大したものは要らない
養老孟司の『ヒトはなぜ、ゴキブリを嫌うのか?』(扶桑社新書)という本の帯に「大したものは要らないことを、そろそろ学びましょう。」とある。たしかに一個人として本当に必要なものをはるかに超えて、身の回りにはものがあふれている気がする。そのことについて考えた。
私の場合はあふれているのはとにかく本である。エンターテインメント本は、読んだ尻から処分しているからお気に入りの作家のごく一部と未読の本が数百冊だけであるが、評論、随筆、歴史、思想、古典、文学などの本は、繰り返し読むことを想定しているので増えていくばかりである。頑張っても年にせいぜい二百冊程度の本しか読めないが、以前と違って娯楽本をあまり読まないから減らずに増えるばかりである。
数千冊の本を眺めて、物理的に全部読むのは無理だとため息をついている。「大したものは要らないことを、そろそろ学びましょう。」ということばに、うなだれるばかりである。だが言い分はある。
本には繰り返し読む値打ちのある本がある。こちらが書いてあることを完璧に理解できれば一度読めば好いけれど、何しろざる頭であるから、その何十分の一かが荒いざるの目に引っかかるだけである。何度も読んで次第に全体が見えることもしばしばである。とはいえ、一度目に感激したのに二度三度読むうちにそれ以上のものがくみ取れなくなることもある。ときには時間の無駄だったと思うものもある。それらは本の問題ではなくて、こちらのレベルや好み、興味のあり方の問題である。本当の駄本はこれだけ年季が入るとあまり摑まなくなった。
本当に要るものは数少なくて、それだけあれば十分だが、残念なことにそれは読まなければわからない。そして一度読んだだけではわからないことの方が多いのである。必要なものを見つけるために、必要ではないかもしれないものの山ができてしまうのである。だからこの本の山は、私にとってすべて必要なものなのだ。
今朝の夜明け。
少し明るくなってきた・・・、じつは露出を少し変えただけ。
今日は午後から病院へ行く。暑すぎないと好いが・・・今日も、そして今週は連日猛暑日予想。
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こんにちは
この問題は本読みとしては本当に悩ましい問題です・・・。
私も最近3年前の大病以来漸く5年生存のうち半分が過ぎようとしていますが、それを機会にアマゾンのキンドルで定期購読していた電子書籍などを整理しました。要するに買っても腰を据えて読まないだろう本などをリストラしました。
しかし、いざ、リストラしたとなるとまた読みたくなりますから不思議です。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2024年9月11日 (水) 16時28分
shinzei様
本の山は時間の山でもあって、限られた時間しか人間には与えられていませんから、見て考えれば過剰であることはわかります。
それでもいつか読める気がしてしまうのですねえ。
投稿: OKCHAN | 2024年9月11日 (水) 17時41分