立腹
フロムの『悪について』の中の以下の文章に、苦笑いさせられた。
ナルチシズムのより一層危険な病理的要素としては、ナルチスティックにカセクシス(あとで説明・引用者)した立場の批判に対する情緒的反応にそれを見ることが出来る。正常の場合、自分の言動が批判されても、その批判が公平で悪意がなければ腹を立てない。ところがナルチスティックな人は、自分が批判されるとひじょうに立腹する。自分のナルナルチスティックな性質のため、その批判が正しいと想像も出来ず、悪意ある攻撃だととりがちである。ナルチスティックな人は世界と関係を持たず、その結果ひとりぼっちで、そのため物事に驚きやすいということを念頭に入れると(訳文のまま・本来は「置く」であろう)、はじめて彼の怒りの激しさはよく理解できるのである。彼のナルチスティックな己惚れによって代償されるのは、正にこの孤独感と恐怖である。彼即ち世界で「あれば」、彼を驚かしうる外界は存在しない。それ故彼のナルチシズムが傷つくと、彼は自分の全存在が脅迫されているように感じる。彼の驚愕と己惚れから身を守るものが脅かされると、それに対する恐怖が出現し、やがて激しい憤りとなってあらわれる。
*カセクシス:心的エネルギー(感情や関心)がある特定の観念や人物に向けられること。フロイトの説ではリビドーが身体に流れ出た状態。
*リビドー:精神分析で人間の全ての基底となる心的エネルギー。
何のことやらわかりにくいかもしれないが、精神分析学ではこのような用語が頻出する。しばしば性的なことばが当たり前のように使われたりもするので、馴れないと驚くかもしれない。それはともかく、私が苦笑いしたのは、批判に対しての私の度量のなさというか、感情に流された反応を起こしやすいことを思うからだ。ただ、言い訳をさせてもらえれば、批判が「公平で悪意がな」ければ、私も、なるほど、とその批判を受け入れることが出来るつもりであって、誤解であろうとはおもえても、自分の意図とはまるで違う受け取り方をされると心が波立ってしまうのである。
ただ反応が激しい所があるのはフロムの指摘する性格の故かとも思うので、いささか反省させられた。
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