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2024年4月18日 (木)

占領から占領へ

 読んだ本について書くときに、関連して言及した本を本棚や押し入れから引っ張り出して脇に置く。すぐ元に戻せば良いのだが、つい置きっぱなしにする。だからすぐ定席の周りには本があふれる。そうしてその本をパラパラめくれば、ついそのまま読み始めてしまう。そうしていま読み始めた本が、鳥山喜一『黄河の水』、そして司馬遼太郎の『「昭和」という国家』である。

 

 山本博文の『流れをつかむ日本史』から、日清戦争・日露戦争、そして太平洋戦争への流れをトレースしていたのだが、それが中途半端に終わっている。もう少し後にそれを締めくくろうと思っているが、その参考に司馬遼太郎の『「昭和」という国家』を開いたのである。

 

 最初の方に注目すべき文章があった。戦時中の日本人があれほどアメリカ憎悪を刷り込まれ続けたのに、敗戦のあと、連合国軍(実質はアメリカ軍)によって日本が占領されたあと、それほど目立った反米行動がなかったのはなぜなのか、ということについてである。あれほど憎んでいたのなら、または憎まされていたのなら、テロ行為が続発して当然ではないのか。私もそう思う。確かに日本はあまりにも完膚なきまでにとことん負けたことで、反抗する気力を失ったともいえるが、戦闘行動はともかく、だからこそのテロはあっても不思議ではない。

 

 司馬遼太郎は、それをそもそも日本は日本軍部という組織に占領されていたのであって、その占領から解放され、新しくアメリカによる占領に替わっただけであり、その新しい占領が心配したほどのことはなく、日本軍部によるものよりもはるかにましだったからだという。それだけ連合軍による占領が巧妙だったともいえるが、日本軍部による日本人への占領がそれだけ酷かったということでもある。

 

 軍部だって日本人ではないか、という反論もあろうが、司馬遼太郎は日本軍部というのは日本とは異質な存在、鬼っ子であると繰り返し言う。彼らのほとんどが愛国的であったことなどいささかもなかったと断ずる。国のこと、国民のことを本当に考えたらあんな戦争は始めなかったし、無意味な作戦での大量の死を「自分の責任ではない」と平然と言うことが出来るはずがないという。まったく同感である。日本は鬼に占領されていたのか。

 

 どうしてそのような鬼っ子が生じたのか、生じさせたのか、そのことを考えるために歴史を学ぶことが必要だと語るが、それこそ私が大学入学後に歴史を本気で読み始めた理由でもあった。

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