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2024年5月

2024年5月31日 (金)

雨上がる

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佐渡に渡り二日目の朝。朝風呂から上がって、加茂湖のほとりの高台の宿の部屋から見下ろしたときは、まだ小雨交じりのどんよりとした風景だったのだが・・・。

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おお、雲がどんどん空を上り始めた。

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空気がいろいろ混ざり合った不思議な景色が見えた。見る間に景色が変わっていく。

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青空がはっきりと見えた。これは今日は天気が良さそうだ。よかった。

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手前が加茂湖で、右上に見えるのが両津湾の海。加茂湖は、むかしは淡水湖だったが、今は堰を切って海水を入れた汽水湖になっている。牡蠣の筏がたくさんある。

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宿の前に個室露天風呂がある。フロントに申し込んでおけば入れる。前の晩に妹と弟夫婦はここに入ったが雨降りだったから景色は見えないし、雨に濡れたらしい。私はパノラマ風呂で満足。朝も五時からなのでゆっくり入ることができた。さあ、出発。まずは真野湾を見ながら南下して最南端の小木をめざす。たらい舟に乗りに行く。

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たらい舟。ここの景色は素晴らしかった。それは次回に。

新潟から佐渡へ

佐渡行の旅初日、朝五時過ぎに千葉を出発した。いつもは弟と酩酊するほど酒を飲むのだが、前の晩はビールなどを少しだけ飲んで、妹を交えて歓談して早めに寝たから、予定通りに出発できた。小雨。外環状線の三郷付近で事故があり、各方向が渋滞しているという。急遽高島平経由の道で関越の起点である大泉に向かうことにする。トラックは多いが特に渋滞もなく、スムーズに大泉に至る。これが六時出発だったら一時間は余分にかかったかもしれない。

雨の中を埼玉、群馬を通過していく。赤城の山も雨中にかすかに見えるだけであった。トンネルで谷川岳の下を通過すればもう新潟県である。雨の降り方がときどき驟雨となる。小やみのタイミングを見てパーキングで何度かトイレ休憩する。12時過ぎのフェリーなのに10時過ぎに新潟に到着したので、フェリー乗り場を確認してからフェリー乗り場周りをドライブして、近くの新潟市歴史博物館に立ち寄る。

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むかしの新潟税関だったという建物は重厚で、中もとても立派であった。玄関口の三人が弟夫婦と妹。常設展示のほかに新潟の遊郭の遊女たちの写真や歴史が特別展として詳しく展示されていて、新潟の殷賑の歴史が偲ばれた。遊女の歴史は現実と、ある虚構の世界を二重に顕していていろいろ考えさせられる。

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昼はフェリーの中で軽く食べることにして、列に並ぶ。全員車の中で一緒に乗り込む。新潟では後ろから車が入る。出るときは前から出るようになっていた。写真は離岸してすぐの、船の向きを変えつつあるところ。

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先ほど見てきた歴史博物館が目の前に見えた。

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フェリー乗り場は信濃川の河口の中州にあり、海への出口までしばらく信濃川を進む。

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普段なら新潟から佐渡は見えているのだが、この日は出港して一時間半くらいしてようやく雲の中に佐渡が見えてきた。フェリーなら二時間半で新潟を出て佐渡の両津港に着く。ジェットフォイルなら一時間とちょっとである。ジェットフォイルは速くて揺れないが、デッキに出ることが出来ない。この日は雨だけれど風がなかったのでフェリーも殆ど揺れなかった。

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だいぶ佐渡に近づいた。

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肉眼で見るより写真の方が陸の様子が見えている。

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この先を左に回り込めば両津港である。雨は小やみだが降り続いている。

両津港について、まず宿の位置の確認をして、そのあとトキの森公園に時を見に行くことにした。

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かろうじてなんとかトキの写真を撮る。

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トキの剥製。トキは本来白い羽の鳥だが、春から夏過ぎまでは繁殖期で、首の近くの腺から黒い汁を出してそれを全身に塗りつけるので黒ずんで見える。繁殖期が過ぎると羽が抜け替わるのでまた白くなるそうだ。

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トキの骨格標本。鳥類の祖先が恐竜であることがよく分かる。

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番(つがい)のいるゲージ。雌が巣で卵を温めているそうだ。朱い顔がチラリと見えている。

この後早めに加茂湖のほとりの宿に入る。

くたびれた

昨晩、妹を自宅に送ってから、弟の家に無事帰着した。二泊三日の今回の佐渡行は結構強行軍だったので、かなり疲れた。

運転をしたのは弟だったので、弟はもっとくたびれただろう。私が考えていた大まかな見所に、弟は自分で調べた、ぜひ行きたいと思うところを加えて、思った以上の場所を見て歩くことになった。私は見切れなければまた今度、という旅の仕方をするが、弟たちは私ほど頻繁に出かけないから、一度に見られるだけ見ておこう、という歩き方をする。

一日フルに佐渡の南から北まで走り回った二日目が好天だったのは、何よりだった。

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佐渡、尖閣湾にて。

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海はきれいだったが、遊覧船は揺れた。

2024年5月30日 (木)

佐渡の二つ亀というところにいる

佐渡の二つ亀というところにいる。佐渡のほぼ最北端であり、ここは日の入りと日の出を見ることが出来る。

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今朝の現地の日の出は四時二十八分。それに合わせて起きて宿のテラスから日の出を待つ。あいにくの薄曇りだが、なんとか日の出を拝むことが出来た。

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そのテラスから二つ亀を見下ろすことが出来る。

昨日は好天に恵まれて、絶景の佐渡を堪能した。旅の報告はいつものように帰ってからゆっくり報告をする。今日はもう千葉へ帰る。

2024年5月29日 (水)

佐渡にて

昨日、雨中を走り、無事佐渡に渡ることが出来た。走るつもりの外環状で事故があって渋滞しているという情報があったので、少し回り道をして大きな渋滞に遭わずに関越道に乗ることが出来た。一日雨。

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今朝五時頃の、佐渡の宿からの景色。宿は加茂湖のほとりにあって、部屋から加茂湖と牡蠣の筏が見える。昨晩の食事はボリューム満点で、四人とも満腹になった。

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デッキから見たフェリーの航跡。

新潟を出てからしばらくカモメがずっとついてきた。写真はカモメも去って、新潟が見えなくなった頃。雨だが風もあまりなくて、波も穏やかだった。到着は三時過ぎだし、雨なので、トキの森公園でトキを見て宿に入った。

今日はこれから雨が上がるはずなので、それを楽しみにしている。

2024年5月28日 (火)

いまごろは

 今朝は早朝出発しているので、いまごろは外環状あたりを走っていると思う。大泉から関越道に乗り、新潟に向かう。弟夫婦、妹と私の四人で、フェリーで佐渡に渡る。弟の車で運転も主に弟がするので私は景色を見ていれば好いのだが、今日は雨だからたいしたものは見えないだろう。昨晩は兄弟で昔話などをした。車の中でもそういう話が続くと思われる。明日は天気が回復する可能性が高い。そう期待している。

 

 佐渡の報告は後でゆっくりすることになると思う。

2024年5月27日 (月)

内と外

 いま、赤坂憲雄『境界の発生』(講談社学術文庫)という本を読み進めている。書かれていることの意味を理解して納得するのに時間がかかるので少しずつしか読めていないが、世界観が少し変わるほどの影響を受けている。今まで見えていなかったものを見て感じることが出来るかもしれないと思う。

 

 今はうまく説明できないが、坂が境、橋が端と同義でもあるということがなんとなく理解できた。黄泉平坂(よもつひらさか)はこの世とあの世の境であるが、境が坂であることの象徴的な例だろう。また橋姫伝説を鬼との関連で論じた論文もある。ここで内と外の境が空間として接しているとして、それは面的な接し方でも線的な接し方でもなく、坂や橋などの、ある点をもって境界としているということが新しい知識となった。

 

 そういえば西洋では異界との境目を十字路に置く、ということを以前何かで読んだことがある。この本にもそのことが言及されている。ガブリエル・バーン主演の『ミラーズクロッシング』という映画は好きな映画であるが、その題名に暗示されている象徴的な意味をずっと考えていたので、少し疑問が解けた気がした。これも十字路の交差点というポイントである。

 

 この本には琵琶法師についても論考がなされていて、それを読みながら『犬王』というアニメ映画の物語の意味が一気に見えた気もしている。もしかしたらこの赤坂憲雄の論文か、または彼が引用しているような本がこの映画の下地にあるのではないかと思う。ないはずがないと思う。

 

 世界は見えているものだけで成り立っていない。むかしは見えていたものが今は見えなくなっている。それだけうすっぺらになっている気がする。

自己嫌悪

 昨夕は弟の家で美味しい料理とお酒を戴いて酩酊し、いつものように知ったかぶりをしたり自慢話をした。一眠りして夜中に目が覚めて考えた。自分を美化して話している内容は、弟夫婦には、またか、と思われるようなものではなかったか。自分が卑怯だったりずるかったり、すべきことを十分にしてこなかったことを、誰よりも自分が一番よく知っている。美化して語る自分自身と、恥ずかしい本当の自分自身との違いを思い、自己嫌悪になって眠れなくなった。

 

 いい調子で生きてきたつもりだけれど、それは独りよがりで、じつは他人には迷惑な人間なのではないか、本当は嫌われているのではないかと思えてしまった。私は自己正当化が得意な人間だから、すぐ立ち直れると思うけれど、少し自己反省しなければと心から思った。

2024年5月26日 (日)

千葉に到着

 朝早くに出発したので千葉の弟の家には昼過ぎに到着。今日は日曜日だから東名高速にはトラックが少なくて快適に走ることが出来た。いつも混む首都高速の大橋ジャンクションあたりもすいすいと走り抜けることが出来た。いつもこうなら四百キロあまりの道も苦にならないのだけれど・・・。

 明日は妹も合流し、明後日から佐渡へ行くのだが、天気予報があまり芳しくないのが心配だ。台風が雨雲を太平洋側に引き寄せて、日本海側だけでも晴れてくれれば良いのだが、そんな勝手な願いはなかなか叶いそうもないか。

 こんばんは旅のスケジュールの詳細を打ち合わせしながら弟と酒盛りをするつもりである。

『カンダハル 突破せよ』

 映画『カンダハル 突破せよ』(2022年イギリス)を見た。主演はジェラルド・バトラー。WOWOWでこの人が出る映画があるとほぼ必ず見ている。ストーリーが陳腐でもこの人が活躍していれば楽しめる。とにかく常に戦っている男という役柄がこれほど似合う男はいない。

 

 この映画は凄腕の工作員が自分の正体が露見したために孤立無援のまま中東世界を必死に逃げていくという映画だ。なんと実話が元になっているのだという。こういう人間はこういう極限状況に生きてこそ生きている実感が持てるのであって、普通の生活は出来ないだろうと思う。

 

 それにしても、リークした破壊工作の情報を公にする報道員というのは、それが時に人を危地に陥れ、時には人を殺すということを承知でその仕事をしているのであろう。因果な商売である。類似の『ダイハード』の場面を思い出した。

『散歩のとき何か食べたくなって』

 池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』(新潮文庫)を読了した。若いときに平凡社版のハードカバーを持っていたはずだが見当たらない。処分せずに残したはずだからどこかにあるはずだ。この文庫版は出張先で楽しむために買った。ハードカバーは重いし、まして平凡社版は変形で普通の本より一回り大きいのだ。池波正太郎の本はハードカバーと文庫本と両方持っている本が結構あった。繰り返し読むし、実家へ帰るときなどにも読むから、そういうときは文庫本を持参して読むのだ。

 

 池波正太郎が仕事で訪ねることの多かった大阪、京都、名古屋、信州の美味しい店、あしらいのよい店のことがふんだんに書かれているし、以前ほかの本で読んだことのある東京の下町の人情あふれる店のことも懐かしそうに書いている。ここに出てくる店はたぶん今行っても、同じように食を楽しめるかどうか疑問だ。店も変わってしまったか、なくなっているところが多いに違いない。だからこの本を元に店を探したりせずに、この本の描く池波正太郎の見た世界を、彼とともに楽しむのが良さそうだ。

 

 名古屋については『大甚』(居酒屋)や『宮鍵』(うなぎ)は健在である。『大甚』は亭主に嫌がられるほどよく飲みに行った(九時には閉める店で、そこを無理に長っ尻をするので)。『百老亭』(中華)は大須で一度入ったことがあるが今もあるかどうか知らない。『たい家』、『鯛めし楼』は接待で使った。『たい家』のカウンターで大村崑が一人で飲んでいるのを見かけたこともある。出演している芝居がかかるときにはよく来るのだと聞いた。

2024年5月25日 (土)

『クーダ 殺し屋の流儀』

 映画『クーダ 殺し屋の流儀』(2022年アメリカ)を見た。題名から単純なドンパチ映画だと思ったら、意外に出来の良いハードボイルド映画で、なかなか好かった。ひげ面の主人公を演じたのは誰かと思ったら、なんとアントニオ・バンデラスであった。だからあの渋い声だったのだ。

 

 組織(女ボス)の雇われ殺し屋が、自分が助けた黒人の家出少女が誘拐されたことを知り、裏社会に反旗を翻す。殺し屋といっても格闘技に優れるほどのこともなく、ただ本当に腹が据わっている男がどれほど強いのか、そのことを教えてくれる映画だ。ボロボロになりながら屈しない者を本当に勇気ある者というのだとハードボイルドは教えてくれる。

『むかしの味』

 旅のお供にしながら読みかけのままだった池波正太郎『むかしの味』(新潮文庫)を読了した。読むのは三度目か四度目である。料理を作るよりも変わった食べ物の話や料理の本や旅先の美味しいもののことを書いた本を読むのが好きで、古本屋で安いものを見つけては集めているうちにミカン箱ふたつほどになってしまった。すでにあらかた処分したが、池波正太郎フリークの私としては処分できずに残っていた池波正太郎の食に関する本が数冊残っている。

 

 ここには先日読んだ『食卓のつぶやき』同様に、彼の若いころからの食道楽のことが書かれていて、彼のダンディズムが食を通して語られていると言って好い。ダンディズムであるから、美食が優先というわけではなく、店のあしらい、料理に対しての真剣さが作家の鋭い目によって見つめられている。食通は健啖家であるべきこと、というのが私の考えであって、理屈が先に立つ食べ方は嫌いである(お前が言うな、といわれそうだ)。池波正太郎も健啖だった。しかし、歳とともにそれほどは食べられなくなっていく。そういう自分があれもこれも、ではなく、これだけは、と思う食べ方に変わっていく、というのが、今の私には以前より分かるようになってきた。

 

 続いて『散歩のとき何か食べたくなって』という本を読んでいる。

『日本歴史を点検する』

 海音寺潮五郎と司馬遼太郎の対談集『日本歴史を点検する』(講談社文庫)を読了した。日本の歴史について、戦後、戦争の反省が日本の歴史に対して過剰に加えられて、却ってゆがんだ歴史観が導入され、教育され、日本人が日本の歴史について正しく把握できていないところがあるのではないかとかねがね思っていて、そのゆがみの修整は自分で行うしかないと考えた。だから大学で化学専攻の知識を学びながら、同時に主に独学で学んだのは歴史だった。

 

 もちろん時代小説や歴史小説だけで歴史を学んだのではなく、歴史書をずいぶんと読んだ。まず太平洋戦争がどうして起きたのか、そしてその原因となる日中戦争はどうして始まったのか。中国という国はその時どういう国だったのか。書棚にはそういうときに読んだ本が並んでいる。同時に文化大革命とはなんなのか、それもずっと知ろうと努めてきた。

 

 今回読んだこの本も、そういう学校教育で受けた日本史のゆがみをいささかでも修正する助けになると思うような本である。歴史を歴史学としてだけではなく、日本人の出自、特性、自分が日本人であるとはどういうことかを考える参考になる本である。

 

 前書きを海音寺潮五郎が書き、後書きを司馬遼太郎が書いている。二人は世代が一世代違うほど年が離れているが、話が興に乗ればその年の差はなくなって、相手の話に大きく頷き、自分の思いを語り、ともに相和すこと、仲の良い兄弟や友人どおしのようである。司馬遼太郎が新聞社に勤めながら小説を投稿したものを海音寺潮五郎が目にとめて激励し、世に認められずに挫折しかけていた司馬遼太郎を救ったことが熱く書かかれている。その叱咤激励がなければ、この世に司馬遼太郎の作品は生まれなかったのだ。

2024年5月24日 (金)

『日本歴史を散歩する』

 海音寺潮五郎(1901-1977)の『日本歴史を散歩する』(PHP)という本を読了した。この本は2008年に出版された本であるが、もともとは1956年に出版された『随筆 日本歴史を散歩する』という本を改編再編集した本である。海音寺潮五郎は時代小説作家というよりも歴史小説作家である。中学生頃から柴田錬三郎や五味康祐、吉川英治、山手樹一郎、山岡荘八などの時代小説を乱読していたが、高校生の時に海音寺潮五郎の『二本の銀杏』という薩摩藩のお由良騒動を描いた小説を読んで感銘を受けた。今でも傑作だと思う。NHKの歴史大河ドラマの『天と地と』(上杉謙信を描いた同名の小説)や『風と雲と虹と』(『平将門』と『風と雲と虹と』の藤原純友を描いた)は彼の原作を元にしている。

 

 それ以来のファンだが、途中からは海音寺潮五郎の歴史随筆を面白く読むようになった。

 

 この本では薩摩示現流について書いたもの、倭寇について考察したもの、西郷隆盛について書いたものなど、たくさんの史実を元に彼が考察するその時代を楽しませ、考えさせてくれる。彼は薩摩出身であり、血が熱く濃い。『長久保なほ』、『頼山陽の母』の二編は女性が取り上げられているが、胸が熱くなる話である。こういう随筆を読むと、日本人とは何か、日本の歴史とは何か、そして自分が日本人であることについていろいろと思うところがある。

 

 じつはこの本と並行して、『日本歴史を点検する』(講談社文庫)という本を読んでいてもうすぐ読み終わる。これは海音寺潮五郎と司馬遼太郎が互いの歴史知識を駆使して談論風発するとても面白い対談集で、これだけ膨大な知識を縦横にめぐらせて話が通じる相手であったら、どれほどその対談は楽しかっただろうかと思わせてくれる。

全てが・・・ではない

 国会で、「全ての企業が悪であるわけではない」という答弁がされたのを見た。ニュースの断片なので前後の詳細は承知していないが、企業献金について、廃止を求める野党に対する答弁かと思われる。私は企業献金は見返りを求めるものであると考えるので廃止を検討すべきだと思うが、この政府答弁に自民党の事態に対する認識の甘さを強く感じた。

 

 「全ての企業が悪であるわけではない」というのは、全ての企業が善であるといっているはずはないから(無理にそう取れないことはない)、悪もあり善もあるといっているのであろう。それなら悪もあると認めていることに外ならない。善もあるのだから認めろ、というのはそのまま悪も認めろというの等しいように思うが、どうなのだろう。

 

 そんな理屈で、見返りを前提にした企業献金の維持を押し切ろうという態度には怒りを覚える。それでは何も変わらないし、変える気もないと公言していて、それでもそれがまかり通るようなら、野党もずいぶんなめられたもので、それはそのまま国民もなめられているということに思えるがどうなのだろう。

2024年5月23日 (木)

五百羅漢

銀山公園近くの羅漢寺に五百羅漢を見に行く。こういうのを見に行くのが大好きである。

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羅漢寺。正面受付で五百羅漢の拝観券を買う。

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先に本堂を拝観し、その外回廊から羅漢堂を見る。

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見えている扉から中に入る。狭くて暗い。

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堂は二つあり、合わせて五百羅漢だそうだ。

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様々な姿態の羅漢さんが並んでいる。

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天を仰いで何か考えているらしい。

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答が間違っていたので照れているのか。

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ちょっと落ち込んでいるようだ。ちょっとではなくて深刻なのかな。

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つぎの堂へ行く。

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この文字について意味するところを思考中。

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なにも泣かなくても。自分の愚かさに気がついてしまったのか。

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とにかくみんな一生懸命考えているらしく見える。私もぼんやりしていられない。

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ちょっと屈折しているのかな。気を散らせては答えは出ないぞ。

これで今回の旅の報告は終わり。龍源寺間夫(まぶ・坑道)まで歩くと三キロ以上あるので途中までは行ったのだが、あきらめて引き返した。なかなか好い旅であった。

心配

 政治献金には純粋に個人がその党を支持することに発するものと、献金する組織が自らの組織を優遇してほしいともくろんでするものとがある。企業からの献金は、企業が営利を目的とする存在である以上、その献金にもそのような意識が伴うのは当たり前であると思うのが自然だから、企業献金は廃止するのがよい。それでも政治活動にはどうしても企業献金がないと困るというなら、とことんその透明性を明らかにして、その企業献金がどのように使われたのかを明らかにする必要がある。

 

 今回の自民党の裏金問題、パーティ券に関する問題は、そのような政治資金規正法に違反した行動であり、しかも違反していることを自覚しながら慣行を続けたというもので、政治資金規正法をざる法扱いにしたという悪質なものである。しからばどうするのか、それについての認識が自民党の改正案にはあまり感じられない。詳しいことを聞けば改正案の趣旨はある程度理解できるのかもしれないが、報じられているものだけ聞いていると、自民党は国民の認識をなめてかかっているように見える。国民なんて何も分からず騒いでいるだけで、心配するには及ばないと高をくくっているようだ。国民は経過を漏れ聞きながら、次第に怒りを募らせ始めているのではないか。あの岸田首相という人は、その点に極めて鈍感な、木で鼻をくくった常套句の羅列で危機を切り抜けるつもりらしいが、それで済むのかどうか。自民党にはまったく本気度が見えないと国民が感じていることがわからないようだ。

 

 昨夕、娘が来た。昼過ぎに来るといっていたのに連絡はないし、待てど暮らせど来ないから心配して電話を二度三度したけれど返事がない。そうして夕方になってようやくやってきたのだ。聞いたら午前中は具合が悪くて寝ていたのだという。それなら今日は行けないと連絡してくれたらよかったのに。約束したからと無理をしたようだ。亭主は休みだったから送り迎えしてくれたが、顔を見せない。外の仕事が続いて疲れているから、と娘はいう。娘の具合は悪いし、自分は疲れているのに送り迎えさせられるし、義父(私)はそれなのに催促の電話をよこすしで腹を立てているらしい。済まぬことであった。

まだ歩いている

まだ石見銀山の大森集落をぶらぶら歩いている。

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この日は土曜日。だから昼間に子供が遊んでいる。汗ばむほどの陽気だった。

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めだかの学校をのぞき込んでみる。

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長い塀がめぐらされた、ここも大きな屋敷である。

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赤瓦の鬼瓦。

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表札代わりにこんなものが玄関のひさしに貼り付けてあった。

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一輪の花が目にしみるように鮮やかだった。

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まだぶらぶら歩いて行く。世界遺産だから街灯も電信柱もない。昔の街道を歩いている気がしてくる。

2024年5月22日 (水)

探したら少し片付く

 今読んでいる本の参考にしようと思って、ある本を探していたら、あるはずのところにないので押し入れの中の本三百冊ほどを出したり入れたりすることになった。ついでに出したものを分類し直して、しまう場所を整理した。基本はすぐに再読する可能性のあるものを前へ、後回しでも良いと思ったものものを後ろへ移動させる。

 

 思ってもいないところから探していた本がひょっこり出てきた。整理しているあいだに読みたくなった本を十冊ほど引っ張り出してしまったので、代わりに周りに積み上げてある本を何冊かもとの棚へ戻した。優先順位の変更である。気持ちはいつも変わる。その気持ちに合わせて取り出したい本の位置が変わる。

 

 大汗をかいた代わりに少し本の整理をすることが出来た。本と遊ぶのも楽しい。こうして本を触っていればどこに何があるのか、また記憶が新たになるのだ。以前友達が我が家に来たときに「お前は本を飾るのが趣味か」などといわれたけれど、たしかにそういうところがあるのは認めざるを得ない。本に囲まれているだけでうれしいのだ。もちろん飾るのは人に見せるためではなく、自分が眺めるためである。

鉄道ファンの聖地

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石見銀山歩きもちょっと飽きてきたと思うので、この旅で(ホルンフェルス大断崖を見た後)撮って掲載を忘れていた鉄道写真を見ていただく。

山陰本線が上から眺められる道の駅、夕日パーク三隅からの景色である。

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鉄道の先はトンネルになっている。

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海はあくまで青い。

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右側、つまり東側から一両の列車がやってきた。

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トンネルに向かっていく。

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このあと吸い込まれるようにトンネルに入っていった。

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しばらく待っていたら、トンネルの中にライトが見えた。西から東へ向かう列車だ。

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トンネルから出てきた。

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もうすぐ前を通過する。

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真ん前を通過。

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東の方へ去って行った。

石見銀山の集落を歩く

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立派な家が多い。昔の代官所の役人の家が並んでいるようだ。黒い塗り瓦は北陸でよく見る。

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赤い塗り瓦も多い。津和野などは殆ど赤い瓦だ。

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なんの石碑だろう?

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松本清張の碑であった。「空想の翼で駆け 現実の山野を往かん」この人、字がとてもうまいのだ。

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端午の節句の飾りがまだ飾ってあった。

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熊谷家住宅だそうだ。家の人が声をかけてくれたので、ちょっと立ち話。

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立派な家なのだ。

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すぐ裏手には山が迫っている。

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酢の醸造元。売っていれば買ってもよかったが、閉まっていた。

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高台からの見晴らしが良さそうだ。お寺が上にある。

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観世音寺というのだ。いつもなら必ず上に登るのだが、足がくたびれてきたので眺めあげただけ。

まだ、だらだら行きます。

2024年5月21日 (火)

いささかの屈託

 昼から、妻の入院している病院へ支払いと面会に行った。髪がずいぶん白くなってしまった。私の耳も遠くなっているけれど、それ以上に妻の語ることばがこもって聴き取りにくくて困った。会話というのは互いに相手の語ったことばに関連して展開するものだが、残念ながらそういうことはもうできないから、勝手に語りたいことをしゃべるので、こちらは予測が立たず、見当のつけようがないのだ。

 

 スマホでマイナンバーカード用の写真を撮った。目をつぶるな、というのに撮る瞬間に目をつぶるので何枚も撮った。なんとか使えそうなものもあるので良しとする。用件が済んだ頃、時間です、といわれた。病棟が新しいきれいな棟に替わったので面会室もきれいだった。

 

 都合がつけば娘も一緒にと思ったので連絡したが、返事がない。帰ってきたら電話があり、体調が優れずにいたようだ。娘は重いものではないが難病を抱えていて、ときどき不調になる。明日来るというから無理するな、といったが旦那が休みだから送ってくれるそうだ。

 

 いろいろ心配もあるし、いささか屈託している。

三回目

 新生姜の酢漬けが大好きで、毎年時期になると自分で漬ける。いつもは普通の食酢(米酢など)に漬けるのだが、今年はカンタン酢というのに漬けてみた。少し酢のパンチは足らないが、漬けてすぐにピンクに染まり、甘めに柔らかい感じに漬かる。すでに三回目を漬けたところだ。しかし新生姜の値段もほかの野菜と同様ずいぶん高くなった。

 

 そういえば、キャベツの値段が高騰したと報じられていたが、こちらではそれほどのこともない。普通の値段で(以前より高いのはほかと変わらずだが)売られている。それよりも白菜が高いし小さいしで、手が出ない。テレビではまもなく元通りの値段になるという話もあったが、まったく下がらないし、売れないからだろう、店頭にもわずかしか置いていない。いろいろな料理に塩をした白菜を使って重宝するし、浅漬けにして食べるのも好きなのに、しばらく白菜を買っていない。もう秋まで無理なのだろうか。

 

 主婦なら食品の値段が上がっていることを日々実感しているだろう。政治家諸氏はその辺の実感があまりないのだろう。自民党は景気回復こそ給料を上げる方策だと信じ込んでいるようだし、野党は給料を上げることこそが景気回復の方策だと思っているようだ。たしかにそうかもしれないが、どうも日本の企業の先行きはあまり明るいように見えない。景気浮揚を目標にする考えからもう少し思考の枠を越えた政策を考える必要があるのではないか。少子高齢化社会を前提にした社会の仕組みの再構築を考える、優先順位を見直すこと、そのことにもう少し真剣に取り組んだ方がよいように思う。過去の栄光の夢はしばらく置いておく必要があるのではないか。

勝源寺の彫物

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勝源寺がどうして石見銀山東照宮なのか。

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勝源寺は高台にある。

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どこが東照宮なのだろう。

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近寄ってみると見事な彫物が見えた。以下その彫り物をいくつか見て戴く。

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見ていて見飽きない。こういう彫刻のできる人に心から敬意を表する。私しか見ていないのがもったいない気がした。

このあと大森集落を南へ歩く。

2024年5月20日 (月)

石見・城上神社

まだ旅の報告がちょっとだけ残っているので、お付き合いいただきたい。

ワイナリーホテルに泊まり、旅五日目の行く先は石見銀山である。世界遺産センターの広い駐車場に車を置いてバスに乗り換え、代官所前で降りる。ここが石見銀山の集落の一番端である。まず城上(きがみ)神社に参拝する。

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手前に西南戦争戦死者の祈念碑があるのが目を引いた。どうしてここにあるのか、いわれは分からない。

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階段を上る。

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古びた神社があらわれる。重厚な感じのする神社である。

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正面から。

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立派な注連縄。

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横へ回って本堂を見上げる。

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改めて参拝。

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中を見上げると龍の絵が。鳴き竜だというが、中にはもちろん入れない。

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旧石見銀山大森代官所跡。

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中は郷土資料館になっている。

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今は集落の南端にいる。この集落の中を歩いて行くと銀山公園に至り、さらにそこから銀山の龍源寺間夫に至る。

その前にここから右手に曲がって勝源寺という寺を訪ねる。

細部

 当たり前にやっておくべきことが出来ていない。していないわけではなくて、きちんと細部まで出来ていない。それがいつも気になりながら放置するからいつも周辺は雑然として、薄汚くなっていく。

 

 今日は思い立って浴室と脱衣場を徹底的に細部まで掃除し、マット三枚も洗濯し、掃除機の下の汚れも掃除し、床もマイペットで磨き上げた。洗面台や鏡も細かいところまできれいにした。見違えるようにきれいになったのは、それまでが いかにいい加減であったかということだ。

 

 こういうことを突然思い立ってする。午後はニラとパセリの鉢以外の鉢の土を掻き出してきれいにするつもりだ。新たに細ネギを植えたいが、来週佐渡へ行く予定なので、帰ってからにする。ベランダは昨年マンションの大改修があったときにきれいになったのだが、少し汚れてきたのでついでにきれいにしようと思う。

 

 明日は妻の病院へ支払いと面会に行くことになっているので、明後日に今度は台所周りの徹底掃除を行う予定である。少しずつ部分的にやることにしないと、くたびれて続かない。フローリングの床に全てマイペットをかけて拭き上げたら全工程を完了する。その前の本の片付けが最大の難事である。何でこんな気になったのかというと、いつも拝見している「丸ちゃん」のブログで、ちかよさんがせっせと自分の家や周辺、関連するところの掃除や草刈りにいそしんでおられるのを読んで啓発されたのだ。動けるうちにもっと体を動かさなくてはと思ったのだ。

『ロストケア』

 映画『ロストケア』(2023年日本)を見た。冒頭に独居老人が孤独死して、二ヶ月以上発見されずにいた凄惨な現場を見つめる女性(長澤まさみ)の姿がプロローグになっている。やがて彼女が女性検事であることが分かる。微犯を繰り返し、刑務所が自分にとっては天国だ、とうそぶく老女とのやりとりに、会話の成立しないどん底に生きる人間とのその世界観の違いの大きさを感じさせるのだが、その老女を演じているのは・・・まさかと思ったら、エンドクレジットを見たらやはり綾戸智恵であった。

 

 並行してケアセンターで働く人たちの日常が描かれていく。介護に疲れ果てていく家族の支えとなって介護老人の世話をする彼らの姿が明るく描かれ、率先して働く青年・斯波(松山ケンイチ)を、新人の介護士は憧れの目で見ている。様々な介護の実態、そしてそれが終わるのは介護されている老人が死ぬまで延々と続くものであることもいやでも思い知らされる。

 

 そんな中、介護センターのセンター長と介護老人が死体で発見される。ここから、警察の、何が起こったのかについて捜査が始められ、あの女性検事が事件の担当になる。結果的に恐るべき大量殺人事件が発覚することになる。四十二人の殺人を自白した犯人、しかし確認されたのは四十一人、もう一人はいったい誰なのか。

 

 そのもう一人の死者となる介護老人役を演じた柄本明は記憶に残る名演である。しかも口が不自由で語ることばが聞き取りにくい役を演じながら、そのことばが耳の聞こえにくい私にも聞き取れることの素晴らしさ。それはそう意識して台詞を語らなければ出来ないことで、そのことに感嘆した。

 

 少し冗漫な長さになったように感じ始めたラストに、プロローグの意味が明らかにされる。おぼろげに想像はしていたが、衝撃的である。

 

 見えるものと見えないものがある、見えないのは見ようとしないからだ、という惹句が強烈に胸に響く。殺人は、死は救いか。

2024年5月19日 (日)

日御碕神社

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日御碕(ひのみさき)神社に到着。以前来たときは塗り立てで、赤が強すぎる気がしたが、時間が経っていい色合いになった。

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拝殿をのぞく。

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拝殿正面。

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風を通すために開けてある蔀(しとみ)戸が好い感じ。

この神社はすぐ裏手が海になっている。

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経島。これで「ふみしま」と読む。ここは海猫の繁殖地として有名なところ。

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よく見るとたくさんいるのが分かるであろう。冬に産卵し、孵った雛を育てているところ。六月には移動する。

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右手の高台が展望台になっている。あそこから経島を見下ろすことが出来る。日本一高いという日御碕灯台から遊歩道を歩いてくると、あの展望台に至る。

満足したのでつぎの目的地のホルンフェルス大断崖に向かったが、そのことはすでに報告した。

白ウサギか素ウサギか

 読みかけの本がいろいろあるのに、本棚にある梅原猛の一冊の本に呼ばれて『精神の発見』というその本を新たに読み始めた。昭和四十四年前後に新聞に連載していたものをまとめたもので、訳あって立命館大学を辞めて思索に没頭し、後に独特の梅原史観を確立するまでの過程をたどるような随筆集となっている。ベストセラーとなった『隠された十字架』という本が私と彼の本との最初の出会いだったが、思い込みと推論とが豪腕によって展開するその論にいささか反発を感じながらも、面白さにぐいぐいと引かれてしまった。その後ずいぶんたくさん彼の本を読んだが、それを話し始めると切りがない。

 

 その本を読んでいたら、因幡の白ウサギに関する彼の考察が書かれていて、白兎神社を訪ねたばかりだから興味深く読んだ。これを読め、とこの本が私を呼んだのだ。ここで改めて梅原猛が要約したシロウサギ伝説について以下に引用する。ところでシロウサギについて表記がいろいろ違う書き方にしているのは、じつは理由があって、いい加減に使っているつもりではないことを念のためおことわりしておく。

 

 オキノ島にいたシロウサギが、この地に渡ろうとする。そこで、ワニをあざむいて、お前の仲間と俺の仲間と、どちらが多いか、比べあいをしようという。ワニが承知したので、ウサギは、この島から稲羽(いなば)の気多前(けたのさき)までならんだワニの背中の上を渡った。ところが、降りようとするときにウサギは、俺はお前を欺いたという。ワニは怒って、ウサギの衣服を剥いだ。ウサギが困って泣いていると、八十神命(やそがみのみこと)が通る。相談すると、海の水をあびて風にあたるとよいといわれた。その通りにしてみると、身は傷(そこな)われた。そこに、オオナムチ、すなわちオオクニヌシノミコトが袋を背負ってやってきて、事情を話すと、いますぐにこの水門(みなと)のところへ行き、そこで真水で体を洗って、ガマのホをしいてその上へ寝よという。ウサギは、その通りにしたら、膚はもとのままになった・・・。

 

 ここでオキノ島というのは隠岐の島であるというのが通説である。しかし、それは沖ノ島ではないか、というのが梅原猛の仮説である。実際に彼は沖ノ島を訪れている。沖ノ島は対馬と九州や山口県との間にある小さな島で、大昔は人も定住していたが、いまは無人島である。そこには宗像神社があり、この島は神域であって神事の際に限られた人しか上陸することが出来ない。女人禁制である。

 

 この島への上陸に際しては、禊ぎをしなければならない。まず丸裸になって海水に入り、禊ぎをして、そのあと真水を体に注ぐ。梅原猛ももちろん禊ぎを体験する。シロウサギと同じではないか。

 

 古事記には「此れ稲羽の素莵(しろうさぎ)なり。今者(いま)に莵神と謂ふ」という文章があるという。イナバノシロウサギは神様であること、そして白いウサギではなく、素とは裸の意ではないかと本居宣長が考察していたことなどが述べられていく。また、日本書紀には沖ノ島など宗像三島を「宇佐島(うさのしま)」と名付けていることなどに着目する。

 

 さらにワニとは阿曇(あずみ)氏のことであろうと推論する(根拠はあるが省く)。宗像一族と阿曇一族との日本上陸をめぐる争いが仮託されているのではないかという驚くべき推論を展開していくのである。阿曇氏については司馬遼太郎が様々に言及してなじみのことであるが、こういう出会いになるとは思わなかった。

 

 ここからさらに梅原猛は出雲神話そのものについて様々な推論を展開していく。大変面白い。

日御碕へ向かう

旅の四日目、松江から日御碕(ひのみさき)へ向かう。まず出雲大社まで行き、前を素通りさせてもらって、阿国街道を海まで出る。ここは出雲阿国(いずものおくに)の終焉の地であり、彼女の墓もここにある。この近くの民宿に泊まってこのあたりを歩き回ったことがある。

突き当たりが出雲半島の西海岸で、そこから断崖の道を北へ向かう。絶景が続き、その先に日御碕神社、そして日御碕灯台がある。

車を駐めることの出来る場所がところどころにあるのでそこから写真を撮った。青い海を見て欲しい。

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磯釣りの人が見える。

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傾いた地層が見える。

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沖を行くのは漁船だろうか。今日は風もあまりなくて波も静かだ。

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波のきらめきが美しい。

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ここは神仏の通ひ路なのだ。

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日御碕まであと五キロ、日御碕神社はその手前にある。

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日御碕神社までもうちょっと。

2024年5月18日 (土)

松江堀川めぐり

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あの舟に乗るのである。

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大手門前の乗船場。乗船場は三カ所あり、切符があれば当日中何度でもどこからでも乗り降りできる。

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靴を脱いで乗り込む。舳先に市場近いところに陣取る。さあ出航。

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舟は13人乗り。低い橋もくぐるので屋根が上下する。

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手を振ってくれたので私も手を振って答えた。

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先ほどこの堀沿いの道を歩いた。

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こういう緑のトンネルをくぐる場所もある。

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低い橋をくぐる。

 

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こういう狭いところも通っていく。

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天守閣が見えた。

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ほかの舟とすれ違う。

一回り約五十分。風が心地よくてゆっくり出来た。松江散策編はこれにて終了する。

なんでもあり

 昨夕、民生委員と称する女性が訪ねてきた。こんな書き出しにするとあたかも不審な人のようだが、本物であった。役所から何度か民生委員が訪ねるかもしれません、といわれながら、未だやってきたという記憶がない。「在宅高齢者状況調査票」という書類を手渡され、明日また来るので書き込んでおくようにということであった。いつお世話になるか分からないからイヤミを言わずに受け取った。

 

 一緒に高齢者福祉ガイドという冊子ももらう。これにはどういう公的補助があるのか書かれているので、この十年来、役所で何年かおきに新しいものをもらうようにしている。こういうものを持たないで、補助があるのを知らない人も多いのではないだろうか。なくても差し支えない暮らしが出来ているならそれでもかまわないが、本当に困っている人が案外知らないままでいることも多いのではないか。知らないからますます困るのだが、そういう人ほど知ろうとしないということもある気がする。

 

 困っている人もいれば困る人もいる。公然と選挙妨害をしながら「表現の自由の妨害だ」などとほざいているが、逮捕されたときの様子を見ればどう見てもまともな人ではないように見える。それでもそういう人間に拍手喝采をする人間がいる。人それぞれとはいうが、社会をまともに構成できない人間にしか見えない者に共感するのは、自分にも問題があるかもしれないと思った方が良さそうに思うが、そういう人は決してそう考えることが出来ないだろう。

 

 農作物などを勝手に持って行く、密漁をする、電線やマンホールの蓋を持って行く、無料販売所で金を払わずに商品を持って行く、野なかの一軒家に押し入って金を奪う、など、世の中が次第に物騒になってきた。なんでもありの世界が次第に現出しつつありそうだ。あたかも映画『マッドマックス』の世界を見せられている気がする。『マッドマックス』はシリーズになっているけれど、私は最初に『マッドマックスⅡ』を見た。これが一番衝撃的だった。まさに何でもありの世界で、近未来SFを描く小説にはこういうデストピア(反ユートピア)世界を描いたものが数多くある。この世の中にはしてはいけないことがあるという、人間が積み上げてきた社会秩序の原点が崩壊していくという地獄絵図は、あながち空想の世界だけではないようだ。

お堀端を歩く

松江城の南東角の大手門前から入場し、天守閣を見て城郭内を北西の角まで歩いた。そこでお堀を渡り、城外に出る。

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北西から西へお堀沿いに北東角まで歩く。

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北東角にある建物が小泉八雲記念館。道路の向かい側は堀である。ここから南方向の堀沿いは武家屋敷が並んでいた。

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記念館の門。

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小泉八雲がお出迎え。天守閣、小泉八雲記念館、武家屋敷の共通入場券を購入してある。

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写真撮影可。懐かしい障子に日本間。

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庭園。このあと縁側に座ってそよ風に当たりながら、しばしぼんやりと庭を眺めていた。

ここは小泉八雲が暮らしていたところではなく、もともとは武家屋敷の一つであったと思う。

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お隣が小泉八雲の旧宅。ここは記念館とは別で入場券が必要だが、手持ちの共通券を見せると割引がある。割引はあちこちであって、堀川の遊覧船でも割引してもらえた。丁寧に見て歩くつもりならかなりお得だ。

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軽く昼食。蕎麦美味し。

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武家屋敷の建物。ここだけ公開している。

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お茶でお出迎え。

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神棚、玄関。

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それぞれ丁寧に拝見して再び堀端へ。このあたりのお堀の景色が一番好きなところだ。あとで遊覧船でここを通ることになる。いつも上から見ていただけだった。

このまま南下していき、出発点の大手門前まで歩く。その近くに三カ所の遊覧船の乗り場の一つがある。

2024年5月17日 (金)

城内を横切る

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松江城の天守閣を降りる。

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子供たちが熱心に松江城をスケッチしている。手が動き出すと話し声が減って静かになる。

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空気が澄んで爽やかな春の空。

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階段を降りる。城の北西方向へ歩いて行く。

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護国神社。足が疲れたので階段で休んでいたら注意されてしまった。

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これは銃後を守る家族の像か。

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城山稲荷神社の前にベンチがあったので、そこで休む。猫がひなたぼっこをしていた。

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見たことのない鳥がいた。慌てたのでピンボケとなった。鳩より少しだけ小さい。

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ようやく堀に到達。

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跡でこの堀廻の遊覧船に乗ることにしている。低い橋をくぐるところがあるので、この屋根は上下する。かなり低くなる。

『随唐演義』読了

 田中芳樹『随唐演義』全五巻を読み終えた。旅のお供の中に第四巻と第五巻を持参したが、旅に出ると忙しいので読み切れなかった。第四巻は則天武后の話が中心で、第五巻は則天武后の後、唐を立て直した玄宗皇帝と楊貴妃の話が中心となる。『三国志演義』と違って、この『随唐演義』には女性がふんだんに登場し、後宮の様子が必要以上とも思えるほど書き込まれている。

 

 いつも思うのは、中国の歴史は外戚の異常な権力把握、そして宦官の跳梁跋扈が繰り返し繰り返し朝廷を揺るがせ続けることだ。多少の汚職、などというレベルではない。国家の根幹を揺るがせるようなシロアリのような蚕食が行われ、そのような国家の危機に対して皇帝は正しい判断をすることが出来ない(だからそのような事態になるのであるが)。自分の耳に都合の良いことしか聴かないからで、取り巻きも事実を聴かせない方が都合が良いから、事態は隠しようがないほど、手を打ちようがないほどになって初めて明らかになる。皇帝は不明を反省するがたいてい間に合わない。

 

 そういう歴史が繰り返されながら、再び三度同じ失敗をするのが絶対権力というもののようだ。しからば毛沢東がそうであったように、習近平も同様なのではないか、などとつい想像する。

松江城天守閣

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昔のままの天守閣であるから、もちろん木造である。

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床は磨き抜かれている。とはいえ天守閣は戦時に使用するもので、人が暮らすところではない。ましてや女性はまず中に入ることはなかったと思われる。

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急な階段は、普段なら膝が悲鳴を上げるところだが、この日は手すりにつかまってなんとか持ちこたえた。

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太い梁。組み上げ工事はどうしたのか興味がある。名古屋城もいまの鉄筋コンクリート製から木造にしたいらしいが、はたしてそれが叶うだろうか。

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これは県庁前の直政公の銅像の原型か。

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最上階から四辺を見晴らす。彼方に宍道湖。

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これは城の北西角の方向と思われる。

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我がホテルの部屋からの眺望に近い。ホテルのレストランが9階で、似たような眺望である。天守を吹き抜ける風に当たりながら、しばらく下界を眺めていた。

2024年5月16日 (木)

それにしても

 作ると便利になる、ないといろいろ不便になるぞといわれて作ったマイナンバーカードを、実際に使ったことがまだ一度もない。他の人は便利に使っているのだろうか。マイナンバーカードが中国人によって大量に偽造されている、などというニュースが報じられ、いったい何のためのマイナンバーカードなのかどんな必要があるのか未だによく分からない。

 

 認知症気味の独り暮らしの高齢者はマイナンバーカードを手助けなしに作ることが出来るとも思えないし、その手助けの用意もあるやらないやら、必要性もよく分からないままに、健康保険証をなくしてマイナンバーカードしか使えなくしてしまうということだけが決まっているようだ。

 

 マイナンバーカードの恩恵はポイントによる還付だけであった。それにしても、そうやって持たされたカードが何も使い道がないまま二年か三年経って、いったい何が変わるのか未だに分からないままというのはまことに不思議なことである。すでに広報はしたというけれど、広報は伝わってこその広報で、伝わらなければないのと同じだ。以前も書いたが、入院している自分の妻のマイナンバーカードを作る方法を公的なネットで調べたけれど、調べ方が悪かったのだろうがまったく分からなかった。役所の窓口で教えてもらってやり方があることをおぼろげに理解したが、まだなにもしていない。

 

 マイナンバーカードに反対している人がまだ作成していないのだとお役所は考えているような気がする。そうではなくて、どうしていいか分からない人が作成できずにいるのだ。その人をどう手助けするのか具体的な方策なしに、最も必要なところに穴が開いたまま何をしているのかと思う。

大手門あたり

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大手門から城内に入る。国宝 松江城天守閣とある。昔のままの天守閣が残っているのは全国で12カ所。そのうち国宝指定は五カ所で、松江城はそのひとつ。ほかは姫路城、松本城、犬山城、彦根城。どれも複数回登っている。

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おお、あれはもしや・・・。

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間違いない。

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ヒトツバタゴ、いわゆるなんじゃもんじゃの樹である。

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下から見上げる。

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階段を上るとそこには松江神社がある。

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裏へ回って本殿を眺める。

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松江神社の隣には西洋館が建っている。明治村に来たみたいだ。

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正面から。額には興雲閣とある。明治時代に迎賓館として建てられたが、いまは松江郷土館となっている。

入ろうかどうしようか思案していたら賑やかな声が聞こえてきた。

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先生に連れられた小学生たちがやってきたのだ。みんな大きな声でおはようございます、と挨拶する。こちらもいちいち返事をさせてもらった。気持ちが好いが、切りがない。

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松江の街を見下ろす。少し汗ばんだところなので、吹き渡る風がとても気持ちが好い。

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天守閣への階段を上りきる。今日は膝の調子が悪くない。これなら天守閣を登ることが出来る。

子供たちも登るようだと賑やかなことになるなあと思ったら、彼らはこのあたりで写生をするようである。絵になる場所で絵を描くのだ。

だから

数日前のことだけれど、衆議院補欠選挙で他党の候補の選挙妨害を繰り返した党に家宅捜索が入った。そのときにその代表が言っていたことに、開いた口がふさがらなかった。

「権力による言論の自由の侵害だ」

選挙演説は言論の自由の行使そのものである。その演説を妨害したのはまさに言論の自由の侵害である。だから選挙妨害だという申告を受けて捜査が行われたのである。侵害をした当人が侵害だ、というのは心外だ。言論の自由が自分だけに適用されるものであるはずがない。

2024年5月15日 (水)

松江を歩く

今回の旅の三日目の朝に戻る。快晴。

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宿の部屋(五階)から宍道湖を望む。窓は開かないし、スモークと網が入っているので晴れているのに霞んで見える。

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宍道湖大橋。少しゆっくりしたのでラッシュの時間は過ぎている。

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ホテルを出て歩き出す。最初に渡ったのは外堀にあたる京橋川。あとで遊覧船でここを通った。

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建物の壁に島根県各地のポスターが貼られている。松江、出雲、浜田、益田、石見、津和野などが並んでいる。行ったことのあるところが多い。学生時代に山陰を歩いて以来、何度も来ている。山陰が好きなのである。

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竹島資料室は立派な建物。韓国には韓国の言い分はあろうが、明らかに終戦後のどさくさ紛れの火事場泥棒だと思う。戦争に負けるということはこういうことなのだ。

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県庁前に大きな公園があり、松江城の天守閣が見えてきた。

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これは松平直政公の騎馬像。松平直政は家康の孫にあたり、出雲松江藩の松平家初代にあたる。

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見上げていたのはこの天守閣か。

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大手門の入り口は背後の右手にある。この日の予定は、松江城の南東に当たる大手門から入城し、場内を散策してから天守閣に登る。そのあと北西方向へお城を突っ切ってお堀の外側を時計回りに再びこの大手門前まで戻る。途中、小泉八雲の記念館、旧居、武家屋敷を見学する。大手門前には大きな駐車場があり、その裏側に遊覧船の乗船場があるので、それでお堀巡りをするというのがこの日の予定である。

なるほど

 今年初めに旅のお供にしていたパソコンが不調になって、ついには再起不能となったので買い換えた。新しいNECのパソコンは起動も速くて使いやすいのがありがたい。ただし重い。その上液晶が不満である。安くないものを選んだのに彩度もコントラストも三流の液晶に感じられる。つまり精細度はともかく画面の鮮やかさや明暗差が乏しいから薄ら寝ぼけて見える。写真を見ると腹が立つ。どうしてこんなところをコストダウンさせるのだ。しかしやすい買い物ではなかったから、不満だからと買い換えるわけにも行かない。NECもついに三流メーカーか。

 

 日本の液晶生産も、シャープの亀山工場が液晶の生産をやめることが決まって全滅となった。大量生産低コスト競争の地獄は日本を丸呑みしてしまった。それをメーカーだけの無策に求めて批判する気になれない。出来ないものは出来ない競争というものがこの世にある。出来れば技術継承だけのための生産を残してほしいものだが、それも海外資本の元では不可能なのだろう。

 

 最近立て続けに八十代や九十代の人が「七十代が一番つらかった」と書いたり語ったりしたものを見聞きした。年齢とともに身体が衰え、それに伴い不自由になり、つらさが増すものだと思っていたから不思議に思えた。自分が実感している身体が不自由になりつつあることのつらさは、これからいったいどうなるのかと不安だったから、その理由を知りたいと思うではないか。

 

 結論は、つまり八十代、九十代になると、こんなものだと受け入れて心と身体が調和するものらしい。七十代はそれまで出来たことがどんどん出来なくなり、あちこちが不調になって、出来たことが出来なくなることが受け入れられずにつらいのだろうという。なるほど、不安こそがつらさの本体なのだ。

 

 もちろん人によって様々だろうが、めでたく超高齢者になった人というのは、そのように現実の自分を受け入れてうまく身体と心を調和させている人なのだ。出来なくなったことが出来るようになることは殆ど期待できないが、こんなものだと思えばそれなりに楽に生きることが出来るのだ、と教えられた気がした。

眼をやすめる

 昨日は写真の整理をしてから、録りためたドキュメントや風土記や紀行、ドラマなどの番組を片端から見ていった。終日液晶の画面を見続けたので眼は疲労するし、首の周りが固まってしまって痛い。ぬるい湯にゆっくり浸かり、ハイボールをいつもより余分に飲んで寝た。夜明けの三時前に目が覚めてしまう。もう一度寝る気にならずに、そのまま静かにネット音楽を聴きながら本を読んでいた。首が痛い。首が痛くて目もつらいのに目薬をさしながら本を読む。夜が明けてから、いつの間にか寝落ちしていた。

 

 今日はパソコンを開くのもテレビをつけるのも極力控えることにする。旅の報告はこれから松江だけれど、しばし置くことにする。音楽を聴きながら眼をやすめることにしようと思う。

2024年5月14日 (火)

館内と帰路

お化けや妖怪に興味がなかったり嫌いな人はうんざりしたかもしれないが、今回で境港は終わりにする。

まず水木しげる記念館の館内の雰囲気をちょっと感じてもらうようなものを二三枚。

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実際は真っ暗に近い。

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おお、このぬっぺっぽうはちょっと怖い。「ベルセルク」に出てくる魔物みたいだ。当たり前だけれど知らない人は知らないだろうな。

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浮かんでる!

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驚く。

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ご存じ、雪女。ほかにも針女なんてのがいた。

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こなき爺。

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見上げ入道。とてもでかいらしい。

 

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海女房。時に人も喰う。

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泥田坊。働き者の男が丹精をこめた田んぼを、息子の死後、息子が怠け者で手放すことになり、新しいもち主のところへ「田を返せ」とあらわれる妖怪。理不尽である。

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サラリーマン。妖怪ではない。

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水木しげる夫妻。妖怪では・・・ない。

これにて境港終わり、この晩の宿の松江に向かう。境水道大橋を渡ってみる。給油のときに教えてもらったように、中海を左手に眺めた後、海上に作られた道路を走って大根島経由で松江に入ったら、まったく渋滞に遭わずにスムーズにホテルに到着した。翌日は松江を歩き回ることにしている。

水木しげる記念館へ

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ぬりかべ。人気があるのか、みんなが触るから光っている。

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ぬらりひょん。夕方の忙しいときにやってきて上がり込み、勝手にお茶を飲んだりキセルをふかしたりする。気がつかれにくい。いるなあ、たしかに。

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ぬっぺっぽう。廃寺などによる出てくる肉塊の化け物。こういう不定型なものが怖い。

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おなじみ、一つ目小僧。

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大かむろ。物音に雨戸を開けると軒下に出現する大きな頭だけの化け物。

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お歯黒べったり。振り返ると顔にはお歯黒の口しかない妖怪。

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二口女。継子いじめで食べ物をやらなかった女が化けたもの。口が頭の前と後ろに二つあり、髪が後ろの口のための箸となる。

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傘化け。一つ目で一本足。

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水木しげる記念館に到着。

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鬼太郎と一つ目小僧。

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のんのん婆あと水木しげる。これは妖怪ではない。

さあ記念館の中に入ろう。

水木しげるロード

水木しげるロードを歩く。妖怪などのモニュメントは百六十を超えるらしいが、一つ一つ丁寧に見ていく。半分ほど写真を撮ったがその一部を紹介する。

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鬼太郎と目玉おやじ。

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おなじみのねずみ男。

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人が結構歩いている。

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のっぺらぼう。人の顔を盗む。

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八岐大蛇。たしかにこれも妖怪か。

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件(くだん)。牛の腹から生まれ、予言をしてすぐに死んでしまうという。人の心を読むという妖怪ではなかったっけ。

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小豆洗(あずきあらい)。小豆ではなくて小銭を入れられて、喜んでいるのか困っているのか。しょきしょき音をたてるのがこの妖怪なのに・・・。

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豆腐小僧。雨の日にあらわれる。豆腐を食べてしまうと身体にカビが生えるので注意。

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がしゃどくろ。野垂れ死にした死者が寄り集まって巨大なドクロになったもの。

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呼子(よぶこ)。こだまの主。

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海坊主。海で悪いことが起こる前兆として現れる。

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石見の牛鬼(いわみのうしおに)。顔が牛で身体は土蜘蛛。海辺にあらわれ、獰猛で執念深く、人を襲う。

もうすぐ水木しげる記念館だ。

2024年5月13日 (月)

境港

米子から弓ヶ浜沿いに北上し、昼頃境港に着いた。境港は港の名前ではなく、「さかいみなと」という市の名前である。ここまでが鳥取県で、境水道をわたったらいまは松江市域、つまり島根県になる。美保が関に至る。

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川に見えるけれど、これが境水道。そして上にかかるのが境水道大橋。それほど高く見えないかもしれないが、

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橋の上から見るとあそこがちょっと縮むくらい高い。この橋を渡るのが大好きで、何度渡ったかしれない。

この端の写真を撮っていたら、金クレおばさんに声をかけられたことは前に書いた。

境港は水木しげるのふるさとで、水木しげるロードや水木しげる記念館があることは承知していたが、ゆっくり訪ねたのは今回が初めてである。かろうじて雨は降っていない。

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左の大きな絵看板があるのが境港駅。観光案内所もこの中にある。たくさん人がいた。

このあたりが公園になっていて、少し先から水木しげるロードが始まる。

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猫娘がお出迎え。人に媚びない猫娘のキャニクターが好きである。

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鬼太郎が話しかけているのは海外の妖怪たちだそうだ。ぐるりといるが、二体ほど紹介する。

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妖怪ガイドブックによれば、中国の女夜叉。

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アメリカのバックベアード。この妖怪の目を見たりすると立ちくらみを起こしたりする。高いところ、建物の屋上とか山の上に出没するから危ない。

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ごめんなさい、私が愚かでした。

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はい、なります、もうなってます。

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目玉おやじと並んで座ることが出来る。

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さて、水木しげるロードを記念館まで一つ一つ見ながら歩いて行くことにする。

白兎神社

一泊目の香住の民宿を出て、最初に立ち寄ったのが道の駅「神話の里 白うさぎ」にある白兎神社。

むかしは、この道の駅は車も多くて混んでいたのだが、山陰道(いまは無料)が山手に出来て、そちらを通る方が便利なのでこのきれいな海岸を知らずに通過してしまう人が多いようだ。

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とはいえこの日は風も強くて海は荒れ模様。

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歩道橋の上から海を撮っているのだが、四十代くらいの先客がいて、「さすがに日本海の荒波はすごいですね」などと言う。

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いえいえ、冬でなければ穏やかな、きれいな海岸なんですよ、と答えておいた。実際そうである。

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右手には道の駅の建物がある。まっすぐが白兎神社で、あるのは知っていたが参拝するのは初めてである。

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ここは、あの因幡の白うさぎ伝説の場所である。ワニ(サメ)をだましてその背に乗って海を渡ろうとしたうさぎが、あと一歩のところで自慢げにだましたこことを告げてしまったので、怒ったワニに皮をむかれて放り出されてしまった(食べられずに良かった)。そこへ通りかかった大黒様が、塩水でヒリヒリして痛いだろうからまず真水で身体を洗い、蒲(がま)の穂綿(ほわた)にくるまれ、と教えたのである。この池がうさぎが身体を洗ったところらしいが、真水は真水だろうが、あまりきれいではない。

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白兎神社正面拝殿。きちんとご挨拶する。

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裏をぐるりと回って本殿を拝する。

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正面に戻って立派な注連縄を撮る。

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階段を降りる。

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そこら中にウサギがいる。

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これが蒲。時期ではないので穂はない。穂は独特の形と色をしている。

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神話をモチーフにした砂像。どうして二人いるのだ。

このあと境港に向かう。水木しげるロードを歩くためだ。

爆睡する

昨日は夜半からの本降りの雨の中を、島根県のワイナリーホテルから日本海伝いに帰路についた。南下して中国道に出る方が早いけれど車の多い日曜日の大阪を通過したくなかったのだ。宿の前の江の川沿いの国道375号線を北上して大田で出るつもりだったら、ホテルの人が途中の県道40号線をショートカットにして三瓶山の山裾を回る道沿いに斜めに走り、184号線に乗れば出雲のインターへ出ることが出来て、道も良いと教えてくれた。これは今度来るときに使える道だ。好きな奥出雲周辺へのアクセスにも使える。

それからはところどころ強い雨風に会いながらのんびり走る。トラックが少ないのはありがたいのだが、軽自動車のノロノロ運転が多い。イライラする心をなだめる。今日は帰れれば善いのであって、急ぐ旅ではない。

雨が小やみで休憩できるところではこまめに休む(小やみでないと外に出られない)。鳥取から9号線で福知山へ抜け、舞鶴若狭自動車道に乗ればもうなじみの道である。雨なのに車が多い。前が詰まっているのに後ろにピタリとつけてくる癖の悪い車がときどきいる。前の車が列んでいるのだからあおられてもよけようがないのに、どうしてこんな走り方をするのだろう。ましてや雨である、スリップしやすいのに危険なことをする。人格に欠陥があるのではないか、などと思ってしまう。

夕方、無事に名古屋に帰着。途中で買った焼き鯖寿司を夕食にする。ざっと湯に浸かり、早めに横になったらそのまま爆睡して朝までぐっすり眠った。やはり疲れていたのだ。

今日は昼過ぎには雨が上がるかと思ったが、明るいうちは降り続けるらしい。たまった汚れ物は明日洗濯するしかない。スイッチの切り替えが歳とともに遅くなり、定常モードになるのにちょっと時間がかかるようになった。そのための静養日に雨はちょうど好い。旅の報告はまだ途中なので、しばらくその写真の掲載を続けるつもりである。

2024年5月12日 (日)

流痕化石など

足跡化石と流痕化石の二カ所を教えてもらったのだけれど、その場所がよく分からずにうろうろした。足跡化石はようやく看板を発見したけれど車の置きようがない状態だったのであきらめ、流痕化石を探し直したら、何度もその前を通っていたのだった。

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このそれぞれの島の成り立ちに違いがあり、日本列島そのものの成り立ちの痕跡でもあるらしい。

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この小島の話も聞いたのだけれど詳しいことは忘れた。

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これは明らかに柱状節理である。

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明らかに傾いた地層が見える。何も知らずに釣りの人だろうか、その上に立っている。

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これが流痕化石の場所。崖上を眺めあげないと見つからなかったのだ。

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もともと川の流れがあって水底に流れの文様が形成されていた。その上に溶岩が流れ込み、後に下の砂や泥の層が削られて、上の岩石だけが残った状態なのである。

この日は香住に泊まってカニとアワビとノドクロを食べた。天気が悪いのが残念であった。

香美町立ジオハークと海の文化館

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このジオパークのお姉さんがとても親切で、熱心に地質のことを教えてくれたことは前に書いた。

二階が海の文化館になっている。

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大きな魚が展示されている。本物を剥製にしたものだ。魚の獣や鳥と違って剥製はとても難しいのだという。

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海の生き物が展示してあるところ。天井はたくさんのハリセンボンである。ちょっとユニーク。

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魚が好きで、一時期は魚類図鑑を眺めるのを趣味にしていたこともあるし、水族館があればたいてい立ち寄ったものだ。釣りするのも好きだし食べるのも好きである。

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おなじみのマンボウと、珍しい赤マンボウ。

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深海魚のリュウグウノツカイ。これはきれいだ。水族館の標本はたいていがっかりするほど汚らしい。

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こんな舟で漁をしていたのだ。命がけである。

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船べりのこんなものが実際の海の生活を感じさせてくれたりする。

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北前船の模型。これでは沖へ出るのは無理だ。海岸伝いを港港をたどりながら行くしかない。

じっくり見学したのでお姉さんにお礼を言って、勧めてくれた近くの見所へ行ってみることにした。

本日帰路につく

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島根県の美郷町の潮温泉というところにいる。写真は部屋からの眺望。線路は三江線。川は江(ごう)の川。この写真は前日に撮ったもの。本日は朝から本降りの雨である。

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右手が大田(おおだ)方向で、つまり河口方向。

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反対方向上流側。

今回泊まった宿はワイナリーが経営している温泉ホテルである。立ち寄りの入浴も出来る。従業員は女性が多いが、皆きびきびしてしかも親切で愛想が良くて申し分がない。だらだらしているのはだらしなさに繋がる。経営者のしつけの問題だろう。

ワイナリーだから食事は洋食、きちんとしたコース料理であり、これがとても美味しい。濁り湯の温泉も好い。全てに申し分がなくて、また来たいと思う。息子たちや友人にも教えよう。潮温泉のワイナリーといえばほかにないからすぐ見つかるはずだ。

ここから石見銀山までは三十キロもないから車なら一時間かからない。昨日快晴の中を歩いたので汗だくになり、(さえぎるもののない)頭も、顔も日焼けしてしまった。

ワインとジャムを購入して土産にする。さあ、雨中だから安全運転で一気に名古屋まで走ることにしよう。

2024年5月11日 (土)

大引の鼻展望台から

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絶景に少しだけ恐怖を感じる場所であった。

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人が立ち寄れない、立ち寄るべきではない場所というのがある気がする。

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右手の道を上ってきた。このあたりはなだらか。

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もう少し引くとこういう景色。

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断崖の壁面が何か化け物のように見えてきた。

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何かの怨念がドロドロになって固まったように見てしまうのは私の心がそれを感じさせるのか。

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どうしたって何かが張り付いているようにしか見えない。

帰り道はくだりだから楽だった。

カエル岩から大引の鼻展望台

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おお、たしかにカエル岩だ。見方によっては大きな甲羅をしょった亀か。

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これだけ見ればまさにガマガエルのごとし。

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こんな看板があった。歩いて行けるようだがあまり遠くないと好いのだけれど。

これが感嘆するほどの絶景だった。

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美しい花の横から上り勾配の坂となる。膝が痛いときは階段より坂の方がつらくない。

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こんな坂道である。右側は断崖絶壁。怖いけれどのぞいてみる。

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迫力満点。

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海はあくまで青い。

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跡で教えてもらったが、この辺の岩や島は様々な年代の地層があり、地質の違いもあり、日本列島が大陸と分岐する前の古いものもあるのだそうだ。

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下をのぞき込むと吸い込まれそうだ。

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展望台に到着。一番高いところから。もう少し写真があるのでそれは次回に。

香住海岸へ走る

これは遡って七日の午後、城崎から峠越えして海岸に出て、香住に向かう途中の海の景色。

この日の午前中は雨模様であったが、ようやく空が明るく始めていた。ただ青空が見えていないしうっすら霞んでいたから、山陰の海の青さがわかりにくい。走りながら停められる何カ所かで写真を撮った。

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地図によると、香住港のすぐ手前にカエル岩というのがあったのでそこへ行ってみる。

2024年5月10日 (金)

ホルンフェルス大断層

朝、早めの朝食をとって、一気に山口県まで走ろうと思ったが、せめて日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)ぐらいには立ち寄ろうと思った。松江から宍道湖の北岸を走り、出雲へ向かう。宍道湖へ来るときはいつも雨か霧で、今日ほどきれいに見えたのは初めてだ。出雲大社の前を素通りして、海岸へ突き当たったら海岸沿いに断崖の上の道を走る。素晴らしい景色の道だ。

日御碕神社に参拝してから、元へ戻って西へひたすら走る。今回の目的地は須佐というところのホルンフェルス大断層だ。昨年道に迷ってたどり着けなかった。

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これがホルンフェルス大断層。

じつは今回もたどり着けなかった。どうも車でそばまで行く道はなさそうである。若いころにすぐそばまで行って断層に触った記憶があるが、山道を歩いて降りたらしい。これだけなんとか見られたからこれで良しとする。とにかく見事できれいな断層なのだ。

先ほど宿に着いた。ワイナリーで、温泉という珍しいところ。新しくてきれいだ。今晩は洋食でワインを戴くつもりである。

城崎以降の写真がだいぶ滞っているので、少しずつ順番に掲載するつもりである。

ところで突然アクセス数が激減した。何か不愉快なことを書いたのだろうか。自分では気がつかない。

城崎にて

志賀直哉が好きで、若いころ文庫で出ている作品は全て読んだ。十年ほど前に古本屋で志賀直哉全集を安く買えたので全て揃えた。ときどき読む。『城崎にて』は特に好きな小説で、だから城崎には思い入れがあるし、私の友人がこの城崎出身でもある。縁があるのだ。

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円山川の対岸を走る山陰本線。

このあと城崎温泉の中を通って峠越えをする。本当は川沿いに河口へ出て、日和山をぐるりと回り込む道の方が景色は良いのだが、あえて狭い道を行くのは、

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ここに立ち寄りたかったのである。

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志賀直哉が城崎温泉で療養のために滞在していたときの散歩道で、ここの桑の木が描写されている。たしかここにあるはずと思って訪ねた。

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ワキを流れる小川をのぞき込んだが、どうということはなかった。それでも満足した。

山中の狭い道を峠越えする。車にはまったく出会わない。

かなり走って、今回初めてはっきりとした日本海の景色を見た。

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右手は海水浴場になっているようだ。ちょっと左の方の穴が気になる。

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おお、立派な穴だ。このあとはひたすら山陰海岸の海の絶景を楽しみながら走った。

膝が悲鳴を上げている

 今日は石見銀山を歩きたいと思っていたが、丁寧に見て歩くとなると、五キロ以上歩くことになる。車の乗り入れは禁止されていて、歩くか自転車を借りるしかないのだ。昨日松江市内を九千歩あまり歩いたら、膝が悲鳴を上げて、最後はおじいさんのよちよち歩きみたいになった。天気が良すぎて日焼けしてしまい、顔もほてり、まるで発熱しているときみたいになった。早めに宿に引き上げてクールダウンした。

 

 今朝起きたらだいぶ恢復しているが、石見銀山を歩くのは明日にしようと思う。今日は車での移動をメインにする。かなり西まで走ろうと思う。昨年訪ねて道に迷い、ついに尋ね当てられなかった珍しい場所で、なんとかそれだけ見られれば今日は良しとする。また迷ったことを考えて、場所は行けたときに記すことにする。膝や足首の油が切れたみたいで、ギシギシ言い、右足の中指が格別痛む。どうなったのだろう。もし一日あまり歩かずにいても恢復が不十分なら、今晩予約している温泉で静養するしかないかもしれない。

2024年5月 9日 (木)

『食卓のつぶやき』

 旅のお供の一冊、池波正太郎『食卓のつぶやき』(朝日文庫)を読了した。食事の話をメインに、旅先の宿や美味しい店の話を書いている。食べ物や旅はそれに何かの出来事や親切なあしらいが伴って思い出となる。そういう話が満載の本である。この中の『二黒土星』という話が強く印象に残った。出会っていない女性について書いていて、それなのに胸を熱くさせる。これは是非読んでみて欲しい文章だ。

 

 池波正太郎の大ファンで、一時期は百五十冊ほど彼の本を棚にならべていた。いまはだいぶ処分してしまい、それでもお気に入りの五十冊ほどが残っている。彼は五十を過ぎてから縁があってフランスを中心にしたヨーロッパの旅に出かけるようになっていて、その旅や食べ物、その地の空気を感じさせる文章も収められている。彼は若いときから映画が大好きで、フランス映画もたくさん見ているから、その話も添えられていて、出会った人を俳優になぞらえたりするけれど、知らない人が多いのは残念である。

 

 これを読んでいたら、毎年海外旅行に行っていたときの私自身の旅のことがいろいろ鮮明に思い出されてなんだか涙ぐみそうになった。そのかけがえのない時間のことがどれほど自分に分かっていたのか、そういうことを強烈に思い返された。二度行くことがないだろう旅をどこまで深く受けて止めていたのだろうか。キューバでラム酒のカクテルを浴びるほど飲んで酩酊し、プールサイドの寝椅子で星空をF君と眺めながら語り合ったあの貴重な時間がどんなに宝物だったのか、そういうことがいろいろ思い出されたのだ。思い出というものを初めて知った気がした。

玄武洞

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玄武洞は玄武岩の溶岩が冷えて柱状節理になしているもの。日本にはこの柱状節理が見られるところが多いが、ここのは特に見事である。

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むかしはこの洞を掘って、玄武岩に多く含まれる鉱物や、石そのものを切り出していた。

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地殻変動のすさまじい圧力を実感することが出来る場所である。いまは崩れる危険があるので中には入れない。

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あとは撮った写真を眺め飛ばしてください。

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こちらは玄武洞の隣の青龍洞。

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玄武洞の成り立ちについて。

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いまにも降りそうな空。円山川の向こうはコウノトリと鞄で有名な豊岡市街になる。

このあと山陰海岸へ向かうのだが、城崎温泉の中を通り抜けて、ちょっと立ち寄りたいところがある。

松江にいる

 いま宍道湖湖畔の宿から霞む宍道湖を眺め下ろしている。昨日は境港の水木しげるロードを歩いた。思っていたよりはるかに数多くの妖怪たちがロードのこちら側とあちら側にいた。それぞれに小さなネームプレートがつけられているが、とても覚えきれるものではないし、一々名前を写真に撮っておくのも面倒だ。妖怪ガイドブック(五百円)を購入したので、写真とそれを突き合わせるしかないだろう。

 

 最初に鳥取県側の境港港から島根県側の出雲半島を結ぶ、高い高い境水道大橋を見上げて写真を撮っていたら、自転車ですぐ横にやってきた五十歳前後の女性が「ダンナさん500円ないかね?」 と声をかけてきた。こういうタカリにはむかしからときどき遭遇した。「ない!」とはっきり答えると、自転車に乗って行ってしまった。こういうやり方で何人かの心優しい人に恵んでもらって生きているのだろう。たぶん与えた金は酒にでも変わるはずだ。

 

 それがなんと一時間ほど後に水木しげるロードの一番端の水木しげる記念館の前で写真を撮っていたら、また同じ女性が声をかけてきた。周りに人がたくさんいるのに何で私なのだ。「さっき、ないといっただろう」と少しきつい声で言ったら、しまった、という顔をして自転車に乗って慌てて逃げていった。

 

 境港の印象に関わることだし、警察や観光係の人はそういうことをどう見ているのだろうか、と思った。500円を恵んでやれないことはないが、そういうことで味を占めるとどんどんエスカレートするもので、私は当人のためにも放置するべきではないと思う。海外で子供がすり寄ってきて哀れな眼で「マネーマネー」ということがあるが、私は一人にやれば周りの子も一斉に押しかけるのが分かっているから、無視することにしている。ちょっと心は騒ぐけれど・・・。

 今日は松江の街を歩くつもり。いささか膝と腰の痛みがつらくなって夜熟睡できなかった。それに夜、物音がいつまでもしていてそれも気になってイライラした。集団で泊まっているらしい若い男女たちの声のようであった。廊下の声は響く。部屋で静かに話せ、何を浮かれているのだ。

2024年5月 8日 (水)

玄武洞ミュージアム・化石

玄武洞ミュージアムの化石の展示品も見応えがある。写真を撮ったものを以下に載せる。

キャプションはつけないので眺め飛ばしてください。

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これも大きい。二階から撮った。

こんな生き物たちがのし歩いていた世界を想像する。生きた心地がしないだろう。

玄武洞ミュージアム・石

玄武洞ミュージアムは円山川のそばにある。

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ミュージアムの前から円山川を望む。右手が河口。城崎温泉は対岸の奥で、ここから近い。玄武洞にはずいぶん久しぶりに来た。初めて来た前回から十年以上経っているだろうか。ここのミュージアムの鉱物や岩石の展示物を眺めるのを楽しみにしていた。糸魚川のフォッサミュージアムとここと、展示品が素晴らしい。

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菊化石。

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館内の様子。これでほんの一部。一つ一つ見ていると時間の経つのを忘れる。欲しいわけではない。

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変わったもののひとつ。たしか呼吸にこの石を使った豚肉の彫刻があった。このミュージアムにもステーキが展示されていた。

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皆ケースに入っているので少し霞んで写ってしまう。

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説明カードを読んでもらうことにしてキャプションはつけない。

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特に目を引いたものを載せた。

ここには別に化石の見事なものが展示されているので次回はそれを紹介する。

紅ズワイガニ+アワビ+ノドクロ

 いま山陰の加美町の香住というところの小さな民宿にいる。香住といえばズワイガニで、冬のシーズンはカニを食べに来る人が多い。街全体が「カニ」「カニ」という雰囲気である。もちろんいまはシーズンオフだし連休明けだから静かで、泊まっている宿も宿泊者は私一人である。

 

 宿代はカニコースだと二万円近いが、私はアワビノドクロ丼コースなのでずっと安い。カニは城崎で何度も食べているので、わざわざ冷凍物をこの時期に食べるつもりはない。夕食の席に着いたら、紅ズワイガニを半身分ほど切り分けたのを供された。それを見て香住鶴という地酒を頼んだ。友人たちと城崎でカニを食べるときはいつもこの香住鶴だ。これだけ飲むとどうということのない酒に感じるのに、カニを食べながら飲むとたちまち美酒に感じる。身体がそのように反応する。この程度でカニは満足。

 

 アワビノドクロ丼は、アワビとノドクロのあぶったのを一口大に刻んで丼の上に参ったかというほど乗せてあり、大葉と海苔がたっぷり散らしてある。そこにわさびを醤油で溶いたのを振りまいてワシワシと食べる。まことに美味い。これで満足である。この宿は二度目で前回もこれを食べた。

 

 香住は山陰海岸国立公園のちょうど真ん中にあたる。そしてこの山陰海岸は国際ジオパークに認定されていて、一帯を山陰ジオパークという。昨日は香住港の近くの『加美町立ジオパークと海の文化館』というところに立ち寄った。ここは一階と二階に地質、歴史、文化などのテーマごとに様々な展示品があって、それで無料なのがうれしい。案内のお姉さんがとても丁寧に説明してくれた。窓口の係だけど別に切符を売るわけではないので私を案内していても差し支えないのだ。ほかのお客さんも来ているのに「いらっしゃい」と声をかけるだけでほったらかしで、長々と熱心に説明してくれて恐縮した。教えてくれた見所を後で見に行った、その辺はまた順次説明する。 

 

 お姉さんに海から見える景色の写真による説明を聞いていたら、舟で見たくなった。乗り合いの遊覧船はないが、かすみ海上ジオタクシーというのがあって、電話予約して乗ることが出来るという。数人乗りでコースがいろいろあり、三千円から六千円だそうだ。案内のパンフレットをもらう。とはいえ今日は雨、これでは景色も見えないし、海も荒れるだろう。残念だが次の機会にする。兄弟で来てもいい。

 

 次回は元に戻って、大江山の後に行った豊岡の玄武洞と玄武洞ミュージアムを紹介する。石好き、鉱物好き、地質好きにはたまらない見所である。

 ああそうだ、忘れていたが今日は私の七十四回目の誕生日だ。今晩は、松江でそれをささやかに祝すつもりである。

2024年5月 7日 (火)

鬼に会えず

朝、六時半過ぎに出発。もっとゆっくりでも好いのだが、それを過ぎると名神への道が混むから、支度が出来たので躊躇なく雨の中を飛び出した。名古屋は本降りの雨。駐車場に行くまでにぬれてしまった。

名神高速からの景色は雨に煙って何も見えず。伊吹山も姿を見せない。米原あたりで小やみになり、これで上がるのかと思ったら、北陸道も雨。トラックが多いから水煙を浴びるのが気持ちが悪い。敦賀で舞鶴若狭道へ移る。綾部で京都縦貫へ。雨でスピードは出せないが、愛知、岐阜、滋賀、京都と順調に走り抜く。宮津天橋立で自動車道路を降りる。目的地は大江山の酒呑童子のところだ。『日本の鬼の交流博物館』というのがあるのを地図で発見したのだ。鬼については興味があり、いろいろ鬼の本を読んできた。何か新しい知見が得られるかもしれないと楽しみにしていたのだ。

ところどころセンターラインのない細い山道をどんどん登る。思ったより遠い。

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ようやく到着。まず山伏たちがお出迎え。

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これは酒呑童子を退治しに来た源頼光とその家来たちである。その話は前に紹介した。

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こんな鬼や

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こんな鬼も出迎える。どうも期待していたイメージと違う。

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入り口。なんか様子が怪しい。

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休館日は月曜だと調べてきたのに、祝祭日の翌日も休館だというのだ。うっかりした。

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ここの売りである巨大な鬼瓦。本当に大きい。焼くのが大変だっただろう。

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周辺をうろうろして目についたもの。浦島太郎が亀に乗っているのだろうか。それにしてはじいさんだし、亀も鬼のような顔をしている。こういうのを見るのは嫌いではない。

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鬼瓦職人の作品。

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子供たちの作った鬼。

どうもここは鬼よりも鬼瓦を見せるところのようだ。これではもう一度来る気になれない。

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花に慰められて山を下りる。今度は玄武洞を見に行く。

『不思議の国の数学者』

 『不思議の国の数学者』は2022年の韓国映画。脱北者で、天才数学者であることを隠して名門高校の用務員として働くイ・ハクソン(チェ・ミンシクが名演)と挫折寸前の高校生ハン・ジウの年齢も立場もまるで違う二人の男の友情の物語だ。

 

 この映画を見終わって、『セント・オブ・ウーマン』という映画を思い出した。この映画の主演を演じたアル・パチーノはアカデミー賞の主演男優賞を獲得している。忘れがたい感動の映画である。主人公は頑固で偏屈でしかも盲目の退役軍人、名門高校の高校生がその老人の世話をするというアルバイトをすることになり、苦労しながら真摯に相対していくことで、互いを理解し合い、友情が築かれていく。この映画のクライマックスは、その名門高校での主人公の名演説である。その心を打つ一言一言が素晴らしいのである。アル・パチーノだから出来る演技だったと思っている。

 

 そしてこの『不思議の国の数学者』も名門高校で、皆が知る用務員がじつは天才数学者であると知り、そこで自ら登壇した主人公が壇上から演説するのである。それは友人である高校生のための心からの演説で、やはり名優チェ・ミンシクはこちらの心を打つのである。

 

 これは形を少し変えたリメイクなのだろうか、この映画は特にそういう紹介のされ方はしていないようだ。私が知らないだけなのか。映画人や映画に興味のあるくらいの人なら『セント・オブ・ウーマン』を知らないはずはないと思うが。

 

 それはとにかく、脱北者の韓国での差別的生活などのテーマも添えられて、見応えのある大変良い映画だと思う。孤独からの脱出のエネルギー供給が他者の危難の救済が手がかりだなんて、こんな映画的なドラマチックなことはないのである。

今頃は

 ときどき森進一の曲が沁みるときがある。森進一本人が好きだというわけではないが、むかし若いころに付き合っていた女性が森進一の良さを教えてくれて、森進一の歌をときどき聴く。『冬のリヴィエラ』なんて、なんとなく男に都合の良い、気配りの過ぎるくらいの女も出てくるではないか。孤独の思いがつのり、人恋しくなったときほどそういう女を置いて旅に出てしまう男の気持ちがなんとなく分かったりする。残念ながらそんな女は近くにいないが。

 

 このブログがアップされる今頃は、すでに私は車で走っていて、もしかするともう米原を過ぎて北陸道に乗っているかもしれない。雨の日本海を横目で見て走ることになりそうだ。それも好いではないか。今日は鬼に会いに行く。

2024年5月 6日 (月)

『隋唐演義 三』

 『随唐演義』の第三巻、『太宗李世民』を読了した。明日から出かけるので全五巻を読み終えたかったけれど、映画も次々に見ていたので第三巻までしか読めなかった。残りは旅のお供にしようと思う。

 

 この巻ではついに隋の煬帝が死ぬ。亡国のときのお決まりで、殉ずるものも殆どなく、攻めてきた外敵ではなく裏切りで殺される。このあと李蜜の魏、竇建徳の夏、王世充の鄭、そして李淵の唐が各地で林立し、そこへ雌伏していた英雄豪傑たちがそれぞれの義理や野望を元に離合集散していく。李世民は高祖李淵の次男であり、やがて彼の率いる唐軍が次第に頭角を現していく。それぞれに人物的に問題のある王の国は取り巻きにも人材を欠き、それに比べて李世民の唐には廉潔で優秀な人物が蝟集していた。こうしてやがて唐が中国の再統一を果たしていくのである。

 

 いささか史実とは違う部分もあるのはこういう『演義』ではいつものことで、途中で性格付けをしてしまうとそれに史実の方が引っ張られてしまうのだ。面白ければまあ良いか。

『THE WITCH/魔女-増殖-』

 『THE WITCH/魔女-増殖-』は2022年の韓国映画、『THE WITCH/魔女』の続編である。続編ではあるが主人公が替わっている。続編となれば前作を越えないと二番煎じになってしまうから、その能力はエスカレートしたものになっている。ラストにその能力が爆発的に発揮されるのだが、倒された敵よりもさらにその上をいくらしい謎の集団を出現させて終わるから、さらに続編を作るつもりなのだろう。これではドラゴンボールみたいだ。この続編が出ても、もう見なくていいかな、という気もする。だんだんマーベルコミック風になると、いくら素晴らしい特撮を使ってもアメージングがなくなるのだ。

 

 世の中を知らない不思議な少女として出現する主人公が、世間知らずだからと、やたらにがさつな様子を見せるのは、どうも好きになれない。品がないのは見ていて気持ちのいいものではない。ちょっとだけネタばらしになるけれど、最後近くに前作の主人公が少しだけ登場する。今度は数で勝負だろうか。そうなるとますますマーベルコミックだ。

 

 面白かったけれど、あまり書くことがない。

他人の気持ち

 例年ゴールデンウイークは天気が悪い日が案外多い。それが今年は天気がよい日が続いたのは子供たちにはさいわいだった。ゴールデンウイークの後に好天が続き、どんどん暑くなり、梅雨入りあたりになると急に気温が下がるものだと経験で記憶しているのだが、どうもそういう記憶とは違うようになってきているようだ。たぶん季節が少しずれてきているのではないかと思う。真夏の期間が長くなり、梅雨が前倒し気味になり、ゴールデンウイーク後にすでに梅雨の走りが始まるということになりつつあるのかもしれない。

 

 こんなことをだらだら書くのは、そのゴールデンウイーク後の好天を期待して、出かける予定を立てていたのが雨に降られそうだからだ。

 

 どちらかといえば前向きな性格のつもりであったが、歳のせいか次第に未来よりも過去に意識が向くことが多くなった。それだけ自分の積み重ねた過去の記憶の厚みが重さになっているのだろう。夜、寝床で、過去の自分にとって大きな出来事などについて考えたりする。その時に同じ場所にいた人はどう感じてどのように考えていてたのだろうか。そんなことは今まで考えたことがなかった。同じ場所にいた体験なら、自分と同じように感じたはずと思い込んでいた。それが思い込みであるらしいと今頃気がついている。

 

 自分と他人とは違う。同じ経験が全く違う経験として記憶されていることもあるのだ。

 

 子供だって私自身ではない、他人である。子供たちの見ていた世界と私の見ていた世界は違うのかもしれない。いや、違うはずなのだ。そのことを思いやれていたのだろうか、と考えると忸怩たる思いがする。どうせ父親は分かってくれないとあきらめて、子供たちは自力で成長していった。それは彼らの手柄で、とてもありがたいことだったのだと今頃になって感じている。かなりきわどい崖っぷちにいたのに父親は何も気がつかずに脳天気に飲んだくれていた。

 

 運が良い人生を生きてきた気がした。もう大丈夫と安心したら安眠できた。

2024年5月 5日 (日)

塵も積もれば

 やらなければならない小事を放置しておくと、それがいくつもたまりだして次第に中事になったりする。放置しても勝手に片付くものというのはたしかにある。しかしそうではないものもあるのだ。やがて塵も積もれば山となる。中事がたまれば当然のことに大事になるのだ。ゴミ屋敷を見なくたって、誰にも分かることである。

 

 日本中のあちこちで、インフラが老朽化によって痛んでしまい、収拾がつかなくなっているというニュースを繰り返し見せられている。予算がないから対処が困難だという。大事になってから対処しようとすれば困難になることは、誰にでも分かる。対処できるときに少しでもしておけばよかったことを怠ってきた結果ではないかと思うことも多い。

 

 ゴミ屋敷はいまは自治体が仕方なく片付けたりしてくれることがあるようだが、その自治体が、老朽化してどうしようもなくなった水道管や橋や道路を取り替えたり架け替えたり修理したりすることが出来なくなっているという。自治体が出来なくて誰が改修するというのだ。いま一億円で済むことが、五年後には五億になり、それは雪だるまが転がるように膨らんで、ついには手がつけられなくなる。それなのに、いまはその一億円すらないというのだから。今さらその責任を問うても、出来ないものは出来ないのであって、それを問うのを正義だと勘違いしているマスコミにはうんざりする。

 

 先送りしてきたことの付けが膨らんでいるのだ。誰もがしなければならないと思いながら、分かっていて放置し続けた結果、日本そのものがゴミ屋敷になりつつある。金が必要なら誰かが金を払うしかないだろう。その覚悟がないのに正義を語るな。これから次第に税金は高くなるだろう。年金は減り続けるだろう。生活はますます苦しくなるだろう。そういう時代が当分続く。それが当たり前になる。すでに日本人は金の卵を産む鶏を食べてしまった。打ち出の小槌は耐用年数を過ぎて何も生み出さない。衰退とはこういうことを言うのか。なんだか御殿にいる夢が覚めて、あばら屋にいる心地がする。とはいえそれが現実なら、そこで生きる生きようもあるだろう。

『THE WITCH /魔女』

 『THE WITCH /魔女』は2018年の韓国映画。マッドサイエンティストの組織による遺伝子操作らしきもので子供たちが改変させられ、超絶戦闘能力を付与される。その中の特に卓絶した能力を持つと期待された九歳の少女が施設を脱走し、と言うプロローグがあり、行方不明となって十年あまり、まったく消息不明だった少女がその隠れた能力を持って再び世に現れて・・・と言う物語。

 

 超能力や超絶した力を持つ存在というのはSFではしばしばテーマになるが、その能力を持つが故の苦悩というのが描かれていって、うらやましい特別な能力によって差別されるという、差別のテーマを語るものになりやすいが、この映画ではそういう面倒なものを突き抜けている。その超小女ジャユンが、当たり前の少女から次第に変貌していく姿をキム・ダミが怪演している。その振れ幅はなかなか演じきれるものではないが、恐ろしいほど様になっていて、韓国映画のレベルの高さを感じさせる。

 

 少女がその能力を真に発揮したとき、そこには凄惨な地獄絵が現出する。スプラッターシーンは特に韓国映画の得意とするところだ。続編がある。『THE WITCH/魔女・増殖』という2022年の映画で、こちらも大ヒットしたらしい。録画してあるので今日明日にでも見るつもりだ。

『随唐演義 二』

 田中芳樹『隋唐演義』の第二巻を読了した。副題は『隋の煬帝』である。煬帝は「ようだい」と読むので念のため。「ようてい」と読んだらいいのにどうしてか。昔からそう読んでいるというだけで理由ははっきりしないという。ところで「隋」について、前回の『隋唐演義』第一巻の紹介のときに『随唐演義』になっていた。今回のブログを書き始めてそう変換しているのに気がついた。それでもしやと思い、見直したら「随」だらけである。ときどき「隋」である。どうして気がつかなかったのだろう、思い込んでいると間違いに気がつけないのだ。もちろん直しておいたが、恥ずかしいことであった。気がつかない間違いは山のようにあるのだろう。念のため、だいぶ前の宮崎市定の『隋の煬帝』を紹介したときの記事を見たけれど、こちらは正しく「隋」であった。

 

 この巻の半分は、隋の宮廷の豪華絢爛たる様子、特に多くの美女たちが妍を競う様が延々と描かれていく。煬帝や美女たちの思いつきで莫大な浪費が行われ、それに関わる宦官や廷臣たちの懐にはそれに伴って大金が転がり込み、腐敗と浪費が庶民を苦しめ、反乱軍や盗賊が各地で跋扈するが、煬帝の耳には入らない。大運河の建設で税金や労役の強要があり、さらに高麗との戦役で莫大な戦費と徴兵が行われていく。

 

 当然雌伏していた英雄豪傑たちは、それぞれの大義の下に自分の出来ることを始めて、それが次第に渦として集まり始める。隋を倒し、唐を起こすに至る歴史が動き出すのは、次の第三巻になる。

2024年5月 4日 (土)

『リボルバー・リリー』

 映画『リボルバー・リリー』は2023年の日本映画。主演は綾瀬はるかである。何作か彼女の出ているアクションの多い映画を見たが、彼女はアクション女優としても一流だと思う。たぶん本人も好きなのではないかと思う。ただ、こういう映画ではあまりに不死身すぎるといくら何でも・・・と思ってしまう。ほどほどにして欲しいが、綾瀬はるかだからまあ好いか。

 

 この映画は日本映画にしては台詞が聴きやすかった。あまり好きではない阿部サダヲが山本五十六役で出ていたけれど、それほどひどいエキセントリックな演技がなかったので可とする。佐藤二朗が代わりにそういう過剰演技を(彼としては)ほどほどにしていたので楽しめた。

 

 なお、映画としては楽しめたのだが、その前にタランティーノの映画を見たばかりなので、そのハイテンションさと比べるとやや見劣りがしてしまうのは仕方がないところか。理由はたぶんリアリティの問題よりも間の問題のような気がする。ほんのちょっとずつ冗長な気がしてしまうのだ。俳優のレベルの違いもあるのだろうか。もっと切り詰めてほしいものだ。

『異次元が漏れる』

 『異次元が漏れる』は朝日出版社のレクチャーブックシリーズの一冊で、『偶然論講義』と銘うたれている。秋山さと子と尾辻克彦の対談である。秋山さと子はユング派の心理学者。著作も多く、心理学に興味のある人との対談も多くて、そのうちの何冊かを読んだことがある。伊丹十三とも対談していたような記憶があるが、たしかではない。尾辻克彦は別名が赤瀬川源平で、赤瀬川源平として絵画、イラスト、前衛的な美術活動で知られ、若いころにそのグループの展覧会を見に行ったこともある。尾辻克彦としてはエッセーや小説家として知られ、『父が消えた』という作品で芥川賞をとっている。

 

 赤瀬川源平については私が学生時代に『朝日ジャーナル』や『現代の眼』という雑誌に『櫻画報』というコーナーをもっていて、イラストエッセーのような時評が面白く、探しては眺めたものだ。その独特の世界観は自分の常識の枠を打ち破ってくれるところがあった。

 

 ユング心理学は夢について分析して解釈するのを得意とする。フロイトの系譜を継いでいるが、かなり別の流れにいるといえる。この本の中でも秋山さと子が語っているように、夢を解釈するということは、夢をその内容を材料に物語を紡ぐということでもあり、その解釈が正しいとか正しくないということをいうことは出来ない。では無意味かといえば、その物語を紡ぐということ、それをなるほどと思うことそのことにこそ意味が生ずる。原因が結果とは限らず、結果が原因とみることも出来る、という内宇宙と外宇宙の関係みたいなものとも考えられる。何を言っているのかわかりにくいだろうが、そういうのがユング心理学なのだ。

 

 だから偶然というものが確率よりも高い頻度で起こったり、それが重ねて起こるということに科学的な意味は見いだせなくても、じつは何か人間には知り得ない異次元との交錯が作用しているのではないか、というのがユングの考えなのだ(と私が勝手に解釈している)。

 

 こういう本は気をつけないと頭の働き方がおかしな方向によじれていってしまうので気をつける必要がある。残念なことに私はこういう本が面白く読めてしまう。ちょっとねじれているのだろう。だから朝のような夢を見る。

どうしてこの人が

 この頃安眠できていたのに、今朝は三時過ぎに目が覚めてしまって、眠れなくなり、そのまま起きてテレビを見たり本を読んだりしていたが、夜が明けてから眠くなり、横になったらぐっすり寝入ってしまった。

 

 同期入社で重役にまでなった男がいて、その男・Tが夢に出てきた。仕事上での縁は当然あったけれど、親しいということはなかった。はっきり言えばあまり相性が良いとはいえなかった。だから彼が夢になど出てくるのはたぶん初めてであろう。社内旅行だろうか、観光バスに大勢知り合いが乗っていて、そのバスが休憩のために大きな施設にとまった。私はその旅行の幹事らしい。そこで例の男Tから大事なものを借りるのだが、それが行方不明になってしまう。返すために探し回って汗だくになり、ようやく見つけたそれは汚れていた。それを洗って返そうとして洗う場所を探したりしているうちにバスの出発時間を過ぎてしまう。どうやら佐渡へ行くらしい。フェリーの時間に間に合わない・・・などと言うところで目が覚めた。

 

 F君もいたし、一緒に海外旅行に行くYさんもいた。F君はすでに亡くなっているし、Tもじつは故人である。どうして殆ど忘れかけていた故人のTが夢に出てきたのか分からない。探し回った場所が、体調が悪いときに見る夢で出てくることのよくあるところに似ているので、あまり気持ちの良い夢ではなかった。

 

 昨晩、弟が月末に兄弟で佐渡へ行くスケジュールについて電話で問い合わせてきた。それが夢の断片になっているのは間違いないが、その弟は夢には登場していなかった。

 

 もうすぐ読み終わるレクチャーブックスシリーズの一冊である『異次元が漏れる』と言う本は、ユング心理学に関連していて、偶然や夢についての話などがテーマである。その影響が大いにあったかもしれない。

2024年5月 3日 (金)

与えられた自己像

 フロムの『悪について』からもう一つだけ引用する。あちこちに付箋をつけたけれど、切りがないのでこれを最後にする。この部分はナチズムやアメリカ南部の人種差別を想定して語っているのだけれど、現代のある国の状況のことを語っているように読めてしまう。

 

 これまで論究していない集団ナルチシズムの社会的機能がもう一つある。その構成要因の多くに満足を与えないような社会は、成因に存在する不満を除去するために、悪性型のナルチスティックな満足感を彼らに与えなければならない。経済的・文化的に貧困な人々にとっては、その集団に帰属するために生まれるナルチスティックな誇りこそが、唯一の・・・そしてそれは非常に効果的なことが多い・・・満足感なのである。人生が面白くなくまた興味を持ちうる期待がないからこそ、彼らには強いナルチシズムが発達してくるのである。最近におけるこの現象のよき例は、ヒットラーのドイツに見られたし、現在のアメリカ南部に見られる人種問題のナルチシズムにもそれが見られる。両者とも人種的優越感の核は中産下層階級であったし、現代でもそのことは同じである。この後進階級は・・・アメリカ南部でもドイツでも、経済的にも文化的にも被搾取階級であるが・・・その状況を変化しうるような現実的希望は全くないために(彼らは社会の老化形態、退化形態の遺物であるために)唯一の満足しかもちえないのである。即ち我々は世界で最優秀の種族であり、列島種族と考えられるほかの種族よりは優秀であるという慢心から生まれた自己像である。こういう後進集団の成因はつぎのように感じている。「私は貧乏で教養はなくとも、世界で一番立派な集団に属しているから重要な存在である。つまり私は白人なのだ」とか「私は(ユダヤ人ではなく)アーリア人だ」と。

 

 某トランプを歓呼して迎える人々が私には見えてしまうのだけれど・・・。または韓国や北朝鮮か。いやいや、これは他人事ではなくて、日本だって似たような例をいくらでも見ることが出来るだろう。

 

雑用をする

 来週、連休明けに山陰方面に行く予定を立てているけれど、予報では雨模様であり、残念だ。晴れ男を自認していたが、この頃は出かけるとなると雨の予報で、かろうじて傘を差さずに済む程度しか晴れ男の効力がなくなったのは残念である。写真が撮れないではないか。

 

 今日は朝から渋滞の様子が報じられている。大変だなあ、と他人事でいえるのが性格の悪いところだ。怠け者の節季働きで、映画も見たいし本も読みたいのに雑用をしている。ささやかなところでは、取れかけたシャツのボタン付け。針に糸を通すまでが難題であるが、白内障の手術をしたおかげであろうか、以前より少し早く針穴に糸を通すことに成功した。昨日、ざっと裁縫箱のある床の間あたりを片付けたので、裁縫箱をまず探す、という一手間が省けたのはさいわいである。ただ散らかっていたチラシ類や様々な物をこれから整理して片付けなければ床の間周辺を片付けたことにならない。

 

 空気清浄機を二台常時運転しているが、ダイキン製はフィルターを交換する必要がある。空気がきれいなら一年以上保つが、今回は半年くらいで「交換せよ」との命令が出た。このフィルター交換が不器用な私には大事(おおごと)なのである。単純な構造だからこそ交換がしにくいというところがある。なんとか交換し、中を掃除機できれいにしてぬれタオルで拭き取って完了。また元気に働いてくれている。

 

 つぎに、外したままになっていた障子を分解する作業をする。むかしは畳敷きの日本間があったが、リビングと床を揃えてぶち抜きのフローリングにしてしまったので、障子は無用の長物で、すでに紙はなく、桟も所々折れたりなくなったりしていてみっともない。外してあったのをいつまでもそのままにしてあった。久しぶりにのこぎりを出して、ゴミ袋に入る程度に分解した。のこぎりを何十年も使わずにいたから大汗をかいた。のこぎりくずを掃除機できれいにして疲労困憊。一息入れてこれから昼食にする。

 

 午後は床の間周辺に広がっている様々なものを半分にするつもりだ。残りの半分は処分する。これで午後いっぱいかかりそうだ。

『ヘイトフル・エイト』

 『ヘイトフル・エイト』は2015年のアメリカ映画。監督・脚本・ナレーションはクエンティン・タランティーノ。エンドクレジットも入れて167分の長尺の西部劇である。猛吹雪に閉じ込められた八人がタランティーノ独特の延々とした台詞をしゃべりたおし、緊張感が次第に高まっていく。そして凄惨な殺し合いが始まる。

 

 サミュエル・L・ジャクソン、カート・ラッセル、マイケル・マドセン、ティム・ロスなどの癖のある名優たちが登場するだけでもわくわくする。映画では思い切り差別用語や猥語が頻出するのがかえって痛快である。そんなこと、タランティーノは気にしないのだ。カート・ラッセルは『ニューヨーク1997』以来大好きな俳優で、彼が出ているだけで駄作でも満足出来るくらいだ。ひげ面で誰だか分からなかったが、あの眼を見たのですぐ彼だと分かった。サミュエル・L・ジャクソンが凄腕の賞金稼ぎとしてメインを務めている。同じく賞金稼ぎのジョン・ルース(カート・ラッセル)が捕まえて護送中のデイジー・ドメルク(ジェニファー・ジェイソン・リー、絶品)という一万ドルの賞金首の女強盗が物語の中心になって展開していく。

 

 タランティーノ・テイストがお好みならお勧めの西部劇映画だ。ただし、あまり残酷なもの、下品で汚らしいものは苦手だ、という方は遠慮された方がよかろう。そういうものが満載の痛快映画である。

2024年5月 2日 (木)

立腹

 フロムの『悪について』の中の以下の文章に、苦笑いさせられた。

 

 ナルチシズムのより一層危険な病理的要素としては、ナルチスティックにカセクシス(あとで説明・引用者)した立場の批判に対する情緒的反応にそれを見ることが出来る。正常の場合、自分の言動が批判されても、その批判が公平で悪意がなければ腹を立てない。ところがナルチスティックな人は、自分が批判されるとひじょうに立腹する。自分のナルナルチスティックな性質のため、その批判が正しいと想像も出来ず、悪意ある攻撃だととりがちである。ナルチスティックな人は世界と関係を持たず、その結果ひとりぼっちで、そのため物事に驚きやすいということを念頭に入れると(訳文のまま・本来は「置く」であろう)、はじめて彼の怒りの激しさはよく理解できるのである。彼のナルチスティックな己惚れによって代償されるのは、正にこの孤独感と恐怖である。彼即ち世界で「あれば」、彼を驚かしうる外界は存在しない。それ故彼のナルチシズムが傷つくと、彼は自分の全存在が脅迫されているように感じる。彼の驚愕と己惚れから身を守るものが脅かされると、それに対する恐怖が出現し、やがて激しい憤りとなってあらわれる。

 

*カセクシス:心的エネルギー(感情や関心)がある特定の観念や人物に向けられること。フロイトの説ではリビドーが身体に流れ出た状態。
*リビドー:精神分析で人間の全ての基底となる心的エネルギー。

 

 何のことやらわかりにくいかもしれないが、精神分析学ではこのような用語が頻出する。しばしば性的なことばが当たり前のように使われたりもするので、馴れないと驚くかもしれない。それはともかく、私が苦笑いしたのは、批判に対しての私の度量のなさというか、感情に流された反応を起こしやすいことを思うからだ。ただ、言い訳をさせてもらえれば、批判が「公平で悪意がな」ければ、私も、なるほど、とその批判を受け入れることが出来るつもりであって、誤解であろうとはおもえても、自分の意図とはまるで違う受け取り方をされると心が波立ってしまうのである。

 

 ただ反応が激しい所があるのはフロムの指摘する性格の故かとも思うので、いささか反省させられた。

『本能のジュークボックス』

 少しずつ読み進めていたレクチャーブックスシリーズの一冊、『本能のジュークボックス』をようやく読み終えた。『動物行動学講義』と題しての、生物学者の日高敏隆と作家の戸川幸夫との対談講義である。日高敏隆は昆虫の生態学が専門だが、それにとどまらず動物全般、さらに人間学についても考察を重ねていて、エッセイを何冊か興味深く読んだことがある。戸川幸夫は日本のジャック・ロンドンといわれたこともある動物文学の作家で、佐賀生まれだが東北大学で動物学を学ぶため、山形高校(現在の山形大学)に進学した。ある意味で私の先輩になるともいえるが、体調を崩して中退している。直木賞を取った『高安犬物語』など、おおむかしに何作か作品を読んだことがある。

 

 動物の行動は本能だけによるものなのか、環境の影響がどれほどあるのか、そういう研究の面白さ、バラエティが、この本が出版された1979年の時点でこれほどあるのだから、現在はもっと進んでいるのではないか。知らなかったことがさらりと、そして次々に情報交換されていて、二人がこの対談を心から楽しんでいることが分かる。とても面白い。

 

 思うにこのような一般人向けに最先端の研究をわかりやすく知らせてくれる本が、このレクチャーブックスシリーズが出版されていた1970~1980年頃にはたくさんあったように思うが、現代はどうなのだろうか。多くの人が月刊誌『NEWTON』や『サイエンス』を買って読む時代があった。いまはどうなのだろう。知的好奇心の衰退、科学への興味の衰退が起きていなければ好いのだが。もったいないことである。

数日ぶりに映画

 本がよく読めている。本を集中して読めているときは映画を見たいという気持ちが低下するようだ。しばらく映画を見ないでいると録画がたまってしまう。ずいぶん録画するものを絞ったつもりでもたまる。あふれさせないためには、録画をやめるか録画したものを見て消化するしかない。気持ちの上では一日二本くらいは見たいと思っているのだが。

 

 そういうわけで昨晩数日ぶりに映画を見た。『ミッションインポッシブル/デッドレコニング』というシリーズ最新作、第七作目だそうだ。164分という長い映画だが、面白いから長さを感じることなく最後まであっという間であった。どうでもいい緩んだ部分があると映画は長く感じるものだが、そういう所がないのはさすがだ。ただ、高速で走る列車の上での格闘シーンなど、アクションがいつか見たことのあるものが多くて目新しさが欠けているのはそういうアイデアがもう出尽くしてしまったのだろうか。ハラハラドキドキ感がいつもほどなかった。それは映画のせいか私の感度の低下によるものか。

 

 トム・クルーズも年をとった。ちょっと切れが悪くなったかもしれない。この人は歳とともに渋みが増すというタイプではないから、切れが悪くなると魅力が低下してしまう気がする。世界の危機を招く事態を阻止するという任務はいつも通りだが、その危機に新味がある。その危機は空想ではなく現実に進行しつつある気がしている。それを説明するとネタバレになるからやめておく。こんなに長いのに、物語は完結していないし宿敵もまだ逃げ延びている。続編必至である。面白かったけれどなんか宙ぶらりんだなあ。

2024年5月 1日 (水)

『隋唐演義』

 田中芳樹の『隋唐演義』全五巻(徳間書店)を読み始めた。田中芳樹の本は一時期手当たり次第に読んだが、もちろんその端緒は『銀河英雄伝』である。夢中で読んだ。アニメも古いものと新しく作り直されたものの両方見ている。いまでも登場人物の名前を覚えているくらいだ。SFだけでなく、中国のものも多い。いまでも手許に残しているのはこの『隋唐演義』と、『岳飛伝』全四巻のみで、『楊家将演義』も購入したが、『銀河英雄伝説』全巻とともに処分してしまったのが惜しまれる。

 

 『岳飛伝』で岳飛のことを知り、中国の判官贔屓はこの岳飛であることを知った。杭州の西湖のほとりには岳飛廟があり、敵役の秦檜夫婦の縛られた像が置かれている。むかしはつばを吐きかけられるのは軽い方で、小便をかけるものもあったというからすさまじい。日本ならさしずめ敵役は梶原景時あたりだろうが、そこまで憎まれてはいない。国民性の違いだろうか。

 

 この『隋唐演義』と『岳飛伝』を群馬の友人を訪ねるときの手土産にしようと思っている。友人もこういう本が好きなのだ。行くのはそれらが読み終えた六月以降ということになるだろう。その前にもう一度読み直そうというわけである。

 

 本日『隋唐演義』の第一巻、『群雄雌伏』の巻を読み終えた。演義であるから歴史小説ではなく、英雄豪傑の物語である。まず晋以後の、麻のごとく乱れて多くの国の興亡があった南北朝の時代をさらりと説明して、隋が再び統一を成し遂げていく経緯が語られる。そして隋の煬帝が誕生する。その煬帝は奢侈に溺れ、世の中が乱れ始めるととも、数多くの英雄豪傑がうごめき出す。第一巻は隋の国の説明と、各地にいた英雄豪傑たちが渦に巻き込まれるように次第に集まり出す経緯が説明されていく。その英雄も時代の波に翻弄され、単純にのし上がれずに紆余曲折の生き方をたどる。

 

 帯には第一シーズン全五巻と銘打たれていて、第二シーズンを想定していたらしいが、調べたら第五巻は楊貴妃のあたりの唐の時代で終わっていて、それ以後の唐の時代について書くはずが、構想だけで終わったようだ。一気に読み進めていくつもりだ。

保たせる

 今日は昼前に歯医者の検診。右下奥歯がかなりボロボロで、詰め物をしてもらっているが、その歯が割れてしまい、ものが挟まって困っていたのでよく診てもらった。「今のところ丁寧に磨いているので化膿もせずに歯はちゃんと生きています。化膿したら抜くしかありませんが、生きているあいだは大事に生かし続けましょう」と歯科医師に言われる。

 

 そのあと歯石を取り、歯のあいだをきれいにして今日の処置は終わり。「殆ど歯石もなく、磨き方がとてもよくなっています」と褒められる。もっと若いときから丁寧に歯を磨き続けていれば、そもそも歯医者に通う必要もなかったのだろうが、後悔しても始まらない。たしかに歯を磨く時間は前より倍くらいかけるようにして、朝と晩だけ(ときどき昼)でも丁寧に磨いているので、褒められるとうれしい。

 

 行きも帰りも傘を差さないとならないほどの雨だった。帰りにちょっと買い物をして帰る。昼飯が少し遅くなった。

訃報

 朝からどんよりとした曇り空である。本日のこの地方の天気予報は局によって違うのが面白い。昼前に歯医者の予約があるが、傘が必要か否か気になる。近い所だし、降ったら傘を差せばいいだけなのであるが・・・。

 

 星野富弘の訃報を見た。群馬県に友人がいるので、年に一、二度会食する。その前後に赤城の北側の老神温泉に泊まることが多い。母が好んで泊まる温泉だったので何度か泊まり、そのまま度々行く鳴子温泉と同様行きつけの温泉になっている。その時に足を伸ばして尾瀬の近くを歩いたり、金精峠を越えて日光へ行くことも多い。帰り道は日光からわたらせ街道を走る。快適に走れる道で景色も良いので好きな道である。途中の足尾は銅山で有名だったが、閉山してからの衰退を十年以上ウオッチもしている。その途中に星野富弘の美術館があり、二度ほど立ち寄った。

 

 星野富弘は体操の選手だったが落下事故で半身不随となり、口で字や絵を描いている。見事な絵で、たくさんの展示品は見飽きない。小さな絵の、それもコピーではあるが、一枚部屋の壁に貼り付けてある。その星野富弘のことをつい数日前に、でんでん大将様の「でんでん大将のひとり言」という、いつも拝見しているブログで見たばかりで、懐かしくなり、また訪ねようかな、などと思ったところなので訃報には驚いた。冥福を祈りたい。

 

 来週は北関東ではなく、山陰へ行くことにして宿の予約をした。一泊目を香住という所にしたのだが、はじめての宿かと思ったら、どうも見覚えがある所だ。二三年前に泊まった民宿であろうと思う。当てずっぽうで宿を取ったのに同じ所というのも何かの縁だ。こちらの手頃感と合う所なのだろう。そのあと、松江のビジネスホテルに泊まり、久しぶりに松江の街をうろつくつもりだ。お堀巡りの舟に乗ろうかな。

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