致命的欠陥
魯迅の文章、『韋素園君を憶う』という小文を読んでいたら、ちょっと胸に響いた部分があった。出会いのときの「苦虫をかみつぶした」彼の顔から、良くない印象を受けた、と記したあと、
私はのちに自分の誤解に気がついたわけだが、それと同時に、彼の致命的欠陥にも気がついた。まじめすぎるのだ。表面は沈着なようで、じつはかれは激情の持ち主だった。まじめであることが人間の致命的欠陥でありうるか。少なくとも、その当時から今日までのところ、まさに然り。まじめな人間は激情に駆られやすい。それを外に発すれば自分の生命を失うことになるし、内にこもらせれば自分の心を噛みくだくことになる。
これをただ気の利いた警句のように取り上げようと思ったわけではない。そもそも私はまじめな人間ではないし、まじめな人間をシニカルに、そして斜めに見るほど屈折もしていない。
この少し年下の素園君に対しての追憶と追悼の文章に、魯迅のさまざまな思いがこめられているのを感じた、ということを記しておきたかっただけである。
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