豊かさと生きやすさと弱肉強食
豊かさを求めることが生きやすさにつながると信じてきた。生産を増やすこと、科学が進んで便利になること、それが豊かさだと信じてきた。そうしてむかしよりもはるかに豊かになったのに、いつの間にか世の中は弱肉強食の世界になった。それは別々の話なのだろうか。
必要なものが必要なだけあれば好いと思うが、もっと、もっと、と使い切れないほど買い集めてしまう。そういうものが豊かさなのだろうか。甚だしいのはお金を果てしなく集めてしまうシステムが暴走していることだ。一個人が何兆円何十兆円を所有してしまう、などというのは狂気の沙汰である。別にうらやましいとも思わない。
弱肉強食とは生き残りをかけて奪い合い、強い者が総取りするという世界だ。必然的に弱い者は淘汰される。いまの世界は多様化という名の弱者の生存肯定を叫びながら、現実は弱者強肉の世界であるという矛盾したものに見える。だからどうしたらよいのだ、どう考えたら良いのか、それを傍観者である自分で考えなければならないと思っている。傍観者とは、ほとんど社会的役割を担うことのなくなった自分であり、関与しようとも思わなくなった自分である。考えるだけであるから無責任で、格好を付けていえば隠者生活か。それでも考える。関わっている人、責任ある人はもっと考えていることだろう。
考えるだけでは何も変わらないが、考えなければどうしたらよいかわからない。
« 景色を見ながら | トップページ | 愚かであることを知るには »
コメント