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2024年9月23日 (月)

愚民

 マスコミで何かを語っている人間に、国民、大衆の多くは愚民だ、という臭いがチラリと見えてしまうと、私はそういう人間を嫌悪してしまう。もちろん国民大衆がいかにも愚かに見えることは多い。しかしマスコミが取り上げる「市井の人」というのが、しばしばとくに愚かに見える人を選択的に択んでいるのではないかという気もしている。

 

 東大出でも愚かな面を多分に持つ人もおり、学歴が高くない職人に賢人がいることもある。愚かであるかどうかは知識の量だけでははかれない別の物差しがいる。そして、人は誰でも愚かさと賢さを同時にあわせ持っている。

 

 しばしば政権批判をする人に物事を正義と悪に単純化して語る人が多い。そういうわかりやすさで、愚民である大衆を「賢い私」が啓蒙してやるのだ、という根底が見えてしまう。本人にはそのつもりはないのかもしれないが、そう感じてしまう。マスコミの正義を私が繰り返し「イヤなもの」だと断じるのはその臭いを漂わせているからだ。

 

 国民が単純に愚民だらけなら、民主主義は成立しない。愚民が択んだ愚物が愚かな政治を遂行することになるだけである。しかし、一人一人に愚かな面と賢さがあり、それらを総和すれば、愚かさよりも賢さが勝るかもしれないという希望がある。総和のためには数が多い方が良い。だから棄権するな、という呼びかけについて、私は賛同する。あくまでも希望ではあるが、人間として希望を持ちたいではないか。

 

 shinzei様という、いつも私がブログを拝見している方からいただいたコメントのお返しを考えていたその流れからこの一文を書いた。

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コメント

こんにちは
わざわざのお答えありがとうございます。
マスコミ(マスゴミ)の愚民感は唾棄すべきですし、自民党ばかり選ぶ大半の日本国民を「劣等国民だ」と断じた青木某についても私は「結局お前も愚民思想の持ち主か?」とこれも唾棄したくなります。
ただ、だからと言って日本国民が優れたものの見方を持っているのか?と言われればやはりこれまでの投票行動をみればそうは思えません。
かつて郵政選挙を控えた小泉政権はある広告会社に頼んで国民を四つの枠に分けた選挙戦略を策定しましたが、ここでも頭のいい”支配”層が愚民たる大衆を啓蒙(とは到底思えませんが)して選挙にも勝つというものでした。結局左派が多いマスコミ側も、政権側も国民を愚民視しているのだなあ、と暗澹たる気持ちになります。
では、
shinzei拝

shinzei様
愚民でないなら優れているのか、という質問そのものが二元論的ですね。
賢かったり、バカだったり、同じ人が場合場合で違う様子を見せますし、人によってもまたさまざまです。
それはともかく、shinzei様の言うとおり、それを十把一絡げにする見方をマスコミや政治家がしているように見えることがしばしばありますね。
そういうときにたしかに腹が立ちます。

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