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2024年11月

2024年11月30日 (土)

ケチると辛くない

 秋になって、白菜の塩漬けを切らさずに漬け続けているが、少し辛いのが好きなので、その時に干した唐辛子を多めに入れて漬ける。干した唐辛子は山間部の道の駅などで手に入るから購入し、たっぷりある。漬けたあとの唐辛子はもちろん食べないから捨てるのだが、元よりも赤色が鮮やかになっていて、また使えるような気がしていた。試しに捨てずにとっておき、また使ってみた。発酵は、もしかして加速したかも知れないが、辛さはだいぶ減っている。はっきりいってあまり辛くない。連用はできないのだと知った。

 

 来年の準備として、カレンダーと手帳を買いに行った。カレンダーは大判で紙の厚い、日付だけのもので、その日の用事を書き込むことができる。それを定席の斜め前の壁に掛けてあるので、予定が一目でわかるようになっている。なければ忘れて困ることが増えているので必需品だ。済んだことでも大事なことは記入しておく。息子夫婦がきたのはいつだったかな、富山へ旅したのはいつだったかな、などと見返すことができるようにしてある。

 

 現役時代はもらう手帳が何冊もあったし、営業所でもらうものがあったのでよりどりみどりだったが、世の中がケチりだしたらどんどん少なくなっていった。とはいえ仕事に使うためのものは別にすれば、私用には二冊あれば十分である。一冊は読書記録で、これは三十年以上継続していて保存もしている。だからいつどんな本を読んだのか、何冊読んだのかが判る。もう一冊は備忘録や雑感を記録するものだったが、いまはブログを書いているので不要になった。読書記録用の手帳は革張りのしっかりした少し高いものを毎年購入する。もったいないからきちんと使う。そういうものである。

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辛いものを食べたバケモノ?

本文とは関係ありません。変な夢を見たりしているので、気分転換に出かけることにしました。

『男女驚学』

 江國滋の『男女驚学』(旺文社文庫・副題は『娘たちに贈る覚書』)を読了した。この本のことは別にして、旺文社文庫は1965~1987まで出版が続いたが、いまは事実上ない。この文庫には内田百閒の作品が四十巻ほどで網羅されている。これは旧漢字旧仮名遣いであるのも優れていて、内田百閒はできればこれで読みたいところだ。内田百閒は福武文庫(のちにベネッセ)でも出版されていて、こちらは新漢字新仮名遣いだ。私は両方もっているが、福武文庫版は処分するつもりでいる。

 

 旺文社文庫には、ここでしか読めない作品がいろいろあって、それは特殊なことではなくて、見識が高くて本当に優れたものを扱ったからだと思っている。それだけいまはどうでもいい文庫本が氾濫し、腰を据えた、内容のある文庫本が少ないということでもある。

 

 江國滋の一端を知るために二三引用する。

 

 (買いだめについて縷々述べたあとに)
 イヤな感じの正体は何か。一言でいえば「あさましさ」である。
買い占めは投機、買いだめは防衛。そうして買い占めは「悪」、買いだめは「あさましい行為」であるなあ、とつくづく思う。人間、あさましくなってはいけない。

 

 ものごとの本質から目を逸らすことによって、確実にもたらされるものは平常心の欠落であり、平常心の欠落はまちがいなく精神の荒廃を招く。

 

 人間の「老い」というものの姿を直視することはすこぶる勇気を要する精神作業だが、その勇気を持つことがほんとうの「敬老」の第一歩なのである。敬愛したくても、とてもじゃないけどそんな気になれないというのが、老いというものの本質的な実相であり、長寿を祝うどころか、早く死んでもらいたいとさえ思うような、そういう悲惨な状態をハッキリ認識した上で、なおかつ老人を見捨てないという忍耐が、老人問題のすべてである。
(小略)
 老いというどうにもならない無残な訪問者によって、確実に破壊されてゆく肉体と精神の、そのボロぎれのような姿もまた人間の尊厳の一つにほかならない。

 

 べつにどこといってからだに故障があるわけできないのに、妙に気がめいるような、何もかもおもしろくないような、神経がイライラするような、いうなればふさぎの虫にとりつかれたようなあんばいになって、会社に行くのが気が重い。そういう日が、あってあたりまえなのである。

 

 わかるなあ。

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先日読了した『男性作法』とともに。表紙の絵は江國滋本人が書いたもの。本人は、子供の絵、などと謙遜するが、なかなかどうして。

2024年11月29日 (金)

発作的に出かけることにした

 長野県の友人から毎年送られてくるリンゴが今年も届いた。甘くて香りが高く、美味しい。一箱送られてくるので、とても食べ切れないから娘にお裾分けした。私は酒好きなその友人に毎年正月用の酒を送る。その友人も何年か前に会って飲んだら、ずいぶん弱くなっていた。口が重かった男が少し饒舌になって、しかも同じことを何度も言う。お互い様であるが、私は語りたりなかった。そろそろこういう贈り物の交換も打ち止めにしよう。礼状にその旨書いて送ろうと思う。

 

 なんだかこのところ気持ちがくすぶっている。妻の面会に行って、今回は前回よりも多少意思疎通できたのは好かったのだが、ことばに注意しすぎてくたびれてしまった。次回の12月には娘と一緒に、買ってほしいと妻に頼まれた衣類などをもって面会に行くつもりだ。

 

 昨晩、発作的に出かけることに決めて、安い温泉宿に予約を入れた。新潟と東北を連泊するつもりである。天気は悪い。今回は景色を楽しむというより、かねがねしたいと思っていた、温泉に浸かりながら読書三昧をすることが目的である。肩や腰が痛い。それを癒やすとともに、精神のリフレッシュもできれば何よりだ。宿は思いきり安宿を択んだ。食事は質素でかまわない。ぼんやりできれば良いのだ。だから旅の写真はほとんど撮らないと思う。ブログの更新はできればするつもりだが、判らない。

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冬の日本海。

『含笑花の木』

 陳舜臣の随筆集『含笑花の木』(朝日学芸文庫)を読んだ。さまざまなところに掲載された小文を集めたもので、主に1980年代に書かれたものだ。身辺の雑事、世相雑感、古今の歴史、紀行文、交友、推奨本への献辞など、さまざまな文章が含まれていて、しみじみと胸にしみるものも少なくない。この人のとても穏やかで心優しさが判るとともに、その底にある、頑とした芯のようなものも感じられる。穏やかそうに見えて、やり場のない怒りも燃えているのだ。それは彼の体験してきたさまざまな不条理に対して感情を抑え込んできた積み重ねによるのだろう。

 

 含笑花(がんしょうか)というのは中国式の呼び名で、生薬名でもある。モクレン科の樹木で、正式名はカラタネオガタマという。花は甘い優しい香りがする。中国ではその香りをお茶に移して楽しむ。陳舜臣にとっては、その花の香りは母の香りだという。母は含笑花の花を髪に挿したり、胸にかざったり、部屋に枝を置いたりしていた。彼の子供の時に母の匂いとして刻み込まれていたのだ。その含笑花の木について語りながら、彼が生まれ育った神戸の街の変遷も語られる。大事なものが容赦なく失われ、変化していく。

 

 ごく短い表題と同じ『含笑花の木』という一文を読んだだけでも深い余韻のあるものになっている。

 

 珍しく現実の政治について論じた『政治は倫理の「技術」』という一文の中から一部を引用する。

 

 理想がほんもので、それが高くかかげられておれば、私たちは現実の政治技術面について、かなりのことに目をつぶる。権謀術数はおぞましいものだが、不完全が宿命の政治にはつきものだと、だれもが知っているからだ。
 理想が高いとは、倫理性が高いことにほかならない。政治家が自由に思う存分腕をふるいたいのであれば、倫理性を高めるべきである。私たちは彼らに多くのことを許す。
 許容の限界をひろげてもらおうと、理想をより高くみせかける詐術もおこなわれるであろう。それを見破るには、賢明でなければならない。倫理をはかる物差しは、国民が賢明であればあるほど正確になる。
 懸命になるためには、判断のための資料を多くもたねばならない。ことに倫理にかんしても、やはり言論の自由が基本であるという結論になる。
(小略)
 民は倫理を欠く政治家を信頼しないものなのだ。

 

 中国の歴史を知り、近現代の歴史を身をもって体験してきた陳舜臣が語ることばは、観念を越えて深い意味がこめられているのだ。

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敦煌の鳴沙山から月牙泉を見下ろす。

2024年11月28日 (木)

要注意と言われても

 「ちなみに」とか「余談ですが」を多用する人は”要注意”だそうだ。多用はしないけれど、私はときどきブログの中で、関連事項やことばの足らないところを補うためにそのことばを使用することがある。中身に膨らみをもたせるつもりで使うのだが、それが“要注意”などと言われるといささか業腹である。

 

 それを書いてあるニュース記事は、あるアナウンサーの著書の引用で、「ちなみに」や「余談ですが」を多用する人は、説明を「自分のプライドを満たすためのツール」にしており、「経験談や過去の結果を自慢したり、知識や専門用語で敬意を集めようとしている」そうだ。

 

 うーむ、たしかにその傾向がないとは言えないが、それは「説明」をする人が多少に関わらず使うことばであって、それが“要注意”などと言われてしまうと、これからはそのことばを見るたびに「あっ、自慢話だ、知ったかぶりだ」と決めつけられかねない。多用、という枠など飛んでしまうのがこの世の常である。こうして揚げ足とりの材料がまた提供されたのである。

 

 世はあげて揚げ足とりの時代。嫌いな人間を攻撃する材料が次々に専門家から提供されて、揚げ足をとられないためにがんじがらめになっていく。人に説明するのが面倒くさくなり、ますます意思疎通がしにくくなる。心理的なものをあまり説明しすぎるのも、そしてそれを知るのも善し悪しだ。

『中国任侠伝』

 陳舜臣(1924-2015)の本を少しずつ読み進めているが、小説、随筆、歴史の本(『中国の歴史』全七巻、『中国の歴史 近・現代篇』全四巻)などを合わせると軽く五十冊を超える蔵書があり、まず文庫本を読んで、文庫本で再々読の可能性がないものは処分することにしている。

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 この半月で六冊ほど読了し、この『中国任侠伝』(文春文庫)もその一冊だ。『史記』の中の、『列伝』から選んだ人物を、彼の想像力を加えて膨らませた短編集で、続編(『続・中国任侠伝)』もある。いまは小説が昔ほど楽しめない状態で、この本も他の随筆集ほど感銘を受けなかった。とはいえそもそも嫌いではない世界が描かれているので、気がついたら読了していた。荊軻、孟嘗君、信陵君、平原君とその食客たち、季布、郭解、趙群、朱家、田仲などが、その時代の歴史とともに描かれていくのだが、歴史が新しくなるほど人物が小者になっていく。それは世の中がだんだん窮屈になり、人間が大きく飛躍することがむずかしくなっていったことの表れなのだろう。そういうものなのかも知れない。

2024年11月27日 (水)

来年のことを

 来年のことをいえば鬼が笑う、というけれど、来年まであと一月あまりとなればなんとなく予想も立ちそうに思えて、鬼もうなずいたりするのではないか。

 

 その来年のことを思えば、不安が多い。何より世界がいまよりもさらに不安定化して、日本がますます衰退してしまうのではないかと感じられているからだ。大げさだろうか。トランプが判断してアメリカが決断するさまざまなことが世界に波及し、一段と弱肉強食の世界になっていけば、穏やかで平和な日本はますます割を食っていくだろう。日本が豊かであるためには、世界が平和で穏やかであることが絶対に必要なのだ。

Dsc_1135_20241127111101何かが蠢き出す

 その日本で闇バイトなどという、明らかに世の中を不安に陥れることが目的としか思えない犯罪が横行していること、揚げ足とりで自家中毒に陥りつつある世論など、社会不安が拡大しそうな気がする。そうなれば人心は次第に荒廃していき、おかしな旗振りに夢遊病者のようについて行く大衆が出てくるだろう。その先に何があるのか、歴史を振り返れば暗い未来が見えてしまう。その本格的な第一歩がまさに来年のような予感がする。

 

 日本の経済が衰退してきた、失われた三十年の原因は、コストカット型の経済のもたらしたものだと思うが、コストカット、賃金抑制、人員カット、設備投資縮小で、あたかも利益を生み出したかのように錯覚した経営者は、長い目で見れば自分の会社を縮小衰退へ追い込んでいたのだ。ようやく賃金をあげなければ、と気がついたのは、いままでの反省からではなく、単に人口減少によって人手不足が生じて就業者を確保するためにやむを得ず選んでいる道で、積極的なものではない。だから社会不安が感じられるとまたぞろ元の木阿弥であろう。

 

 世の中がどうなろうと、すでにリタイアして役割を担っていない身としては、傍観者でいるしかすべはない。衰退すれば手厚い社会保障などどんどんできなくなるばかりだから、ただただ生活を切り詰め、慎ましく生きるだけである。世界がなくなるわけではないだろうから、別に生き続けられればそれでいい。

雑感

 しばらく足がつらなかったので油断していたら、数日前から再発の兆しが出てきた。本格的につる手前でピリピリと電気のようなものが足に走るので、きたっ、と思うとともに何とか回避するように試みる。筋肉だか筋だかがグリグリとうねりながら、走り回るのは気味が悪いが、今のところ多少の痛み程度で本格的につるまでには至っていない。今朝もかなり危うかったので、久しぶりに漢方薬を飲んだ。起きているときにつることはあまりなくて、寝ているときに起こることが多いのはどうしてなのだろう。最近また起きやすくなったのは、足の冷えが原因なのだろうか。それとも疲れからか。

 

 夜中に夢を見て目覚めてしまった。知り合いがいろいろ登場しているが、半分は故人であったりずいぶん会わずに久しい人だったりするのが不思議だ。何か責められているような、自分で自分を責めているような不快な記憶が残る夢が多いのはどうしてだろうか。後悔したり反省したりすることの多い人生ではあったが、他の人よりそれが格別多いはずもないと思う。他の人もこんな夢を見るのだろうか。

 

 昨晩の能登地震のときには尾張地区の当地でも揺れた。最初に微震を感じて、大きな地震が来るかも知れないと直感したが、それほどでもない揺れが七八秒続いておさまった。すぐテレビをつけて、石川県沖の地震であると知った。地震情報は毎日気にしてチェックしている。地震の多い日とほとんどない日があって、ほとんどない日が続けば必ず多い日が来るし、同じところで繰り返されていれば、いつか大きい地震が来るように思う。大きな地震が来ないに越したことはないが、必ず来る。それは避けようがないが、できれば自分のところだけは避けてほしいと思う。自分のところでなければ他の人のところに来るということだから自分勝手だが、自分のところにくるのをあえて望む人はいないだろう。

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2024年11月26日 (火)

呼吸ができる

 朝一番で歯医者へ行く。一ヶ月前に抜歯した予後をチェックして問題ないことを確認後に歯石の除去、フッ素の塗布をして貰う。歯石の除去をしてもらうあいだ、鼻呼吸をしなければならないのだが、普段できることができない。吸うことはかろうじてできるのだが、息が吐けなくなる。苦しくて顔が赤くなるのを感じたりしたものだが、歯医者に通い慣れたせいか、何とか息が吐けるようになってきた。普段何気なくしているけれど、呼吸ができるということが大事なことであることを教えられる。息ができなければ人間は死ぬのだ。

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 午後は妻の病院へ面会に行く。病院から頼まれたものがあるのでそれを持参する。話が多少でも通じれば良いけれど、どうだろうか。いまはまだ降り出していないが、午後は雨が降り出すらしい。それも気がかりだ。

2024年11月25日 (月)

中華粥

 朝、パクチーのことを書いたが、たまたま昼直前につけたテレビで、中華粥の作り方が紹介されていた。そういえば中国に行くと、朝に中華粥を食べることがよくあった。中華粥は味付けをしていないプレーンのお粥に、具を入れて食べる。番組ではネギ、パクチー、酢に醤油、ラー油にごまなどを混ぜたものを添えていた。よく食べていたものだ。これをつくろうと思ったが、すでに昼にはあんかけ塩焼きそばを作る準備をしていたので、冷凍したご飯もあるから明日の朝にでもつくろうと思う。

 

 中国では、濃厚な塩味でチーズのような味わいの発酵させた豆腐(臭豆腐とは違う)をおかゆに入れて食べるのお気に入りだった。ほんの少しいれるだけでとても美味しい。食べたいなあ。油條という揚げパンみたいなものも大好きだ。中国の朝は露天でこの油條を揚げながら売っていて、みなそれを買っていく。これも味がないので、何かをつけて食べる。なつかしいなあ。あれなら自分でも作れそうだ。いつか作ってみよう。

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いい写真がなくて、わかりにくい。

パクチー

 子供の時は香りの強い野菜が嫌いだったが、気がついたら香りの強い野菜が大好きになっていた。東南アジアに行ったときに、パクチーに初めて出会い、なんだこの香りは!と思ったものだが、イヤだとはまったく思わず、美味しい、と感じた。日本人で苦手な人も多いらしいが、私は好きだ。中国では香菜としてよく供される。私が当たり前に食べるので、私の息子娘は中国で最初から平気で食べていた。

 

 近所のスーパーにはパクチーが置いてないので、食べる機会があまりなかったが、一昨年、思い立ってパクチーの種を買って鉢に蒔いたらたくさん芽がでた。ときどき摘まんで食べていたが、いつか枝が出て木のように伸びていき、花が咲き、たくさん種が取れた。種はコリアンダーである。コリアンダーはスパイスとしてカレーに使ったりしてよく知っている。その種を挽いたらスパイスに使えるのか、炒るなどして前処理が必要なのか判らないので、買った種と一緒に保存しておいた。

 

 他のもので一杯で、使える鉢がなかったので、蒔く機会を失っていたが、秋になって試しに蒔いてみた。少し余分に蒔いたがほとんど芽が出たようだ。間引きをして伸びたところを食してみたが、ちゃんとパクチーの味がする。

 

 中華味の料理のときに加えたり、サラダや野菜炒めに加えてみてもそこそこいける。年越しできるかな。来年もまた蒔こう。パクチーを食べていると虫が寄ってこない、というけれど、パクチーにはあんがい虫がつく。食べられる間にせっせと摘まむのが好いようだ。

2024年11月24日 (日)

温泉に行きたしと思えども

 少し前に兄弟で温泉に行ってきたばかりだが、また温泉に行きたいと強く思う。紅葉シーズンも終わったから、混むこともないのではないか。上げ膳据え膳で、温泉三昧、読みたい本を積み上げて、読んではうつらうつら、風呂に入り、また読んではうつらうつらするのは極楽である。なおかつ温泉宿の食事は自炊でつくるものとは段違いに美味しく贅沢で、お酒も美味い。

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 しかし問題はそこなのである。宿の食事は贅沢で、つい食べ過ぎる。ゆるんだ体にさらに贅肉がたっぷりついていき、過剰な何かが頭を濁らせてぼけていく気がする。

 

 いま行くなら、下呂の馬瀬川を望む、このごろなじみになった宿か、奥飛騨の温泉か、昼神温泉というところか。少し遠出をするなら紀州の川湯温泉か湯の峰温泉、または串本のリゾートホテルあたりか。どこも食事が好い、それが難点なのだ。鳴子の湯治宿のように安くて自炊というのが却って懐かしい。家庭的で安くて食事はささやか、少し散歩するところのある小さな温泉宿なんてのを探してみようか。

2024年11月23日 (土)

おんなじだ

 雑駁(ざっぱく)な人間が多い世の中が雑駁になる事は当たり前なのかも知れないが、我々を取り巻いている最近の世の中の雑駁ぶりは、もう、これはどうかしているという程度を通り越して、支離滅裂、日本人の頭脳がだんだんに退化して、とうとう幼児の狼藉にさえさも似た今日的状況に立ち至ったのかと情無くなってしまう。

 

 これは私の意見ではなくて、『アサヒグラフ』に連載していた團伊玖磨の『パイプのけむり』の昭和45年から46年にかけて(1970~1971)のものを集めた、第六巻の文章から引用したものだ。まるで現代のことをいっているようで、日本は全然変わってはいなくておんなじだということらしい。

 私だって偉そうに言うほどの知識があるわけでもなく、わずかな知識を収めた頭の中が整理されているわけではないけれど、それでもこの世の中については、團伊玖磨と同じような感想を持たないわけには行かない。それでも世の中は廻っていくものらしい。ありがたいことである。

2024年11月22日 (金)

続・いらだつ

 本がたくさんあることにいらだつ。録画した映画がたくさんあることにいらだつ。本を読むにも映画を見るのにも必要な時間というものがある。その時間が足らないことにいらだっているのである。つまり、自分の持ち時間が無限にあると思っていたのに、どうもかなり限られているらしい、ということに今さら気がつかされているからだ。それならその限られた時間を大事に、優先順位を付けて無為な時間を減らすようにすれば良いのに、いらだつことで時間を無駄にしていることにいらだっている。

 

 料理のレシピが、料理番組の録画や雑誌の料理の部分の切り抜きや、料理の本やらなにやら多すぎて、実際に料理してみるのはほんの一握りで、たいていつくり馴れた決まったものばかりをつくっているから、レシピばかりの多さにいらだっている。四の五の言わずに試しにつくれば良いだけなのだが、多すぎてどれからつくるか決められない。

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 入院している妻との意思疎通がうまくいかなくていらだつ。面会に行ったらもう少しうれしそうにするか、いつもありがとう、ぐらいのことを言えば好いけれど、まずそういうことは言わないから面会に行く気にならない。私に対して、ごめんなさいとありがとうは決していわないのだ。それでも気を取り直して出かけるのだが、行って良かったと思うことはほとんどない。

 

 テレビのお笑いをたまたま見ると、仲間内での受け狙いの笑いばかりで、見ている方はそれがどうして面白いのか理解できずに、笑えないことにいらだつ。CMの氾濫にいらだつ。一齣15秒のCMがきっちり八つ、二分間の忍耐が過ぎれば、そのCM前の番組の最後をもう一度数秒繰り返したものを見せられる。こちらはニワトリではないから、二分前のところを繰り返されなくても記憶している。馬鹿にしている、と思うしかないからいらだつ。甚だしいときは、二分のCMのあとに番宣をちょっと入れて、また再び一齣15秒のCMがまた八つ繰り返されたりする。その異常さになんとも思わなくなっているテレビ局の異常さにいらだつ。

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 いらだつのは精神が不安定だからだ。不安定なのは不安だからだ。何が不安かといえば、世の中のこともあるけれど、なにより自分自身のことだ。年齢とともに精神や肉体を健康に保つための自己コントロールができなくなっている気がするからだ。できることとできないことがあり、できないことはどうしようもないのに、すべてがごちゃごちゃになっている。あきらめが悪いのか。訃報ばかり見聞きしているから、寿命に対しての焦りでもあるのだろう。

 

 久しぶりに思い切り酒でも飲もうかなあ。そういう悪い酒の飲み方はしないことにしているが、たまにはいいだろう。さいわい酒も酒の肴もいろいろある。明日は自分に公認の二日酔いだ。

いらだつ

 WI-FIがごくたまにつながらなくなる。月に一度くらいのことで、その都度ルーターの電源を切って再起動させると回復する。ノートパソコンは常に開いているのだが、それと同時にデスクトップで画像処理などの作業をすると起こることが多い。しかし必ずしもそれだけではないので理由がよくわからない。そのトラブルの頻度が少しずつ増えているような気もする。作業が中断することも、理由がわからないことも私をいらだたせる。

 

 朝起きたらお茶を飲みながら、その日にすることをルーティンも含めてメモに書き出す。そこに書いておきながらできなかったことが増えていて、そのことにいらだつ。読書すること、映画を見ること、散歩をすること等々がまったくできなかったり、不十分だったことにいらだつ。できないのは誰のせいでもなく自分が悪いのだが、そのことにいらだつ。そうして、そういうことにこだわる自分の余裕のなさにいらだつ。

 

 判らないことを調べていると、書かれていることが理解できないことが増えていらだつ。特にデジタル関係のことは何度読んでも意味が呑み込めない。パソコンのキーボードのミスタッチが増えたのにいらだつ。スマホの入力がうまくできないことにいらだつ。人が普通にできていることができないことにいらだつ。

 

 niftyのクイズで、あまりにあたりまえすぎる問題、知っているはずのない問題にいらだつ。知っているはずのことをうっかり間違えたりするとさらにいらだつ。どうでも良いことに腹を立てる自分にいらだつ。

 

 以前なら、いらだっている自分を笑う自分がいて、その自分を慰めるための方策を講じることができた。その自分を笑う自分が行方不明になっている。

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いらだちが過ぎて、ゆがんだ私。

2024年11月21日 (木)

『中国歴史の旅』

 陳舜臣の『中国歴史の旅』上・下巻を久しぶりに読み直した。彼が中国の各地を旅したところを、その地の歴史、その遺址、遺跡などを紹介したもので、これを読んで中国への憧れを強く抱いたことを思い出した。

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 思えば中国へはずいぶん何度も訪ねたものだ。そのきっかけの一つがこの本だと言えなくもない。とくに、西安、そしてシルクロードへの憧れは強かった。だからリタイアしたら敦煌の先へ長期で旅しようと思っていたのに、敦煌止まりで終わったことが残念である。計画では敦煌からトルファンの先までの、往復で一ヶ月という中国の旅行会社のバス旅行にエントリーするつもりであった。しかし、家庭の事情(いま長期入院している妻のこと)で長期の旅は不可能になった。いまはウイグル自治区に行くことがそもそもかなわない。

 

 上海を拠点に杭州や江南地区をずいぶん何度も歩き回った。西安にも何度も行った。今も脳裏に鮮やかにあちこちの光景がよみがえる。この『中国歴史の旅』には、雲南の旅がない。この本を書いた時点では、まだ陳舜臣は雲南に行っていないのだろう。私は得意先の中国好きの社長に強く勧められて雲南に行き、たいへん感銘した。そのあともう一度行っている。都市部ではない田舎には、私の幼少期の日本が思い出される風景があって、それが何より記憶に残った。あの高倉健主演、チャン・イーモウ監督の『単騎千里を走る』の描く世界そのものである。実際に撮影に使われた場所の何カ所か訪ねたが、そのままであった。

 

 今の中国の実情から、そして自らの体力も考えると、もう中国へ新たに旅する気にはならないが、この『中国歴史の旅』を読み直して、自分が旅した中国のことを思った。もう行けないと思うからますます憧れが強くなった。

塩加減

 気温が下がり、白菜が美味しくなってきたので、白菜の塩漬けを切らさずに漬け続けている。塩分の取り過ぎをしないように塩を控えめにしてみたが、減らしすぎたので、水は上がったのに漬かり具合が悪い。やはり適当な塩加減というのがあって、その下限を下回ってしまったようだ。塩が足らないと白菜の甘みも引き立たない。当然あまり美味しくない。次はどの程度の塩加減にしようか。白菜の量と気温も考慮して塩加減を決めるのは、これでそこそこ知性を必要とする。面白いものである。料理をして、漬物を漬け、舅姑とうまく折り合いを付け、子供をしつけ、育て上げたむかしの女性が賢いのはあたりまえだと思った。それを女性が虐げられていた、というだけの視点で見るのはいかがかと思う。生きる楽しみは、知性を働かせることの中にもあることを忘れてはいけないだろう。楽をしすぎると頭は錆びる。

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たぶん女性。

『Fukushima 50』

 映画『Fukushima 50』を見た。以前見たつもりでいたが、初見だった。東日本大震災、そしてそれにともなう大津波による福島第一原発事故は、人間の想定をはるかに上回る地震が直接の原因とは言え、地震が起きる前の対策、そして起きてからの対処を考察すると、多分に人災の面もあるのではないかと私は思っている。

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 映画では地震後の第一原発の現場にいた吉田所長たちの、原発の暴走を命がけで食い止めようとする姿を中心に描いている。それに対して官邸からのさまざまな思いつきや、国民に言い訳にするための問い合わせが、東京電力本社(映画では実際に即して本店といっていた)を通して矢のように押し寄せる。それは現場を混乱させ、遅滞させる行為であることであるが、「命令である」という名の下に現場責任者の足を引っ張り続ける。現場の置かれている状況をほとんど考慮することのできない首相(もちろん菅直人のことである)以下の官邸と、その防波堤になるべき東京電力本社の無能無責任ぶりは、見ていてはらわたが煮えくり返るようである。本社が送り込んだ、失われた電源の補充用の電源車は現場に必要な電圧と違ったために使い物にならなかった。そんなことも確認できない、なんというお粗末。これは深刻な失態である。

 

 あまつさえ、事故現場にヘリコプターで乗り込む首相。それがどれほど愚かなことかこの男は理解できなかったのだ。どこの国で総責任者である国のトップが、まさに破綻寸前の原発という、もっとも危険な現場に赴くなどという行為をするだろうか。何かあったらその後だれがどうするのか、決めていたのかどうかすら不確かだ。映画では官房長官が万一の時の権限委譲を提言していたが、首相は返事をしなかった。たぶん事実なのであろう。叱咤激励してみせるというパフォーマンスしか考えていなかったのだと思う。

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 映画に描かれていたことのほとんどが、まさにその当時、テレビで時々刻々報じられるニュースを見ながら私が想像していたとおりであることに驚かされた。自分の想像が怒りから過剰になっているかもしれないと思っていたのだが、思っていたとおりだったからだ。ベント開放、海水注入など、打つべき手を取ろうとしているたびに「待て!」を繰り返し、手遅れになってから「まだか、遅い」と叱責を繰り返している愚かさ。現場責任者だった吉田所長が事故後何年もせずになくなったのは、死因である癌によるものだけではないと、誰もが思っているだろう。

 

 原発事故が起きなければ、そして対処がもしうまくいっていれば、「さすがに日本の原発は大したものだ」「原発は安全だ」と評価されていただろう。それがどうしてこんなことになったのか、地震のせいにするだけで、その責任を誰かがとったということを未だに私は知らない。

2024年11月20日 (水)

敬語

 江國滋の文章に曰く


「敬語というものは、いい年をして「学ぶ」ものではない。知らず識らずのうちに身につける、あるいは身につくものだろう。日本語はむずかしい、なかんずく敬語ぐらいむずかしいものはないというのは、あれは外国人のいうことである。日本人が日本語を難しがってちゃ困る」

 

 まことにその通りであって、若者が敬語を面倒がって、儀礼的だから敬語はない方が好い、などというのをあたかも正論のように大人がいうのは迎合であると私は思っている。そういう私だって敬語をしばしば誤用していて、正しい使い方を後で知って恥ずかしくなることがあるが、問題はじつはそこにあるのではないのだと思う。

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 人と人との関係によって言葉遣いはかわる。状況によってもかわるのが言葉遣いである。目上でもときにぞんざいな方が打ち解けることもあるし、目下であっても丁寧な言葉遣いをする方がいいこともある。そのときどきにことばを使い分ける、それこそが気遣いであって、それができるかどうかがその人の評価に、つまり価値につながる。一目置かれるか軽蔑されるか、大きく分かれるのだ。それが自然にできるようになること、それが大人ということであって、敬語もその言葉遣いの一つの形に過ぎない。儀礼ではなく礼儀、相手に対する敬意ということはそういうことだと思う。

 ちなみに江國滋(1934-1997)は編集者から評論家、エッセイスト。落語評論の著作がある。江國香織は江國滋の長女。江國滋については書きたいことがいくつかあるが、今彼の本を読み直しているところなので、そのついでにまた書くことにする。

冬の尖兵隊

 雨降りの関東とは違って、当地尾張地区はどんよりした曇り空。冬の尖兵隊がやってきたようで、今シーズン初めての10℃以下の朝の気温だが、閉め切っているので室温はそれほど低くない。あちこちで雪の便りが聞こえるようになった。そうなると温泉で雪見で一杯、などと連想する。それほど懐具合が豊かではないが、もう将来のための備えも必要ないと、使えるだけ遣っていけば善いではないかと思ったりする。長期入院中の妻の問題は別にして、さいわい息子も娘も生活に困っていないから、何も残さない、というのもきれいな生き方ではないか。ただ、妻の面倒を子供たちが見ることがなるべく遅くなるように、できるだけ長生きして先送りしてやることが自分の務めだと思う。

 

 團伊玖磨の『パイプのけむり』シリーズは一つ一つを味わいながら楽しんでいるので遅々として進まず、まだ六冊目である。そこに陳舜臣のエッセイや江國滋のエッセイを引っぱりだし、並行して読み始めたから収拾がつかない。とはいえ好きなものばかりだから二度目か、三度目なのに時を忘れて楽しんでいる。ありがたいことにざる頭、つまり物忘れの名人なので、内容をほとんど忘れていて、ときどきそのざるに引っかかって発酵していたものが際立って浮かび上がり、自分自身が目覚めたりする。むかしの読書備忘録などを見ると、昔より今の方が深く読めるようになった、などと思っていたのに、じつはむかしの方がきちんと読み込めていたりして驚いたりする。

 

 江國滋との出会いは、たしか月刊誌の『文藝春秋』の頭の部分にあるいろいろな人の短文集であった。そこでたまたま江國滋が内田百閒の死を悼む文章に出会った。短い文章の中に、内田百閒に対する心からの敬愛とその死を悼む心がこちらに強く鮮やかに伝わった。それから江國滋の本や内田百閒の本を揃え始めて夢中で読んだことを思い出す。それらを読み返しているのである。

 昼のニュースで火野正平の訃報を知った。私の一つ年長で、同じ世代として他人事に思われない。腰痛の悪化と聞いていたので、まさか亡くなるとは想像してしなかった。なんだか気持ちにぽっかり穴が空いて、気が抜けたような気がした。冥福を祈る。

マスコミ

 兵庫県知事選の結果に関して、少し前にこのブログに書いた。マスコミをうたがうことも必要だ、としてそれを締めくくった。テレビで見ていたら、この選挙について若者が「SNSによって、マスコミのいうことは嘘ばかりだと知った。自分はSNSを信じる」と語っていた。真実に目覚めた、という語り口で、あちらの神様は信じるに足らないことを知ったから、これからはこちらの神様を信じることにする、といわんばかりである。

 

 唖然とした。

 

 私は「疑うことも必要だ」と思ったけれど、マスコミが嘘ばかりだ、などと思ったりしない。マスコミには責任があり、嘘をつけば激しく非難され、制裁を受ける。だから朝日新聞は慰安婦問題で、事実に反したことを報道したこと、そしてそれが事実に反すると明らかになったあとにも嘘をつき続けたことで、あれだけ激しく批判され、自己批判を余儀なくされ、会社も傾きつつあるように見える。朝日新聞だけではなく、新聞全体があの問題、そして教科書問題などで沈没したように思う。それだけ社会的責任がともなうから、マスコミは安直に嘘をつくとは私は思わない。責任をともなわないSNSよりははるかに信用できると思っている。

 

 テレビも新聞も、自らが社会の正義を啓蒙し先導する存在だと思い上がっていて、報道する事実を取捨選択して、それが為に偏った報道になってしまったということではないかと思う。自分の思う正義に不都合なことは報じないという姿勢が見え見えなのだ。マスコミには多分にそういうところがある。それでありながら経済原理で動いているから、視聴者や読者にどうしても迎合する。どちらがリードしているのか判らない。

 

 ところが世の中、つまり大衆はテレビや新聞からどんどん離れている。視聴者は減り、購読数は減り、広告収入は減り、単価か下がったためにCMが異常なほど氾濫することになって、みなうんざりし、ますます離れていく。すでに斜陽から消滅へと進んでいるように見える。ますます大衆迎合をするようになり、それが皮肉なことにマスコミ離れをますます加速する。貧すれば鈍するである。

2024年11月19日 (火)

ゴミ

 人は生活していれば必ずゴミを出す。放置すればゴミだらけになるから、それを処理するシステムが必要である。それは排泄物も同様だ。文明の根幹だと思う。システムがあるならそれにのって生きる、それが文明人である。

 

 ところがプラスチックゴミがそこら中にあふれ、自然を汚染しているという。だからレジ袋をなくしていこうという。レジ袋がどうしてこんなに白い目で見られなければならないのか不審である。レジ袋を何度も使い回して、穴でも開いて使えなくなったらちゃんとゴミとして捨てればよいことである。ペットボトルにしてもそうである。

 

 ゴミをきちんと捨てずにそこらに放り出すから自然が汚れるのであって、レジ袋やペットボトルに罪があるわけではない。そのことをよくよく承知した上で、ではそのようなゴミを捨てる不心得者をどうするのか、そのことが自然汚染を止める本質的な解決につながるはずである。不心得者が十人に一人でも、百万人いれば十万人が捨てることになる。だから仕方なくみんなが不心得者に会わせた対策をするしかない。しかしそれでいいのだろうか。

 

 ゴミを拾う人はゴミを捨てない。ゴミを捨てる人はゴミを拾わない。

 

 このことは本当に本質を突いたことばだと思っている。道徳とはゴミを拾う人を増やし、ゴミを捨てる人を減らすことで、それがしつけであり、教育だろう。それができないでは文明国だと言えない。自由だとか権利だとかを声高にわめき立てて、道徳といえば自由を拘束する時代遅れの思考だと決めつける正義の人たちこそ、じつは自然を汚染させることに加担していないか、などとこのざる頭は考えたりする。

みかん緑茶

 娘がくれた南紀白浜の土産は酒の肴とみかん緑茶だった。みかん緑茶というのは初めてである。酒とお茶が好きな父親が喜ぶことが判っているものを択んでくれたのがうれしい。ティーバッグにお茶と干したみかんの果皮が入っている。飲むと、味はほとんど緑茶で、かすかにみかんの香りがする。飲んだあとに、口中にみかんの香りとほのかな甘さが感じられて、なんだか気持ちがほんわかする。思いのほか上品なお茶である。

 

 こういう、口中にほのかな甘みの感じられるお茶といえば、緑茶を少しだけ発酵させた白茶というのを中国で飲んで知り、土産に買って楽しんだことを思い出した。もう少し発酵させればウーロン茶だし、さらに発酵させれば紅茶である。その白茶をさらに買い求めたくて神戸の中華街まで行って求めたけれど、あまり甘みも感じられず期待外れだった。

 

 このみかん緑茶になんとなくその白茶の味を懐かしんだ。

2024年11月18日 (月)

吾妻スカイライン

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ネットで調べたら、通行止めになっていた吾妻スカイラインが、11月15日まで限定で通行できるという。天気も良さそうなので、そちらに立ち寄ることにした。ヘアピンカープの連続で運転している弟はたいへんだったが、景色は素晴らしい。写真は一切経山の前の駐車場から撮ったもの。私の背後には吾妻小富士がある。

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吾妻小富士。なだらかだが頂上からの景色は絶景である。巨大な噴火口が見られる。私は二度ほど登っているので、今回はパスして他の同行三人に登ることを勧める。

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待つ間に周囲の景色をカメラに収めた。

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登ってくる途中で通ったあたりが見える。亜硫酸ガスなどの火山ガスのせいで植物が生えないところがある。ガスの多いときは通行止め。

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三人が下りてきた。けっこうくたびれたけれど、景色は良かったという。噴火口の周りはとても回り切れそうもないので眺めるだけにしたそうだ。

みんな満足して千葉までの帰路についた。夕方東京はあちこちで事故やバスの故障で車線が塞がれたりしていて、大渋滞で一時間以上余分な時間を食ったが、無事に帰着した。

これにて今回の小旅行の報告は終わり。

なんだったのか

 兵庫県知事の出直し選挙で斉藤元知事が再選された。連日のマスコミの報道で知った斉藤元知事のイメージは、再選など毛頭あり得ないように思えたのに県民は彼を択んだ。SNSの勝利だ、などと報じられているが、どういうことなのだろう。マスコミの報じたとおりなら、兵庫県民は間違った選択をしたことになるはずであり、SNSはまちがいをまちがいではないと思わせる悪者なのか。

 どうも間違ったイメージをすり込まれたのは私のような気がしてきた。既得権益を守るために、それをただそうとする斉藤知事が排除されかかった、それにマスコミがのって騒いだ、ということではないか。SNSではその実態が伝えられ、兵庫県民はそちらの方が事実であると判断した、というのが今度の選挙結果のように思える。

 トランプについてのイメージも、報じられたものだけ見ればとんでもない人物にしか見えないが、そんな人物でもアメリカ人にとってはハリスよりもまし、民主党はもううんざりだ、という判断をアメリカ国民がしたということで、アメリカ人の過半が愚かだという見方ばかりしていると現実を見損なってしまうのかもしれない。これもマスコミの多くが民主党に与して、過剰なネガティブキャンペーンをしていて、それを、それだけをそのまま日本でも報じるから、なぜアメリカ国民がトランプを択んだのがどうしても理解不能に見えてしまう。

 マスコミの謳う正義というものは、ときに疑う必要がある、というあたりまえのことを知らされた気がする。

2024年11月17日 (日)

ドッコ沼(蔵王)

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ドッコ沼。曇っていたのが少しずつ明るくなってきた。

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弟夫婦。とても仲が良い。

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妹。亭主はいま施設でリハビリ中。最悪期を脱して好かった。ここも仲が良い。

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誰かが忘れたらしいニット帽。

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薄日が差してきた。

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12月中旬から営業します、との張り紙あり。中を覗くと灯りがついていたので、準備中なのだろう。スキーのシーズンには混むことだろう。近年は雪が少ないが今年はどうだろうか。暖冬で樹氷もだんだんできなくなっているらしい。

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こちらも雪が積もるまでは休業中。

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賑やかな声がした。我々の後に続いていた中国の団体がやってきたようだ。

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風が止まり、日が差して湖面に冬木立が映る。

冷涼なきれいな空気を思い切り吸い込んで、満足して山を下りた。

蔵王温泉

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二泊目は蔵王温泉に泊まった。温泉神社の登り口にある宿で、上の写真は、朝風呂に入った後で部屋の窓から撮ったもの。温泉神社はかなり急な、長そうな階段を登らなければならないが、朝から下りてくる人登る人が絶えない。みんな元気だ。

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これも部屋の窓から撮ったもの。共同浴場である。宿で教えてもらった共同浴場は三カ所あり、前の晩に弟夫婦と妹は蔵王温泉内を散策して、ここではないところの共同浴場に浸かってきたそうだ。店は閉まっているところが多かったという。この辺りの紅葉はすでに終わり、次のスキーシーズンまで閑散期らしい。

朝ひとつだけ動いているという蔵王スカイケーブルにのって山上のドッコ沼に行く。

このケーブル駅付近にダリア園があるはずで、わたしの不確かな記憶によれば、宮本輝の『錦繍』という小説はここのシーンから始まった。樹氷が目の前の場所に大学の山小屋があり、学生時代によくここから山に登った。ワンゲルの先輩に連れられて、熊野岳、地蔵岳、刈田岳などを縦走したこともある。懐かしい。景色だけではなく、元気に山が歩けたことも懐かしい。

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スカイケーブルは四人乗りで次々にくるから待たずに乗れる。ただし観光バスで来た中国人の団体が後ろにいたので、遅れないように先に乗った。下りてすぐの場所の権現様。

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ここからあちこちの山の上にリフトで登ることができる。ただし、みなスキー場に行くものだから、シーズン前の点検でいまは止まっている。曇っていた空が晴れてきた。ドッコ沼に向かう。ケーブル駅からすぐ近い。次回はドッコ沼など。

娘が来た

 一昨日連絡していたので、昨日午後、娘がやってきた。元気そうだ。私が東北旅行の土産を渡す前に、娘が「お土産」といって渡してくれたのは、南紀白浜の土産だった。パンダを見てきたそうだ。

 

 私の撮ってきた写真をデスクトップの大きなモニターで見る。そこそこきれいに撮れている。娘は私の弟や妹や彼女の従兄弟たち(私の弟や妹の子供たち)の消息を尋ね、いつも以上に会話が弾む。もともと口の重い娘なので、それが人並みにしゃべると気持ちが通う気がして父親としてはうれしい。体調が良いのだろう、それもうれしい。私は冷たいようでも、父親なりにいつも娘のことは気にしているのだ。

 

 亭主が迎えに来たので、また来る、といって颯爽と帰って行った。

2024年11月16日 (土)

鳴子峡

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鳴子峡を陸橋から見下ろす。下へ下りれば遊歩道もある。

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よく鳴子峡の観光ポスターに使われるのはこの辺りから撮った写真だと思う。ここを走るのは陸羽東線。

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盛りはやや過ぎたけれど、見応えがある。

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移動しての展望台からの景色。向こうの橋の上で写真を撮っていた。

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背後の山。

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下の遊歩道を見て弟たちは、鳴子に泊まってこの遊歩道を歩きたかったなあ、といっていた。私は見下ろすだけで好い。

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なかなか絵になるので、撮りだすとキリがない。

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名残惜しいが思ったよりも時間を食って遅くなってしまった。堺田の分水嶺や封人の家に立ち寄りたかったのだがパスして、ちょっとだけ母との旅の名残のところ(写真は撮らず)に立ち寄って、そのあとは一気に新庄にくだり、そこから東北中央道で山形に向かう。暗くならないうちに今夜の宿の蔵王温泉に着きたい。

潟沼に寄る

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潟沼(がたぬま)は鳴子の奥の山上にある湖である。普段は誰もいないで神秘的なところなのだが、紅葉を見に来た観光客であろうか、たくさんの車が駐まっていた。

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湖面に向かって左手に、噴気の上がっている場所があってその硫黄の臭いが強く漂っている。この日はあまり噴気は上がっていなかったので、そこまで見には行かなかった。

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以前そばまで行ったときの写真。

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雰囲気を見て取れるだろうか。このあと鳴子温泉街を通ってから、もとの国道47号線へ出て鳴子峡へ向かう。紅葉の盛りは過ぎてしまっただろうか。レストハウスには車が駐められるだろうか。

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次回報告するつもりの鳴子峡を上からのぞいた写真。高いところの苦手な人なら実際にそこに立つと足がすくむだろう。

2024年11月15日 (金)

岩出山・旧有備館

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今回見た紅葉のベストが、岩出山の旧有備館の庭園で見たこの紅葉。

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伊達政宗は米沢生まれだが、この岩出山の地に拠点を移し、のちに仙台に本拠を構えた。岩出山は東北道古川インターを下りて国道47号線を西へ向かって10キロあまり行ったところにある。

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伊達政宗の四男がこの岩出山の地をあずけられ、のちにここは伊達藩の支藩になっている。有備館はその支藩の学問所である。この茅葺きの建物などは、東日本大震災のときに倒壊してしまい、数年かけて再建された。ここの庭園はとても美しい。私の大好きな庭で、鳴子温泉からも近いので、春夏秋冬、何度も訪れている。

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どこからでも絵になる庭である。

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右手に回り込むと玄関口になって中を拝観できる。

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左が義妹、真ん中が弟で右が妹。

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建物内も自由に歩ける。

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どこから撮っても美しい。ちょうど紅葉の最盛期のようだ。

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心から紅葉を堪能して、そのあと鳴子温泉郷のいくつかを訪ね歩いた。まず川渡(かわたび)温泉、そして東鳴子温泉、さらに中心部の鳴子温泉、途中で山の上にある潟沼を見に行った(次回報告)。

我が家にて

 ブログでは小旅行一日目と二日目朝の仙台と松島の報告を終えたところだが、実時間では一昨日夜に弟の家に帰着して一泊し、昨日無事に我が家に帰着している。思いのほかくたびれた。このごろはひとり旅なら連泊をしたりして疲れないようにしているが、今回は兄弟での旅で、それぞれに都合もあるから少し強行軍になった。それでも私の考えた立ち寄り先が廻りきれなかった。あそこも見せたい、ここも見せたいと欲張りすぎたようだ。

 

 それでもみな満足したと思う。二日目の鳴子周辺の景色は絶景であった。その写真は次回以降に報告する。

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この二枚の写真は予告編としての岩出山・旧有備館の紅葉の写真である。これ以上の素晴らしい紅葉の写真もある。次回報告する。

2024年11月14日 (木)

続・雄島

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松島の雄島にはあちこちにこういう石碑がたくさんある。説明がないと、私にはどういうことの書かれた石碑か判らない。

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島内を歩く弟、妹、義妹。

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こういう石の仏像もあちこちにある。

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松島の松島らしい景色。松島へ何度も来て、今回初めて松島の良さを知った気がする。

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雄島から湾内周遊の遊覧船乗り場を望む。

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探していた芭蕉の句碑を弟たちが見つけてくれた。

満足して松島を後にする。次は岩出山の旧有備館である。

雄島(おじま)

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松島に三つある赤い橋の一つが、この尾島へ渡る渡月橋。

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島側から海岸にある壁龕を望む。こういう壁龕がそこら中にある。

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橋を渡りきったところの右手にもあった。

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駐車場のある場所の先はこういう広い砂浜になっている。

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突き当たりにある木標。石碑は読めない。この島には見所がいろいろあるはずなのに説明板がないのでよくわからない。高台に登る。

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遊覧船で、鯨島と鮫島(?)と呼ばれていた島が見えた。

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遠くに、伊達政宗が愛でたという一本松の島が見えた。

このあと島内を散策する。意外と歩くところがたくさんある。

2024年11月13日 (水)

松島・双観山展望台

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松島湾を眺める展望台が五つか六つあるそうだ。奥松島の大高森展望台に昔登ったことがあって素晴らしい景色だったので、そこへ行こうと思ったら、歩いてしか登れないという。15分も歩けば登れます、と宿の人はいうがいまの私にはつらい。調べたら一番西側から眺める双観山展望台が車ですぐそばまで行けるらしいので、松島を周遊した翌朝、そちらへ向かった。

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朝日が逆光で島はシルエットになるが、波がきらめいて美しい。

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駐車場のすぐそばにはこんな紅葉もあって楽しめた。松島の瑞巌寺周辺はごった返しているのに、ここには誰も来ない。知らないのだろう。

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大いに景色を楽しんで、歴史的に由緒のある雄島に向かう。芭蕉の『おくの細道』でも知られている。

松島、瑞巌寺など

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遊覧船を下りてから瑞巌寺を拝観した。壁龕がこの寺内だけでなく、あちこちにある。

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半分光の当たった樹が美しい。

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いろいろな菩薩がいらっしゃる。

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きれいな紅葉が見られた。本堂などの中を拝観。撮影禁止。見応えあり。宝物殿も見た。

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五大堂と月。

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五大堂の写真を撮る妹。

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夕方、最後の遊覧船が出て行く。船に灯りがつき出した。このあと宿に急ぐ。

2024年11月12日 (火)

松島周遊

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松島に着いたのは一時過ぎ、次の湾内周遊の船は二時出航だという。その前に食事をしたい。遊覧船乗り場周辺は大混雑で、駐車場も満杯だし食事をするところも行列して待っている。五大堂からもっと東松島寄りの離れた駐車場に車を置き、瑞巌寺の山門前のタコスの店が待たずに食べられそうなのでそこにする。食べたかった牡蠣フライと牛タン焼きを食べることができた。

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船内からだからガラス窓の反射が写りこんでしまう。雄島を写したつもり。

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こんな島や

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こんな島や

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こんな島や

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こんな島を撮った。これはちょっと顔に見えた。デッキに出ればもっと撮れるけれど、風が強そうなのでやめた。

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乗った船。こんなふうに人が多かった。

このあとみんなで瑞巌寺を拝観した。

青葉城址

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早朝、千葉を出かけるときには小雨が残る天気で、常磐道を北上して茨城県、福島県を通過するころはずっと曇り空だったが、仙台市内に入るころにはこのような晴天になっていた。青空と紅葉と伊達政宗公を撮る。

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仙台市内を見下ろす。さすがに大都会だ。わかりにくいけれど広瀬川も見える。前に来たときは下から歩いて登った記憶がある。いまは護国神社の前まで車で上がれる。だから石垣を楽しむことができない。

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弟が伊達政宗をいれて、女性ふたりの写真を撮っている。

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光が強すぎでお顔が見えにくい。

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護国神社に参拝して、松島に向かった。

2024年11月11日 (月)

早朝に発つ

 早朝みんなでそろって出発するため、昨夕、妹を弟が車で迎えに行き、昨晩は小旅行の前夜祭になった。今日は東京を通らず、常磐道を北上することにしている。なるべく渋滞は避けたいし、このルートの方が弟の家からだと距離的にも少し近い。まず仙台の青葉城址に行く。青葉城址に行くのは三十年ぶりだろうか。東北にはたびたび行っているが、仙台のような都市部はあまり走りたくないから敬遠していた。階段の上り下りで膝がいささか心配だが、みんな判ってくれているので置いて行かれることはないだろう。

 

 そのあと松島へ行く。湾内周遊の遊覧船に乗るつもりだ。天気はまあまあの予報なので、ありがたい。泊まりは奥松島の宿。美味しいものが食べられると好いなあ。旅行中は兄弟親睦を優先するので、ブログでの報告はあとになるかもしれない。

2024年11月10日 (日)

台詞と声と字幕

 私は耳の性能があまり良くないので、映画やドラマの台詞が聴き取りにくいことがある。音量を上げても聴き取りにくかったりするので、音の解像度が悪いのだと思う。滑舌の悪い俳優だと俳優のせいにして腹が立ったりする。私は台詞を文字に置き換えて認識することが多いから、その文字が浮かべられないとイライラするのだ。他の人はどうなのかは知らない。

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耳が不自由な私。

 

 その点、外国映画は字幕が入るので、俳優の声を楽しみながら字幕で台詞を理解できるから却って楽である。だから私は吹き替えが好きではない。字幕がないからである。日本の映画でも字幕を入れてほしいと思うくらいである。私にとって、邦画の台詞の聴き取りにくいものがとても多いのが残念である。

 

 洋画と邦画の割合が年々変わりつつあるという記事をどこかで見た。以前は洋画がずっと多かったのに、洋画の人気がおちて邦画の割合が増えているのだという。この場合の洋画というのは外国映画、という意味かと思う。つまり字幕入りの映画ということであろう。これは作品そのものへの好みの変化というよりも、字幕を読むのが煩わしいということなのかもしれないと思ったりしている。

 

 俳優の魅力は容姿や顔ばかりではなく、声質も大いに関係している。その声を楽しみながら台詞を字幕で見る。ジェイソン・ステイサムなんて、あの声なしに彼の魅力は語れないではないか。それが映画の楽しみ方だが、字幕が煩わしかったら外国映画は楽しめないだろう。その国のことばが、せめて英語が聴き取れて理解できれば何よりだが、なかなかそこまで語学が身についている人は少ない。特に映画は俗語も多いから理解しにくいこともある。

 

 WOWOWで映画を楽しむことが多いが、字幕版と吹き替え版が両方放映されている。私は吹き替え版で映画を見たことはない。

総勢11人

 昨日は、東名高速は工事が多くて渋滞するというので、中央高速で名古屋から走り、無事に千葉の弟の家にいる。好天の土曜日ということで東京から郊外への車は多かったが、私は逆方向だから、心配したほどの渋滞にも遭わずに済んだ。

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休憩した諏訪湖サービスエリアから諏訪湖を見下ろす。

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湖上に散在するのはワカサギの釣り場だろうか。

 

 弟の家族はよく集まる。昨日は少し離れたところに住んでいる弟の次男一家四人と、近くに住む娘一家四人と、弟夫婦に私の総勢11人で会食した。中学生、小学生、そして幼稚園生の子供たちもいるから賑やかだ。しばらく会わないうちにみんな大きくなった。酒を飲んだのは弟と私のふたりだけ。子供たちの父親ふたりは車なので飲めないし、もともとあまり飲まない。

 

 このごろあまり飲んでいないから、結構酔ってしまった。歳だから酩酊するほど飲めないようになったのは好いことだ。そういえば弟夫婦もそろって七十を超えた。それでも私と違って若くて元気だ。みんな気を遣ってくれたのはありがたいが、自分の衰えを感じた。

 

 来週行く宿から確認と連絡事項のメールが来た。返事を書くついでに天候と道路状況を問い合わせたらすぐ返事があり、来週は暖かさが戻るからノーマルタイヤでも問題ないとのこと。これで弟の車で景色を楽しみながらゆっくりいけることになった。

2024年11月 9日 (土)

『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』

 いまごろは弟の住む千葉に向かっているところだ。しばらく出先になるからブログの更新が普段通りにやりにくいので、この半月余りで見た映画の中からいくつ択んでブログとして書いて予約保存しておくことにする。

 

 『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』はロード・オブ・ザ・リングシリーズ三部作の完結編である。今回見たのは劇場版(211分)ではなく、エクステンデッド版(250分)だから、とにかく長い。長いけれども緩んだところがないから最後まで飽きずに見通すことができた。劇場版で三部作すべてを一度見ているけれども、今回すべてをエクステンデッド版で見直したことで、物語全体の構造をよく理解することができた。最初のときにはよくわかっていなかったし、わからないままだったのが、今度はすべてがつながった。この物語はなかなか良くできているのである。しかもそれをリアルな映像に仕立ててくれて、大変ありがたいことであった。

 

 こういうファンタジー物語は、その物語世界をどこまでイメージできるかで面白いと思えるかどうか決まる。想像力があるかどうか、そしてそれを素直に受け入れて楽しめるかどうかである。さいわい養老孟司先生同様、こういうファンタジー世界の話を読んだり見たりするのは好きである。物語というのは嘘である。嘘だからつまらない、という人が多いが、嘘でもそれにはまれるのはしあわせだと思う。でもあまりの長さに閉口して、さすがにもう一度見ようとは思わない。

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サウロン怖い。これは違うけど。

『ウエスタン』

 『ウエスタン』はセルジオ・レオーネ監督の1968年のマカロニ・ウエスタン映画。従来のマカロニ・ウエスタン映画とは一線を画する本格的な西部劇になっていて、しかもヘンリー・フォンダが血も涙もない悪役に徹しきって演じていることで、見応えのある映画になっている。その悪役を執拗に追い詰めていく、ハーモニカと呼ばれる無口な男をチャールズ・ブロンソンが演じていて、しかも共演者にはクラウディア・カルディナーレを配するという豪華な配役である。

 

 ある男と結婚を約束し、ニューオーリンズから列車でやってきた女(クラウディア・カルディナーレ)は駅に降り立って途方に暮れる。来るはずの迎えがいないのである。馬車を頼んでその男の農場にやってきた女はそこで人々が喪服で集まっているのを見る。男とその子供たち三人は皆殺しに遭っていたのだ。当時の西部は男の世界で、女は男に従属するもの、とおもわれている時代に、その悲劇にもめげずに、毅然として生きる女の姿が素晴らしい。

 

 その犯人と疑われたギャングたちの頭目(ジェイソン・ロバーツ)、しかし彼は自分の仕業ではないと主張する。ハーモニカ(チャールズ・ブロンソン)、ギャングの頭目、そしておりしも鉄道延伸を進めていた鉄道会社と、そこに用心棒として好き勝手に働く荒くれ男ども(首領がヘンリー・フォンダ)が三つ巴になって抗争を繰り広げることになる。

 

 最後にハーモニカの抱える因縁が明らかにされ、決闘のシーンへと続く。出来の良い西部劇は感動的に面白い。いわばアメリカの時代劇なのだといまごろ気がついた。

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たくましい女。クラウディア・カルディナーレではない。

2024年11月 8日 (金)

『夜の訪問者』

 チャールズ・ブロンソンが出演する映画が次々に作られた時代があった。『荒野の七人』や『大脱走』、『バルジ大作戦』などで出演していたのは見ていたけれど、チャールズ・ブロンソンをチャールズ・ブロンソンとして初めて見たのは『狼の挽歌』であった。それ以来意識して彼の映画を見て、出演映画のリストを見ると、十本を軽く超えていた。この『夜の訪問者』は『狼の挽歌』と同じ年の1970年につくられた。その年には『雨の訪問者』もつくられている。先につくられた『雨の訪問者』のヒットがあったので『夜の訪問者』という邦題にしたのだろう。

 

 彼のこの頃の映画には、たいてい妻のジル・アイアランドが共演している。『狼の挽歌』での、自分を裏切った女(ジル・アイアランド)を狙撃するシーンはスタイリッシュで忘れられない。今回見た『夜の訪問者』では敵役の愛人を演じていた。

 

 この映画でのクライマックスは、一刻を争う中でのカーチェイスである。延々と続くけれど、それがだれないのはその走る道に変化が多いからで、あり得ないルートで走るシーンは迫力がある。そうしてラストがそれなりにしゃれているのもイタリア・フランス合作映画らしくて好い。

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 マルセイユが舞台だから、映画にはこんな船も出てくる。映画の船はもう少し大きいけれど。

 このあと『ウエスタン』という、やはりチャールズ・ブロンソンの出演したマカロニ・ウエスタン映画がたまたま手許にあったので、それも楽しんだ。これはセルジオ・レオーネ監督作品である。

フクロウ

 フクロウの小物を集めるともなく集めて、いつの間にか数十たまった。旅先などで、持っているものと似ていないものを見つけると買ったりする。集めていることを知っている人からいただくこともある。大きいものや高いものは、ほしいと思うものがあっても買わない。場所塞ぎになるし、収集がエスカレートしてしまうのもなんだかイヤだ。

 

 ここまでは枕で、韓国映画の『梟-フクロウ-』という映画を見た。韓国の映画賞を総なめにしたという、王朝ミステリーである。韓国映画は出来不出来(出来不出来というより私の好みと合うか、まったく合わないか、かもしれない)があるが、この頃はだいたい見当がつくようになって、厳選して見たものはたいてい出来が良い。この映画はその点で、さすがに賞を総なめするに値するものだった。

 

 清朝初期、滅びつつある明朝に忠義立てしたために攻撃を受けて大敗し、明にとって替わった清にとらわれの身となっていた朝鮮の世子(皇太子にあたる)が帰されてくるのだが、例によって宮廷は陰謀の渦である。

 

 そんなころ、盲目の若い鍼医師が、名医とされる宮廷医から抜擢され、宮廷に勤めることになる。その彼が、鋭敏な感覚と優れた頭脳を駆使して知ることになる信じがたいほどの恐るべき陰謀の実態。そしてそれを知ったが故に陥る絶体絶命の事態をどう切り抜けていくか、緊張感が全編に張り詰められた優れた作品となっている。

 

 題名の梟の意味は、生まれつき彼は明るいところでは完全にものが見えないのだが、かすかな灯りのときには、クリアではないながらもものが見えることに由来する。彼はそれを隠しているから、その彼が見たものを見たと主張することができないのである。

 

 史実(『仁祖実録』)にある世子の怪死(感染症と記録された)をもとに出来の良いミステリー仕立てにした上、信じられないような犯人が設定されている。詳しく知っているわけではないが、朝鮮というのはこういう話が多いような気がする。私が見た、宮廷が舞台の時代劇ドラマはたいていそんな話だらけだった。

今朝は

 今朝はこの秋一番気温が低いとの予報だったが、予報通り、今シーズン初めて10℃を切ったらしい。窓を開ける前の室温が初めて20℃をわずかに切っていた。昨日こたつを出しておいて好かった。

 

 来週、兄弟で小旅行の予定なので、明日から弟のところへ出かける。留守は娘に頼んでおくが、余り部屋の中が散らかっているのも恥ずかしいので、片付けて嫌いな掃除をしておかなければならない。東北の山越えをする予定もあるので、雪が心配だ。今日辺りは山間部はかなり冷えこんでいるだろう。降雪や凍結が心配な場合は、冬タイヤを履いた私の車で行くが、四人のって、しかも荷物の多い女性がふたり(弟の嫁さんと妹)いるので少し狭い。弟の車はワゴン車の新車で、ゆったりであるからそれでいきたいところだ。私も運転せずに景色を眺められる。

 

 さいわい来週はこの寒さが去って少し暖かくなるようだから、大丈夫なようだが、出かける直前に宿に確認してみようと思う。

 

これから長行に備えてガソリンを入れに行き、荷物のチェックなどの準備をしようと思う。冷蔵庫の、食べておいた方が良いものを片付ける(腹に収める)ことも忘れないようにしよう。

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こんなふうだったらどうしよう。

2024年11月 7日 (木)

年内に行きたいところ

 年内に行きたいところは数々あるけれど、バラバラだったさまざまなことが、にわかに関連し始めた場所があるので、とにかくそこに行きたい。まず、先日義仲寺(ぎちゅうじ)と三井寺(みいでら)に行った。ともに大津である。琵琶湖周辺はこのところいろいろ歩いていて、湖東三山、さらに愛知川(えちがわ)沿いに遡っての永源寺周辺やさらに山中の木地師の里などは思いで深い地となった。そうして久しぶりに放送されたブラタモリでの、大津から京都へ行く東海道五十三次ではなく、別れて大阪へ向かう五十七次を訪ねる旅は面白かった。これも、見方によればまたもや基点が大津ではないか。

 

 大津から伏見、宇治、そして枚方(ひらかた)から大阪への道は興味深い。石清水八幡宮も一度は訪ねたい。これは『徒然草』の五十二段「仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ・・・」が珍しく頭にあってのことである。さらに『平家物語』の宇治川の先陣争いには深く思い入れがある。また橋姫伝説(宇治橋の近くに橋姫神社がある)にも心が動かされたので、宇治には三年ほど前に行った。五十七次はこの宇治川に沿って南下する。宇治川はやがて淀川となる。琵琶湖を源としているのだ。ブラタモリでも紹介されていたが、枚方の「喰らわんか舟」のことは、落語の『三十石舟』で知っている。

 

 先日、せせらぎ街道の紅葉を見るために立ち寄った明宝という場所は、佐佐木信綱の名馬・磨る墨の里である。信綱が宇治川の先陣争いで梶原源太景季に先んじて向こう岸に到着して「我こそは宇多源氏の末裔・・・」と名乗りを上げたのは、佐々木氏は近江が本拠であったからだ。信長に滅ぼされるまで、近江は長いあいだ佐々木氏の支配する場所であった。そういうこともだんだん判ってきた。

 

 そうこうしているうちにたまたま白洲正子の『石の寺』という短い文章で、繖山(きぬがさやま)や、そこにある観音正寺のことが記されているのを読んだ。安土に近い。聖徳太子にゆかりのある石馬寺とその寺にまつわる話もこの文章に詳しい。あるのはしっていたので、湖東三山を歩くときに立ち寄りたいと思っていたのに、寄るまのなかった場所だ。ここには何とか年内に行きたいものだと思っている。

こたつ

 いつもより早いけれど、こたつを出した。これが一番安上がりの暖房だ。日本人は古来から部屋全体を暖めるという不経済なことはせずに、こたつや手あぶりの火鉢で寒さをしのいできた。それだけ寒さが過酷でないからだろう。もちろん北国ではそうもいかない。

 

 これで再び長い「こたつの守(もり)」の日々が始まる。背中が寒いのは綿入れでも羽織れば良い。それに夏の熱気をため込んだマンションは、年内くらいはけっこう暖かいのだ。身の回りの本の山がまた増えていくだろう。それもうれしい。

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強面(こわもて)と傲慢

 世界はゆとりを失ったのか、弱肉強食の様相を強めつつあるように見える。大国は建前上、他国に対して礼儀をもって遇してきたが、しばしば強面をあらわにすることが増えた。力を背景にした傲慢さが露骨になりつつある。強いものが譲らなければ対等というものは成り立たない。成り立たなければ国連のようなシステムも成り立たない。そもそも常任理事国の拒否権などというものをもうけたことで、国連は問題を抱えていた。だからいまのように機能不全を来すことになったのだ。とはいえ、大国も小国も、戦勝国も敗戦国も皆平等ということになったら、そもそも国連は何も決められない組織になっていただろうことは想像に難くない。

 

 大国が傲慢になったのは、大国が余裕を失いつつあることの表れかもしれない。余裕があってこその他者に対しての敬意であり、礼儀であろう。大国のリーダーがみな傲慢さを露骨にし始めた。強面でない者はリーダーになる資格がないかのようである。

 

 アメリカは、バイデンでは強面にも傲慢にも見えないことが残念だったのだろう。だから敬意など歯牙にもかけないトランプをリーダーに仰ぐことにした。アメリカはなにより弱さを嫌う国なのだ。そもそもトランプはリスペクトというものを理解もしていないし、もし必要なのだと教えられても一笑に付すだろう。強面で傲慢なリーダーが再び表舞台に登場した。そんなときに石破さんである。安倍首相がいないことを日本は悔やむことになりそうだ。

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2024年11月 6日 (水)

廃仏毀釈

 NHKの『新日本風土記』という番組で奈良の山辺の道が取り上げられていた。再放送であるが未見だった。数年前から奈良にときどき足を運び、主に飛鳥路を歩いてきたが、山辺の道も良いなあ、と思った。思ったけれど、かなり長い距離を歩く道らしい。もっと前に行っておけば良かったと悔やんでいる。一帯には古墳が千を越えて散在しているのだという。すごいところだ。箸墓(はしはか)古墳や纒向(まきむく)遺跡だけでも現地に立って古代を回想してみたいと思った。

 

 番組の中で、奈良のこのあたりは廃仏毀釈が徹底的に行われた地であることを知った。大きな寺がいまは跡形もない。そのことになんともいえない空しさを感じてしまった。何でも残せば善いというものではないが、そこに長い年月の重みが加わったもの、歴史と人々の信仰の厚みをともなった建物や仏像を容赦なく破壊損亡することに対して、何の痛みも感じることなく破壊した人々がいたことこそが空しい気持ちを生じさせるのだ。

 

『徒然草』に
 花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所多けれ。

 

という有名なくだり(第百三十七段)がある。満月が雲に隠れて見えなくても、また、欠けた月を見ても、ときには部屋の中で直接見ないで思う月にもそれなりの風情、感興があるというのである。桜が盛りを過ぎてたとえ散ってしまっても、そこにこそ心に感じるものがあるのだという。私はこの感覚が好きで、盛りの時に人がどっと繰り出す中に混じるのは好きではない。祭りが済んだあとの普段以上の一層の寂しさ、わびしさに感興を感じるというのが判る気がする。

 

 ところがこの段を、月は満月、桜は満開の時が好いのに決まっているではないか、それを賢しらげに、盛りを過ぎたものに良さを感じるなどというのは仏教的な、日本以外からのおかしな考えに毒されたものだ、と批判した国学者がいる。平田篤胤だったか、賀茂真淵だったかの文章で、なにかに引用されたものを以前読んだが、なんという本か忘れた。

 

 どうして突然そんなことを引っ張り出したのかといえば、まさに明治の廃仏毀釈は、この国学にそして神社の狂信的勢力によって推進されたものであるからだ。仏教的なものを本来の日本のものでないからといって全否定して抹消しようとする狂気の原点がこの『徒然草』批判にあるように思えたからだ。

 

 初めて中国に行ったのは三十年以上前で、すでに文化大革命から十年以上過ぎていたけれど、あちこちで文化大革命の破壊の痕跡を見た。それを見ながらそういう教条主義的な破壊行為の恐ろしさを思い、そして廃仏毀釈を連想した。再び三度このようなことが起こるだろう。人間というものは残念ながらそういうものだ、と思った。

本を捨てる

 本日は当地の資源ゴミの日。この頃はビールを余り飲まないし、酒は紙パックの安い酒を飲むので、缶や瓶が余りたまらない。それでも前回の資源ゴミの日に用事で不在だったため、かわりに段ボールや雑誌類がけっこうたまっていた。それと、もう一度読み直したいところのある雑誌などを残していたが、どうせ読む暇はないと見切って処分することにした。さらに読み直した本のうちの、文庫本で古くなって変色したり背が割れたものは、どうせ古本として処分しても一文にもならないし、人に差し上げるには失礼でもあるので、目をつぶって資源ゴミとしてトイレットペーパーに生まれ変わってもらうことにした。一度では運べないほどあった。

 

 本を手放すというのは、本好きとしては誠に心痛むことではあるが、自分にとって値打ちがあっても他人(息子や娘であっても)には邪魔なゴミでしかないのだと分別したのである。そのためにも、とにかくもう一度目を通してあげるように心がけている。だから古い本の再読ばかりしている。ケチだからなあ。とにかく読んでからでないと捨てられないのだ。それに、読み直すと前に読んで気がつかなかった(たぶん忘れていることも多い)大事なことが書かれているのに気がつくことだらけで、そうなるとさらに読み直したくなってキリがないのだ。未練である。

色メガネ

 アメリカ大統領選挙の投票が行われている。まもなく開票らしいが、接戦と報じられているとおりなら、結果が確定するまでには時間がかかることになるらしい。負けたらそれを認めるか、と問われたトランプ支持者の中には、負けるはずがないのだから、負けるということは不正が行われたということで、断じて許さない、などと息巻いているのがいた。それなら選挙など不要であるが、このお祭り騒ぎは一つの儀式として必要なのだろう。

 

 ところでテレビで報じられているトランプの言動は、彼のさまざまな言動のごく一部を切り取ったものである。その様子から、人間的に見て、彼を支持する人がアメリカの有権者の半分もいることが私には信じられない。そうなるとアメリカ人というものがおかしいのではないかと思えてくる。トランプ支持者のうちの中には狂信的なまでに熱狂的な支持者がいて、そればかりをマスコミが取り上げているので、全部がそうだと勘違いさせられているのではないかという気はする。そうではなくて、アメリカ人がごく当たり前の人たちであるなら、トランプは過剰なだけで、何かを期待させる人物なのかもしれない。それだけアメリカ人の閉塞感というものが深刻だということなのだろうか。どうもマスコミによって色メガネをかけさせられているのではないかと思い始めてもいる。

 

 評論家の誰かが、こそっと言っていたけれど、SDGsや弱者優先の風潮の過剰に本音のところでうんざりしている人がたくさんいるのかもしれないという。それの反映がトランプ支持に向かっているという見立ては、それだけが理由では無いものの、それが要因の一つであることはあるかもしれない。それらはゆとりのある人間の言うことで、もともと生活が苦しいのに、さらに自分が割を食うことになっているという不満が止められなくなっているのかもしれない。

 

 そういうときに、非白人で女性であることが売りであるかのようなハリス候補に対して、必ずしもシンパシーを感じないのはありうることである。アンチトランプであるだけで、ハリスには何かを期待させるものが見えないのかもしれない。私もそれを感じない。

 

 トランプが圧勝、という結果となりそうな予感がする。

2024年11月 5日 (火)

参考書

 息子や娘の高校時代の教科書や参考書の大方はとっくに処分してしまったけれど、一部の参考書や問題集などは残してある。特に古典と漢文は勉強し直そうと思って残しておいた。他に歴史や生物などの資料集などは案外中身が濃くて捨てがたい。数年前からときどき古典を読み囓っているので、その古典の参考書を取り出してきて久しぶりに眺めている。読み終わったら捨てることに決めていて、何もする気が起きないときに数ページずつ読んでいるが、いろいろな古典のエッセンスが集められているから、それぞれを一から読むよりも簡便である。和歌についても限られた数のものだけが取り上げられている。なじみのある有名なものばかりなので、親しみやすい。西行や実朝の歌なんかにあんがいわかりやすくて気持ちの見える歌があって、自分でも意外である。『奥の細道』や『平家物語』などを、判らないなりに最後まで読みとおしたのが良かったらしい。

 

 思えば参考書をこんなに丁寧に、しかもすべてを読むなどということを、生まれて初めて自分がしていることに、苦笑している。もっと若いときに勉強しておけば良かった。世界がもっと広がっただろうに。

無理筋

 ときどき時間つぶしにパソコンと囲碁を打つが、ここしばらくは古いソフトで打つことが多かった。たいてい勝てる。しのぎを削っているときにあんがい弱気な手を打つので、そこを無理筋で押していくと大勝ちしてしまう。勝つので気持ちは好いが、正しく打たれたらボロ負けしてしまうだろうという、少しいい加減な手でもあるから、こちらは余り強くなれない。

 

 そこで新しい(といっても数年前に買ったもの)で実力は有段者なみのソフトと打つことにした。最強、強、普通、弱などと設定できて、弱ならこちらの勝率は五割強、普通に設定すると二割くらいしか勝てない。強や最強ではもちろん歯が立たない。普通なのに負けるのは、こちらが弱いソフトで身についてしまったいい加減な手を打つからで、それをとがめられて負けてしまうのである。それがだんだん勝てることが増えてきた。それは相手の攻めをしのいでいると、敵が案外な無理筋を打ってくる。そこをとがめて逆襲できれば勝てるのである。強や最強ならそんな無理筋の手は打たないから、つけ込む隙がないのである。

 

 世の中は無理筋がまかり通ってしまう世界に戻りつつある。というのは、たぶん20世紀の二つの大戦までは、世界は無理筋の世界だったのだと思うからである。その大戦で世界は激しく消耗して、無理筋ではいけないと気がついたはずなのである。それが再び無理筋がまかり通る世界に戻りつつある。それをとがめるものがいないのが、いまの世界の不幸なのだろう。一方的に勝てることなどありはしないのだ。

おもしろくない

 随筆、エッセイの類いが好きだ。文豪の随筆選などは、文庫で出ているものをかなり揃えている。文豪ばかりでなく、いろいろな人の随筆集が並んでいて、たいていそんなに長いものはないから、重いものが読みたくないようなときには、適当に引っ張り出して拾い読みしたりする。

 

 古典は苦手だが、説話集や物語集は面白いからときどき読む。随筆集といってもいいと思うが、『徒然草』や『方丈記』も何とか注釈に助けられながら読む。短い文章の中に思いがけない深い意味を感じて、ちょっと判ったような気分になれるのも好い。最近、棚にあるだけでほとんど開いたことのなかった『枕草子』を読みはじめた。ちっともおもしろくない。多くの人が良いというのだから、それを感じられないのは私の読解力、連想力がないせいであろう。古典が苦手になったのは、高校時代に学ばされた、この『枕草子』と『源氏物語』のせいだと思う。教師は陶酔するようにその素晴らしさを語ったが、私には良さがまったく判らなかった。この歳になって、もしかしたら判るかと思ったが、やはり私とは相性が悪いようだ。

 

 かな文字文学というのが、私と相性が悪いようだ。つまり、平安時代に書かれた女性の書いたものは私の手に負えないようだ。もしやと思ってはいたが、私はやはり女心の判らぬ男らしい。当時は物語のような下世話と思われたものは別にして、男は、文章を漢文で書いた。そのリズムがしっくりするようだ。わかりにくくても漢字で意味がとれるということなのだろう。

2024年11月 4日 (月)

敵ではなく

 「意見信条が違っても、共存することは可能である」という前提があってこそ討論ができるし、民主主義も成立する。その前提なしに民主主義は成立しない。意見信条が違えば「敵である」とあおり立てるトランプが不快に感じられるし、賛同できないのは、その前提を否定しているように見えるからである。アメリカの分断はそこから生じている。

 

 強権国家であるロシアや中国や北朝鮮などでは、強権の支配者を支持するものは味方であり、当然のことながら、反対はもちろん、批判しただけで敵と見なされる。だから民主主義を看板に掲げながら、自分を支持しないものを敵だ、と指さすトランプは民主主義のなんたるかを理解していないか、アメリカを壁で守ると言いながら、その民主主義を守る壁を破ろうとしている人物であろう。そのトランプが大統領候補であるということにアメリカというものの歪みが見えてしまう。その対抗馬がハリスという人だが、私には、どう見てもアメリカ大統領のイメージにそぐわない、必要なカリスマ性も能力も持たない人物に見える。その状況は、いまのアメリカというものを表している気がする。

 

 基準にもよるが、アメリカという国は欠点だらけの国だと思っている。長所よりも欠点の方が多いのではないかとさえ思っている。それでも力があるのは、大きな国土、豊富な資源、輸出できるほどの食料生産力のある国だからである。恵まれているのである。しかも移民によって成立した国でもあるということでも恵まれている。なぜそれが恵まれたことなのかについては、別途記したいと思う。

 

 恵まれていたアメリカは、世界の富を一身に集めて栄華を誇っていたのに、日本が、韓国が、中国が、東南アジアが、インドが、そして世界が豊かになり、アメリカの富が分散しているからにほかならない。アメリカを取り戻せ、というのは、アメリカだけが儲かっていた時代があるべき姿だと思う時代錯誤そのものだ。最初に擡頭した日本をボロボロになるまで押さえ込んだという成功体験から、他の国の擡頭も押さえ込めると思い混んでいるようだが、もうそんなことを望むのはそもそも無理なのだ。

 

 そのアメリカが寛容を失い、分断していくのは、アメリカが衰退に向かっていることを無意識に自覚し、不安を覚えているからなのではないだろうか。不安が非寛容を生み、分断して相手を敵と罵る。選挙にもし負けても、その結果を認めないのは、すでに民主主義の否定だが、その先にあるのはアメリカの内向きの争いとさらなる衰退だろう。原因と結果が互いに絡まり合ってもう解きほぐすことができなくなっているようだ。そもそも偏った富は、偏ったエネルギーと一緒で、いつか必ず分散して平衡へ至るのは自然の成り行きだ。しかしその偏りによって得られていたバランスが、新しいバランスに至るまでには多くの摩擦が起こるだろう。変革の時代が来ている。戦争になる可能性も否定できない。世界はそのとばっちりを受けることになるだろう。 

 

 アメリカ人が、意見の違う相手が、同じアメリカ人で敵ではないとふたたび気がつくのはいつだろう。

原因と結果

 何かの原因があって何かの結果が生ずる、とたいていの人が思っている。その原因が数え切れないほどたくさんあり、そして当然結果もたくさんあり、しかもその結果が原因となってつぎの結果を生じさせる。そうして原因と結果のどちらが先なのかが判らないほど複雑に絡み合っていく。この世は因果の世界だというのはそういうことかと思う。

 

 悪い方へどんどん因果が連鎖していくことは、できれば止めたいものだが、一度転がり出すと破局的な状態に落ち込むまで止まらないことが多い。そうなる前に何とかできたのではないかと思うのは、たいていどうしようもなくなってからである。そうなることが想像できたはずなのだが「まさか(あそこまで)」と誰もが思う。

 

 なんだかそういう悪い連鎖があちこちで生じていて、その小さな渦が渦どおしかさなって、さらに大きな破滅的な渦になっていっているような気がするのは、私が不安神経症だからだろうか。

三井寺 金堂など

三重塔から金堂の方へ向かう。

手前にあった立派な建物。写真で見るよりもかなり大きい。

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一切経堂。毛利輝元の寄進だそうだ。

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これが金堂。中を拝観できる。もちろん拝観した。

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ここに書かれているとおり、三井寺は天台宗の寺で、戦乱によって何度も戦災に遭い焼亡しては再建されてきた。現在の金堂は豊臣秀吉の妻、北政所によって再建されたのだ。戦乱に遭うということは、それだけ政治に関わった、そして関わろうとした寺であったからでもあるのだろう。平家物語を思い出す。

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金堂の横手。左側の建物は・・・。

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中から水音がする。御幣のかかった大きな石がいくつかあって、水が湧き出す音がする。

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天智天皇、天武天皇、持統天皇の三帝の産湯に使われて水らしい。閼伽(あか)井屋という建物。左甚五郎の龍が彫られているというので上を見上げると、

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日光の眠り猫よりは迫力がある。

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仁王門。本来はここから入るのがルートであろう。今回は逆コースを歩いた。門を出た先にあったそば屋でそばを食べ、帰路についた。今回の報告はこれで終わり。

2024年11月 3日 (日)

三重塔へ

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こういう石垣にこけがのっているのを見るのが好きだ。長い時間の経過を実感できるからだろう。

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三重塔へ上る道の両脇に灯籠が並んでいる。こういうシンメトリックを見ると遠近感が強調される。

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重厚な三重塔。

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木組みが判る。

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もっとアップにする。建物の重みと安定をバランス良く保つための理にかなった木組みなのであろうが、よくこういうものを考え、しかもつくることができるなあ、というも感心する。

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由緒書きを読むと、この塔にも有為転変があったのだと判る。

観音堂から坂道を降りて

観音堂から坂道を下りたあたりに毘沙門堂があった。彩色が目を引いた。

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そうか、現世の私は半開きなのか。

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最近このような三頭身のお地蔵様や仏様を見る。愛嬌はあるがありがたみは感じない。

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三井寺の文化財収蔵庫。ここも特別拝観券で無料。

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濃い緑の中の赤は目立って互いを引き立てる。三重塔が見えてきた。

三井寺・観音堂

観音堂へ登る坂道の手前に入観料を払う場所がある。寺内をただ歩くだけの一般券と、特別拝観ができる特別拝観券があるといわれたので、特別拝観券をもらう。

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坂を登り切ったところに観音堂がある。堂内の仏様をぐるりと拝観するには500円必要で、もちろん特別拝観券ならそれが不要であり、それだけでも特別拝観券にした値打ちがある。なかなか見応えのある仏様たちであった。もちろん撮影はできない。ここは西国三十三所観音霊場の第十四番札所。

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手水舎。真ん中の水盤が面白い。

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見晴台から琵琶湖を見下ろす。曇っているので対岸遠くの山も霞んでいる。

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観音舞台。ここで舞でも舞うのだろうか。ここからなら景色も良さそうだが中には入れない。ここには他に観月堂、百体観音堂、絵馬堂、鐘楼などの建物がある。百体観音堂も覗いたが、格子とガラス窓に囲まれて薄暗くてよく見えなかった。

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三井寺は広くて建物も多い。観音堂は少し離れている。坂道を降りて他の建物を見に行く。

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坂道の途中で薄日が差した。琵琶湖が再び見えた。

2024年11月 2日 (土)

なんだか

 なんだかブログを書く気がしなくて、たわいもない映画(『スウィングガールズ』、『しあわせのパン』など)を見たり、本を読んだりして過ごしている。今日は雨。体調は別に悪くない。ただ、やたらに眠い。

2024年11月 1日 (金)

翁堂の奥に

芭蕉の結んだ翁堂(無名庵)の奥をのぞいたら、思いがけない人の墓があった。

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思索家で評論家の保田與重郎の墓である。この人の『日本の橋』という文章の一部が高校の現代国語の教科書に載っていた。実際は長い文章で、いくつか取り上げられた橋の中の、名古屋市熱田にあった裁断橋についての部分が教科書に引用されており、そこの擬宝珠の銘板の文章がいたく私の心に響いた。そしてそこから「橋」について深く考えるきっかけになった。橋だけではなく、さまざまなものが、ただ見えているものとしてではなく、そこにまつわりついている歴史や思いをともなっているらしい、ということに気がつかせてくれたのが保田與重郎だった。そういう意味での私の恩人である。

手持ちの昭和文学全集の中の、保田與重郎の年譜を見ると、この義仲寺の再建にも関わり、落慶式に臨んでいる。本墓は桜井にあるが、この義仲寺の墓は分墓だということである。

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寺内の史料観という小部屋にかかっていた、保田與重郎の色紙。蝶夢法師の句「旅人も まばらに春の 行方かな」を書いているようだ。寺内には蝶夢幻阿弥という人の「初雪や 日枝より南 さり気なき」という句碑があると、受付で貰ったパンフレットにあった。

この義仲寺にはJRの膳所駅から歩いてきたが、帰りはその膳所駅に隣接する京阪膳所駅に戻り、そこから三井寺駅に向かう。石山の辺りには大手繊維メーカーの研究所などもあり、仕事で何度か京阪にのったことがあるが、石山から先には行ったことがないので初めてである。ラッピングの色鮮やかな、目立つ電車だ。

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京阪三井寺駅を降りるとすぐ琵琶湖疎水がある。右手を下っていけば琵琶湖に出る。この柵の向こうは琵琶湖疎水である。この柵に沿って左手の高台に向かう。三井寺は長等山(ながらやま)の山裾にある。その山の下を琵琶湖疎水はトンネルを通って京都へ向かっている。

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山裾に突き当たると道は左右に分かれていて、最初に向かった観音堂は左らしい。

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少し行くと長等神社があった。ここは勝運魔除けの神社ということだが、私は賭け事をしないのでパスさせて貰った。観音堂へ上る坂へはもう少し歩く。

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これが観音堂へ登る階段の坂道。一番上が終点ではない。さらに上へ続く。息が切れて脚がよろよろした。自分ながら意気地がない。とはいえ観音堂が三井寺では一番高いところにあるから、登り切ればあとはたいしたことはない。

次回は観音堂界隈について。

義仲寺

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 義仲寺(ぎちゅうじ)は木曽義仲(源義仲・頼朝や義経の従兄弟にあたるが、頼朝の命により、義経に討たれる)を供養する女性によって始められたと伝えられる。女性は、自分は無名の者であると語ったというが、巴御前の後身であろうといわれる。そこでこの寺の別名は巴寺とも言う。山号は朝日山、木曽義仲が京都に入ってから、朝日将軍と呼ばれていたからである。

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Dsc_2195巴塚

 芭蕉は木曽義仲に強く思いをいたし、ここをたびたび訪れ、ついにはここに庵を建てて滞在して句会を催したりした。『おくの細道』でも、平家物語に描かれた北陸の場所と時代を偲んだ句をいくつも詠んでいる。義仲寺には木曽義仲の墓があるが、大阪で死んだ芭蕉は、死後はこの義仲寺に葬ってほしいと遺言を残し、木曽義仲の墓と並んで芭蕉の墓がある。私もそれ訪をねたかったのだ。

Dsc_2198芭蕉の墓

 この寺の維持には蕉門の俳人が多くたずさわり、小さくて狭い寺内ではあるが、句碑がたくさんある。

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そのひとつ 

  古池や 蛙(かわず)飛びこむ水の音 の句碑。

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芭蕉が滞在して句会などを催した翁堂。

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翁堂の軒下に下がっていた木鐸。

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門の方を振り返れば芭蕉の葉が。

とにかく狭いお寺であって、しかも庭木の手入れのための庭師が何人か大きな脚立を建てて仕事をしているので、写真を撮るのはもちろん、歩き回るのにも不自由した。それでも手入れだから本日休館、ということでなくて良かった。

付け加えたい見物があったが、次回にする。

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