まず、はい、と言え、はい、と
なにか言われて、はい、と言う人のなんと少ないことか。はい、と言うことは相手に負けたとか、服従することだと思っているのだろうか。それとも、はい、と言うと相手の言い分を認めたことになり、損をするとでも思うのだろうか。もちろんそういう場面もあるだろう。そんなときにまで、はい、と言え、などと言っているわけではない。
はい、は相手の言うことを聞きましたよ、ということであって、いささかの相手への敬意を含むものでもある。しかるのちに自分の言いたいことを言えばいいのである。そういう私だって必ずしもはいとばかり言うわけではないが、比較的に抵抗なく、はい、と言ってきたほうだと思う。あまり愛想のいい人間ではないけれど、附き合いにくい相手や目上から嫌われることが少なかったのは、素直に、はい、と言うことが多かったからだと思う。
たまに、はい、と自然に返事があると、その人に好感を持つものだ。それがわかっているから、接客マニュアルなどに従って、とってつけたような、はい、が使われるのだろう。しかし中身がすかすかの、はい、は、はい、ではない。それが却って、はい、を使いにくくしているのだろうか。
息子は比較的に素直に、はい、と言っていた気がする。娘は・・・言わないことはないが、少し口惜しそうに、はい、と言う。言うだけマシか。むかしは女性は、美しく、はい、と言う人がいたものだが、いまは却って女性ほど、はい、と言わない。意識が高くなったのだろう。皆が言わないから、あえて言うと値打ちが上がるのに、と思うけれど、だからこそ死んでも、はい、と言わないことにしているのかも知れない。
はい、と、ごめんなさい、すみません、を決して言わない人がいる。言えないのだろう。たいてい、ありがとう、も苦手に見える。
はい、と言わずに、べぇっ、と言う。
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