核攻撃
核攻撃がありえるかどうかと言えば、シンプルにいつか起きるだろうと言うしかないと思う。人間は持っているものなら使いたいと思うものだし、使えるのに使わないでいれば、使いたい気持ちはどんどんつのるだろうからだ。
私はもちろん核兵器廃絶に賛成である。なくせるものならなくしたい。しかし、今まさに核兵器使用のボタンに手を伸ばしかけている、プーチンや金正恩やその他あれやこれやの顔ぶれを頭に思い浮かべると、悲観的にならざるを得ない。
核兵器は使えるはずがない、などと言うけれど、現にアメリカは日本に投下した。一発ならず二発も落とした。そしてそれは正義だと言っている。今も言っている。それならどうしてまた落とさないでいられるだろうか。中国や北朝鮮はせっせと増産しているのだという。絶望的な気持ちになる。神は人類に愛想を尽かし、滅びの業火をもたらすために自分の代わりに悪魔を使うつもりらしい。
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