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2024年6月

2024年6月23日 (日)

紀行文(1)

 いわゆる紀行文といわれるジャンルがあって、紀行文とは旅に出て、その旅先でのことを記した本のことかと思う。いわゆる観光ガイドと違うのは、その旅先での記録が、主に個人的な感慨を記しているということだろう。私はそういう紀行文が好きであるが、私の考える紀行文は、一般的な紀行文より少し範囲が広いかもしれない。

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 紀行文には、ただ目の前に見えている景色を描写しただけのものもないではないが、それでは写真と何ら変わらず、やはりそこに時間の厚みのようなもの、そしてそこに自分の思いを重ねた、時間と空間の厚みを感じさせるものが優れた紀行文だと思うし、そういうものが読んでも印象に残る。
   
 本棚を眺め回すと、思った以上に紀行文の本が多い。作家の全集でも、その中に紀行文を含んでいるものが少なからずあるのは、誰でも旅をするからで、優れた作家の目の視力というのは常人を遙かに超えていることが多く、読み応えがあるものだ。思えば歴史を記した本を読むのも、ある意味で時空を超えた時間旅行ということも出来て、それに対する思いを記したものも、ものによっては紀行文になることもある、というのが私の紀行文についての考えである。

 

 一度整理したいと思っていたので、何回かに分けて、その紀行文について取り上げていこうと思う。

『心で見る世界』

 島崎敏樹『心で見る世界』(岩波文庫)を読んだ。一気に読んだのではなく、並行して読んでいた何冊かを順繰りに読み終えたというところだ。これで読みかけがほとんどなくなった。

 

 島崎敏樹は精神病理学者で、島崎藤村の姪の息子にあたる。島崎家に養子に入り、島崎姓となる。兄は同じく精神病理学者の西丸四方、弟は西丸震也。

 

 この本は思索エッセイとでも言ったらいいのだろうか、精神病理学者としての知見と自らの思索とを駆使して精神世界を渉猟し、その世界の紀行文を記しているように読み取れた。類例のない内容の本だといっていい。西丸四方などとともに日本の精神病理学を科学的な臨床治療の域にまで高めた功績はとても大きい。そして精神病理学というもの、精神疾患について、それが病であることの意味を啓蒙に努めたことでもその功績は大である。

2024年6月22日 (土)

ゆらぎ

 手持ちのレクチャーブックシリーズの最後の本、物理学者の武者利光とシンセサイザーの冨田勲の対談講義『電子のゆらぎが宇宙を囁く』(朝日出版社)を読んだ。読んだけれど、私のバカの壁がそこにあって、ほとんど分からなかった。もしこの本に書かれている音の世界を実際にひとつずつ聴くことが出来たら、分からないなりに感じることが出来たかもしれない。講義のテーマは『1/fゆらぎ講義』。

 

 世界は神秘に満ちている。不思議な共通性で宇宙は貫かれている。そういうことがたくさんの試みの中で明らかにされ、そして人間もその共通性を感性として無意識に感じていることを教えられたのだと思う。ゆらぎのない世界は死んでいる。生きているということとゆらぎは関係している。それはデジタル世界になりつつある今、案外重要なことなのかもしれないと、ざる頭なりに考えた。

時間、今

 哲学者の大森荘蔵と坂本龍一の対談本『音を視る、時を聴く』(朝日出版社)を読んだ。手持ちのレクチャーブックシリーズはこの本ともう一冊で読了する。この本は『哲学講義』というテーマだ。最初に「いま」について考察していく。過去、現在、未来、というときの現在には厚みがあるか、ということが論じられる。現在が写真の一齣のようにゼロ時間に閉じ込められているか、ということだ。そうではないという前提を私も首是する。では現在に厚みがあるとして、その幅はどれくらいか。そうするとどういう仮定も矛盾してしまう。だから現在には厚みはないのか。

 

 そこから思索が展開していくことにより、時間というものの不思議さに思いが至る。そのことは、私もむかしから考えていたことなので多少は分かるところがある。アインシュタインの相対性理論を持ち出すまでもなく、光には伝達速度があることを理解すれば、果てしなく遠い星からの光が地球上の私の目に届くまでに長い時間がかかっているわけだ。それなら私の見ている星は遙か昔のその星の光で、私は過去を、現在というこの瞬間に見ていることになる。過去と現在が同時に混在することになる。

 

 そこまで極端ではなくても、動くものと静止しているものとの時間はわずかなずれを生ずることは相対性理論で説明されている。学生時代にガモフの科学啓蒙書でざる頭ながら必死で理解しようと努めたことだ。それなら現在に厚みがないはずがあろうか、と思う。そうでなければゼノンのパラドックスが成立してしまい、宇宙は運動というものも成り立たない静止した世界になってしまう。

 

 この本の帯には「<私>はいない」とある。「見る私」主体と、「見られるもの」客体という考え方を大森荘蔵は否定する。ある意味での二元論否定であり、そして西洋哲学の「私は考える、故に私は存在する」という前提の見直しを提唱する。世界はただそこに立ち現れる、という。なんとなく分かる気もするが、理解するには遙かに遠い。哲学というのは、ものの見方を根底から見直すことを求めるものなのだということを改めて教えられたということしかできない。

 

 この本で論じられていることで理解できたことは少ないが、時間というものの不思議さを久しぶりに考えることが出来た。

ゆがみ

 少し大きな座椅子を使っている。購入して数年経つ。座面が私の重みで少しへたってきた。人工皮革もざらざらしてはげ始めた。見苦しいのでカーシートにすっぽり掛けるシートカバーを買って掛けてある。少し滑る。本を読むのもパソコンに向かうのもテレビを見るのも音楽を聴くのもその座椅子に座ってのことである。

 

 座椅子のゆがみが体をゆがませているのだろうか。さらにスマホ首によるゆがみも連動して、首、肩、腰、背中が痛む。背筋を伸ばしたり肩を回すような運動をときどきするが、痛みがどんどんひどくなっている。ついにあばら骨までときどき痛むようになってきた。

 

 重くて大きなその座椅子をどかして、座布団だけにしてみた。なんとなくではあるが、すこし楽である。整体でも受けに行こうか。整体も、下手な人にやってもらうとさらにひどいことになることもあると聞くしなあ・・・。

 

 東海地方も梅雨入り、夕方からは雨がしばらく続くらしい。

2024年6月21日 (金)

近代日本語の運命

 作家で評論家の丸谷才一と、劇作家で評論家の山崎正和の対談集『日本語の21世紀のために』(文春新書)という本を読んだ。じっくりと考えるテーマがたくさん提示されているが、少し飛ばし読みしすぎてしまったので、また少しあいだをおいて読み直したいと思う。再読再再読をする値打ちの本というのはそうあるものではないが、この本はそういう本である。ブログの表題はこの本の帯にあったもの。

 

 ことばというのは時代につれて変化していくものではあるが、そのことばの変化は浮ついたものになりやすい。だからその変化にあらがって、言葉遣いにこだわるということも必要なのだという。それがことばを大事にすることであり、ことばを磨くことでもある。変化は必然でも抵抗はすべきだ、その抵抗する者になるのだ、という二人の覚悟に私は共感する。

 

 ことばには、相手に伝達するための道具としての役割と、思索の道具としての役割がある。そして伝達の役割としてのことばを磨くためには、相手と私と、さらに第三者が存在する必要があるのだという指摘には教えられた。日本語には一対一の対話構造しかなく、鼎談というものが存在しない。そうするとことばは第三者を排除した対談を基盤とするものになって、客観性を生むことが出来ない。そういう背景から話し言葉を作っていくと隠語の氾濫を招いてしまう。

 

 若者ことばとか業界用語の隠語の氾濫はまさにその結果だろう。私はそれを見聞きすると不快である。それがどうしてなのか分かったような気がした。

 

 さらに思索のためのことばという役割を、教育界はまったく認識できていないという指摘にも同意する。ことばを伝達のためとしか見ない教育がずっと続けられてきた。それは日本語だけではなく、英語教育の会話重視にも見ることが出来る。ものを考えるときに、ことばなしで考えることは出来ない。それを見失った日本語の世界がどうなっているのか、それはテレビを半日見ていればよく分かる。

 

 決まり文句の浅薄さ、陳腐さを、自国の首相の口から毎日聞かされるのは苦痛である。

カルシウム

 爪が弱くなって、細かく割れる。カルシウムが足りない。牛乳をよく飲むから、カルシウムは摂取しているのだが、取りこんだものが骨や爪に再生されていないのだ。取りこんだカルシウムはビタミンDの働きで骨となる。ビタミンDは太陽光線をあびることによって生成されるという。引きこもっていれば太陽光線をあびないから、骨や爪が十分に生成されないのだ。紫外線の強い時期ではあるが、ときどきは外を歩かなければならない。

 

 昨日は十分太陽光線をあびた。今日もあびておかないと、梅雨に入ってしまってしばらく雨続きのようだから太陽光をあびる機会がない。ところでヴァンパイヤの骨はビタミンDがなくても大丈夫なのだろうか。

2024年6月20日 (木)

繋がらなくなる

 床屋へ行ってスポーツ刈りにしてもらってさっぱりした。格安床屋は最寄りの駅のつぎの駅の向こうなので、行きは電車で行き、帰りは散歩がてら歩いた。行きも歩くと汗だくで床屋の椅子に座らないといけない。久しぶりにたっぷり歩いた。

 

 ややこしい本を三冊、わけが分からなくなりながらも、強引に読み進めた。今はこういうことも出来る。分からないなりに何かがわずかでも頭の隅に引っかかってくれればそれでいい。バカの壁は厳然とあって、分からないものは分からない。でも何かのきっかけでちょっとだけ分かったりすることもあるのだ。本当は二度三度読むと、より分かることが多いのだが、それがもう待てない年齢になったのが哀しい。

 

 夕方、ネットが繋がらなくなった。去年、そういうことがときどきあったので、古いルーターを新しいものに交換したら、ネットは早くなったのだけれど、繋がらなくなるというトラブルの頻度が高くなった。今は月に一度くらいか。ルーターの電源を落としてしばらくおくと回復する。今回もそれで回復した。根本的な原因は分からない。マンションの光回線を利用しているが、これは個別ではなくて共用である。個別に変更する工事の案内もあったが、結構高いことを言ってきたので導入しなかった。

 

 個別にする代わりにホームルーターにしようかな、などと考えている。そうするとせっかく買った新しいルーターが無駄になるので迷っているのだが、今のマンションでの共用の光回線に何か原因があるような気がして、それならホームルーターにすることでこういう面倒なことが起きなくなるのかもしれない。

自分しか見えない

 世の中には自分しか見えない人というのが常に一定数いるようだ。問題は、そういう人の割合が増えているのかどうか、ということだ。増えているように思うのは、ニュースとしてそういう人の起こす事件などがことさら報じられているということかもしれない。

 

 『岳飛伝』の集中読みが終了して、五冊程度の本を並行して読み進める読み方に戻っている。自分としてうれしいのは、ずっと読めなかったエンターテインメント本が読めるようになったことだ。今はSFが先行しているが、ミステリーや時代小説も戦列に加えていくつもりだ。すぐ読めるつもりで買って、そのまま読めずに積まれている本が大量にあるので、これからそれを消化できると思うとうれしい。読書に勢いがついているので、歯ごたえのある、哲学や啓蒙書などの本も少しずつ片付けていこうと思う。

 

 冒頭の感慨を書いたのは、今読み進めている武者利光・冨田勲の『電子のゆらぎが宇宙を囁く』という、レクチャーブックシリーズの一冊を読んでいて、本筋とは関係ないが、以下の一節を読んだからだ。四十年ほど前に出版された本だ。

 

武者-この間、秋葉原へ行ったら、すごいんですね。小学生が、もう目つきが変なんですよ。どいてくれって言っても、全然聞こえないんですね、人の言っていること。「ちょっとそこに置いてあるもの見たいんだよ。ちょっとどいてよ」って言っても・・・目がすわっちゃっててね。

富田-コンピューター・ショップの前でですか。

武者-そうです、秋葉原の。だけど、あれを買って家に持って行ったら、どういうふうになるのかなと思った、ああいう子は。

富田-新しいタイプの人たちですね。

 

 髪がうるさくなってきたので、午後は床屋に行こうと思う。

六つの太陽

 若いとき、アシモフやガモフの科学啓蒙書をよく読んだ。当時はそういうものが結構読まれていたと思うが、今の若い人はそういう科学啓蒙書を読んでいるのだろうか。あれはただの流行り物だったのか、それとも必要なことで、その必要なことが今は失われているというのなら、残念なことだと思う。

 

 ロボット三原則を確立したアシモフの、『夜来たる』という中編SFを読んだ。アシモフのごく初期の頃に書かれた傑作である。六つの太陽を持つ惑星に、二千数百年ぶりに夜が訪れる。この星ではその夜が訪れるごとに文明の崩壊に近い事態となり、その夜の記憶が正確に記録されていない。そのために夜が恐れられている。その星の住人たちは夜空の星というものを見たことがない。伝承に残されている夜空の星というものを信じることが出来ないのだが・・・。その世界に夜が迫る。

 

 エマーソンの詩の一節

 もし星が千年に一度、一夜のみ輝くとするならば、人々はいかにして神を信じ、崇拝し、幾世代にもわたって神の都の記憶を保ち続ければよいのだろうか。

をもとに発想されたこの小説を味わえるかどうかは、夜のない異星の世界というものを、どこまで自分の世界として考えることが出来るか、ということにかかっている。同時に、その星の人間として、地球の世界というものをどこまで異質な世界としてみることが出来るのか、ということでもある。当たり前を、当たり前ではない世界から眺め直すという意味で、この小説は優れた発想を持っている。

2024年6月19日 (水)

『小松左京ショートショート全集』

 『日本沈没』などで有名なSF作家の小松左京の作品をずいぶんたくさん読んだが、彼は多作だったから、私が読んだのはその一部に過ぎない。この『ショートショート全集』は全三巻で、その第一巻を読了した。彼の初期の作品をまとめたもので、辛みの効いたものばかりでそれなりに面白かったが、正直なところアイデアは良いけれど文章としてはいささか不満が残る。

 

 ショートショートだから人間を描くというようなものではないのだが、それにしてもなんとなくそこに温かい血が通っているという感じがしない。冷たいのである。小松左京は宇宙の真理のようなものを、違う次元から見つめているようなところがあり、それがそう思わせてしまうのかもしれない。

ちょっと出かけるつもりが・・・

 引きこもって本を読み続けていたら、自分の心身の平衡感覚がとりにくくなっているのに気がついた。そういうときは出かけるのが良いのだが、治療中の奥歯の歯茎が腫れたり引いたりし始めた。歯が割れていて、そこから菌が入っているのだろう。いささかそのあたりが原因の口臭もある気がして気持ちが悪い。歯を抜かれるのを覚悟して歯医者に行った。しかし歯医者はまだ手入れをすれば延命できるという。詰め物をして、抗生物質を渡された。一週間後にどうなっているのか様子を見ましょうということである。

 

 月末にマンションの防災訓練がある。ちょっとした行きかがりでお手伝いをすることになった。妻の病院へ行く用事もあったりして、今月内にまとまって不在というわけにはいかなくなった。出かけるなら七月になってからということになる。読了した『岳飛伝』などを手土産に、北関東の友人のところへ行くのも来月ということにせざるを得ない。もうちょっと待ってもらおう。

『人狼原理』

 クリフォード・シマックの『人狼原理』(ハヤカワ文庫)というSF小説を読んだ。中学生の頃に月刊のSFマガジンが創刊され、ほぼ初期の頃からなけなしの小遣いをはたいて買い続けた。シマックの小説なども掲載されていたものだ。小学生の頃からジュール・ベルヌやコナン・ドイルのSFに出会って、かなり本格的なSF少年になった。この『人狼原理』はだいぶ後、就職して大人買いできるようになって買った本で、今回読み直しておぼろげにその頃のことを思い出していた。

 

 人類が別の惑星で暮らすとき、その星を人類が住めるように改造するよりも、人類そのものをその星の状態に対応できるように変えてしまう方が簡単ではないか、という論議がテーマになっている。その時変化させられたその人間は人類と呼べるのか、形態と心の問題なども含めて、論じられるのだが、実際のストーリーは想像するものとは少し違う。

 

 宇宙で発見されたカプセルで眠る男が主人公で、やがてその男が二百年前に人類によって送り出された人造人間であることが判明する。その男が地球で何を見て、何を感じ、考えたか、という点に力点が置かれている。しかもその男は見た目の存在だけではない、もう二つの形態を備えていた。結局彼は人類に受け入れられず、再び宇宙へ帰って行く。

 

 未来の地球がどんな風かが想像力豊かに描かれているのが面白い。アパートに住む人々は一戸ごとに家ごと移動することが出来る。その家の中の自動化された生活の様子も面白い。一番面白かったのは、その時代でも電話ボックスがあるということだ。そして携帯はないようだ。

2024年6月18日 (火)

『妄想を見る女』

 トマス・ハーディ(1940-1928 イギリスの小説家・詩人)の短編小説『妄想を見る女』を読んだ。新潮社版の世界文学全集・第四十五巻、イギリス作家作品集の中に収められている。この本にはスウィフトの『ガリヴァ旅行記』やスティーヴンソンの『ジーキル博士とハイド氏』が収められていて、それを読むために中学校のときに買ったものだ。奥付きでは1964年発行となっている。もちろん目当ての二作はその時に読んだが、そのほかのハーディやマンスフィールドやコンラッドやハクスリィの短編はよく覚えていない。

 

 その頃から大学生までに買って読んだ本がたくさんあったが、ほとんどは転居したときに母が図書館に寄贈してしまったので、残っている本はごく一部である。先日弟の家で、残っていたこの本を見つけたので持ち帰ってきたのである。もうすぐ読み終わるシマックの『人狼原理』もその時に見つけたものだ。

 

 『妄想を見る女』は中流階級の妻の物語であるが、夫婦子供連れで避暑に出かけて借りた屋敷に滞在し、そこの一部屋を借りていたという詩人の男に対して妄想を深めていく様子が克明に描かれていく。その詩人とはついに会わずじまいであるが、ラストは冷酷である。自然主義的作風の作家ということで、そう分類されるのは分かる気がする。ハーディは何度も映画化された『テス』の原作者である。

 

 こういう短編に心動かされたりすると、世界文学も好いなあと思ったりするが、今は手を広げないように自分を抑えないと、古本屋で安い本を何冊も買って、抱えて帰ってくることになりそうだからあぶない。たぶん古い全集など、二束三文で買うことが出来るはずだ。

 

 蛇足だが、妄想を見る、という言い方は少し変だと思う。妄想する、とか妄想を抱くとか言うのが普通ではないだろうか。

人を怒らせる方法

 C.D.シマックというアメリカのSF作家の『人狼原理』という本を読み始めている。その中のこんな一節を読んで思わず苦笑いしてしまった。

 

「あの方には、なにかしら堅実なものがありながら、しかも情熱を持ち、なにかに打ちこむというところがありますね・・・」
「ええ、そうね。打ちこむたちだわ。それには敬意を表すべきね。たいていの人が、それは認めると思うわ。でもね、どういうわけかしら、父は相手のまちがいを指摘して、大勢の人を怒らしてしまうことがあるのよ」
ブレイクは笑った。「それ以上に、うまく人を怒らす法はありませんね」

 

 私も、見過ごしたり聞き過ごせばいいことを、見過ごしたり聞き過ごしたり出来ずにまちがいを指摘して、たくさんの人たちを怒らせてきた。

『いのちの姿』

 宮本輝のエッセイ集『いのちの姿』(集英社)を読んだ。宮本輝はエッセイにも人一倍精魂傾けるので、このエッセイ集も読みやすいけれど、中身はぎっしり詰まって濃厚だ。プロの作家というのがどれほど厳しいものなのか、それを強烈に感じさせてくれる。順風満帆な人間には本当の人生を知ることが出来ない。ましてや他人の人生を感じることなど出来ないし、それを語る言葉も生み出せない。苦難を経た後でそれを乗り越えよみがえって初めて見える世界があり、感じる世界があるということだ。人の痛みを知る人間になるためには、人は成長しなければならないし、変わらなければならない。

 

 このエッセイ集の中に富山県の北日本新聞から懇望されて新聞連載小説を書くに至った経緯と、その取材旅行の様子が『田園の光』という一篇で語られている。黒部川の扇状地でインスパイアされた宮本輝が書いたのが『田園発 港行き自転車』という小説だ。私もその小説の舞台を見るためにその周辺を訪ね歩き、宇奈月温泉や愛本橋などを見た。この文章でそれらが鮮やかに脳裏に思い浮かんだ。

2024年6月17日 (月)

目が霞む

 若いときなら土日の休みに五冊六冊を一気読みするのはなんともなかったが、さすがにその元気はなく、精一杯頑張っても一日に二冊読むのが限度になった。それを数日続けたので眼が悲鳴を上げ、視界が霞んでピントの合う範囲が狭くなってしまった。目薬を差して様子を見ているが、元に戻るにはしばらくかかりそうだ。それでも活字を読まずにはいられないのは、やはり活字中毒者の禁断症状か。

 

 奥歯が割れていて、詰め物をしてもらっているのだが、かむ力が強いのでさらに割れが進み、ばい菌が入り込まないようにこまめに歯を磨いたり含嗽剤で消毒している。歯医者からは、もし歯茎に腫れが見られるようになったら治療に来るように言われている。その腫れが多少あるので歯医者に予約を入れた。根本的な治療は神経を抜いて穴を塞ぎ、かぶせ物をするということになる。歯の寿命ということだ。そうなると何回か治療に通わなければならない。お出かけの虫が騒いでいて、来週ぐらいから出かけようかと思ったが、少し先延ばししなければならないかもしれない。

国力をそぐ

 アメリカは第二次世界大戦のあと、とにかく日本の国力をそぐことに全力を尽くした。その例を挙げていけばたくさんある。日米繊維交渉、半導体交渉、自動車交渉、日本独自の航空機開発に対する表と裏の露骨な干渉等々は明白なものだが、見えない形で精神的な部分にまで及んでいるものもあると思うのは私の妄想だろうか。その結果が今日の日本の衰退の最大原因であることは、明白なのだけれど、それを日本は自ら招いてきた経緯もある。そろそろ目を覚まさなければならないだろう。

 

 日本という国が復興し発展し、豊かになっていくことで日本の国力は増大していく。それによって国民は豊かになっていく。国力を増大させるということはそういうものだと単純に考えている。『プロジェクトX』や、『新プロジェクトX』に胸が熱くなるのは、そのような日本人の努力が結果的に日本の国を支えてきたという歴史を再確認することだからで、自分もその日本人の一人だと思えば誇らしいからであろう。

 

 世の中のさまざまな事柄を見るときに、それが日本の国力をそぐことに繋がるようなものであると感じられると、非常に腹立たしく感じられる。一見そのように見えないけれど、よく考えれば足を引っ張るような行動をとっている者、国力をそぐような働きをしている者に怒りを感じる。日本人を自称しながら、愚かだからそんな行動をとっているのか、それとも日本の国力を密かにそぐことを使命として行動しているのか、知らない。

藪の中に

 山間部を車で走っていた。林のあいだから、左手だけ開けた場所に出た。その藪の中、少し奥の方に黒いものがうごめいているのが見えた。向こうを向いているが、熊のようだ。背筋がザワッとする。急いでそこを通り過ぎて再び林の中を進み、また開けたところに出た。茶色い塊が見えた。まさか、と思ったらやはり熊で、座り込んでこちらを見ている。さっきのよりも大きい。向こうが動き出す前になるべく進もうとスピードを上げる。バックミラーを見たが追いかけてきてはいないようだ。ほっとして前を見たら、道の真ん中にさらに大きな、ヒグマほどの黒い熊がいて・・・。

 

 そこで目が覚めた。

 

 熊や、イノシシや、猿や鹿までが一斉に人家周辺に出没するようになったように思える。彼らの領分に進出しすぎていた人間が、過疎化によって後退し、再び彼らが自らの領分であると主張しているのだろうか。彼らは何かの意志によって連動しているのだろうか。

 

 先日の『新・プロジェクトX』はスーパーコンピューター開発ストーリーだった。資源がないが故に技術立国として生きていくしかない日本が、リストラの中でどんどん開発部門を縮小していった末に惨めな後退を余儀なくされていく中で、世界最速コンピューター開発で気を吐いたストーリーで、溜飲の下がる話である。まさにあの蓮舫女史が「一位でなければならないんですか、二位ではだめなんですか」と自らの無知と愚かさを世に知らしめた迷言を吐いたのはこのスーパーコンピュータの開発に関してのことだった。

 

 どうして無知で愚かなのか、日本という国が、技術立国として生きていくしかない国であるという、そのことが理解できていないこと、そして予算削減の優先順位について、最もしてはならないのに安易なところから手をつけるという点においてである。つまり、金の卵を産むニワトリが餌を食べるのがムダだから餌を減らしましょう、といったのだ。そういう人が東京都のムダを削減すると言うときに何に手をつけるつもりなのか、たぶん同じようなことを始めることだろう。

2024年6月16日 (日)

『岳飛伝』読了

 北方謙三『岳飛伝』(集英社)全十七巻を読了した。この数日は一日二冊のペースで読んでいて、頭の中は岳飛軍、梁山泊軍、南宋軍、金軍の立てる戦の土煙や雄叫びが渦巻き、血臭が漂う日々であった。

 

 『水滸伝』全十九巻、『楊令伝』全十五巻と合わせて全五十一巻の、宋という時代の壮大な戦乱絵巻が一段落した。宋は遼や金に追われて一度滅びてしまい、南宋という国として再建されたが、もとの宋の北半分を金に奪われて弱体化してしまった。その宋を再興するために『尽忠報国』の旗印を挙げ、抗金のために戦い続けたのが岳飛である。

 

 しかし南宋の宰相秦檜は、国家の延命のために金と結んで岳飛を粛正してしまう。中国では、日本での源義経以上に岳飛は悲劇の英雄として誰もが知る人物だ。そして義経が平泉で討たれて死んだのを、じつは生き延びて大陸に渡ったという伝説が残されたように、この『岳飛伝』ではじつは殺されずに生き延び、戦い続けたという物語になっている。この物語では藤原秀衡も登場するし、たぶん平清盛ではないかと思われるような人物も登場する。

Dsc_0224_20240616154401岳飛像

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 南宋の都とされた臨安は、今の杭州であり、あの西湖のある美しい古都である。古都であるけれどじつは最先端の大都市でもある。私は杭州が大好きで、仕事も含めて五回ほど訪ねている。思い入れのある街だ。西湖のほとりには岳飛廟があり、そこには秦檜夫婦が縄を打たれてうずくまっている像がある。中国人の秦檜を憎むことはすさまじいものがあるのだ。

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 金はその後、北方からの蒙古軍に押されて弱体化していく。この物語にもそのきざしが描かれている。このあと北方謙三はジンギスカンの物語を新たに書き綴っているが、この岳飛伝の時代と連続しているのである。今はいささか疲れたので、その物語をさらに読もうという気がしていない。南宋はやがて蒙古に飲み込まれ、蒙古は元と名を変えてヨーロッパの東にまでまたがる巨大な帝国を築き上げる。

2024年6月15日 (土)

少し涼しい

 昨日は33℃を超えたという。夜は蒸し暑かった。本を読み続けていて、細切れにしか眠らなかった。半分徹夜だったので、頭がぼんやりしていて目がかすんでいる。『岳飛伝』は第十三巻に入った。こんなことでは生活のリズムが狂ってしまう。

 

 今朝は窓を開け放つと少し涼しい。背中と肩が凝り固まって、ストレッチをすると痛みがある。今日は少しクールダウンして、散歩でもして気分転換しようと思う。

2024年6月14日 (金)

暑い

 今日は昼前から室温が30℃を超えたので、窓を閉めてクーラーをかけっぱなしにした。『岳飛伝』を夢中で読んでいて、すでに十巻を読了、あと七巻である。ゴロゴロと横になっただらしない格好での読み方で、ちょっと目が疲れると目をつぶり、気がつくと眠っている。これなら来週には読み終えるだろう。本に集中してほかのことがなにも考えられないので、ブログを書く余裕がない。何もなくて無事であることを伝えるためにこのブログを書いた。

 

2024年6月13日 (木)

犬かい

 少し前から気になっていたのだが、政治家らしき人のポスターがあちこちにあって、そこに大きな字で「犬かい」と印刷されている。名前であることは承知してはいるのだが、どうしても「犬かい?」と問いかけられているように感じてしまう。

 「犬だよ」というわけにはいかない。私は人間であるから「犬じゃないよ」と思う。見たら分かるではないか。

 犬飼を「いぬかい」と読めない人はあまりいないと思うけれど、わざわざそれを「犬かい」とする感覚がどうしても理解できないので、ポスターを見るたびに「犬じゃないよ」と心の中で思う。

入れなくていい

 車検のためにディーラーに車をあずけに行ってきた。完了して取りに行くのは夕方の六時過ぎになる。代車は今までデミオだったが、今回は愛車と同じCX-30だ。乗り慣れているから楽だ。往復だけだから、といったら、それだけなら燃料の補充は結構ですということだ。ありがたい。

 

 つぎの二年間のパック型のメンテナンスをどうしますか、というので頼むことにした。車は快調だし、まだ免許返納の予定もない。ただしさらにその先のことは分からない。つぎの車検は受けるつもりだが、その時に自分自身と相談することにしよう。夕方に支払う金額はかなりになるが、予定した出費である。現在の大きな楽しみは、車での遠出だから、それを万全にするためだ。ケチるつもりも必要もない。

順調に

 昨夕、息子から燻製ソーセージなどのギフトセットが送られてきた。鳥取県の牧場へ遊びに行ったそうだ。夫婦仲が良さそうで何よりである。そういえば、先日やってきた娘が、いささかふくよかになっていた。もともと細身だったのでちょっと太ると目立つ。私も妻も太めなのでそうならないようにしろよと言ったが、笑っていた。

 

 本日は車検の予約日なので、ディーラーに行く。とくに不調の部分はない。車検の費用とは別に、つぎの車検までの半年ごとの定期点検をセットで頼んでおく(その都度よりもだいぶ安くつく)ので、それなりの金額を用意しなければならない。丸一日かかるから、代車で行き帰りするが、慣れない車の運転は嫌いである。行き来だけならほとんどガソリンは減らないが、それでも満タンにしなければならないのが煩わしい。

 

 『岳飛伝』を読んでいて、面白いのでほかの本が読めずにこればかり読んでいる。現在、全十七巻の第九巻に入った。ほぼ一日一巻読了のペースである。読み終わるまでとまらないだろう。今月終わり頃には読み終えていると思う。

2024年6月12日 (水)

『司馬遼太郎が発見した日本』

 松本健一『司馬遼太郎が発見した日本』(朝日新聞社)という本を読了した。副題は--『街道をゆく』を読み解く--である。『湖西の道』から『濃尾参州記』までの全四十三巻におよぶ『街道をゆく』をベースに、朝日新聞社がビジュアル版の『街道をゆく』全六十回(当初は五十回)で発刊したのだが、松本健一がその解説を書いた。その全六十回分の解説をまとめたものがこの本である。

 

 司馬遼太郎『街道をゆく』はハードカバーで全巻揃えて棚に列んでいる。もちろん通読していて、それらは父が健在の時に実家に持参して置いておいた。父も母も気に入った巻を何冊かは読んだようだ。両親とも亡くなったので全て持ち帰った。どこかへ旅に行くときの参考にしよう、などと思って開いたりするのだが、丁寧に再読は出来ていない。だから時間があるときに全て読み直そうとは思っている。

 

 松本健一は解説とともに、司馬遼太郎がこのシリーズを書き出した動機のようなもの、そして日本の過去というものをどう見ていたのか、それを自分なりに考察している。司馬遼太郎が訪ねたところも大事だが、あえて訪ねなかった場所があって、そこに司馬遼太郎のこのシリーズに対しての思いへのヒントがあるという指摘は鋭いと思う。たしかに私の故郷である千葉県などはまったく言及されていないのである。

 

 先般ブログに書いた近江について、この『街道をゆく』を読み直して訪ねてみたいと思ったりした。

 新生姜も少しひねたものが混じりだしたから終わりかと思っていたが、そこそこ美味しそうなのがあったので今年最後になるだろう酢漬けを仕込んだ。これで前の残りと合わせてあと十日くらいは楽しめるだろう。白菜も、値段は下がっていないがしっかりしたものがあったので塩をしてビニールの袋に詰めた。これでいろいろな料理に使える。

 

 マンションで宅配荷物の置き配のトラブルがあったらしく、置き配はしないようにという回覧板の連絡が回った。置き配は重宝で、たまたまちょっと用事のための不在などで配達の人に迷惑をかけることを考えれば、置き配はありがたいのに、どうしてこんなことになったのか。わずかな不心得者と、些細なことを騒ぎ立てる人との存在がこういう不便さへ繋がっていく。世の中を狂わせていくのは誰なのだろうかと考えてしまう。悪いことをついしてしまう人間と、正しいことを声高に主張する人というのは普通に暮らしている人間にはうっとうしいことである。

『僕は、そして僕たちはどう生きるか』

 梨木香歩『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(理論社)を読了した。十四歳の少年・コペル(ニックネーム)君がある一日で体験し、そこで考えたことを彼の視点と思考だけで綴ったもの、いわゆる一人称小説である。

 

 物語は淡々と進むのにどんどん引きつけられていく。それはコペル君の見ているものが詳細で細部に目配りが行き届いていること、思考が立体的でうわべだけではないこと、そして繊細な感性がこちらに伝わるからだ。読むほどに彼にシンクロしていく。

 

 そうしてこの物語での一日の、いかに盛りだくさんで濃厚であることか。読み終わったときに不思議なほどずしりと心に残る。読み進めることで出会う驚きと感動を損なうので、内容についての言及はしないことにする。この感性に共感できるかどうか、試しに読んでみてはいかが。

2024年6月11日 (火)

テレビ離れ

 以前よりも一層リアルタイムでテレビ番組を見ることが減っている。リアルタイムで見るのは定時のニュースぐらいか。その定時のニュースも見るのはNHKばかりだが、同じニュースを同じ台本でアナウンサーが繰り返すばかりだから、一日に二度も見れば十分である。民放はCMの中に番組があるという状態だから、ほとんど見なくなった。

 

 私はテレビ大好き人間である。テレビが家庭に置かれるようになったのは、私が小学生になってからのことで、我が家ではほかの家より少し遅れて五年生になってからだったかと思う。うれしかったのを今でも鮮明に覚えている。

 

 テレビの画面を見なくなったということではない。録画した番組を見たいときに見ているから、延べ時間では普通の人より見ているかもしれない。それでも録画するものがひところの半分以下か三分の一になっている。それ以上録画しても見切れない。

 

 民放のドラマはよほどのことがなければ見ない。細切れにされ、しかもCMの後にその前のシーンをわずかとはいえダブらせるという手法が無性に腹立たしいのだ。録画してCMを飛ばすから、なおのことそう感じるのかもしれない。CMはだいたい二分くらいである。その二分のあとに、その前のシーンを念を押すように繰り返すのは無意味で、時間の無駄であり、ニワトリ並みの頭だと馬鹿にされたように感じる。たぶん馬鹿にしているのであろう。

 

 テレビ番組はもう暇な人しか見ない、不採算で存在意味が薄れた存在になりつつあるのではないか。CMがあまり有効でなくなればスポンサーは減るばかりである。無料で提供することで貴重な人の時間を無駄にするのも限度を超えている。いい加減にしてもらいたい。思いきって統合してしまい、有料チャンネルにすればいいのだ。

『闇の都市、血と交換』

 栗本慎一郎・笠井潔『闇の都市、血と交換』(朝日出版社)はレクチャーブックシリーズの一冊で、『経済人類学講義』と副題がつけられている。私の世代から上の人なら栗本慎一郎を覚えているかもしれない。独創的な論でマスコミに取り上げられることも多く、著作も多かったしテレビでもよく見た。

 

 当時は「経済人類学」というのはいったい何なのかさっぱり分からなかった。おかしな学説を唱えて人を煙に巻いているとしか思えなかったのだが、今回この本を読んで、多少はこういうものであろうと理解できた気がする。少なくとも彼の論を一つの視点として世界を見直すとき、今まで思いもよらなかった側面が見えることだけはたしかである。

 

 対談相手の笠井潔は作家で、やはり論客である。代表作は『ヴァンパイヤーウォーズ』シリーズでSF伝奇小説と呼ばれていた。もちろん私はそういう話が好きなので読んだことがある。平井和正よりも半村良テイストといっていいだろう。この人も博覧強記のうえにズバズバ相手に切り込む人なので、この対談は濃度が高く、読者はしばしばおいて行かれそうだ。

 対談の最後に栗本慎一郎は「最後に、皆さん勉強してください」と締めくくっている。

 

 「交換」というのは哲学や人類学では非常に重要な概念で、通常思い浮かぶものよりも、人間の社会活動の原点に関わるものである。そして「交換」は外部との「境界」で行われるものなのだ。ここでこの前のブログで書いた『境界の発生』と話はシンクロしていくのである。「境界」を考えるということでは視点が変わるだけで、その見つめているものは同じだといえる気がする。「交換」と「境界」・・・だから経済人類学なのである。

『境界の発生』

 赤坂憲雄『境界の発生』(講談社学術文庫)は民俗学の論文をいくつか集めたものなので、その知識が不十分な私には歯ごたえがきついところがあったが、民俗学のかなり重要なポイントについて書かれているのでいろいろ考えさせてくれる本だった。境と坂との関係、「杖」というものの深い意味は、すでに柳田国男や折口信夫によって深く考察されていたことでもあり、独創ではないことが却ってその考察を深めたものになっているようだ。

 

 内と外、生者と死者、この世とあの世、あちらとこちらという、その境目についての認識は古代の人たちにとってはとても重要なことであった。それに対して、近代では自分という枠とその外部、家族という枠、地域社会という枠、国家という枠が同心円状に認識されていたのではないか。そして現代はその強固な枠は自分と自分以外という枠しか存在しなくなってしまったのではないか。外部は同心円ではなく、宙に浮かぶシャボン玉のようにさまざまなものがてんでんに存在しているのではないか。

 

 もちろんこの本にはそんなことは書いていないが、そもそも近代までは個人という概念は希薄で、集落という集団生活の枠そのものが基本的な内部で、その外が外部だったのだと思う。個人という概念が確立したとき、境界というものがどうなっていったのか。境界が個人というものの外側に強固に確立し、そして共同体の枠が次第におぼろげになって、不確かなものになってしまったのではないか。

 

 赤坂憲雄はこれらの考察以後、さらにそれを進化させることなく、「東北学」という民俗学の新しい分野を切り開き、柳田国男民族学を批判的に発展させていった。民俗学は面白い。

2024年6月10日 (月)

きれいに撮れている

 佐渡に行ったときに、ある晩に愛用の一眼レフカメラが不調になった。動作しなくなったのだ。カメラなしで景色を頭に写し取るしかないかと思ったが、一晩いろいろ試行錯誤して、翌朝にはなんとか写真が撮れるようになったのはさいわいだった。今のところ動いているので修理には出していない。

 

 旅に携行するNECのノートパソコンは少し奮発した高性能なものだが、液晶の画質が気に入らないことは前にここに書いた。コントラストが低く、鮮明さに欠け、撮った写真が寝ぼけて見える。カメラの寿命なのか、繰り返し使用しているSDカードが寿命なのか、そんなことも考えていた。

 

 最近はあまり開くことがないデスクパソコンがあって、それにはPHILIPSの20インチを超える大型の液晶をつないでいる。そちらで山陰行と佐渡行の写真を一枚一枚丁寧に眺めてみたら、とてもきれいに撮れていることが確認された。何も問題ないのである。よく撮れていると思うものをドデカプリント(というソフト)でプリントアウトしたら、A2サイズに引き延ばしても鮮明なものがプリントできそうだ。

 

 やはり写真の整理や鑑賞はノートパソコンではなくてデスクトップでやる方が良いようだ。

近江

 トイレの壁一面に大きな中国の白地図を貼っていた。地名は漢字、中国読みのカタカナが書かれているから、ニュースや歴史で出てきた場所の位置とその名前を知る参考になった。十年以上貼っていたら、さすがに傷んで汚らしくなったし、中国にはもう行くこともないと決めてからは、いささか興味も薄れたので廃棄した。そのつぎに富山県全図を貼って、いろいろ訪ねるところを物色し、その位置関係などを把握するように努めていた。実際に富山にはこの二三年で何度も行った。

 

 昨年後半からはそれが滋賀県の地図に替わっている。この地図は、片面が白地図、もう片面が観光地を詳しく記した地図になっていて、その観光地を記した地図を表にして貼り付けている。この地図で滋賀県と京都や福井が隣接していて、しかも思った以上に近いことを実感した、と以前にこのブログに書いた。

 

 近江、琵琶湖周辺は日帰りで行ける場所である。そして近江が日本の歴史を考えるのにとても重要であることを教えてくれたのは司馬遼太郎である。春に読んだ『平家物語』でも近江が繰り返し出てくる。この地図を貼る前にすでにあちこち訪ねているが、この地図から湖東三山や永源寺、さらに木地師の里などを訪ねた。また、賤ヶ岳にも登ったし、竹生島にも渡った。今度は近江八幡を歩き、湖南三山を歩き、義仲寺や三井寺、水口城跡や田村神社を歩こうかと考えている。まだまだ見所はありそうだ。一度鯖寿司を買うために立ち寄ったが、詳しく歩きたいのは朽木宿で、そのあと小浜への鯖街道を逆行してみたい。それとも朽木から京都大原へ南下してもいい。

 

 そう思いながらただ地図だけ眺めて久しい。来週あたり、梅雨の合間にでもどこかターゲットを決めて歩いてみようか。盛りだくさんに計画するから出かけるのがおっくうになる。一カ所か二カ所をぶらついて帰ってくる、というのが好いだろう。

メンテナンス

 転勤で名古屋に移り住んでもう35年以上が過ぎた。ずっと今のマンションで暮らしている。最初は借りていたが、持ち主が処分をするというので購入したから、今は自分の持ち物である。すぐそばに大きなスーパーもあり、名古屋の都心部まで電車で20分足らずだからとても便利であり、環境も悪くないので気に入っている。移った当座は思ってもいなかったが、結局ここが終の棲家ということになりそうだ(そのつもりだ)。

 

 ここでは深夜電力を使う電気温水器が据え付けられていて、風呂もこの電気温水器の湯を使う。移り住んでから二度、電気温水器を新しいものに交換した。今のものになってもうすぐ十年、毎年温水器の管理会社から連絡があって六月か七月にメンテナンスを行う。今年は今日がそのメンテナンス日である。今回は中の掃除や機器チェックだけではなく、ヒーターの交換をしなければならない。思わぬ出費であるが仕方がない。古いものを使い続けた上にメンテナンスを怠って水漏れ事故を起こすトラブルがときどきあって大騒ぎになったりするのだ。転勤前に住んでいたマンションで、配管詰まりの水漏れ事故でひどい目に遭ったことがある。絶対に加害者になりたくない。

 

 専門の仕事をする人の抱えて来る道具は見ていると面白いので、いつもいろいろ話を聞きながら眺めている。無口な人と話し好きの人がいて、話し好きの人などからは面白いエピソードなどを聞くことが出来ることもある。今日はどんな人が来るのだろう。作業するあたりだけでもきれいにしておかなければ。

2024年6月 9日 (日)

本に婬する

 本を一日開かなかっただけで活字に飢えている自分がいる。今日は終日雨交じりの一日だったので、引き続きとっかえひっかえ本を読み散らしているが、同時並行して読んでいる本の入れ替えなどもあって、読みかけの本の数ばかりが増える。ただし、読み切ると決めている北方謙三『岳飛伝』全十七巻は全五巻まで読み進めたところで、これは途中で挫折することはなさそうだ。新たに戦列に加わったのが、松本健一『司馬遼太郎が発見した日本』、梨木香歩『僕は、僕たちはどう生きるか』。

 今まとめて読みたい本がいくつかあって、そちらへ手を広げるのを必死で抑えているところだ。

 いつになるか分からないが、司馬遼太郎『街道をゆく』全四十三巻、池波正太郎『真田太平記』全十六巻、ダン・シモンズ『ハイペリオン』シリーズ全九巻、『神谷美恵子著作集』全十二巻、あとは早川の海外SFノヴェルズ(たぶん二十巻ほどある)などを読みたいと思って、手近のところの本箱などに入れ替えてある。いつになるか分からないのは、読むつもりで積んである本が山のようにあるからだ。読書への集中力がなるべく長く続くように願っている。

カスハラ

 このブログに何度も書いたことだが、三波春夫の「お客様は神様です」ということばのもたらした害悪は計り知れない。いま問題になっているカスタマーハラスメントというのはまさにその結果ではないか。

 

 サービスする側もされる側も対等である。当たり前ではないか。どちらかが神様などであるわけがない。そんなことが分からないのは愚か者である。以前はクレーマーと言った。自分が神様だ、などと勘違いするどころかそう思い込んでいるのは狂人である。世の中がそのことをきちんと理解していないでおかしな妥協を積み重ねてきたことの付けがこんな事態を生んだ。

 

 サービスを提供する側が余儀なくされている恐ろしい立場を考えると、その立場に立ちたくないと思う人間がどんどん増えて、そういう仕事をする人間はどんどんいなくなり、人出不足はますます深刻になるだろう。私だってそういう仕事なんかしたくない。

読書のドライデー

 昨日は読書のドライデーにして、終日、本を開かずに雑用に当てた。掃除をしたり洗濯に当てるのはいつものことだが、録画していた『三分クッキング』を眺めて、いくつか試しに作ってみたい料理を選び、処方と手順をメモしたりした。くず野菜がたまったので、久しぶりに野菜スープを作る。そして大小六つほどある鉢の、二つを残して土を全て取り出して、根などを取り除き、腐葉土と土に混入する肥料を混ぜて入れ替えた。残した二つの鉢にはパセリとニラがあって、こちらは継続使用中である。

 

 土を入れ替えた一つには朝顔のタネを蒔いた。残りには細ネギの根(差しておけば活着する)を植えるつもりだが、全てそうするか、ほかに何か別のものを植えるか思案中である。屈んで作業するのは苦しい。たったそれだけのことをしただけで今日は背中や腰が痛い。そういえば拭き掃除もつらいなあ、めったにしないけど。

2024年6月 8日 (土)

核攻撃

 核攻撃がありえるかどうかと言えば、シンプルにいつか起きるだろうと言うしかないと思う。人間は持っているものなら使いたいと思うものだし、使えるのに使わないでいれば、使いたい気持ちはどんどんつのるだろうからだ。

 

 私はもちろん核兵器廃絶に賛成である。なくせるものならなくしたい。しかし、今まさに核兵器使用のボタンに手を伸ばしかけている、プーチンや金正恩やその他あれやこれやの顔ぶれを頭に思い浮かべると、悲観的にならざるを得ない。

 

 核兵器は使えるはずがない、などと言うけれど、現にアメリカは日本に投下した。一発ならず二発も落とした。そしてそれは正義だと言っている。今も言っている。それならどうしてまた落とさないでいられるだろうか。中国や北朝鮮はせっせと増産しているのだという。絶望的な気持ちになる。神は人類に愛想を尽かし、滅びの業火をもたらすために自分の代わりに悪魔を使うつもりらしい。

絵を見る

 読書に集中しすぎて頭がオーバーヒート気味になり(キャパが小さいのですぐオーバーヒートする)、眠ろうとしても寝付けなかったので、久しぶり(二十年ぶりくらいか)に富岡鉄斎の画集を開いた。まだ仕事を始めて間もない若い頃に、たまたま酔った勢いで買った画集で、ときどき開いては眺めていたものだ。

 

 絵は嫌いではない。中学生、高校生の時には図書館に入り浸っていた。本に囲まれているのが好きなのだ。読書に倦むと画集を開いた。さまざまな画集を見た。画集を見始めたのは、恥ずかしながら生まれて初めて女の人の裸の絵を見て驚いてからのことである。不純な動機からだが、次第に見慣れてきて、時代を系統的に追って絵画を眺めることが出来るようになった。自分で買うには画集は高価だから、図書館で思う存分に見ることが出来たのはありがたいことだった。

 

 だから大阪万博に行ったときは半日近くを万博美術館での芸術鑑賞に費やした。その頃には現代美術の方に関心が移っていて、万博美術館でも、シュールレアリズム絵画などをとくに丁寧に見た。そこで知ったダリ以後のウィーン派のアクリルペイントの絵などがお気に入りになった。ウィーン幻想派の展覧会も二度ほど見に行った。ハウズナー、フッター、フックス、ブラウアー、レームデンなど、今でも名前を思い出せる。学生時代には家庭教師のアルバイトをして『現代の美術』という全十二巻の美術全集を揃えて、一人で眺めて悦に入ったりしていた。今もときどき開く。

 

 ずいぶん久しぶりに富岡鉄斎の絵を眺めて思ったのは、こんなに賑やかな絵だったのか、ということだった。山水画であり禅画であるような彼の絵が賑やかだと言うことに初めて気がついた気がしたが、以前もそう感じていたのかもしれない。覚えていないだけかもしれない。

 

 名古屋にボストン美術館があったけれど、ずいぶん前に閉館してしまったのは残念だ。熱田神宮に行くとついでによく立ち寄ったものだ。今でもごくたまに美術展や美術館に行くけれど、もう少しこまめに展示情報を調べて出かけても好いな、と思った。

ゆがみ

 会田雄次の『ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界』(新潮社)の中の表題の文章を読んで感じたのは、思索が少し浅いということだった。そんなことをいえるほどの私ではないのだが、同様のことを書いた本を読んできて、これよりも深いものを感じたことがあるからである。だからといってこれを否定的に批判しようとは決して思わない。何よりも、会田雄次が自分自身で必死に考えたことを自分のことばで真摯に伝えようとしていることが分かるからだ。そのほかの文章で、彼の戦時の実体験を基に書いたものなどは迫力とリアルさがあって読み応えがあった。

 

歴史について書いたもののほんの一部を引用する。

 

 過去に対する正しい態度は、まず、時間と空間の距離を超え、自分がそこにあったというような共感を持つことが最初に要求される。それがあるからこそ第二の段階、それを現在の時点から、理解し批判するということが可能になるのだ。過去は過去の死体解剖によって理解されない。歴史とは生きて動いている過去との対話である。対話が出来るためには、そこに共通する何物かがなければならない。そのためには自分が過去に生きねばならないのだ。日本の歴史に対する態度には、この第一前提が抜けている。

 

 ここに書かれている、当たり前のことを子供の時に私に教えてくれた教師がいた。その先生には恩を感じる。それとは別の、日教組系の教師の社会の時の授業の時に、「法隆寺は聖徳太子が建てた」とおしえたら、ある子供が「先生、違うでしょ、法隆寺は大工が建てたんでしょ」と言った。「よくそこに気がついたね」と先生はその生徒を褒めていた。その生徒が自発的にそう考えたとその時にも思わなかったし、今も思わない。その先生がそう言うと褒めてくれるだろうことをその生徒は小賢しく考えたのだ、と私は感じて不快に思った。こういう教育が日教組的教育だ。

 

 中国や韓国がしばしば日本の「歴史認識」の間違いを指摘してくれる。その中国や韓国が教えている歴史は歴史だろうか、と私は疑問に思っている。それは日本の歴史教育にも大きく影を落としていることを実感してきたし、そのゆがみを払い落とすのに何十年もかけてきた。

 

 「コロンブスがアメリカ大陸を発見した」という教科書に、コロンブスが上陸して現地人と向かい合っている絵の載っている不思議さ。そのことを私はおかしいと思い、それが歴史のゆがみを取り払うきっかけになったといっていい。会田雄次もアーロン収容所で強烈に体験したものから思索を深めて、この『ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界』という文章で私に何かを伝えようとしたのだ。

2024年6月 7日 (金)

実感

 日銀総裁が、金利などの現状変更の基準である物価上昇が、目標である2%に届いているとは言いがたいという判断を示していた。この認識は統計的なものを見ての裏付けのあるものであろう。しかし年金生活者の私にとって、コロナ禍がほぼ収束してからの物価の上昇は、少なくとも10%を越えているような実感がある。限られた金が出て行くのを日々見ているから、その実感はたしかなものである。別の人がどう感じているのかは知らないが、物価上昇が2%に達していない、という判断に同意する人が多いとは思えない。2%に達していないなら、マスコミからマイクを向けられた人たちがこれほど口を揃えて生活がますます苦しくなった、と答えるはずもないだろう。

 

 どうしてこういう違いが生ずるのか。判断の基としてみているものが違うのだと思う。一般庶民とは違う、豊かな、ゆとりだらけの、使い切れないほど金がある人たちにとっては、殆ど物価は上昇していないか、もしかして下がってでもいるのだろうかとひがんでしまう。そうでないと勘定が合わない。

 

 金利を上げると、1000兆円を遙かに超えた国の借金の利子がたちまち年に何兆円と増えてしまうことが明らかだから、金利を上げることはそもそも無理なのだと思う。それなら、しなければならないことが分かっていても、金利を上げるという判断をできるだけ先延ばしにするしかないのだろうと憶測している。それが今の日本の国民にも政府にも幸せなことなのだろう。よく知らないけど。

読んだ本と読んでいる本

 佐渡から帰ってからこの一週間で、

読了した本
 北方謙三『岳飛伝 一』
 北方謙三『岳飛伝 二』
 北方謙三『岳飛伝 三』
 赤坂憲雄『境界の発生』
 会田雄次『ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界』
 栗本慎一郎・笠井潔『闇の都市、血の交換』

 

読みかけの本
 梅原猛『精神の発見』
 宮崎市定『東洋的近世』
 先崎彰容『福沢諭吉 文明論之概略』
 北方謙三『岳飛伝 四』

 

 読了したものには、佐渡への旅の前に読みかけだったものもある。いつもこんなペースで読めているわけではない。一週間に一冊しか読めないこともある。

 

 北方謙三の『岳飛伝』は全十七巻あって、今は三日に二冊程度のペースで読めているが、読み切るまで息が続けば(集中力が持続すれば)いいと願っている。これは『水滸伝』全十九巻、『楊令伝』全十五巻に続くもので、一つのストーリーの流れがこの『岳飛伝』で完結する。合わせて全五十一巻。全体としては『水滸伝』と『水滸後伝』などがベースになった壮大な物語だ。

 

 この『岳飛伝』を読了したら、これを手土産に群馬の友人に会いに行こうと思っている。ほかの本については別途ブログに書くつもりだ。

集中力

 生きていく上で大事なことはいろいろあるが、若いときから集中力が最も大事なものだと思っている。いざというときにどこまで集中できるかで自分の持てる力を限界まで高めることが出来る。だから試験は嫌いではなかった。試験のための努力は苦手であるが、試験をしているときの、そこで全力集中しているときの自分が面白いと思う。仕事でも、集中力を高めて事に当たれば、無理だと思った難題であっても自ずから道は開けるという経験を度々してきた。

 

 だからいざというときに自分の実力を発揮できなかったというのは、言い訳としてお粗末だと思っている。もちろん私だって集中できなかったことによる失敗はあるが、それを泣き言にしたことはない。オリンピックなどで、しばしば普段の実力が発揮できなくて惨めな結果に終わる選手を見るが、そんな大事なときに集中しきれずに実力を発揮できないというのは、お粗末だと思うし同情できない。本当はもっと実力があるのに、などと言うのは寝言だと思う。

 

 映画を見るときも本を読むときも、とことん集中する。ほかのことは一切遮断する。スマホに着信があったのに気がつかない、などということも普通にある。本が読めているとかあまり読めない、とこのブログにときどき書くのは、そういう集中力が持続したりしなかったりすることによる。自分のエネルギーが不十分なときは、集中力が持続しないのだ。だから充電が必要になる。

 

 さいわい佐渡行で十分充電できたので、いま本が面白いように読めている。どんな本を読んでいるのかは次回に。

2024年6月 6日 (木)

少子化

 日本も出生率が下がり続けて昨年も史上最低となり、東京では日本で初めて1.0を切ったと報じていた。それを報じた昨朝のNHKでは、それに続けて子育ての苦労を、苦労している母親の姿や愚痴を通して丁寧に描いて見せた。何なのだこれは。少子化が問題であるかのように報じながら、子育てはこんなに大変なんですよ、と脅かしている。これでは子供を作るのはあえて苦労を背負い込むことだと伝えているとしか思えない。

 

 たしかに子供を育てるのは大変である。私は子供ふたりが小学生になってからは男手一つで育てたが、幼児のときに男手で育てることを想像すれば、経験からそれがどれほど大変か、実感として分かる。しかし、同時に子供がいるということがどれほど生きる励みになったことか。そしていま、かけがえのない存在があるということをありがたいことだと思っている。子供を育てるということは損得でも見返りを求めることでもない。いてくれてうれしいという思いが、どれほど人間にとって大切なことかを知ることが出来るということだ。

 

 夫婦が互いをかけがえのないものとして思い続けられるのなら、それも生きる糧であろう。だから子供がいなくてもいいという考えを私は否定しない。ただ、自分も、もともと両親の子供であり、両親が苦労しながら育ててくれた存在なのだということも考えてほしいと思うばかりである。

 

 日本の少子化はもうどうにも止められないだろう。その理由については以前少し考えた。NHKの報じ方もその表れだと思う。その理由に対する本当に必要な対策と、いま、政府や、さまざまなところが行おうとする対策にはズレがあるような気がしていて、根本的な部分に届きそうもない。そして根本的なところに届くことをするにはもう遅いと感じている。その先のことは知らない。

さらば、佐渡

佐渡は道が良くなっているので、私が過去の経験から想定する時間より移動に時間がかからない。二ツ亀の宿を出て、西海岸の荒々しい海岸とは違って、比較的に穏やかな東海岸を南下した。フェリーまで時間があるので白雲台の展望台に上ることにした。かなりの急勾配の狭い道を一気に上る。

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霞んでいるけれどなんとか下界を見ることが出来た。こちらは両津側。手前が加茂湖でその外側は両津湾だ。フェリーは両津湾を出て行く。

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こちらは真野湾。遙か向こうが小佐渡の小木の方面だ。そこでたらい舟に乗った。

満足して山を下り、土産を買ってからフェリーに乗る。

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甲板に出てみたら、ジェットフォイルが入港してくるのが見えた。

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さっき行ってきた白雲台の展望台は左の方の山にある。

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カモメがお見送り。

 

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もやいが解かれて出航だ。

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船内でかっぱえびせんが売られていて、それを目当てにカモメがたくさん寄ってくる。

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最後のカモメが離れていった。さらば、佐渡。またくるからね。好い旅だった。

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ジェットフォイルに抜かれる。向こうの船は新日本海フェリーの船だろう。北海道へ行ったときにはこれに乗った。佐渡には寄らないが、新潟には立ち寄る。

これにて佐渡の旅の報告終わり。

二ツ亀

佐渡最北端の二ツ亀の宿に到着。早めについたので四人で散策に出る。ここは海から見れば高台になるから、海辺へはずいぶん下っていかなければならない。むかし友人と二ツ亀の民宿に泊まったことがあるが、その民宿は海辺にあったから、キャンプ場に車を置かせてもらって、階段を降りていった。

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宿からだいぶ降りたところがキャンプ場になっていて、そこから二ツ亀が見下ろせる。

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潮が引けば歩いて渡れることもある。

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東京まで直線距離で311キロ。

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二ツ亀も結構荒々しいのだ。

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弟夫婦と妹は階段を降りて散策に行った。私は上のベンチで潮風に当たってのんびりする。ゴミがたくさん漂着しているのが見苦しい。佐渡の人が捨てたとは思えない。

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賽の河原まで行くつもりが遠そうなので途中で引き返したそうだ。二ツ亀へ渡れるか見に行ったが無理だったという。みんな元気だ。

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宿のテラスから見える二ツ亀。

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部屋から見える風景。二ツ亀の頭が見えている。黄色い花はよく見るとタンポポのようだ。ロゼッタをなしている葉がタンポポのものだった。

佐渡の報告はあと一回だけなので、お付き合い戴ければありがたい。

2024年6月 5日 (水)

不正か無視か造反か

 自動車会社が政府基準に対して不正をしたとニュースになっていた。以前にもあったことだが、今回は五社ほどがそろって不正を明らかにした。不正というくらいだから正しいことではないと皆が思うし、私もそう思うが、どうして五社一斉なのか。一斉に明らかになったのか、明らかにしたのかそれが気になる。どうも自ら明らかにしたように見える。それはどうしてなのかと考えた。

 

 各社のトップが頭を下げていたが、同時にそれぞれの車の安全は心配ないと明言していた。不正をしておいて心配ないとは何事か、と単純に考えて、はて?・・・もし安全性に心配がないのが事実なら、政府の基準とはなんなのかと思った。各社がそろって政府の基準を無視していたことは、技術者たちが政府の基準は無意味だと見なしていたことではないのか。そしてその無意味さを今回一斉に不正を明らかにすることで主張しているのかもしれない。

 

 もちろん無視してはならないこと、おろそかにしてはならないことというのは厳然としてあって、それを逸脱することで安全性に関わるのであれば犯罪である。そのようなことがクリアされていないのにクリアしたと報告していれば、それは厳しく糾弾されなければならない。個別に見て、一連の不正の罪の重さにかなりの幅がありそうな気がする。

 

 しばしば見聞きすることだが、役人は現場を知らないことが多い。現場を知らなければ知っている人間の話をよく聞いてその上で基準を作るのが正しい基準作成の手順だろう。私が今回の事案で感じたのは、現場の実情と役人の作成した基準の乖離に対して、技術者の造反が行われていたということのように見えてきたのである。事実は知らない。

無知の暴力

 正しいか正しくないかの基準は人によって、そして国によってずいぶん違う。さはさりながら・・・。

 

 若いときから中国に興味があって、日本歴史よりも中国史の方が詳しいくらいになったし、文化大革命についてもずいぶんいろいろ本を読んだ。だから外国へ行くなら中国へ、と思っていた。あるていどのゆとりが出てきて、中国への渡航も自由になってきたので、中国に行くことを決めたのが1989年のことだった。その1989年に天安門事件が起きた。結局実際に私が中国へ行ったのは、その二年後になった。

 

 昨日六月四日は天安門事件から三十五年目の記念日だった。中国政府は天安門事件がなかったかのようにすることを国民に強要し、その記憶をよみがえらせるような行動に対して異常なほどの規制を行っていた。

 

 目についた報道はいくつかあったが、天安門事件によって命を失った遺族の自宅の前に公安だか自警団だかの人物が終日居座り続けた、というのがあった。たぶん何百件、いやもっと多くのあちこちでそういう規制行動が行われていたのだろうと想像した。政府の正式発表では数百人の死者だが、実際は桁が違うといわれている。

 

 こういう中国政府の指示に従う、または自発的に行動する人たちの正義とは何かと思う。自分が正しいことをしていると思っているのだろう。彼らは実際に何があったのか、どうしてそういうことが起きたのか、何が正しいのかを判断するだけの知識を持たないし持つことが出来ないでいて、自分が無知であるという自覚がない。知らないまま正義だと思う沈黙の暴力を行使しているように見えた。

 

 ところで、日本では中国と違っていくらでも知ることが出来るのに知ろうともしないし知る必要があるとも思わずに無知でいる人がいる。私だって目くそ鼻くそを笑うの類いではあるけれど、知ろうと努めている。無知の暴力を行使する人間にだけは断じてなりたくない。

佐渡・大野亀

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大野亀を見上げる。この山は一つの岩で出来ている。

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弟は登ろうかどうしようか考えている。30分あれば登れるぞとそそのかす。

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弟夫婦と妹は行けるところまで行く、といって登り始めた。私はもちろん行かない。大佐渡の背骨が背後に見えている。金北山の1172メートルをはじめ、大佐渡の背骨は意外と高いのだ。高いところには自衛隊のレーダー基地などがあり、進入禁止の地区もある。

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どの辺まで行ったのだろう。

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途中ぬかるんでいるところがあったり、しかもかなり急勾配なので、頂上には行けなかったそうだ。無理は禁物だ。

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大野亀から二つ亀を遠望する。この日の宿は二つ亀の見える宿である。大野亀から二つ亀まで遊歩道が繋がっているが、我々は車で向かう。

2024年6月 4日 (火)

大野亀のトビシマカンゾウ

佐渡は、二つの島が国中平野という水田が多くて豊かな平野で繋がっている形になっている。北側を大佐渡、南側を小佐渡という。今大佐渡の西側を先端部に向けて北上していて、奇岩怪石の多いこのあたりを特に外海府という。真更川というところあたりから海岸には道がなくなり、一気に高台、断崖の上の道を走ることになる。そのあたりからセンターラインのない、車がすれ違うことが困難な狭い道なので運転する人は大変だ。その途中に海府大橋という橋が架かっていて、そこには断崖の上から滝が流れ下って直接海に注いでいる。車を置くスペースはないが、むかしはここで降りて写真を撮ったりした。今回は停まらず。

断崖を登り切ってしばらく行くと景勝地の大野亀というところに出る。

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大野亀には駐車場のスペースがある。逆光なのでわかりにくいが、次回にもう少しわかりやすい写真を掲載する。この大野亀は海抜167メートル。足に自信のある人はここに車を置いて、頂上まで行くのだ。

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満開のトビシマカンゾウ。ニッコウキスゲの仲間だが、大きい。この時期には佐渡のあちこちの海岸で見ることが出来る。

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遊歩道を歩く。一度下り、海が見下ろせるところまでいったら、大野亀の登り口となる。そこまで行くことにする。

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遊歩道の両脇にたくさん咲いている。

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多少ぶれているのが残念だが、こういう花である。一日咲いて夜にはしおれてしまう。次々に咲く。

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見事なお花畑。

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結構歩く。足場は良い。

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ようやく海が見下ろせるところまで来た。大野亀そのものについては次回に報告する。

和魂漢才?

 今読みかけの本の一冊に、会田雄次の『ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界』というのがあって、若いころ、古本屋で目にとまったので手に入れて読んだ。名作として名高い『アーロン収容所』を読んだばかりだったのだ。『ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界』は、いくつかの評論をまとめたもので、西洋史学者で京都大学名誉教授のの会田雄次が、西洋人が日本を、そしてアジアを見る目と、日本人が西洋を見る目の違いを、彼なりにわかりやすく際立たせて書いたものだ。若いときはおざなりな読み方で、今でもたいした違いはないかもしれないが、その当時よりは少し深く読めた気がしている。

 

 それは何冊か先崎彰容の本を読んできたおかげかと思っている。特に『鏡の中のアメリカ』という本で考えさせられ、新しい視点を教えられた。少し先になると思うが、このあともう一度先崎彰容に戻って、福沢諭吉の『文明論之概略』を彼なりの解釈で現代語の文章にした本を読もうと思って準備していて、そこで同じ論点を複眼的に見直すことが出来るのではないかと思う。ベースに養老孟司の影響も少なからずある。

 

 『ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界』を読みながら、「和魂洋才」ということばを思い浮かべたのだが、私の小さな国語辞典で調べたら、「和魂洋才」はなくて、「和魂漢才」ということばが載っていた。ことばは違うが意味は同じである。私が戦後教育を受けて、歴史認識や価値観がその教育によって形作られていること、その価値観がアメリカ的なもの、西洋的なものであることを知り、そのベールによるゆがみをなんとか矯正したいと思いながらさまざまな本を読み、矯正しているのかさらにゆがませているのか分からないときもあった。多くの知識人がいる中で、それを自覚的に行って、曇りのない目で世界が見えている人はわずかしかいないと思っている。会田雄次にしても、その矯正しなければという意識が強すぎる面が見えてしまうが、彼がものを考えていた時代というのを考慮すれば仕方がない気もする。少なくとも問題点をきちんと認識していたという点で優れた先達なのだ。

波蝕甌穴群

地図に、波蝕甌穴群(はしょくおうけつぐん)というのが見られる場所があるというので立ち寄った。甌穴というのは川の流れの強いところで出来るもので、飛騨川の途中にもあり、また東洋一と言われるものが奥津温泉の近くの奥津峡にあって、実際に見に行ったことがある。硬い石が柔らかい川床をくるくると回りながら削り続け、やがて甕のような穴を作っていく。海で、打ち付ける波と石で作られる甌穴というのもあるのだ。

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これがそうなのかどうかよく分からない。

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私がここだと勘違いした場所をどんどん進んだけれど、判然とせず、皆が引き返したところ。足もとの危うくなった私にはちょっと危険なところであった。

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手をつくとザクザクして痛い。石灰岩が風化しつつあるのだと思う。

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なんとなくそれらしいところが見えた。

 

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地元の人に、下の方へ降りれば見られるけれど、若い人でないとあぶないよ、といわれた。

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こんなのも波蝕甌穴なのだろうか。

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こういう穴が波蝕によるものだというのは分かるのだが・・・。

結局全員が不完全燃焼のままであった。

つぎへ進む。

2024年6月 3日 (月)

昼過ぎに

 昼過ぎに娘がやってくる。佐渡の旅のささやかな土産を届けようとしたら、自分が行くという。心配していた体調はやや持ち直して、出かけるのに差し支えないようだ。昼過ぎといってもたいてい娘はゆっくりで、三時過ぎになるだろう。お茶とお茶菓子の支度をして佐渡の写真などを見せながら話をするつもりだ。亭主が仕事が済んでから迎えに来るはずだから夜までいると思うが、帰って亭主に飯を食わせなければならないから、夕食を一緒に食べることはないと思う。亭主は正月くらいしか私の家で飯を食べることはない。気を遣いたくないのだろうし、腰を痛めているので、椅子でない私の家では座り続けるのが苦痛らしいから仕方がない。私の座椅子に座れ、というのだが、さすがに私を差し置いて座るわけにも行かないようだ。

 二日続けて一滴も飲まないドライデーにした。体重はそう簡単には減らないが、少しむくみ気味だった膝から下のむくみが引き出した。心身ともに定常モードに戻りつつある。録りためたドラマや映画を見たり、読みかけの本を読んだりしている。いまは読みかけの本が十冊ほどもある。手を広げずにこれらを片付けていこうと思う。読んでいない本や、きちんと読めていない本がたくさんある。私にとって、とにかく新しい本さえ買わなければ、読書が一番安上がりなのだ。

 

尖閣湾

尖閣湾を見渡せる岬の先へ行って絶景を眺め、写真を撮る。

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波の荒いあたりを遊覧船が回ったから揺れたのだ。

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岬の先端部。花が咲いている。ここは断崖の上である。

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尖閣湾らしい景色。

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ずっと先の方まで続く。むかし、その向こう側からこの揚島まで、四十分あまりの遊覧をしたことがある。

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絶景である。

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さっき乗った遊覧船を見下ろす。実際にはずいぶん高低差がある。

このあと外海府を海沿いに北上する。

2024年6月 2日 (日)

尖閣湾の遊覧船に乗る

揚島遊園というところが尖閣湾の景色を眺めたり遊覧船に乗るところになっている。断崖の上にある。

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断崖の上の切符売り場で乗船券を買い、当然乗り場は下だから階段を降りることになる。最後はこの洞窟の向こうに降りて<その洞窟の中をくぐり抜ける。

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カモメがお出迎え。こういう斜めの地層を見るとわくわくする。もともと好きだが、タモリの影響も大きい。

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カモメはたくさんいて、人慣れしているから近くまで行っても逃げない。

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これから船で出ていく入り江。

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こういう景色も見える。これが尖閣湾の特徴的な断崖。

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これから私たちが乗る船。切符売り場のおねえさんが、「今日は波があるから揺れますよ、それでも乗りますか?」と訊いた。もちろん乗る!女性陣はちょっと不安顔。

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さあ、出航。

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窓は開くが、乗客が眺める外のデッキらしいものはない。

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入り江の外へちょっと出たら、大きく揺れ出した。

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でも景色は期待通り。グラスボートになっているので海の中も見えるが、私は外の景色を見るのが好きだ。

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この写真で揺れが多少分かってもらえるだろうか。いつも揺れるところだが、この日は格別揺れた。

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このゴジラみたいな岩のところを過ぎてもとの入り江に戻った。むかしはもっとぐるりと回ったものだが、ダウンする客が多いので、今はたったの15分の遊覧である。

このあと上に戻って景色を眺める。絶景である。

佐渡金山・選鉱場跡を見に行く

昨晩はずいぶん久しぶりに酒を飲まずに爆睡した。やはり疲労していたのだ。この頃は、一人旅のときは連泊するようにして、スケジュールも緩々(ゆるゆる)にする。独り暮らしは用事に追われることがあまりないから出来ることだ。

今朝は起きてもぼんやりしていてブログになかなか手がつかず、朝食をとってゆっくりしたあと、ようやくスイッチが入ったところだ。

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佐渡の金山の坑道、宗太夫坑を見た後に道遊の割戸を見に行った。よく写真で見る姿は道遊坑という坑道を抜けないと見られないそうだ。私が撮った場所は、金山の第3駐車場からのもので、これでも十分である。この、山が割れているのは人間の営みが創り出したもの。

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その後、選鉱場跡を見に行く。ここはまだ見たことがなかったので見るのが楽しみだった。

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不思議な景色である。

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向こうに見えるのが、たしか水を沈下浄水する設備だったかと思う。見た目よりも大きいものだ。

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こうして植物に覆い尽くされ、次第に朽ち果てていくのだろう。廃墟跡など、そういうものを見るのが好きだ。そこに時間の厚みを感じる。人間の営みなど、時間の厚みのもとでは些細なものなのだと思う。

このあと佐渡に来たら必ず立ち寄ってほしいと私が思う絶景の場所、尖閣湾に向かう。

2024年6月 1日 (土)

無事に帰着

朝早くに千葉の弟の家を出発したので、昼前には無事名古屋の我が家に帰着した。

洗濯物がたくさんあるので、二回に分けて洗濯。全て片付いた。

弟が撮ってくれた私の写っている写真をSDカードに入れてもらったが、自分の思っている自分と映っている私とはずいぶん違う。ダンディで魅力的なおじいさんとまではいわないが、もう少しマシかと思い込んでいたのに、現実はずいぶん残念な姿である。とにかく顔がでかい。葬式写真に使えそうなのがあるかなあ。

ずいぶん散財が続いたし、今月は車検である。しばらくおとなしくしていないと蓄えが底をつきそうだ。さいわい時間を潰すための材料、本や録画した映画はたっぷりある。美食と適量を超えた飲酒が続いたので、体重も増えてしまった。しばらく節制をしなければならない。

明日からまた旅の報告の続きを掲載するつもりである。

佐渡金山・宗太夫坑

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相川の佐渡金山へ行く。ここに入るのは何度目だろうか。人形はきれいになり、ライトも明るくなっていた。

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水をくみ出している。

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掘り出した鉱石を運ぶ。

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鉱脈に沿ってあちこちに掘り進む。

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休憩中。雑談の声が聞こえる(空耳ではなく実際に聞こえる)。

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鉱石が選別され、精錬され、金になっていく様子を見ることが出来る。

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よく出来ている。

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取り出せたらもらえたという話もあるが、今は持ってみることが出来るだけである。手は弟のもの。私はちょっだが持ち上げることが出来た、重かった。

このあと、道遊の割戸を見て、さらに選鉱場の後を見に行く。

たらい舟

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前日の雨で流れ込んだ水や岩から水がしみ出したりして水がいつもより濁っているそうだ。

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おっかなびっくり乗り込む弟。私は足もとがあぶないから乗らない。

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たらいの真ん中から水底をのぞき込めるようになっている。

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水深は3~4メートルだそうだ。

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こんな感じの小さな湾内をたらい舟はぐるりと回る。

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空は青く海も青い。

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ところどころにオレンジ色の山百合が見える。今、佐渡はいろいろな花がたくさん咲いている。

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弟たちはたらい舟を楽しみ、私は景色を楽しんだ。たらい舟は小木港にもあるが、こちらはちょっと宿根木に近い方の矢島・経島のたらい舟である。道が狭い。

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