注目なんかされたくない
世間の注目をあびたいと思う人がけっこういるようだ。芸能人などは、たいていが注目をあびたくて芸能人になったのだろうと思うが、違うのだろうか。何らかの功績、社会的貢献などで注目をあびるのはめでたいことである。しかしそういうものに世間が注目を浴びせることは案外少ない。私なんか衆に優れる何物もないから、注目されることもないし、それ以前に注目なんかされたいという気持ちがそもそもない。それなのに、もしも注目などされれば恥ずかしさにいたたまれないだろう。
顰蹙を買うようなことをしてでも世間の注目をあびたいと思う者までいるのは私の理解の外だが、それをマスコミはもてはやしたりするから、ますます「注目をあびる」ことそのことに何か価値があるように錯覚するのだろう。人がとてもかなわないことで注目をあびている場合と違って、やろうと思えば誰でもできるけれどしないこと、などで注目をあびれば「俺だって、私だってできるのだけれど・・・」と、注目されたことそのことを妬んだりされる。
フワちゃんとかいうタレントだかなんだか知らない異様な格好をした女性がテレビに出ておかしなしゃべり方をしているのを初めて見て、目を背けた。私の感覚では受け付けない人種なので、なるべく遭遇しないようにして、見かければチャンネルを変えた。そのフワちゃんの話題がしきりにネットニュースを騒がせているので、何のことかと記事を読んでみたら、炎上狙いが成功しすぎて消火不能の大火になっているようである。もてはやしておいて、つまずくと足蹴にするというのは世間の常であるが、彼女こそ何でもいいから世間の注目をあびたい、という願いをかなえた人で、それで金もしこたま稼いだのであろう。世間の妬みそねみを受けるのも自業自得か。
彼女が退場してもつぎがいくらでもいるのだろう。
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コメント
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何でもいいから、世間に知ってもらってなんぼという職業なのですね。
タレントという職種もやたらとなり手が増えればあとは潰しあいでしょうか。
特殊な才能が必要な、例えば画家という職業になりたい場合は、優れた才能がまず必要。あったとしても世間が認めなければその才能は無いと等しかったと思います。この場合の世間とは、一般世間ではなくて、当時の美術界を君臨する人物たちでした・・・。
わかりやすい例で、モジリアーニなど当時の巨匠たちも、広く世に知られるようになったのは、本人がこの世の人として終わってからでした。
・・・タレントという職業も才能が必要でしょうね。タレント職に憧れてもその職種に才能が無ければ続かないと思いますが・・・。
投稿: オキヨ | 2024年8月 8日 (木) 12時01分
おキヨ様
一瞬の油断で凋落するのが芸能界で、それを泳ぎ切るのが才能、ということらしいですね。
命綱なしの綱渡りを喝采して眺める図というのは、あまり品のいいものとは思えません。
どんどん興味がなくなりますね。
むかしは新聞をとっていたので、週刊誌の広告を見て芸能界の情報を得ていましたが、いまは新しい情報を得る手段がなく、ますます疎くなりました。
投稿: OKCHAN | 2024年8月 8日 (木) 12時13分