爾汝(じじょ)の仲
司馬遼太郎と陳舜臣の対談集『中国を考える』(文春文庫)を再読して、後書きに司馬遼太郎が「陳舜臣とは同窓で、年少のころから爾汝の仲である」と記していた。くだけていえば、俺おまえの仲、というところであろうか。ことさら丁寧なことばを使わなくても、互いに敬意を持っていることを理解し合う仲ということで、そういう友人がいることはうらやましいことである。かくいう私も爾汝の仲の友がいないわけではない。もっと会いたいときに会いに行けば好いのに、と思うけれど、以前よりは尻が重くなった。我ながら歳をとったと思う。
この対談は1970年代に四回にわたって行われており、文化大革命も下火となって、最後の対談のころには四人組もついに粛正されていく時代である。破壊の嵐から新たな希望の元に再生されつつあるころの中国をもとに、当時の現代中国と歴史の上の中国とをオーバーラップさせながら、中国というものについての互いの知識と思いを語り合っている。
これを読みながら思ったことは、この二人が、習近平が支配する現代中国を見たときにどのように感想を述べるだろうか、ということである。はたしてこの対談集のように好意的に、そして希望的に語るだろうか。
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