生きていれば
生きていれば避けようがない苦難や難問が立ちはだかることがある。些細なものから超難題まで、なんとか乗り切ったからいまがあると、この歳になって思う。乗り切ったのであって、乗り越えたわけではないので疵として残ったものも少なからずある。他の人から見れば何ほどもないことでも自分にとっては難問だったというものはあるものだ。
もともとぐじぐじと考えるたちなので、とにかくとことん考える。そしてこうすればなんとかなる、などと答を見つけ出せることはまずない。答が見つかるくらいなら難問ではない。追い詰められると目をつぶって問題の中へ身を投じる。その時にはなにも考えていない。無というか、空っぽになって臨機応変で行くだけだ。自分がどれほどの人間か試されている。過ぎてみれば、その積み重ねが多少なりとも自分を強くした。
自慢話をしているわけではない。よくまあなんとかなってきたものだという感慨を覚えているだけだ。もうあんな思いはしたくないということがいくつもある。だからもう一度人生をやり直す、なんてまっぴらである。違う道なら楽だなんて信じられない。もっと苦しいかもしれないではないか。
人が何かを成し遂げたら、素直に賞賛したいものだ。おかしな揚げ足とりを見聞きすると、お前はどうなのだ、とつい思う。世の中は揚げ足とり、ヤキモチ焼きがあふれているように見えて情けない気がするが、もともと人間世界とはそういうところなのかもしれない。
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