完璧な人間ではないからまちがいもある
兵庫県の知事が言い訳のつもりであろう、「自分は完璧な人間ではないからまちがいもあり・・・」などと述べていたのを聞いて、何が言いたいのだろうと思った。自分がまちがいを犯したと認めているのだろうか。どうもそうではなくて、完璧ではないのだからまちがいを犯すのは仕方がないのであって、それをいちいち追求するな、といいたいようである。たしかに完璧な人間などいない。完璧ではないから間違うのは仕方がない。しかしまちがいはまちがいとしてその責任を取るのがこの世の理(ことわり)というものであって、完璧ではないから責任は取らなくていいかの如き言い方はとんでもない論理の飛躍である。詐欺である。こんなことが通用したら、この世は放置されたままの間違いだらけになってしまう。
このひと、ほとんど現実から遊離して、あらぬ彼方に飛んで行ってしまったようで、腹が立つよりあきれ果てるしかない。さすがに売名のために逆張りして彼を擁護する人も、今回はほとんどいないようだ。知事としていかに地位にしがみついても知事の任期が来れば退任しなければならない。それくらいはわかっているだろう。そうでなければ狂人だ。そのあとは・・・政治家として彼はもう終わっている。そしてこのままでいれば、人間として終わっている、と誰もが思い、誰も相手にしなくなる。
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