷な労働と寒さの中のシベリアでの刑務所生活を綴ったこの小説は、ドストエフスキーが実際に体験した実話を元にしているという。耐えがたいその悪臭にもいつか馴れていく。人の死にも馴れていく。不条理の中でも馴れることが出来るのが人間という生き物で、そういうものしか万に一つを生き延びられないということか。アウシュビッツに収容されて、ただ死を待つユダヤ人たちもその死にいつしか馴れていった。そうしていまはユダヤ人の国イスラエルがガザの人々を無辜に殺している。
そういうものから世界は脱したと思っていたら、いま再びそういう地獄があちらにもこちらにも出現している。そうしてその地獄は少しずつ広がり始めているような気がしている。世界を創造したのは神ではなく、悪魔だったのか。創造したのは神だったが、神は人間にあきれ果てて退場し、すでに悪魔と交代したのか。
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