実感
日銀総裁が、金利などの現状変更の基準である物価上昇が、目標である2%に届いているとは言いがたいという判断を示していた。この認識は統計的なものを見ての裏付けのあるものであろう。しかし年金生活者の私にとって、コロナ禍がほぼ収束してからの物価の上昇は、少なくとも10%を越えているような実感がある。限られた金が出て行くのを日々見ているから、その実感はたしかなものである。別の人がどう感じているのかは知らないが、物価上昇が2%に達していない、という判断に同意する人が多いとは思えない。2%に達していないなら、マスコミからマイクを向けられた人たちがこれほど口を揃えて生活がますます苦しくなった、と答えるはずもないだろう。
どうしてこういう違いが生ずるのか。判断の基としてみているものが違うのだと思う。一般庶民とは違う、豊かな、ゆとりだらけの、使い切れないほど金がある人たちにとっては、殆ど物価は上昇していないか、もしかして下がってでもいるのだろうかとひがんでしまう。そうでないと勘定が合わない。
金利を上げると、1000兆円を遙かに超えた国の借金の利子がたちまち年に何兆円と増えてしまうことが明らかだから、金利を上げることはそもそも無理なのだと思う。それなら、しなければならないことが分かっていても、金利を上げるという判断をできるだけ先延ばしにするしかないのだろうと憶測している。それが今の日本の国民にも政府にも幸せなことなのだろう。よく知らないけど。
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