義仲寺
義仲寺(ぎちゅうじ)は木曽義仲(源義仲・頼朝や義経の従兄弟にあたるが、頼朝の命により、義経に討たれる)を供養する女性によって始められたと伝えられる。女性は、自分は無名の者であると語ったというが、巴御前の後身であろうといわれる。そこでこの寺の別名は巴寺とも言う。山号は朝日山、木曽義仲が京都に入ってから、朝日将軍と呼ばれていたからである。
芭蕉は木曽義仲に強く思いをいたし、ここをたびたび訪れ、ついにはここに庵を建てて滞在して句会を催したりした。『おくの細道』でも、平家物語に描かれた北陸の場所と時代を偲んだ句をいくつも詠んでいる。義仲寺には木曽義仲の墓があるが、大阪で死んだ芭蕉は、死後はこの義仲寺に葬ってほしいと遺言を残し、木曽義仲の墓と並んで芭蕉の墓がある。私もそれ訪をねたかったのだ。
この寺の維持には蕉門の俳人が多くたずさわり、小さくて狭い寺内ではあるが、句碑がたくさんある。
そのひとつ
古池や 蛙(かわず)飛びこむ水の音 の句碑。
芭蕉が滞在して句会などを催した翁堂。
翁堂の軒下に下がっていた木鐸。
門の方を振り返れば芭蕉の葉が。
とにかく狭いお寺であって、しかも庭木の手入れのための庭師が何人か大きな脚立を建てて仕事をしているので、写真を撮るのはもちろん、歩き回るのにも不自由した。それでも手入れだから本日休館、ということでなくて良かった。
付け加えたい見物があったが、次回にする。
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