冬の尖兵隊
雨降りの関東とは違って、当地尾張地区はどんよりした曇り空。冬の尖兵隊がやってきたようで、今シーズン初めての10℃以下の朝の気温だが、閉め切っているので室温はそれほど低くない。あちこちで雪の便りが聞こえるようになった。そうなると温泉で雪見で一杯、などと連想する。それほど懐具合が豊かではないが、もう将来のための備えも必要ないと、使えるだけ遣っていけば善いではないかと思ったりする。長期入院中の妻の問題は別にして、さいわい息子も娘も生活に困っていないから、何も残さない、というのもきれいな生き方ではないか。ただ、妻の面倒を子供たちが見ることがなるべく遅くなるように、できるだけ長生きして先送りしてやることが自分の務めだと思う。
團伊玖磨の『パイプのけむり』シリーズは一つ一つを味わいながら楽しんでいるので遅々として進まず、まだ六冊目である。そこに陳舜臣のエッセイや江國滋のエッセイを引っぱりだし、並行して読み始めたから収拾がつかない。とはいえ好きなものばかりだから二度目か、三度目なのに時を忘れて楽しんでいる。ありがたいことにざる頭、つまり物忘れの名人なので、内容をほとんど忘れていて、ときどきそのざるに引っかかって発酵していたものが際立って浮かび上がり、自分自身が目覚めたりする。むかしの読書備忘録などを見ると、昔より今の方が深く読めるようになった、などと思っていたのに、じつはむかしの方がきちんと読み込めていたりして驚いたりする。
江國滋との出会いは、たしか月刊誌の『文藝春秋』の頭の部分にあるいろいろな人の短文集であった。そこでたまたま江國滋が内田百閒の死を悼む文章に出会った。短い文章の中に、内田百閒に対する心からの敬愛とその死を悼む心がこちらに強く鮮やかに伝わった。それから江國滋の本や内田百閒の本を揃え始めて夢中で読んだことを思い出す。それらを読み返しているのである。
昼のニュースで火野正平の訃報を知った。私の一つ年長で、同じ世代として他人事に思われない。腰痛の悪化と聞いていたので、まさか亡くなるとは想像してしなかった。なんだか気持ちにぽっかり穴が空いて、気が抜けたような気がした。冥福を祈る。
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