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2024年6月22日 (土)

時間、今

 哲学者の大森荘蔵と坂本龍一の対談本『音を視る、時を聴く』(朝日出版社)を読んだ。手持ちのレクチャーブックシリーズはこの本ともう一冊で読了する。この本は『哲学講義』というテーマだ。最初に「いま」について考察していく。過去、現在、未来、というときの現在には厚みがあるか、ということが論じられる。現在が写真の一齣のようにゼロ時間に閉じ込められているか、ということだ。そうではないという前提を私も首是する。では現在に厚みがあるとして、その幅はどれくらいか。そうするとどういう仮定も矛盾してしまう。だから現在には厚みはないのか。

 

 そこから思索が展開していくことにより、時間というものの不思議さに思いが至る。そのことは、私もむかしから考えていたことなので多少は分かるところがある。アインシュタインの相対性理論を持ち出すまでもなく、光には伝達速度があることを理解すれば、果てしなく遠い星からの光が地球上の私の目に届くまでに長い時間がかかっているわけだ。それなら私の見ている星は遙か昔のその星の光で、私は過去を、現在というこの瞬間に見ていることになる。過去と現在が同時に混在することになる。

 

 そこまで極端ではなくても、動くものと静止しているものとの時間はわずかなずれを生ずることは相対性理論で説明されている。学生時代にガモフの科学啓蒙書でざる頭ながら必死で理解しようと努めたことだ。それなら現在に厚みがないはずがあろうか、と思う。そうでなければゼノンのパラドックスが成立してしまい、宇宙は運動というものも成り立たない静止した世界になってしまう。

 

 この本の帯には「<私>はいない」とある。「見る私」主体と、「見られるもの」客体という考え方を大森荘蔵は否定する。ある意味での二元論否定であり、そして西洋哲学の「私は考える、故に私は存在する」という前提の見直しを提唱する。世界はただそこに立ち現れる、という。なんとなく分かる気もするが、理解するには遙かに遠い。哲学というのは、ものの見方を根底から見直すことを求めるものなのだということを改めて教えられたということしかできない。

 

 この本で論じられていることで理解できたことは少ないが、時間というものの不思議さを久しぶりに考えることが出来た。

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