東北学
またまた赤坂憲雄の『東西/南北考』の『東北学、南北への地平』という文章のはじめの部分からの引用。
そこには確かに、いくつもの東北が埋もれている。東北は多元的な種族=文化の交錯する、カオスの土地である。古代蝦夷のかすかな記憶をとどめて、アイヌ語地名を刻印された東北が、ひそやかに身悶えしている。なぜ、マタギの山言葉のなかには、アイヌ語が含まれているのか。なぜ、丸木舟はその北の境界を越えると、まったく形式や技術をたがえるのか。そうして北に開かれてゆく東北があり、西や南へと繋がってゆく東北がある。あるいは、いくつもの東北はまた、太平洋側/日本海側のはざまに、海/山のあわいに埋もれている。だから、東北学はいくつもの東北をめざす。いくつもの東北は、いくつもの日本を孕み、いくつものアジアへとつらなる。東北はいま、この弧状をなす列島の大きな歴史をめぐる、再審の現場と化してゆく。
縄文文化が数多く残る北東北、そしてマタギの伝統を残す阿仁や打当あたりをふたたび訪ね歩いてみたい気がした。見えているはずのものを見ないで歩いたけれど、もう少し目をこらしたら何かが見えるだろうか。
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