敵ではなく
「意見信条が違っても、共存することは可能である」という前提があってこそ討論ができるし、民主主義も成立する。その前提なしに民主主義は成立しない。意見信条が違えば「敵である」とあおり立てるトランプが不快に感じられるし、賛同できないのは、その前提を否定しているように見えるからである。アメリカの分断はそこから生じている。
強権国家であるロシアや中国や北朝鮮などでは、強権の支配者を支持するものは味方であり、当然のことながら、反対はもちろん、批判しただけで敵と見なされる。だから民主主義を看板に掲げながら、自分を支持しないものを敵だ、と指さすトランプは民主主義のなんたるかを理解していないか、アメリカを壁で守ると言いながら、その民主主義を守る壁を破ろうとしている人物であろう。そのトランプが大統領候補であるということにアメリカというものの歪みが見えてしまう。その対抗馬がハリスという人だが、私には、どう見てもアメリカ大統領のイメージにそぐわない、必要なカリスマ性も能力も持たない人物に見える。その状況は、いまのアメリカというものを表している気がする。
基準にもよるが、アメリカという国は欠点だらけの国だと思っている。長所よりも欠点の方が多いのではないかとさえ思っている。それでも力があるのは、大きな国土、豊富な資源、輸出できるほどの食料生産力のある国だからである。恵まれているのである。しかも移民によって成立した国でもあるということでも恵まれている。なぜそれが恵まれたことなのかについては、別途記したいと思う。
恵まれていたアメリカは、世界の富を一身に集めて栄華を誇っていたのに、日本が、韓国が、中国が、東南アジアが、インドが、そして世界が豊かになり、アメリカの富が分散しているからにほかならない。アメリカを取り戻せ、というのは、アメリカだけが儲かっていた時代があるべき姿だと思う時代錯誤そのものだ。最初に擡頭した日本をボロボロになるまで押さえ込んだという成功体験から、他の国の擡頭も押さえ込めると思い混んでいるようだが、もうそんなことを望むのはそもそも無理なのだ。
そのアメリカが寛容を失い、分断していくのは、アメリカが衰退に向かっていることを無意識に自覚し、不安を覚えているからなのではないだろうか。不安が非寛容を生み、分断して相手を敵と罵る。選挙にもし負けても、その結果を認めないのは、すでに民主主義の否定だが、その先にあるのはアメリカの内向きの争いとさらなる衰退だろう。原因と結果が互いに絡まり合ってもう解きほぐすことができなくなっているようだ。そもそも偏った富は、偏ったエネルギーと一緒で、いつか必ず分散して平衡へ至るのは自然の成り行きだ。しかしその偏りによって得られていたバランスが、新しいバランスに至るまでには多くの摩擦が起こるだろう。変革の時代が来ている。戦争になる可能性も否定できない。世界はそのとばっちりを受けることになるだろう。
アメリカ人が、意見の違う相手が、同じアメリカ人で敵ではないとふたたび気がつくのはいつだろう。
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