要注意と言われても
「ちなみに」とか「余談ですが」を多用する人は”要注意”だそうだ。多用はしないけれど、私はときどきブログの中で、関連事項やことばの足らないところを補うためにそのことばを使用することがある。中身に膨らみをもたせるつもりで使うのだが、それが“要注意”などと言われるといささか業腹である。
それを書いてあるニュース記事は、あるアナウンサーの著書の引用で、「ちなみに」や「余談ですが」を多用する人は、説明を「自分のプライドを満たすためのツール」にしており、「経験談や過去の結果を自慢したり、知識や専門用語で敬意を集めようとしている」そうだ。
うーむ、たしかにその傾向がないとは言えないが、それは「説明」をする人が多少に関わらず使うことばであって、それが“要注意”などと言われてしまうと、これからはそのことばを見るたびに「あっ、自慢話だ、知ったかぶりだ」と決めつけられかねない。多用、という枠など飛んでしまうのがこの世の常である。こうして揚げ足とりの材料がまた提供されたのである。
世はあげて揚げ足とりの時代。嫌いな人間を攻撃する材料が次々に専門家から提供されて、揚げ足をとられないためにがんじがらめになっていく。人に説明するのが面倒くさくなり、ますます意思疎通がしにくくなる。心理的なものをあまり説明しすぎるのも、そしてそれを知るのも善し悪しだ。
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