『永遠の831』
『永遠の831』は日本のアニメ映画。あるきっかけで、時間を止めてしまう能力を持った少年が主人公。その能力がどうして備わったのかが物語の展開の中で明らかになっていくが、そもそも時間を止める能力そのものの説明が不可能なように、そのきっかけと能力とは無関係なので、説明になっておらず、ただ少年がどんな過去を抱えているかということだけはわかっていく。少年はその能力を隠しているが、たまにその能力が発現し、それを多少はコントロールできるようになっていく。
そんなとき、彼以外に時間を止める能力を持つ少女がいることに気がつく。その少女の背後には怪しげなグループがいて、少女の能力を悪用して何かを企んでいるらしい。そして少年もそれに巻き込まれていって・・・。というお話なのだが、細部がご都合主義に見えてあまり出来が良いアニメとはいえない。それにときどき登場人物の動きがぎこちなく(動きがカクカクする)のが気になった。あれは意図的なのか、制作が手抜きなのか私には判断がつかなかった。
子供の頃、ドラマで『時間よ、止まれ!』というのがあった。それを思い出した。時間を時間としてだけ考えようとすると、こういう物語を作ることは可能だが、時間は全ての物理的世界に張り付いていて分けることはできないから、当然矛盾が生じてしまう。時間が止まっている、ということは、全てのものの運動が止まっているということで、自分だけ動けるということは、止めた本人はその物理的世界とは別の存在ということで、それではこの宇宙の外の存在ということになってしまう。
止まった世界は時間ゼロの世界で、動いている当人は時間ゼロに対して無限のスピードで動いていることになるだろう。本来ゼロで割ることができないものをゼロで割った世界ということだと思う。地球も止まり、宇宙全部が止まり、分子の運動も止まり、素粒子も光も止まっている状態でどうして世界が認識できるのか。写真を見ているようなものなのか。彼の着ている服などはどうして体とともに動けるのか。止まっている空気を体に取りこんだら、その空気の中の酸素分子は静止しているのだから体の中で酸素として活動できない。たちまち窒息しないか。相対性理論に寄れば、光速に近づくほど、速度が速くなるほど質量が大きくなっていく。そうするとどうなるのか。時間を止める存在とはブラックホールということか。
そんなことをどんどん深く考えていたら、頭が熱くなってしまった。
ちなみに、831は八月三十一日のこと。夏休み最後の日、ここで時間が止まって永遠に夏休みが終わらなければ・・・という寓意らしい。登場人物の一人が、惰眠をむさぼっているいまの日本の状態なのだといっていた気がする。なるほど。
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