終戦記念日
今日は太平洋戦争の終戦記念日。これを終戦というか敗戦というか、議論があるという。どちらもことばとして間違っているわけではないからどちらでも好いようなものだが、終戦記念日ということの方が多いのでそれに従う。ところで戦争や災害を記念する、というのにむかしからなんとなく違和感を感じていた。「記念」ということばを手許の辞書で引くと、「後日の思い出として残しておくこと」「また、過ぎ去った物事を思い起こすこと」とある。前の意味だと、思い出というものからくる感覚として、いやなことを記念するのはなんとなく違和感を感じるのだ。しかし、終戦記念日などは、後の意味として受け取れば別に問題ないようである。
この前のブログに重なるけれど、戦争はどうして起こるのか、それを知るには歴史を遡って考えなければならない。私も、空襲で焼け出され、焼夷弾の降る中をかろうじて生き延びた母の体験を子供の時から繰り返し聞かされたので、大学に入ってどうして戦争が起きたのか、太平洋戦争とはどういう戦争だったのかを知るために、さまざまな立場からの本を読みまくった。アメリカの情報将校だった人の詳細な記録も読んだ。戦争に至る経緯を知ろうとすると、日中戦争について、そして第一次世界大戦について、さらに日清日露戦争について、明治維新について、そしてアヘン戦争について遡ることになった。ついには中国史にのめり込んでいったのだが、原因が結果を生み、それがまた次の原因になっていくのだから、それはつきない探求になっていく。ついには人間とは何か、という話になってしまうのである。
それでも、どこかに転換点のようなものを仮に置いて考えることも必要で、そうでないと、すべては成り行きだから仕方がないということになってしまう。原因と結果という因果の連鎖の、どこにくさびを打って考えるのか、そのためには最低の知識が必要だ。そのくさびを打つために歴史をときどきひもといている。戦争反対を叫ぶのならそれとともに、歴史をよくよく尋ねてほしいと思うゆえんである。
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コメント
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私は潔く敗戦記念日というべきと考えます。どう取り繕うとも実際は戦争に負けたのが事実なんですから。。。これを曖昧なことにするのはいけない事だと思います。そして戦いに脆くも敗れたのだから2度とこういう事態を起こさないと肝に銘じることです。
生き物のすべからくは戦いの連続。今戦っていなくともいつかは必ず戦いを起こすのが生き物の宿命と考えて間違いないと思うと何か空しいですね。人類がこの先もっと強く賢く生きていくことを望みます。
・・・なんだか柄にもない事を言ったような…(-_-;)
投稿: おキヨ | 2024年8月16日 (金) 13時57分
おキヨ様
戦争で負けたことで日本は経済的に大復興しましたが、精神的、文化的にはおかしなアメリカ化が進んで退廃してしまいました。
負けたことを生かすことができなかったのは残念なことです。
それはなぜ負けたのかを真剣に考えなかったからでしょう。
そして、いま再び中国発の戦争の可能性が高まっています。
アメリカが助けてくれることはないでしょう。
だから日本はもう一度負けるのは必至ですが、そのあとどうなるのか、次の世代が考えてくれることを祈ります。
大震災と戦争がダブルでやってくるかもしれません。
日本人はそれが本当にわかっているのでしょうか。
投稿: OKCHAN | 2024年8月16日 (金) 14時42分
やれやれ、やっと終わったかという国民の心情からすれば「終戦」
戦争指導者や継戦意欲が強い人にとっては「敗戦」かな?
私はそんなにこだわりませんが、むしろ広島原爆碑に刻まれた
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
という文言が気になります。
これでは「過ち」の主体(日本なのか、米国なのか)がよくわかりません。
投稿: ss4910 | 2024年8月17日 (土) 13時03分
ss4910様
私にもよくわかりません。
その文言を書いた人が本当に心から自分にも、そして日本人に責任があると思ったのかどうか。
原爆を落としたのはアメリカで、落とせば兵士ではない女子供を含む市民が大量に死ぬことを承知の上であったことは疑いようもなく、しかし、その彼らは過ちだったなどとは思わなかったし、いまも思っているのは一握りの人だけだろうと思われます。
責任を問うのがあたりまえのことが問えないのは日本が負けたからで、負けるということはそういうことなのでしょう。
だから、どうしてこんな戦争を始めて、すでに挽回の余地がなくなっても戦争を続けたのはなぜなのか、考えておく必要があると思います。
投稿: OKCHAN | 2024年8月17日 (土) 13時14分
どう考えようが、あの時日本は戦争に負けたのです。敗戦です。
この戦争に負けることが明らかと知っても潔しとしなかった上部の人が居た。
あの時代の日本人は今の時代よりはるかに上下関係が厳しく、命に懸けても上部の人間を覆すことは難しかったでしょう。
当時の本などを多少読んだとしても書かれたことが事実かどうかは分かりません。
投稿: おキヨ | 2024年8月17日 (土) 16時01分
おキヨ様
本を読んだくらいで事実を知ることができるとは思いませんが、何も知らないよりははるかにましだと思っています。
事実は無数にありますが、その中のほんの一部でも知ることができることもあります。
立場によって事実も見え方が違いますしね。
投稿: OKCHAN | 2024年8月17日 (土) 16時25分
OKCHAN様
当時の本を多少読んだとしても・・・と書いたのはあくまで自分自身に向けた言葉です。この数十年、ブログ上で尊敬の念をもってお付き合いした貴方様がどんなか方かは十分承知しておりますので、万が一にもこのような無礼を私が書く筈がありません。が、誤解を招くような文はたびたび書いていますねぇ、きっと。。。
何度でもあやまります!どうかお許しを・・・<m(__)m>
投稿: オキヨ | 2024年8月18日 (日) 12時54分
おキヨ様
私のことを書いたとしてもその通りだと思うので、別にかまわないことですが、私は一般論として読みました。
日本ではさまざまな立場から書かれた本を読むことができますから、立場の違うものを比較して読めば、多少は偏りを防ぐことができます。
それにしても、「何も知らない」、と恥ずかしげもなく胸を張る人が日本には多すぎる気がします。
もうちょっと考えるための材料を知識として身につけてほしいです。
中国や韓国から、日本の歴史認識を批判されても反論できないでいるのは残念です。
投稿: OKCHAN | 2024年8月18日 (日) 14時57分