玉門関
古来中国ではダイヤモンドのようなキラキラした宝石よりも、玉(ぎょく)といわれる翡翠のような石を珍重した。翡翠には硬玉と軟玉があって、厳密には硬玉のことを翡翠という。姫川周辺で産出する。日本では通常、玉といえば翡翠のことである。中国では西域奥地で軟玉が産出され、それを玉というらしい。ウィキペディアからの受け売りである。
『中国を考える』という本のなかの陳舜臣のことば
西域への出口というか入り口は、一応、玉門関といわれてますけれど、玉門館は時代によって場所が変わるんです。漢時代は敦煌の西北にあった。唐の玉門は敦煌のだいぶ東北です。西北でとれる玉(ぎょく)は皇室の専売になっていますから、それの密輸を調べなきゃならない。玉が入りすぎると値段が下がりますからね。つまりこの関所で、不正輸入がないようにボディ・チェックした。それで玉門関といったんですね。固有名詞というより普通名詞みたいな感じで、玉の通る門ということなんですわ。
二十年ほど前に、息子と娘と一緒に敦煌へ行った。その時にこの玉門関にも行ったが、漢の時代のものか唐の時代のものかは定かではない。敦煌から砂漠・・・というより土漠の中を車で二時間ほど突っ走った。そのあとだかその前に漢の長城(版築)の砂漠に埋没しかけたのを見に行っているので、漢の時代のものだと思う。漢の玉門関のそばにあの王維の詩に「西の方陽関を出づれば故人なからん」と詠まれた陽関もあった。
いまは舗装もされて観光客もたくさんいるのではないか。私が玉門関に行ったときは番人の老夫婦だけがいて、観光客などいなかった。多少の金を渡して、娘が騾馬に乗って玉門関を一回りした。
« 爾汝(じじょ)の仲 | トップページ | 頭も愛車もさっぱりする »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- まだ残っているが(2025.01.12)
- 景色を見ながら(2024.12.18)
- ふるさと懐旧など(2024.12.17)
- ふるさとへ廻る六部は・・・(2024.12.16)
- 玉門関(2024.12.12)
コメント