戦争に当てる光
戦争というものにさまざまな方向から光を当てて、その原因や経緯、その結果などについて少しでも立体的に把握したいという思いがある。そうして知ったから何ができるのか。何もできはしないが、何も知らずにいるよりは知っている方がいいと信じている。
高島俊男『ことばと文字と文章と』という本の後半は、角田房子の『責任 ラバウルの将軍今村均』、『閔妃暗殺』の二冊を元に太平洋戦争についての考察がなされている。以前このブログでも取り上げたけれど、戦犯というものについていろいろ思うところもあり、それを高島俊男が補完してくれた。人間が運命に翻弄され、殺されたり助かったりする。善悪とは無関係に、である。それが戦争というもので、世の中というのはそもそもそういうもので、戦争はその極端な状況がゴロゴロしているといえるだろうか。ウクライナを見ているとそう思う。
日清戦争は朝鮮をめぐっての日本の意図的な進出がきっかけになっていて、仕掛けたのは日本だと言われても仕方がない。その勝利の結果、中国から巨大な権益を得たが、それを覆したのはロシアをはじめとした列強であった。それを見て朝鮮王朝はロシアになびいた。朝鮮王朝を動かしていたのは王ではなく閔妃だったから、日本はその閔妃を排除した。暗殺どころではなく、公然と殺したけれど、それが知られないと暗殺者たちは考えたらしい。関連者数百名、主に働いた人物たちは、起訴されたが全員無罪で、のちみな要職に就いて余生を全うしている。『閔妃暗殺』は読みたいと思いながら未読の本である。
戦後、日本は変わった。よくもこれほど変われると思われるほど変わった。しかし表は変わっても中身は変わっておらず、いうことがただ反対になっただけであると、その時代を知る人はいう。そのことは父や母にも聞かされたし、さまざまな人の本を読んで頭ではわかっている。
国体ということばの意味がよくわからない。もちろん国民体育大会のことではなく、「国体の護持」というときの国体である。それが護持されるなら降伏を受け入れるとしたらしいが、無条件降伏ではなかったのか。護持された国体とは何か。天皇のことか。いろいろ書かれたものを読んで、それなりに理屈がついているけれど、ざる頭は理解できないでいる。皇室というものについてもいろいろ思うけれど、いまは皇室の人たちほど人権を無視されている人たちはいないという印象だけを強く持っている。
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こんにちは
『閔妃暗殺』は最近古本屋で見つけて読みました。また、韓国のドラマで彼女を扱ったドラマがあります。そのドラマは見たことがあるのですが、日本人役の配役のいい加減さ(この手の韓国ドラマでは「日本人配役のいい加減さ」は定評になっていますが・・・)があり、特に伊藤博文役や実際に閔妃を暗殺した三浦梧楼役が本人と全然似ていなくて閉口したのを覚えています。
閔妃という人を見ると、失礼な話を朝鮮の人たちにするようで恐縮ですが、事態が悪くなることを防ぐどころか、もっとそれを悪くしてしまったという感があります。まあ、その頃の朝鮮は完全に”詰んでいた”のですが・・・。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2024年9月 7日 (土) 16時42分
shinzei様
朝鮮とロシアは国境を接していますから、当然中国が頼りにならなければロシアにつく、というのは成り行きでしょうね。
ただそのあとどうなるかという成算はないし、朝鮮にはとにかくどこかについていないとつっかえ棒をなくして倒れてしまうという長いあいだに染みついた強迫観念があったのでしょう。
実際に朝鮮には軍隊と呼べるほどのものはなかったようですし。
投稿: OKCHAN | 2024年9月 7日 (土) 17時48分