たしかに揺れた
昨晩の神奈川県の地震では、私のいる尾張西部でもたしかに揺れた。震度2くらいかな、と思ったが、日向灘の大きな地震(これは感じなかった)発生によって南海トラフ大地震が話題になっている時期でもあり、普段の有感地震ではなくて大きな地震が遠方で起こったのではないかとおもい、すぐに見ていた映画を中断して現在の放送に切り替えて神奈川での地震であることを知った。愛知県はほぼ震度1程度との報告のようだが、それではなかなか気づきにくいはずで、もう少し揺れは大きかった気がする。
しばらくして弟が千葉から電話してきた。別件での電話だったが、もちろん話題は地震のことになった。
日本に住んでいれば、地震はいつか必ず自分にも降りかかる災害であって避けようがない。インフラも寸断されてしまうはずで、広域であれば復旧にも時間がかかるだろう。何ができるのか、その時期をしのぐのに何から始めるのか、そのことを考えている。私の場合、家の中は本箱だらけなので、それが倒れた場合のことをまず想定しなければならない。倒れて下敷きになりさえしなければ、後で片付ければ好いことだが、ひとつだけ自分にとって大事な本をまとめて納めている全面ガラス扉付きの大きな本箱が寝室にあり、それが倒れた場合の惨状を想像している。すでに寝室とリビングに、すぐはけるようにサンダルを置いているし、電池式のランタンも置いている。
想像力を働かせて、何を備えるかもう少し考えようと思う。
« 映画を見る | トップページ | うっかりしていた »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
コメント
« 映画を見る | トップページ | うっかりしていた »
私の部屋も本棚が一番大きい家具です。これが倒れたら小さな私などひとたまりもない!。。。
幸い周囲は、お向かいが若い男女3人、お隣が若い女性と、若者たちの目があり、私は多いに安心して暮らせる状態です。
オマケに警察署も5分以内に駆けつけるという近場です!
でも、やっぱり地震は怖いですねぇ(*´Д`)
投稿: オキヨ | 2024年8月10日 (土) 12時47分
おキヨ様
独りでもいきられる、などとうそぶいていても、大きな災害のときには助けなしにはどうしようもありません。
自分の弱さを思い知らされる、そういう事態が私は怖いです。
投稿: OKCHAN | 2024年8月10日 (土) 14時22分
高齢といっても、高齢者のなり始めはまだ何も怖い事はありませんでした。
が、今はごく普通の、なんでも怖がるただのとしより!(*´Д`)
夜中にごくごく小さな音「たぶん猫でも通った?」でも目が覚めます。
そうはならないぞ!と思いながら過ごしてきましたが、立派に些細な事でも怖がるただの年寄りとなりました(*´Д`)
お笑いください(-_-;)
投稿: オキヨ | 2024年8月10日 (土) 14時49分
おキヨ様
私はもともと怖がりですから、些細なことを心配します。
怖がりなくせに、あまりにおおごとだとかえって開き直って度胸が据わります。
限度を超えると神経が麻痺するみたいです。
いざというときに弱虫が表面に出るか、度胸が据わるか、その場にならないとわかりません。
あまり頼りにならないです。
投稿: OKCHAN | 2024年8月10日 (土) 14時57分
こんにちは
私の住んでいる市では津波の高さが最大9メートルと予測されています。幸いかどうかはわかりませんが私たちの家は高台にありますが、仕事場とかが比較的平地なのでもしもの時はどうなるのか心配です。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2024年8月10日 (土) 15時50分
shinzei様
実際に地震が起きて被害に遭うまでは、内心で自分は大丈夫だろう、と思うものです。
そうでなければ不安で生きていけません。
万全の対策など現実にはありませんから。
被害に遭っても、いのちが助かっただけでも・・・と人はいいます。
助からなければ死んでいますから。
できることをして、どうにもならないことは成り行き、というので仕方がないのでしょうね。
投稿: OKCHAN | 2024年8月10日 (土) 16時19分
私が若かった頃には、地震があると子どもと高齢者は真っ先に高台に逃げました。高台からは海の様子ががよく見え、津波の時には陸地に押し寄せる不気味な波が海の中ほどから見えるので、大人たちや津波の恐ろしさを経験した年寄りたちが波の様子を確認するのに高台に集まります。
こういう時にはやはり津波の経験者が立役者になりますね。家が心配でその場から立ち去れない人を怒鳴りながら安全な場所に誘導する役を自ら引き受けて活躍します。
私が大人「20歳」になってから一度、津波の体験したのですが、幸いなことにきわめて小規模なものでわが家から数メートル低い場所で水が止まってくれました。
まだ若かった私は海水が引いた後に残された海の生き物たちに強く興味を持ったことを鮮明に覚えています。
投稿: おキヨ | 2024年8月12日 (月) 11時47分
おキヨ様
三陸大津波を体験した方が多かったから、そういう対応がとれるのでしょうね。
東日本大震災では、津波を想定できずに逃げ遅れた人が少なくないようです。
私は東日本大震災の前年に宮古や牡鹿半島を友人と周りました。
震災から数ヶ月後にその時に泊まった宿を訪ね歩きましたが、跡形もなくなっていました。
震災の跡を見に行くのは、珍しさで見に行く気持ちが無いことはありませんでしたが、被害を目の当たりに見ておくことは、意味があると思う気持ちが大きかったのです。
石巻のがれきとなった地域に立ったときは、夏なのにゾクッとしたことを思い出します。
何かが私の周りを渦巻いていました。
投稿: OKCHAN | 2024年8月12日 (月) 12時03分
私の生まれ故郷は古くから津波の災害に苦しめられたところだったようです。
恐ろしい災害を他人事のように書いたのは、私が物心がついた時には、河口の危険な場所はかなり改善されたようで、その後に起った津波も幸いなことにきわめて小規模のようでしたが、これから先もこれで安心…ということは無いと思います。その間のこの場所の長い事何こともなかった・・・。ということはただの運のいい偶然、と捉えるべきでしょう。歴史的に見て人々は過去、幾度も自然災害は恐ろしいものと認識した筈。この事をあらためて認識、確認をしておく必要があると思っています。
投稿: おキヨ | 2024年8月12日 (月) 12時39分
おキヨ様
日本人は、ずっと昔から繰り返して起こるこのような災害を体験し、生き残り、現在に至っています。
そしてこれからも同じような災害が起こることでしょう。
運命というものは避けようがありませんが、せめて生き残る確率を高めることだけはしておきたいですね。
投稿: OKCHAN | 2024年8月12日 (月) 16時15分