雑感
NHK朝ドラの『虎に翼』を録画して、週末にまとめて見ている。朝ドラをときどき断片的に見ることはあったが、全て見るのは初めてかもしれない。主演の伊藤沙莉のファンだから見ている。期待通りである。見ていない人には何のことか分からないかもしれないが、先週の私の感じたハイライトは、遺産相続の醜い争いの果てに、梅子が涙混じりの高笑いのあとに言い放ったことば、そして「ごきげんよう」という決別のことばだった。
女は何かに帰属していなければ幸せになれないのだ、という全員の思い込みに対して、梅子が本当の自立を果たした瞬間であった。『人形の家』のノラの日本版と言ってもいいのではないか。依存しながら自立したい、などというヤワな気持ちでは発することの出来ない鮮やかなことばで痛快であった。
アメリカ大統領候補の討論会の結果について、さまざまな評価、論評の番組を見た。トランプが点数を稼ぎ、バイデンは失敗した、というのが多くの見解で、その通りなのだろう。しかし野次馬の私から見れば、お粗末極まりない泥仕合にしか見えなかった。なんなのだろうこれは、という思いである。アメリカが衰退し、没落しつつあることをこれほど端的に表した戯画はないと思う。個がますます尊大化、肥大化し、公的なものが軽視され、信頼が失われてしまった世界の醜さは、他人事ではなく、振り返ればまさに日本も、という思いがした。
ウクライナの問題とパレスチナ問題は裏表に見える。ウクライナ問題はロシアが悪役でウクライナとNATOが正義であるが、パレスチナではイスラエルとアメリカが悪役で、ガザの人々が被害者であるように私には見える。その基準は単純で、無辜の人々、とくに子供が無差別に殺されているかどうかということにある。子供を殺して正義はないと思っている。この図式に、アメリカの正義の二面性を思い、不信感を持たざるをえない。
この雑感で取り上げた二つのこと、個の確立と個の肥大化があたかも裏表のように進んでいるように見えるが、それはたぶん個の確立ということへのはき違えが、他者に対しての思慮を失わせて個の肥大化を生んでいるのであって、じつは個はちっとも確立してはいないのではないかと思っている。豊かさがこの甘えを許してきたけれど、これから世界は豊かではなくなっていくと思う。そうなったときにどのような醜い世界が出現するのか、それをアメリカが近いうちに見せてくれそうな気がする。
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