気持ちに波風が立つような
いま山本七平の『ある異常体験者の偏見』(文藝春秋)という本を読んでいる。読みながら気持ちに波風が立っている。波風は気持ちの海をかき回し、さまざまな思いが水底から浮かび上がったりする。一兵卒として戦争を実体験した山本七平が、どんな文章、どんな論理に戦慄し嫌悪するかを論じている。たたき台にされた文章にその著者からの強い反論があり、その反論にさらに反論する、という繰り返しによって思索が深められ、詳細になっていく。その文章とは、戦後に書かれたごくなじみのある戦争観であり、たいていの人がどうしてそんな文章にそんな反応をするのか理解できないであろう。
だから丁寧に丁寧にその説明が重ねられるのだが、反論者には届かないようである。私は最初のところからそれがわかったつもりで、そのことがわからない限り、戦争がどうして起こるのかわからないのかもしれないとさえ思う。
相手からの最初の批判的反論は、事実ではないことを書いているから誤りである、というものであった。その詳しい説明をしようとすると、全部記さなければならず、煩雑なので、私なりの受け取り方は、
もし・・・であったならば、・・・であったろう。という仮定法の文言について、もし、のあとの文章の内容は事実ではないのが明らかであることが多い。もし日本がアメリカよりも資源が豊富であったならば、などという使い方をする。その文章について、もし、のあとの文章が事実に反する、またはなかったことだから文章全体がまちがいだ、などと批判したら、 仮定法の文章は書くことができなくなる。鬼の首を取ったようなそういう批判に山本七平はあきれながら、それでも丁寧に対応している。
自分は正しいのだから相手は間違っていると断ずるその思考法(戦時には軍人的断言法、現在はそのただの裏返し)こそが山本七平の嫌悪し戦慄するもので、だからこそはじめにそれを指摘したのである。ものすごくよくわかる。そして戦争が敗戦で終わっても、その思考法は変わらず、さらに日本人の思考を支配していないか。安全や正義や平和についての文言を見るにつけ、そう思うから、気持ちに波風が立つのである。それを打ち砕くのはほとんど不可能で、だから戦争はなくならないだろう。たぶんそんなわけの分からないことを書くお前はおかしい、というコメントが来そうな気がする。
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