絵を見る
読書に集中しすぎて頭がオーバーヒート気味になり(キャパが小さいのですぐオーバーヒートする)、眠ろうとしても寝付けなかったので、久しぶり(二十年ぶりくらいか)に富岡鉄斎の画集を開いた。まだ仕事を始めて間もない若い頃に、たまたま酔った勢いで買った画集で、ときどき開いては眺めていたものだ。
絵は嫌いではない。中学生、高校生の時には図書館に入り浸っていた。本に囲まれているのが好きなのだ。読書に倦むと画集を開いた。さまざまな画集を見た。画集を見始めたのは、恥ずかしながら生まれて初めて女の人の裸の絵を見て驚いてからのことである。不純な動機からだが、次第に見慣れてきて、時代を系統的に追って絵画を眺めることが出来るようになった。自分で買うには画集は高価だから、図書館で思う存分に見ることが出来たのはありがたいことだった。
だから大阪万博に行ったときは半日近くを万博美術館での芸術鑑賞に費やした。その頃には現代美術の方に関心が移っていて、万博美術館でも、シュールレアリズム絵画などをとくに丁寧に見た。そこで知ったダリ以後のウィーン派のアクリルペイントの絵などがお気に入りになった。ウィーン幻想派の展覧会も二度ほど見に行った。ハウズナー、フッター、フックス、ブラウアー、レームデンなど、今でも名前を思い出せる。学生時代には家庭教師のアルバイトをして『現代の美術』という全十二巻の美術全集を揃えて、一人で眺めて悦に入ったりしていた。今もときどき開く。
ずいぶん久しぶりに富岡鉄斎の絵を眺めて思ったのは、こんなに賑やかな絵だったのか、ということだった。山水画であり禅画であるような彼の絵が賑やかだと言うことに初めて気がついた気がしたが、以前もそう感じていたのかもしれない。覚えていないだけかもしれない。
名古屋にボストン美術館があったけれど、ずいぶん前に閉館してしまったのは残念だ。熱田神宮に行くとついでによく立ち寄ったものだ。今でもごくたまに美術展や美術館に行くけれど、もう少しこまめに展示情報を調べて出かけても好いな、と思った。
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私も気を落ち着かせたい場合や、新たな作品に取り掛かるときなど,弾みを得るために美術館に出かけることがあります。
幸い近辺の県、市町にも美術館が数か所にあり、都内まで行かずとも格調高い美術に触れることができます。同じ美術を数回観るという事も絵を学ぶものには必要な事ですし、その都度新たな発見を得るという事もあります。また、何も望まずただ美術館の静かな雰囲気に浸っているということもいいものです。
投稿: おキヨ | 2024年6月 8日 (土) 18時01分
おキヨ様
同じ画集を見ても、見るときによって全く違う印象を持つことがあるのが不思議です。
見えなかったものが見えることもあります。
美術館などで実物と対面すれば、受けるものははるかに大きいでしょうね。
一番最近では川瀬巴水展を見に行きました。
素晴らしかったです。
投稿: OKCHAN | 2024年6月 8日 (土) 18時33分