一目置く
人間はよほどの聖人君子でない限り自分をひいき目に見るものだから、他人を見るときは相手に一目置くくらいがちょうどいい。それが敬意を表するということにもつながる。いわゆるリスペクトである。
ところがいまはますます自己が肥大化している時代で、そうなると一目だけではなくて二目も三目も置かないとならないはずだ。ところがそれどころが逆に自分に一目も二目も置いて世の中を見ている人のなんと多いことか。パワハラに走る人やクレーマーとはそういう存在であろう。
誰かに対する批判、揚げ足とりの激烈なこと、何事かと思うようだが、そもそも取り上げるに値しないそのようなものを、ネットニュースやときにはマスコミさえもが、さも世間一般の意見のごとくに報じるから、普通の人までがエスカレートして、何様かになってしまったかのような意見をつい口走ってしまう。世の中か極端になれば、話が通じにくくなる。もう少し冷静になれないのだろうか。正直のところ、うんざりしている。
これからはネットニュースはもちろん、ニュースを見るのを最小限度にしようと思う。そういう意味の世間知らずの年寄りでいてさほど困るとも思えない。
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旧い人間はそういう人たちを”はしたない人”と。つまりはしたない人間がふえているのですね。
己を冷静に判断できにくくなっているのでしょうか?私はあまり若い方々とは接触しないのでよくわからないのですが・・・。自身を臆面もなく過大評価する?・…なぜでしょう?周囲に己を知らしめたい?事実なら周囲はもちろんとっくに気づいている筈。わざわざそれをはしたなくアピールするまでもないこと。。。
え…世間知らずのとしより?な、なんと・・・これは私のことだな・・・( *´艸`)
投稿: おキヨ | 2024年10月 1日 (火) 17時20分
おキヨ様
私も胸を張れるほどの世間知らずです。
それでもなんとか世の中を渡ってきました。
いまの人は、しばしば人に認めてもらいたいという思いがあふれているようです。
承認欲求とか言うようですが、人に認めてもらうより先に、まず人を認めたらどうだろうか、と思うことが多いです。
投稿: OKCHAN | 2024年10月 1日 (火) 18時57分
お仕事でいろいろ広く世間をご存じの貴方がそういうことをおっしゃってはいけません。
私は貴方に比べたなら赤子同然の人間で、生涯通してそれで終わると思います。
私がいっぱしなのは年齢だけで、中身はいつまでたっても空っぽのまま。いまさらそれを悩んでみても手おくれもいい所で、もうありのままの自分をさらけ出して生きていくより仕方がありません・・・と一応低姿勢のカタチですが、此処だけの話、人は10人十色で生きるのが自然と考えています。ですから、胸の底の底では私は少しも悪びれていない。
投稿: おキヨ | 2024年10月 2日 (水) 13時26分
おキヨ様
現役時代は、人に会う仕事でしたからずいぶんたくさんの人と会いました。
中には、決してこういう人にはなりたくない、という人にも会いましたが、そういう人は極めてまれで、ほとんどの人は真っ当でした。
たぶん世の中はほとんどの人がまともで親切な人で、ほんの一握りの人が世間をギクシャクさせているのだと思います。
そういう中で、自分が優しさのたりないイヤな人間だという思いがどうしても拭えません。
そういう思いが、つい人と距離を取る行動を取らせているのだと思います。
投稿: OKCHAN | 2024年10月 2日 (水) 13時45分