来年のことを
来年のことをいえば鬼が笑う、というけれど、来年まであと一月あまりとなればなんとなく予想も立ちそうに思えて、鬼もうなずいたりするのではないか。
その来年のことを思えば、不安が多い。何より世界がいまよりもさらに不安定化して、日本がますます衰退してしまうのではないかと感じられているからだ。大げさだろうか。トランプが判断してアメリカが決断するさまざまなことが世界に波及し、一段と弱肉強食の世界になっていけば、穏やかで平和な日本はますます割を食っていくだろう。日本が豊かであるためには、世界が平和で穏やかであることが絶対に必要なのだ。
その日本で闇バイトなどという、明らかに世の中を不安に陥れることが目的としか思えない犯罪が横行していること、揚げ足とりで自家中毒に陥りつつある世論など、社会不安が拡大しそうな気がする。そうなれば人心は次第に荒廃していき、おかしな旗振りに夢遊病者のようについて行く大衆が出てくるだろう。その先に何があるのか、歴史を振り返れば暗い未来が見えてしまう。その本格的な第一歩がまさに来年のような予感がする。
日本の経済が衰退してきた、失われた三十年の原因は、コストカット型の経済のもたらしたものだと思うが、コストカット、賃金抑制、人員カット、設備投資縮小で、あたかも利益を生み出したかのように錯覚した経営者は、長い目で見れば自分の会社を縮小衰退へ追い込んでいたのだ。ようやく賃金をあげなければ、と気がついたのは、いままでの反省からではなく、単に人口減少によって人手不足が生じて就業者を確保するためにやむを得ず選んでいる道で、積極的なものではない。だから社会不安が感じられるとまたぞろ元の木阿弥であろう。
世の中がどうなろうと、すでにリタイアして役割を担っていない身としては、傍観者でいるしかすべはない。衰退すれば手厚い社会保障などどんどんできなくなるばかりだから、ただただ生活を切り詰め、慎ましく生きるだけである。世界がなくなるわけではないだろうから、別に生き続けられればそれでいい。
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