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2025年1月

2025年1月31日 (金)

わかっていたらやっていられない

 タレントのフィフィが、フジテレビの会見の際の、質問側の一部記者の振るまいが顰蹙を買うようなものであり、記者そのものに対して反感を誘うことにつながることに気がついていない、とコメントしたらしい。

 

 その通りだと私も思うが、そもそも自分たちが他者に対して配慮を働かせることができない人間、真っ当な人間ではないと気がついていたら、恥ずかしくてああいう振る舞いはしないだろうと思う。気がついていないのではなく、気がつくことができないのだろう。恥知らずとも云うべきか。日本人に恥知らずが増えた様に見える。しかし増えたのではなく、恥知らずでも大手をふるって生きられるような世間になっていると云うことであり、私も含めてみんなが臆病になって、非難しなくなっていると云うことでもあるだろう。

 図々しいものがのさばり、それで得をする時代、それを見て、損したくないから真似をする、恥じる気持ちを失って世の中は生きにくくなった。これからますます生きにくくなるだろう。出生率が落ちるわけである。

固定観念

 フジテレビは、CMのスポンサーが下りている間はその部分のCMを無理に入れないようにしたらどうだろうか。その分だけ番組が長くなるのはたいへんだろうが、CMが少ないことに視聴者は喜ぶのではないか。そうして案外なことに視聴率が上がったりするかもしれない。局で働く人たちも、視聴率が上がれば沈滞した気持ちは少しは晴れるだろう。日本人も、いままでのCMの過剰さ、うるささに改めて気がつくきっかけになり、ただほど高いものはないことを思い出すのではないか。

 

 視聴率が上がればスポンサーは戻ってくるかもしれない。もちろんスポンサーが戻れば元の木阿弥だが、少なくとも客離れが多少は引き止められるではないか。CM枠は固定されたものだ、という固定観念を外してみたらどうか。

2025年1月30日 (木)

掃除と録画番組の消化

 ごくごく大雑把に部屋の掃除をしている。明日、千葉から弟夫婦が来るからだ。いつも弟夫婦には世話になっているから、ささやかでもお返しできれば嬉しい。娘から都合が付けば行くよ、と連絡があった。少し忙しいらしい。昼過ぎに弟からも連絡があった。千葉は晴れているらしい。名古屋は今日寒そうだね、と言われたが、たしかに三時前でも気温は4℃以下だったらしいから、今日は格別寒い。近くのスーパーに買い物に行ったら、北西からの冷たい風が吹き抜けていた。伊吹山の風花が飛んできそうだ。

 

 掃除はそこそこにして、録りためてある映画以外の録画を消化した。WOWOWのFBIのシリーズ、NHKの『バニラな毎日』、『東京サラダボウル』、『雲霧仁左衛門ファイナル』、アニメ『火の鳥』等々、みんなそれぞれにおもしろい。

 

 手塚治虫の『火の鳥』はハードカバーで揃えて何度も読み直し、背表紙がぐずぐすになるほどだったが、いろいろ集めた漫画本とまとめて処分してしまった。ほとんどストーリーと絵は頭に入っているが、アニメで改めて見直して懐かしい。

 

 池波正太郎の大ファンで、店頭に並んだ彼の本はほとんど購入して揃えていた。もちろん『雲霧仁左衛門』も読んでいる。このNHKの時代劇ドラマでは途中から原作にないストーリーとなっているが、一時つまらないシリーズもないではなかったが、今回のシリーズはそれなりにおもしろい。中井貴一がはまり役になっているからだろう。これを松本幸四郎が演じたりしたらぶち壊しだろう。それにしても新しいシリーズの鬼平を彼が演じるなど原作の冒涜だ(と私は思う)。あのにやけ顔がむかつくのだ。秋山小兵衛を藤田まことが演じたのもイメージを壊して腹が立ったものだ。

 

 『バニラな毎日』はあまり期待していなかったのに、意外におもしろい。期待していなかったのは、主演の蓮佛美沙子があまり好みではないからだ。なんとなく弱さと暗さを感じさせる役柄のものばかり見てきたからだろう。このドラマではそのイメージがとても生かされていて、却ってドラマが引き立つようになっている。一生懸命生きるというのは素晴らしいことで、美しいことだと思う。

 

 『東京サラダボウル』は奈緒と松田龍平が主演しているドラマで、漫画が原作らしいが二人のキャラクターが生かされていて、とてもおもしろい。奈緒という女優はコメディエンヌの素質があると思う。コメディエンヌの素質のある女優は好きだ。初めて彼女の名前と顔が一致したのは、居酒屋放浪記にゲストとしてよばれたときだ。なかなか好いなあとおもった。このドラマは、分類するとすれば警察ミステリーなのだが、そういう枠にとらわれない破天荒さと、同時にシリアスさを兼ね備えていて、たいへんおもしろい。

 

 忙しいはずなのに、のんびりしている。

あの頃、どこまで理解していたのか

 NHKの世界のドキュメントの、『モダンタイムス チャップリンの声なき抵抗』という番組を見た。映画『モダンタイムス』を見たのは学生時代だった。大学の映画同好会に誘われて、いろいろな映画を見た。この『モダンタイムス』や『キッド』、黒澤明監督の『七人の侍』や『羅生門』、エイゼンシュタイン監督の『戦艦ポチョムキン』などが記憶に残っている。ライブラリーから借り出した、雨降りのフィルムだったが夢中で見たものだ。

 

 この『モダンタイムス』という映画に籠められたチャップリンの思い、それが作られた時代背景がこのドキュメントには詳しく描かれていた。この映画に籠められたチャップリンの思いを、あの頃、私はどこまで理解していたのか。サイレント映画からトーキーへ変わる時代、アメリカの赤狩りで共産主義への過剰な検閲と映画界の自主規制の時代、それらに対するチャップリンの抵抗については、その当時はまだそこまでしっかり認識してはいなかったが、ただ映画そのものに籠められたチャップリンの深い思いは、もしかすると現在の私よりも繊細に受け止めていた様な気もする。

 

 大好きな映画への思いが深まったのは、そういう映画を見たことがきっかけであり、その頃を懐かしく思いだしている。

今日は忙しい

 昨日は強い北風が冷たく吹いていた。北陸や北国ばかりでなく、全国的に雪が降ったところが多い様だ。睡眠のリズムがまた乱れてきて、眠くなったから横になったつもりなのに、寝床に入ると目がさえてしまって眠れない。我慢しきれずにスタンドのライトを灯けて本を読んでしまう。眠れるように、睡眠薬代わりの難しい本を読むのだが、普段は上滑りして内容がつかめない本が、なるほどそういうことが言いたいのか、などと、なんとなくわかった気になってしまう。そうなるとつい読みふけってしまって、読み疲れするところまで読むことになるから、夜更かしの朝寝坊となる。

 

 なんとなく寝不足気味になるから、昼間はうつらうつらするぼけ老人になる。これではなんとなく時間がもったいない気持ちがする。明るい昼間の方が、もっとしたいこと、やらなければならないことができるはずなのに。

 

 明日は弟夫婦がやってきて数日滞在する。だからその準備のために多少は部屋を片付けなければならない。そう思いながら昨日までなにもせずにいた。だから今日は忙しい。手順など考えている暇にせっせと身体を動かそうと頭で考えてぼんやりしている。

2025年1月29日 (水)

立ち位置の自覚

 拙ブログにいただいたコメントへのお返しを考えていて、おぼろげだったことに少しピントが合った気がした。このブログに、新聞というマスメディアの凋落、そしてテレビというマスメディアの凋落の兆しについて感じていることを何回か書いた。テレビ、特に民放のCMの氾濫は、私には常軌を逸している様に見える。新聞のCMなら読まなければ良いが、テレビのCMは、リアルタイムで見るときには避けようがない。貴重な時間を奪うから、ただほど高いものはない、と書いてきた。

 

 テレビ局は多すぎて、CMの費用対効果は低下しているだろうと想像する。フジテレビの騒動をきっかけに、提供会社がいっせいに引き上げたのは当然の成り行きで、これはたぶん他局にも利がなく、却って波及するのではないか。貧すれば鈍するで、番組内容もさらに劣化していくかもしれない。そもそも芸人やタレントについての幻想から醒めればテレビそのものの虚像が明らかになってしまう。タレントや芸人に人格的な完璧さを求める、などという倒錯した追求が芸能レポーターもどきの記者たちの騒ぎに見られて見苦しい。

 

 記者会見でフジテレビを糾弾する記者たちの、当の本人が同じマスメディアに属するもの、という自覚があったのだろうか。今回の騒動のさまざまな言説に接するとき、なるほどと思うものと不快に感じるものとの差を考えると、自らの立ち位置を自覚して発しているかどうかがあるように思う。前回のブログで、自己顕示欲の観点から記したが、マスコミで語る者たちの、同時に自分とは何者か、なにに属しているのかという自覚があるかないかも重要なことの様に思う。それがないのに正義の味方を標榜して居丈高になっているのを見せられるのはうんざりする。もうこの件については見飽きた。

自己顕示欲

 多いか少ないかはそれぞれだが、誰にも自分の存在を人に認めてもらいたいという欲があるという。それを自己顕示欲と云うそうだが、フジテレビの二回目の記者会見で、質問する側の記者にその自己顕示欲を見せられて、あまりの強烈さに辟易して、最初の部分だけ視聴してテレビを消した。あれを長時間見たというのは、仕事で必要な人は別にして、大した忍耐力だと思う。一般に、記者というのは礼儀知らずだと思われているが、それがあそこまで露骨だと、うんざりである。誰にも頼まれていないのに、断罪する正義の味方の自分に酔いしれる姿が却って醜い。ああいう人たちとお近づきになる様なことがないことを願う。住む世界が違うなあと思った。

 

 あれではフジテレビがかわいそうに見えてしまうではないか。それとも、あれはフジテレビに同情を集めるためのやらせだったのか。

2025年1月28日 (火)

歴史は自分で学んで自分で考える

 私が高校生時代、世界というものにはじめて目を開かされたのは、中国の文化大革命とベトナム戦争によってだった。その前に、空襲を体験し、家族で焼け出された母から、繰り返し戦争中の、そして戦後の時代の話を聞かされていたから、どうして日本がアメリカをはじめとする世界に対して無謀な戦争を仕掛けたのか、そのいきさつを知りたいとも思っていた。

 

 歴史の授業は明治までで終わりだった。記憶の残る部分の歴史の評価は政治的色彩を帯びるから、教師はそれを忌避し、当時、受験にもその時代の問題は出ないことになっていた気がする。もっとも知らなければならないことが、知らされないままになっていた。日本の若者は歴史認識に欠ける、といわれるけれど、当然であろう。考えてみれば、近現代史が政治的色彩を帯びるのは現在に直結するから当然で、日本の若者はその政治的色合いから遠ざけられて育てられているということだ。とはいえ、そもそも歴史について知るには自ら興味を持って学ぶしかないので、教えられたものはどうしても教える者のバイアスがかかってしまう。中国や韓国を見れば、歴史教育のバイアスという意味がよくわかるだろう。

 

 私の高校時代はまさに学生運動華やかなりし頃で、安田講堂騒動などにより、私が受験した年は東大、京大、教育大(いまの筑波大の前身)は受験がなかった。だから東大を受けられなかったんだ、というのは若い人に私がよく言うデマばなしで、そもそも受けても受かるはずもない。そうして工学部という理科系に進んだのに、在学中、自らはもっぱら文学と歴史を独習していた。まず太平洋戦争についての本を、右側から左側からアメリカ側から書かれたものを濫読した。自分で本を購入もしたし、大学の図書館でも借り出した。

 

 そうして次第に明治という時代について、さらに明治維新について、さらにどうして大国の中国が列強に蚕食されたのか、その背景を調べているうちに、どっぷりと中国にはまってしまった。かたや文化大革命に至る中国の近現代史、中国そのものを知るための中国史について本を読んで、ついに中国の古代にまで行き着いてしまった。いまもそれが継続しているから、書棚にはその関係の本があふれている。

 

 ほとんど身についていないから、二度読み、三度読み、このざる頭はその都度初めて読む心地である。世界がどうしてこんなことになったのか、そのことの正しい答などない。ないからおもしろい。自己流の解釈が許される。但し、その解釈は新しい事実を知ったり、新しい本を読むたびに変わっていく。それでいいと思っているし、だからおもしろい。

テレビには見るべき番組もある

 言うまでもないことだが、見るべき、というのは、見なければならないという意味ではなく、見る値打ちのある、という意味である。『バタフライエフェクト』というドキュメント番組をときどき見て、いろいろと考えさせられる。今回は『マクナマラの誤謬』、『ベトナム 勝利の代償』の二回にわたって、ベトナム戦争についてアメリカ側、そしてベトナム側からの記録が語られていた。

 

 ベトナムには二度行った。一度はホー・チミン市(旧サイゴン市)を中心とした南ベトナム、そしてもう一度はハノイを中心とした北ベトナムだった。もちろんその時はすでに一つの国であった。とにかく若い人にあふれているという実感だった。若い人があふれているから、街に活気があった。清潔で美しく、伸び盛りの勢いをまぶしく感じたし、人々がよく働くのにも感心した。人々が若いのはベトナム戦争で三百万人以上の死者を出したことによることは明らかだろう。日本も戦後に団塊の世代を生み出し、活気に満ちた時代をもったことがある。しかしその世代が前線から退場し、日本は沈滞して若者の目の輝きは失せていた。そのことをベトナムで強く感じた。

Dsc_0041_20250128122501ホーチミン市にて

 ドミノ理論によって、東南アジアの共産化を阻止する、という目的でベトナムに戦争を仕掛けたアメリカは正しかったのか。中国はともかく、共産化したベトナムやキューバは、人々が圧政に苦しむ国になったのか。キューバにも行ったけれど、キューバが苦しいのは政府のせいではなくて、アメリカの異常な、憎しみに満ちたな制裁によるものであった。そのことはキューバにも行ったのでよくわかる。どちらの国も、腐敗がないという点で、生活は苦しくても人々は豊かだった。共産政権の東ヨーロッパやロシア、中国、北朝鮮の問題は、政権のトップばかりが豪勢な、王様のような暮らしをしていることにある。腐敗が問題であるとする習近平は正しい。

 

 ベトナムは人口が一億を超えてさらに発展するだろう。何より勤勉な人々の国である。その国を結束させた、という意味でのみアメリカはベトナムに貢献した。ベトナムの戦死者は国のために死んだ。アメリカ軍兵士の死者は誰のために死んだのか。もうアメリカは外国のために兵士を死なせることはできないだろう。日本をアメリカが守るなどと言うのは幻想であろう。

Dsc_0178_20250128122501ホーチミン市の郵便局

 ベトナム戦争というのが、アメリカの独善性、異常さの象徴であったことが、このようなドキュメント番組によっていまになって良くわかる。第一次世界大戦のあとに急激に国力を付けて擡頭し、第二次世界大戦によってついに世界をリードする国になったアメリカは、その成功体験を勘違いし、自己正当化の権化の国に成り果てた。

 

 その勢いがついに伸びきったゴムのように、今度は縮みのフェイズに入るのではないか、ということをトランプは予感させる。

前回の具体例

 前回のブログに書いたことの具体例を『巻末御免』の中から引用する。

 

『見ない書誌学』
 我が国の苗字は多種多様なること諸国に冠絶し、薬袋と書いてミナイと読ませる姓もある。置き薬は信用して中身を見ないのを旨とするのに対し、学問一般は対象を見届けるに始まること常識であろう。いわんや文献の実体を調べ誤脱を訂すべき書誌学が、見ていない事柄を記載するなどありうべくもない。しかるに現代社会のお題目である省エネと経費削減の競争は労を厭い正道を避け手順を踏まず見掛けを装う見ない書誌学をもたらした。
 松本勝久が『司馬遼太郎書誌研究文献目録』と偽称する定価八千八百円の書冊に刷られた「著作目録」は、国会図書館のオパック(opaqueか?それなら、不透明な写しか)その他に記録されているデータから、著作者の作品名書名を転写しただけの一覧である。松本勝久は司馬遼太郎の豊富な述作のどれをも自分の目で見ていない。むかし関所を避けて間道を行く者を関所破りと呼んだ。松本勝久の所業は関所破りであり、転記であり、謄写であり、編者の見たこともない文献を、本人の名の下に置き並べた詐欺であり、瞞着である。
 大阪の西条凡児は、こんな話がおまんねんや、と語り出すのを常とした。松本勝久は、こんな記録がおましたんや、とのっけから明記する奸策により、誤脱錯繆乱脈は機器の入力に関係した職員の落度であり、我が責任に非ずとの意を籠めている。オパックを信用した経営体が火傷するのは自業自得であるものの、かりそめにも著書を成したものが我に責任なしと言いたてるほど、読者利用者を愚弄した例はかつてない。
 作家の書誌を志す者が、例外なくもっとも苦労するのは、散佚(さんいつ)を常例とする随想の探索と集録であった。保存もせず記録もしなかった膨大な司馬遼太郎の随想を六百編以上も独力で発掘蒐集し、『司馬遼太郎が考えたこと』(新潮社)の編纂に貢献した山野博史の明細な書誌記述からの転記をもって、松本勝久の偽装書誌は外面が整った。松本勝久は挨拶して闖入した無恥名声欲の窃盗犯である。

 

 どうです。強烈でしょう。

2025年1月27日 (月)

激越な文章にあおられて熱くなる

 谷沢永一の選集の、下巻の最後は『巻末御免』と題した、もともと『Voice』という雑誌の巻末に連載されていたコラムを編集した本をもとにしている。この下巻の責任編集と解説を担当した鷲田小彌太が言及しているが、この『巻末御免』の文章のトーンが途中から明らかに変わっている。読んでいて、私もそれを感じた。もともと手抜き、横着に対して厳しい谷沢永一だが、その激しさが増すのである。中身がたいしたことはないのに、いかにも偉そうな者に対して、厳しいのである。レトリックを駆使して、大丈夫か、と思うような激越さで罵倒する。私などいいかげんの極みで生きてきたけれど、まず矢面に立つことはないので安心であるが恐ろしい。コツコツとたゆまず努力している人が報われずに、そのような人物がのさばって安らかに死んでいくのがこの世の中、特に日本という国である。いくつもそういう事例を挙げてあって、谷沢永一に共感して、私も少し熱くなった。

危惧したとおり

 糖尿病の定期検診は、予約変更したので待たされるのを覚悟していたけれど、案に相違してそれほど遅くならなかった。血液を抜かれ、尿検査の尿を出して、売店横の休憩室で持参した本を開き、ゆっくりコーヒーなどを飲んでいたが、もしかして、と思って内科の待合室に移って本を読んでいたら、それほど経たずに名前を呼ばれた。早めに行っておいてよかった。

 

 血糖値は危惧したとおり、今までになく高かった。「正月には誰もが美味しいものを食べたり飲んだりするので高くなります。自覚はありますね?次回も同じように高かったら、減らした薬をまた増やします」と美人の女医さんからやさしく言われる。これも覚悟していたとおりである。休酒をしないでいるとこうなるので、これが定常値と言うことかもしれない。普段から早足の散歩などで汗をかき、食べ物に気をつけなければと思う。いつも思うのである。でもすぐ忘れる。美味しいものや美味しい酒の誘惑に負けてしまう。

 

 病院からの帰り道の足取りが不思議に軽かった。体調は悪くない。今日はなにを肴に酒を飲もうかなあ。

腹が・・・減った

 糖尿病の定期検診予約日をうっかり二月の初めにしていた。蔵開きの日と近いので、その前に予約しておくべきだった。そこで急遽本日に変更してもらうように病院に連絡してみたのだが、予想通り満杯である。一応空きを待っての予約という形で頼んであるので、本日は長く待つのを覚悟で病院に行く。先延ばしでは薬がなくなるので不可である。

 

 今回はほとんど休酒期間を設けていないし、正月に食べたいものを食べ飲みたいものを飲み続けて、体重も三キロ以上増えている。このところ、三日に一度は散歩しているけれど、そんな泥縄ではどうにもならないであろう。まあ先生には正月だからといつも言い訳していることだし、今回も血糖値が高いのは覚悟である。待つ間の時間に読む本になにを持って行こうかなあ。

 

 血液検査で空腹時血糖値を測るので、昨晩は酒も飲んでいないしご飯も少なめ、今朝は食事抜きである。(孤独のグルメの松重豊ふうに)、腹が・・・減った。

2025年1月26日 (日)

『塩の道』備忘録(1)

 宮本常一の『塩の道』(講談社学術文庫)というたいへん面白い本を読んでいて、そのまま読み飛ばすのがもったいないないので、印象的に感じた部分を備忘録的として書き留めておきたいと思う。この本はもともと『道の文化』という本から採録された『塩の道』という文章と、『食の文化』という本から採録された『日本人と食べ物』という文章と、『日本人の知恵と伝統』という本から採録された『暮らしの形と美』という文章で構成されている。たいへんわかりやすい本だが、とても大事なことがふんだんに盛り込まれている。
 
 人間にとって、とても大事な塩がどのように作られ、そして運ばれたのか、その研究が日本ではたいへん遅れているし、研究している人も少ない。

 

 塩を煮詰めて作るという製塩法が、現在、化学的に作られる方法に取って代わられて、古来からの製塩産地が激減し、日本の塩の文化が失われつつあるため、塩と日本人との関わりを調べるのが困難になりつつある。

 

 塩がこれほど大事であるのに、日本人にはそれに対しての認識が薄いのはなぜか。塩はエネルギーを生まないからだ、という指摘がある。エネルギーを生む物に対して古来日本人は霊的な物を感じたが、塩はエネルギーを生まないからではないか。穀物などには霊が宿るが、塩に霊が宿るとされる地域は日本にはなく、そのため伝承も記録も残されにくかったのではないか。

 

 製塩のために使われた土器は朝顔型をしている。これは全国に分布して発掘されている。これに海水を入れて煮詰めたと推定されている。壊れやすいので大量に破片が発掘される。製塩法が発達し、鉄器も作られるようになり、鉄釜が使われるようになって、飛躍的に製塩量は増えたが、鉄は錆びるので塩が赤味を帯びてしまう。そのために白い塩を作る目的で石釜が作られて使われた地域がある。その石を削れるほどの鍛鉄が採れるのは、その目的にかなうマンガンを含む鉄の採れる近江地域だった、という話を木地師との関連で先日書き記しておいた。木地師の里のことが書きたくて、少し話が飛躍しすぎ、わかりにくかったかと思う。

 ところで、鉄釜の錆による赤味付きの問題はどう解決されているのだろうか。そのことについての言及がこの本にはないので疑問が残ったままである。

経験

 谷沢永一の『経験』と題する小文にこんな事が書かれていた。抜粋である。

 

 帝人の再建と成長に貢献した大屋晋三は、昭和三十七年の訓示にこう言った。即ち、この世の中には、非常に深い経験を積み、その道では名人芸に達している人も多い。また、いわゆる物知りとして、知らぬものはないほどに知識の豊富な人も幾多あるが、それでいてその人たちがあまり物の用に立たない場合がしばしばある。

 

 また、作家の徳田秋声は昭和三年、珍しくやや切り口上でこう記した。即ち、書を読まざること三日、面(おもて)に垢を生ずとか昔の聖(ひじり)は言ったが、読めば読むほど垢のたまることもある。体験が人間に取って何よりの修養だと云うことも云われるが、これも当てにならない、むしろ書物や体験を絶えず片端から切り払い切り払いするところに人の真実が研(みが)かれる。つまり、体験に囚われた自負による停滞への警告であろう。

 

 一般社会で経歴が通用するのはほんの一部である。人間の才能を透視することなどできない。実際に何事かをやらしてみなくては、と実務者は誰もがそう見ている。普通に謙虚な人であれば、本人もそのように自覚しているであろう。己が現に接している何人かの信を得ずして、遠く、彼方の群像から、はたして畏敬の念を抱かれるであろうか。

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 自分のささやかな過去の記憶を振り返れば、まことにその通りだと思う。虚名がまかり通る世の中が不思議だ。

2025年1月25日 (土)

輿望(よぼう)の元

 アメリカ国務省は、トランプ大統領の大統領令に基づき、すべての対外支援事業を中止するとともに、検討中の案件も中断を決めたという。

 

 金持ちが金をばらまいているからこそ得られていた輿望のみなもとを打ち止めにして、どうするというのだろう。輿望とは世間の信頼、期待のことである。輿望など、一文にもならず、アメリカは損ばかりしてきたというのがトランプの世界観なのであるから、とうぜんなのかもしれない。

 

 しかし、アメリカはばらまいた金以上のものを世界から回収していたのではないか。輿望というのはそういう効果があったのであって、ばらまかずに金をかき集めようとしても、そうはうまくいかないのがこの世の中というものだ。世界がアメリカ離れをしていくと、金もアメリカから離れていく。そんなことあたりまえではないか。ばらまいた方が得だった(アメリカ以外は世界中そう思っている)かもしれないと、あとで気がついて臍(ほぞ)を噛んでも取り返しは付かない。

 

 集まった金をばらまいて、金を回すのがアメリカの役割だったのだ。自らその役割を下りてしまってどうする。本当に無意味でムダだったものだけを選別すべきではないのか。たしかに、国連というシステムを利用されて、ムダに中国に流れてしまった金がある。それに対する怨みがあるのは理解できないことはないのだが、そもそも中国という国を見誤ったのは、アメリカの責任ではないか。いままではそのつけを払ったのだと思えば良いではないか。

自分の物欲には畏れ入る

 たまに散歩には出るが、ほとんど外には出かけない引きこもり状態が続くと、つい車に乗って遠出をしたくなる。寒いのはどちらかというと平気で、雪道も苦にしないから、冬ほど遠出をしたものだが、さすがにこの歳になると、冬の寒さ冷たさがつらく感じられ、雪道も万一を考えて臆病になる。

 

 普通は出かけようか、と思って地図を眺めれば、たちまち宿の予約をして飛び出す(逡巡するとたいてい行きそびれる)のだが、来週末には新酒会に弟が参加するついでに、弟が夫婦でやってきて数日滞在することになっている。その前に糖尿病検診の予約もある。弟夫婦とは、新酒会の後に奈良を案内するつもりである。だから思い立っても飛び出すのはその少し先まで待つしかない。いま出かける先として四国東部、徳島と高知を想定している。海の青さを思い浮かべている。

 

 昨日からテレビの買い換えのことを考えていたら、いろいろと欲しいものが次々に浮かんできて困った。なまじ先日ビックカメラでいろいろなコーナーの品物を眺めたせいだろう。己の物欲にうんざりした。テレビも通常品よりハイエンド品(機能が最も優れた高い種類)が欲しくなる。ついでにいまは踏み台の頑丈なのをテレビ台にしているが、ちゃんとしたAVアンプやレコーダーを収められるテレビ台が欲しくなる。さらに、いま遊び部屋兼寝室にしている部屋のオーディオセットのアンプを買い換えたくなる。ここで使っているアンプは、もうすぐ買って三十年近くになるヤマハのAVアンプで、本来のオーディオアンプではないし、HDMIもなにも装備されていない。新古品を処分価格で買っているから、ものはいいが、とても年数が経っている。暖まらないと片側の音が鳴り出さないというしろものだ。

 

 スピーカーはもっと古い。ハイレゾを鳴らすのに適しているのかどうか。まあ私の耳なら大した違いはないが、できれば新しいものが欲しい。そんなこんな、いろいろ考えていたら、またネットが不安定になってつながらなくなった。光回線だが、マンションの共同回線なので、ときどき不具合が起きる。しばらく前に工事が行われて、単独回線に切り替えられるはずだが、いろいろ面倒な手続きがあるらしいし高くなるというので、切り替えた人は一握りらしい。どうせ高くなるなら5Gのホームルーターにしようかと思ったりしている。

 

 体力が落ちるとともに愛用のニコンの一眼レフが重く感じられるようになってきている。これも十年近く使っているから、ミラーレスの軽い機種が欲しい。パソコンも、デスクトップは秋までに買い換えなければならない。あれやこれやと欲しいものばかりである。自分の物欲には畏れ入る。もちろん手持ちの金を考えると、優先順位を付けて、おおかたは諦めるしかないものばかりだが、今さら宝くじを買って神頼みするのもなあ。

2025年1月24日 (金)

製塩と木地師の里

 日本の各地に木地師の里がある。その木地師の発祥地で、全国の木地師のおおもとの里とされる場所が、奥永源寺にある。奥永源寺とは、琵琶湖の南東、愛知川(えちがわ)に沿って遡った場所で、近江国に属する。

 

 湖東三山の西明寺、金剛輪寺(松尾寺)、百済寺を訪ね、さらに足を伸ばして永源寺を訪ね(紅葉が素晴らしかった)、そこから奥永源寺に踏み入って、木地師の祖とされる惟高親王の御陵(惟高親王の正式の御陵は大原にある)を訪ねたことがある。途中に、木地師資料館にも立ち寄ったが、予約しないとならないため、残念ながら中には入れなかった。その時には、どうして近江の山中のこの地が全国の木地師の里であるのかわからなかった。

 

 その疑問が、先日購入した宮本常一の『塩の道』(講談社学術文庫)という本を読み始めたほぼ冒頭の部分で氷解した。もともとの製塩は、単純に海水を土器で煮詰めていた。効率が悪く、少量しかとれないうえに、海水のしみこんだ土器はすぐ壊れた。その時代の製塩場所とされるところには壊れた土器が大量に出土する。その後製塩法が改良されて効率よくなっていくとともに、土器ではなく壊れにくい石で作られた器で製塩が行われるようになり、飛躍的に製塩技術が進歩した。

 

 それを支えたのが石を穿ち、器にするための鉄器の登場である。ただ鉄であればよいというのではなく、それだけの鍛鉄となる鉄がないとその道具は作れない。そしてそのような鉄を産するのが近江の地であったのだ。全国で近江の鍛鉄鉄器が使われた。石を割り、石を削り、木を削るための鉄器である。

 

 さよう、木地師とは轆轤(ろくろ)を使い、木地を回転させてよく切れる鉄の刃(やいば)で木を削り出す職人のことにほかならない。その刃はこの近江の鉄でなければならなかったのである。轆轤の技術だけではなく、その刃の供給元としての木地師の里こそがこの近江の地だったのである。

 

 疑問が解けて嬉しい。読書によるご褒美である。

戦狼外交

 中国が戦狼外交から転じて、穏健な外交に転じたかのように見えるのは、中国自身が内政に弱みがあるからであることは誰にでも見え見えである。つまり、その穏健さは強面を隠しているだけで、本質には変わりがないということだ。

 

 二階氏から対中国友好の役割を引き継いだ森山氏が、中国で王毅外交担当と固い握手を交わしている図を見ると、相変わらずだなあと思う。そもそも習近平政権の戦狼外交を主導しているのがこの王毅という人だと私は思っている。ただし、信念でそうしているというよりも、ひたすら上昇志向の強い、そして賢いこの人が、習近平の意向を忖度しての行動であろうと想像する。それは一歩間違うと責任をとらされる危険な賭けだが、いまの地位からさらにのし上がるにはそうするしかないと判断したのだろう。

 

 英語はもちろん日本語もペラペラ、多国語を操ることのできる王毅は、知能がとても高いらしいが、その分、たぶん習近平などにはあまり好まれないタイプのはずで、それでもここまでのし上がるには、それこそ命を削るようなたいへんな忍耐と苦労があったはずである。それがいかにも紳士面だったこの人の顔に刻まれて、近頃のあの顔になった。どう見えるかは見る人によるのだろうが、私にはゆがんで見えている。そこまでの思いを乗り越えた王毅に、そこまでの修羅場を経験していない日本の政治家が対等であるつもりで向き合っても、太刀打ちできるとはとても思えない。

 

 これからトランプ政権に向き合うとき、王毅のさらなる活躍か、はたまた習近平に見限られての失脚か、それに注目している。人一倍論理的でありながら、一貫性を歯牙にも掛けないで平然としている外交官ほど恐ろしいものはない。さらにそんな人間を相手にしても、平然と打ち砕いていくのがトランプという人物で、鵺とキングコングでは勝負にならないか。

2025年1月23日 (木)

痛快な毒舌、罵詈讒謗(ばりざんぼう)

 谷沢永一選集を読んでいるが、極めつけの痛快な毒舌、罵詈讒謗の文章があったので、少し長くなるが引用する。この人は辛口だが、さすがにここまでのものは珍しい。よほど腹に据えかねたのだろう。

 

 石川忠雄に文化勲章を与えたのは驚くべき錯誤であり、学問の正当な評価を蹂躙する暴挙である。『中国共産党史研究』『現代中国の諸問題』に記述されている内容空疎な建前の羅列は、一般に周知の常識にも及ばぬ公開資料の転写に過ぎず、中共が意図的に演出した外面(そとづら)を、無知と偏見で拙劣に合理化する無意味(ナンセンス)な紙屑の束であり、正当な独創の論証が一片(ひとかけら)も見当たらぬ。終始一貫して現代中国に阿諛追従(あゆついしょう)これ努める幼稚な舞文曲筆は、哀れを催す徒労である。
 中共を弁解すべく、西蔵(チベット)を含む統一の完成を成果と見做して侵略を祝賀する。百家争鳴運動と称する卑劣な欺瞞(ペテン)による整風運動すなわち残酷な粛清を成功と讃える。独裁の偽称である民主集中制を恭(うやうや)しく肯定する。毛沢東-劉少奇対立説を否定する。農業集団化は順調に進行したと断言して犠牲者には触れない。
 大躍進政策の不成功だけは認めるが、その修正過程に内部対立はなかったと強調する。中共の指導者(ボス)は常に和気藹々であったと言いたい。文化大革命は社会主義建設に必要であったと是認する。大衆運動方式は中共の伝統であるとの一言で、紅衛兵を聖化する。文化大革命が鏖殺(おうさつ)と破壊を齎(もたら)した事実には触れない。因みに中共は文化大革命を反省した。
 中共の権威を守る為には、当初コミンテルンの支配を受けた事実が邪魔になる。そこで、国共合作方針はコミンテルン代表マーリンの判断であり、コミンテルンは直接に指示したのではないと、まことに奇妙な言い立てを記す。この件に関する資料はないと認めたうえで、己(おのれ)の主張は「一応妥当な見解とみて差し支えないように思われるのである」と臆面もなく言い募る。資料も証拠も洞察的な推論分析もなくして、「一応妥当な見解」が出せると駄弁(ほざ)くとは馬鹿か。石川忠雄の常套語。「ではないように思われる」「といいうるのではなかろうか」「否定しえないように思われるのである」。

 

 子供のころは、朝日新聞に書かれていたことを、ほぼそのまま素直に受け取っていた。その私がおかしいな、と思いだしたのは、文化大革命についての報道の奇妙さ、違和感、そしてひたすら日本を悪者とする本多勝一の中国でのルポを読まされたからである。そのあとさまざまな本を読んで、「大躍進」「文化大革命」でそれぞれ二千万人から四千万人が死んだことを知った。朝日新聞も、この石川忠雄も知らないはずはないのである。

陰謀論ともいうべき本をあえて読んでみる

 ディープステートということばをご存じだろうか。略称をDSといい、闇の政府、地底政府などと訳される。アメリカ合衆国の一部、CIAやFBIが金融界、産業界と協力して、秘密のネットワークを組織して隠れた政府として権力を行使しているという陰謀論である。影の政府、などともいわれる。アメリカ人の半数がこのDSを信じているという世論調査もあるそうだ。いわゆるグローバリズムはこのDSの陰謀であるとされる。ネオコンなどはもちろんその一味である。

 

 そのDSがトランプ大統領に敗れ、世界が激変する、という話を書いた本が元駐ウクライナ大使の馬淵睦夫の書いた『2025年世界の真実』という本だ・・・と表紙を見て思ったので試しに読んでみることにしたのだが・・・。何しろ帯には「この本は我々のDSへの勝利宣言でもある」と書かれていたのだ。

 

 ところが、読んでみてびっくり、「國體」についての話が半分以上を占めていて、十七条の憲法や五箇条の御誓文、教育勅語の解説が延々と続く。ついには「本書を読んでいただければおわかりのように、保守とは天皇を正しく理解し、天皇をお守りすることにつきます」と結論づけられると、私には残念ながら理解の外である。残念ながら、「正しく理解」する能力が欠けているようだ。

 

「本書の基盤となっているトランプ大統領の勝利とは、アメリカ民主主義の勝利でもありました。アメリカは生き残りました。2025年以降の世界をロシアのプーチン大統領とともに、支えてゆくことになります。反民主主義の彼らが依っていた国連というグローバリズム推進機関は、存在価値を完全に失いました」・・・

 

 どういう世界観かわからない。日本の大使を務めた人がこんな事を書いていることにびっくり!

 

 とはいえ、就任早々にWHO離脱などの大統領令にサインし、FBI解体を進めようという側近を配するなど、このDSに対する戦いをトランプが進めているのだ、などといわれると、まさかと思いながら話のつじつまが妙に合っていたりするところがあっていてなんだかおかしな気分になってくる。

 

 そもそもこの本は『2024年世界の真実』とか『ディープステート』とかいう、この著者の本を下地に読まないとならないようだ。残念ながらこの一冊で満腹したので勘弁してもらうことにする。

言葉尻を捉えるようだが

 ニュースで街頭の人々に「給料が上がったという実感はありますか?」と質問したものを報じていた。質問の意図は、「給料は上がったけれど、生活は物価が上がっていることもあり、給料が上がった実感が持てない状態だ」という答を引き出したいのは明白である。だから街灯の人は口々に「給料が上がった実感はない」と答えていた。期待された答えを察知して答えるのは日本人のお得意である。

 

 言葉尻を捉えて申し訳ないが、これは二つのことを同時に答えていて、本来の質問の答とは言えないのではないか。昨年の給料アップの平均はは5%を超えたそうである。だから多くの人の給料は上がっていたはずで、上がった実感がないはずはないのである。ただ、上がったけれども・・・というのが正しい答え方であろう。そうでないと、せっかく給料を上げた経営者も甲斐がないなあ、と思って聞いていた。

 

 相手の意図を先取りする国民性を利用して、あたかも給料が上がっていないかのような報じ方をする、いつものマスメディアの悪意を感じてしまう。それも意図してではなく、無意識に行っている。なおさら問題である。それが日本のデフレマインドを醸成したことの自覚がないのである。

 

 給料は着実に上がっている、そのことが少しでも経済的によい方向に向くはずだ、だから今年も給料を上げるように経営者は頑張ってほしい、というエールがなぜ送れないのか。

2025年1月22日 (水)

足が重い

 欲しい本があって、アマゾンで調べたら、あるにはあるが古本しかなく、取り寄せに時間がかかりそうだった。久しぶりに名古屋まで出て本屋で探してみようと思って散歩がてら出かけた。最寄りの駅まで歩いてたかが十分あまりの道のりなのに、どうしたわけか足が重い。

 

 久しぶりの名古屋市内はやはり人出が多い。マスクをしている人は全体の二割程度だろうか、その割に咳をしている人がときどきいて、気になる。もちろん私はマスクを着用している。まず名古屋駅前のジュンク堂で目当ての本を探す。講談社学術文庫の一冊なのだが、その本はない。久しぶりのジュンク堂はレイアウトが少し変わっていた。犬がオシッコをしてテリトリーを確認するように、店内をぐるぐる回って、自分の頭の中にレイアウトをインプットし直す。

 

 買うにしても、目的の本ともう一冊くらいにしておこうと決めていたのだが、気がついたら五冊も抱えてレジの前に立っていた。これでも目に付いた本のほんの一部である。目的の本を求めて今度は三省堂に向かう。ここでも目的の本は見つからない。いま欠巻になっているのかも知れない。それなら古本を手配するしかないようだ。三省堂では三冊だけ購入。これでもかなり我慢した。

 

 三省堂の上の階にビックカメラがあるので、そこでうろうろする。息子が有機ELのテレビに買い換えたというので、いまどんなメーカーのテレビがどんな値段で並んでいるのか眺めに行った。昔より安くなっている。いま我が家のテレビは4Kですらないが、今のところは問題なく視聴できている。しかし、リタイア前後に買ったはずで、東京オリンピックを機に買い換えようと思っていたテレビである。だから概ね15年も経っているのだ。アクオスの最上位機種を買ったのだが、やはり好いものは長持ちするのかも知れない。それにしてもそろそろ寿命の筈で、その覚悟はしておこうと思っている。

 

 他にもアンプその他、見たいものがあったので眺めるだけ眺め、満足して帰路についた。事故か何かで名鉄はダイヤが乱れているようで、客の少ないはずの昼過ぎなのに混雑していた。帰り道はやはり足が重いしむやみに汗をかいた。体力が落ちているのか、体調が万全でないのかわからない。帰って着替えをしてさっぱりした。総歩数六千歩あまりなのに、一万歩も歩いた気がした。

プライムニュースだけは

 一度ほころびを見せるとよってたかって叩きまくるというのがいまの風潮で、いささか芸能レポーター的精神に似ていなくもない。マスメディアの、私のもっとも嫌悪する部分である。同じ穴のむじな同士のたたき合いで、どうでも良いことといえばその通りで、もともと中居某というタレントは嫌いだったし、フジテレビも最近はほとんど見ることがないから、どうなろうと知ったことかと思っていたが、唯一フジテレビが崩壊したら残念なのが、BSフジのプライムニュースが見られなくなるかも知れないことだ。このプライムニュースだけは何とか続けてほしいものだ。ニュースキャスターの反町理は、顔はともかく、私の先輩のある人に仕草も語り口もよく似ていて、先輩も好きだしこの人も好きなのである。

 

 中居某の問題だと思ったらフジテレビに飛び火した。飛び火したのは燃えやすいものがフジテレビそのものにあったのだと、いろいろな情報が伝えられている。そんなことを言えば、それなら他のテレビ局はどうなのか、ということになるのは自然の成り行きで、他局の話だと思っていたら、今度は自分の足もとに火が付くという事態になるのではないか。そうなったら逆におもしろい、などと不謹慎なことを思っている。

2025年1月21日 (火)

壁と交流

 谷沢永一の人物論集を読んでいて、その中に私の敬愛する中国史学者の宮崎市定を高く評価していたのが嬉しかった。宮崎市定は一般の人が読みやすい本を沢山書いてくれていて、その中に『アジア史概説』という、私の世界観を変えた本がある。歴史観、文明観について述べたあとに、

 

 歴史の進行にとってもっとも重要な要素は民族、土地とともに相互間の交通ということがある。一地域に成立した民族はその血縁的あるいは歴史的に祖先から受け継いだ稟性(ひんせい)を持って行動し、これらをめぐる自然的環境がまた彼らの行動を啓発し、制限することが多いものであるが、しかし歴史はそれだけによっては動かされない。むしろ外界との交通が重大な作用を及ぼすものである。民族と民族、もしくは国家と国家が相接触し、相交通することは、同時に両者の間に生存競争が行われることを意味する。人類は競争によって、その文明が進歩したことは見逃すことのできない事実である。

 

 この『アジア史概説』は、中国や日本の歴史を論じるにはアジア全体を概観しなければならないという視点に立ち、その交流を重点に置いて論じられている。視点が高いのである。こういう本を読んだことがなかったので、大いに啓発された。

 

 交流から外れた地域の後進性は必然なのであろう。先進性後進性の価値判断が西洋的なものであるという点はひとまずおいておくとして、便利でしかも病気の少ない生活が先進的であるとすれば、人は先進的であることを選ぶであろう。そのためには閉鎖よりも交流が必要なのは自明ではないだろうか。

 

 第二次世界大戦の前に、イギリスはブロック経済体制を敷いてドイツ、イタリア、日本などを閉めだした。壁を作ったのである。その結果としてなにがおこったのか歴史が教えてくれている。トランプ大統領は物理的な壁を作るとともに、関税やその他の見えない壁によってアメリカを守り、アメリカを偉大な国に復活させるのだと豪語している。それがアメリカをますます衰退させることになるのではないかと思う。危惧する、というのは心配することなので、危惧するとはあえて言わない。そうなってほしい気が多少なりともするからである。北朝鮮がますます衰退するように、そして閉鎖性をますます強める習近平支配下の中国がそうであるように。

陳舜臣『わが集外集』

 『わが集外集』(講談社)は陳舜臣がいろいろなところに発表した文章を、落ち穂拾いのように集めた文集である。だから書かれた時期もかなり幅があり、内容も、歴史小説と銘打っているのに近現代のものもあり、ほとんどエッセイのようなものもある。「わが」とされているのは、魯迅に『集外集』という著作があり、それにあやかっているからだ、と後書きにある。

 

 だが、筑摩書房版の、竹内好の個人編集全単独訳の『魯迅文集』全六冊をもっているが、『集外集』という文集には覚えがない。別の題名になっているのかも知れない。

 

 この『わが集外集』でいちばん印象に残ったのは『獅子は死なず』というインド独立の英雄、チャンドラ・ボースにかんする中編の文章だ。史実をもとに書かれたもので、チャンドラ・ボースが飛行機事故で終戦直後に亡くなったことは知っていたが、それが台湾でのことだとこの文章によって知った。インドでは誰知らぬもののないチャンドラ・ボースだが、日本ではよく同姓のラス・ビハリ・ボースと混同される。私も新宿中村屋にかくまわれていたインド独立運動の志士(ある種のテロリスト)、ビハリ・ボースの話を先に知っていたので混同していて、その勘違いを母に正された記憶がある。

 

 そのビハリ・ボースは中村屋の相馬愛蔵・相馬黒光の娘と結婚している。その中村屋に一時居候していたのが彫刻家の碌山萩原守衛であった。守衛は黒光を慕っていたといわれる。それらの話を本で読んで承知していたのだが、TBSかどこかの連続ドラマ『パンとあこがれ』を断片的に見て詳しいことを知った。相馬黒光を宇津宮雅代が演じていてなかなか良かった。しかし『獅子は死なず』にはそんなことは書いていない。

 

 閑話休題 チャンドラ・ボースの不屈の精神、そしてたちまち人を魅了してしまうそのカリスマ性は、この中編によってよくわかる。大阪外語大で学んだ陳舜臣は、自らの出自もあり、またインドの歴史や現地のことばがわかるから、その思い入れは格別である。玉石混淆の短編集だが、久しぶりに読み直しておもしろかった。

眠る

 久しぶりに七時間以上ぐっすりと眠った。このところ、毎晩四五時間しか眠っていなかった(代わりに昼間うつらうつらしたけれど)のでさすがに身体が眠りを必要としたのだろう。明け方に右腿裏がつったが、さいわいすぐ収まった。それで目が覚めた。口中が乾いている。口を開けて寝ていたのだろう。昨日、人と会ったときに挨拶しようとしたら声がかすれてうまく出なかった。しばらく人と会話していないから発声がうまくできない。いびきもかいていたのだろう。久しぶりに詩の朗読でもしようか。

 

 今週は気温も高めらしいが、さすがに朝は寒い。起きてニュースを見たらトランプ大統領の就任式の模様が報じられていた。一体これからどうなるのだろう。予測を許さない大統領となるだろうから、ただ眺めているだけだ。台湾南部で大きな地震があったようだ。これから詳しい被害状況がわかるだろう。よその国の話ではあるが、日本もいつどこで大きな地震があるかわからない国であるから不安だ。

 

 本を少しずつ読み進めているので、ぽつりぽつりと読了。数日で読み終える本、十日以上かかる本、一ヶ月でも読み終えられない本と、さまざまに読み合わせながら読んでいる。

2025年1月20日 (月)

中島義道『人生、しょせん気晴らし』

 『人生、しょせん気晴らし』(文藝春秋)は、ドイツ哲学者の中島義道の著作集。テーマ別に、彼の気晴らしについて書いている。『自由な生き方』、『読書』、『社会批判』、『哲学』、『人生相談』、『対談』の七項目である。書き下ろしではなく、さまざまな雑誌に掲載されたものを集めている。

 

 2009年に出版されたこの本を、たぶん店頭で見つけてすぐに読んだ筈だから、今回は再読ということになるのに、一部まったく記憶がない。『「哲学」という気晴らし』の項で、ここでは、彼の専門のカント哲学を掘り下げ、ショーペンハウエルを論じている。カントの精緻さを称揚し、ショーペンハウエルを、視点の独自性を買いながらも粗雑と断じ、ニーチェをさらに粗雑と切って捨てている。この章はたぶん読み切れなかったから記憶にないのであろう。上っ面だけ読んだか、ここだけ飛ばしたのだ。今回は何とか読むことは読んだが、難解すぎてほとんどわからなかった。

 

 哲学をするということにおいて、カントなどの哲学者の言っていることを解釈することは出発点である。解釈し、理解し、そこを出発点にして、自分がそこからさらに思索を深めて前へ進めなければ、本当に哲学をしているということにならない。解釈だけでは学問ではない。そういうことを改めてこの文章から教えられた。そもそもカントの言っていることが私には理解できないから、わかったのはそれだけであった。

 

 哲学をやってよかったのは人間がわからないということがわかったことです。(小略)哲学とは「なぜか」を考え続けることです。

 

 人間は多面的なんです。(小略)私がいちばん嫌いなのは、人間の見方が怠惰な人です。そうならないためには、「怒り」という感情を見据えることはもちろん、普段からいろいろな物事をよく観察して、言語化して、考えていくことが必要ではないでしょうか。

 

 我が田に水を引くようだが、ブログを書くのも、多少はこのざる頭で考える足しになっていると思う。

團伊玖磨『なおパイプのけむり』

 『なおパイプのけむり』はシリーズの第九巻。惰性で読み始めたので、シリーズを読むのをしばらくやめていて、しばらくぶりに続きを読み始めた。團伊玖磨にはこだわりがいくつかあって、そのこだわりがなるほどと思えるもの、自分ももう少しこだわっても好いな、と思うものもあるけれど、いささかこだわりが過剰でいくら何でもそこまでは、というものもある。人によってはその部分から嫌いになるだろう。しかし人には他人に理解しきれないこだわりがあって好いし、そのことこそがその人独自の生き方だろうと思うので、その同感できないこだわりを私は笑って読み飛ばすことにしている。あんがい計算ずくかも知れない気もしないではない。

 

 この巻は昭和四十九年から五十年にかけて書かれたものなので、いまから五十年前の話である。一文を引用する。

 

 それにしても、最近、鉄道に乗ると、子供の躾けの悪さに辟易させられる場合が多い。いまは丁度夏休みだし、旧のお盆も重なって、子供が沢山移動する時期なので、殊に目に付くのかも知れないが、多くの場合、観察していると、親が子供の狼藉に無関心な事、驚く程である。諦めてしまったのか、野放図を自由と錯覚しているのか、何なのか知らないが、あんな事では、結局将来苦労するのは、良い加減な育てられ方をした子供自身だろうと思って、子供が気の毒になってしまう。何れ社会の中で生きていくために自己改革をしなければならなくなるのは子供自身なのだ。そうであれば、そんな詰まらぬ手間は、子供が小さいうちに取り除いてやって置く方が利口な方法だろうと思う。

 

 こういう親に限って、躾けや教育は学校がすると錯覚しているらしいが、学校で与えて呉れる教育などというものは、たかだか三十パーセントにも満たないものだと僕は考えている。自分自身を振り返っても、学校で習った知識などは、大切ではあるが、最低の常識線程度のもので、真に役立つ専門的な技術や、躾けのような社会との接点になる感性は、決して学校では教わらなかったと言える。

 

 五十年後のいま、私が見るに、躾を受けずに育った子供はとっくに成人になり、きちんと躾を受けて育った大人たちに交じって、自己変革などする機会も必要もなく子供のまま生きている。そうして何よりそういう子供を持った親は、その子供たちによって生きにくい老後を送っているだろう。そういう子供たちも子供を持ち、それがあたりまえに生きている。

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2025年1月19日 (日)

続・人生相談

 前回の補足。

 

 中島義道のような哲学者に人生相談をしても救いがないかのようだが、ときには隘路にはまり込んでいる相談者を、その迷いから覚醒させる働きがあるかも知れない。相談を吐き出すことで、その相談そのものについて多少は客観的に見直すきっかけになるという話はしばしば聞くことだ。親身になって聞くということと、突き放すということは、正反対のようで、相談者が問題について考えるための違う視点を与えるきっかけとなり得るから、本当に迷路からの出口を求めているなら意味はある。

 

 そういえば哲学者、というより思想家、思索者といっていい梅原猛が人生相談を受けた記録を読んだことがあって、それも面白かった。おもしろい、というのは不謹慎ではあるが、人生というものの断片を見せてくれること、それに対しての考えを知ることに興味があるということだ。

 

 昔、ラジオで聴いた人生相談では、子供の教育問題がけっこう多かった。四十年も昔のことだが、登校拒否、引きこもりの問題が顕在化し始めたころであった。教育学者と称する回答者が猫なで声で「見守りなさい、子供には立ち上がる力が備わっているから、必ず立ち直ります。無理に何とかしようとしないように」と回答していた。その時に私は本当かなといつも疑問に感じていた。登校拒否にはさまざまな理由があるだろう。傷ついた心が回復するまでは静観するのも良いが、子供にとって解決できないことについては手助けが必要だろうと思った。自分の子供がそういう事態になった場合について想像もした。

 

 この教育学者は十年後、二十年後、三十年後も引きこもりを続けている子供(もちろんもう成人)について、どう答えるのだろうか。

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 いまだったら親の介護や伴侶の介護に疲れ果てた相談、などというのが多いのではないかと思う。中島義道の本に記された相談にもそういうものがあった。いまはそういうときの行政的な相談窓口というのがあって、そこに頼るのがいちばんなのだが、あんがいそれを知らずに深刻な事態になっていることが多い。それを指し示すことは大いに意味がある。但し、行政も予算や人手に限界があり、また窓口の人間によって大いにあしらいも違うから、それは運不運もあるだろう。そしてこれからますますそのことで、出口のない長く続く苦難に落ち込む人が増えるだろうと思う。現代の姥捨山の物語は無数にあるに違いない。たいてい、「いい人」がもっとも苦労する。中島義道は「いい人」をやめなさい、と直言していた。「いい人」は「いい人」をやめたらどうなるかを心配するからやめられない。だから「いい人」なのである。

人生相談

 人生相談の番組をラジオで聴いたり、人生相談のコラムを読んだりするのが好きだったことはこのブログに書いたことがある。「好きだった」というのは、最近はそういう機会があまりないし、積極的にそれに接しようとまでは思わなくなっているということだ。

 

 ドイツ哲学者の中島義道の『人生、しょせん気晴らし』という本では、いくつかの気晴らしがテーマ別に章立てしてあるが、その中に『人生相談という気晴らし』という章がある。ここで二十件の相談に答えているのだが、それがとてもおもしろかった。

 

 改めて私は「人生相談」にむいていないなあと思いました。人生相談を持ちかける人は、たぶん常識の範囲を超えない限りで、つまりあまり苦労なく実行できる範囲で、何らかのポジティブな回答を求めている。あるいは、ちょっと考え方を変えれば「楽になる」そんな妙薬を求めている。とすると、私にはそういうご期待に応える素質も趣味もないからです。

 

 こういう人であるから、相談に対する回答は正論で、にべもない。そもそも相手の立場に立って感情移入する、ということのない人だから、なぜそんな相談するのかを鋭く推察して歯に衣着せぬ回答になるので、そこがとてもおもしろいのだ。

 

 人生が何の意味もないことは自明であり、その無意味な人生の終局は死であって、(たぶん)永遠の無に突入するのでしょう。こうした差し迫った大問題に比べると、どんな相談も失礼ながらちっぽけなもの、どうでもいいものに思われてしまうのです。

 

 自分が「愛されなかった」あるいは「不幸だった」と思い込んでいる人の老後はどうしようもない。周りの人間すべてを不幸に陥れるまで不平を語り、愚痴を言い、泣き言を繰り返します。

 

 私の心情なのですが、人は「犠牲的精神」をもって生きると、結局犠牲を払わされた相手を憎むことになります。

 

 こういう人が気晴らしに人生相談を受けたらどうなるか、哲学者は人生の生きる意味など教えてくれない。そのことが繰り返し回答として与えられている。そもそも自分の人生について考えるのは自分であり、哲学を知って考え方を知ることはできるかも知れないが、それにはたいへんなエネルギーが必要で、人に人生の問題を相談するような人には無理であろう。なにより意味を求める人に、無意味に直面する勇気はないだろうから。

2025年1月18日 (土)

土曜日は本を読む

 土曜日はテレビをつけていても見るべき番組がないので、朝昼晩の定時のニュース以外は見ないことにしている。さいわい今日は読書意欲が少しわいたので、ネットストリーミングのアマゾンミュージックから、スタジオジブリの作品をはじめとする、比較的新しいアニメ映画のサウンドトラックをいろいろ聴きながら本を読んだ。

 

 いつものように五六冊の本を横に置いて、二十ページから五十ページほど読んでは、次に移るという、変則的な読み散らし方であるが、それなりにそこそこ集中できた。本当に集中すると音楽が聞こえなくなるのはいつものことである。まだ読了した本はない。読んだのは

 

谷沢永一『人生の英知』、中島義道『人生、しょせん気晴らし』(これはもうすぐ読み終わる)、陳舜臣『わが集外集』、永井荷風『断腸亭日乗(一)』、團伊玖磨『なおパイプのけむり』(シリーズ第九巻にあたる)

 

これから余秋雨『文化苦旅』を読み継ごうかと思う。他に数冊積まれているが、どれか読み終えてから戦列に加えることにする。本が読めると時間を無駄にしていない気持ちになれる。

予定達成でめでたい

 中国の昨年度のGDPの目標であった5%アップがほぼ達成されたとのことである。ありがたい習近平の指導のおかけであり、この困難な中でありながらのみごとな成果であって、たいへんめでたいことである。

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 この数字に対して疑義を唱える専門家が多いらしい。中国国内ですら少なからぬ学者が疑義を呈している。しかしこの数字は、責任を持って地方を運営している地方政府がその調査に基づいて出した統計数字を、責任ある中央政府が集計したものであり、まちがいなどあろうはずがない。

 

 ますます中国は成長躍進繁栄を続けるであろう。あの毛沢東が推進した「大躍進」時代と同じように。世界はその奇跡に学ばねばならない。日本はそれを学びに、率先してすでに政治家や岩屋外務大臣は中国に教えを請いに行った。まことに正しい行動である。マスコミはもちろん、日本国民はこぞってほめてあげなければならない。日本もまもなく中国に倣うことで繁栄を取り戻すことであろう。めでたいことである。

気がついていないはずはないが

 中居某のスキャンダル報道をきっかけにした、フジテレビ非難の大合唱を横目で見て、テレビの衰退の象徴だなあと感じている。テレビの興隆期に、時事評論家の大宅壮一は「一億総白痴化」と喝破した。長い期間をかけてその「総白痴化」はすでに達成されて久しい。テレビもその点での役割が終わっているのだろうが、その金切り声とわめき声、CMの異常な氾濫など、お祭り騒ぎ、道化はエスカレートするばかりで、テレビというメディアが衰退していることにテレビ自身が気がついていないはずはないのに、衰退を踏みとどまるためにどうにかしようとしているように見えない。そのあげくがこの騒動なのだろう。ジャニーズ帝国崩壊のコピーに見えてしまうのは私だけだろうか。

 

 テレビが街頭に出現する前に生まれ、父に肩車されて電気屋の前の人だかりとともにテレビのプロレスを見た世代として、私はテレビとともに育ち、テレビ大好き人間であり、いまでも大好きである。どっぷりテレビに染め上げられて、自覚はないがおおいに白痴化していることだろう。だからこそテレビの現状について強い関心がある。

 

 なによりテレビ局は多すぎる。競争よりも共生で、同じような番組をならべて仲良くする時代はとっくに終わっている。しのぎを削って生き残りをかけ、ふるい落としをしなければならないのに、手をこまねいてきたことで、若者の多くはそっぽを向いてしまった。テレビを見るのは暇な専業主婦とリタイア済みの高齢者たちばかりになった。CM提供者はその費用対効果に失望しているだろう。介在して膨らんだ電通などが批判の対象になったのは記憶に新しい。いままで通用していたことが通用しなくなったのだ。それは力を失ったからで、衰退の表れだろう。

 

 テレビ大好き人間の私でも、いまは民放の番組は限られたもの以外はほとんど見ない。テレビの装置は、ニュース以外の多くの番組を録画してから見るので、ほぼモニターと化している。

 

 民放のありがたさは、無料で見られることであった。その無料であることが衰退につながったとみるのは飛躍に過ぎるだろうか。とはいえ今さら有料にすることも出来ない。新聞も衰退が著しい。マスメディアが危機にある。それは外部要因というより自滅なのだろう。

2025年1月17日 (金)

不便

 来週に片付けようと思っていたことが、予定が重なって狂ってしまったので、今日急遽妻の病院に行った。20キロ足らずのところの病院だが、大きな街の街中をぬけるので渋滞することが多く、あんがい時間がかかる。さいわい今日はそれほどひどくはなく、スムーズだった。病院の受付をしてくれる女性は常時三人いて、ふたりは若くて、ひとりはちょっと愛想の悪いおばさんである。ただ、若いひとりは要領が悪くてむやみに時間を食う、このおばさんはテキパキしている。どういうわけか、このおばさんが今日はいつになくにこやかで、感じが良かった。ようやく顔を覚えてくれたのだろうか。それともたまたまいいことでもあったのだろうか。

 

 ガソリンが軒並み180円ほどになっているようであった。政府の補助のおかげでいままで安く維持されていたのが、補助がなくなったからだと報じられている。政府としてはいままでの政府の補助のありがたみを実感してもらいたいと思っているだろうが、とんでもない。もともとガソリンにとんでもない割合の税金を掛けているのは政府であって、こちらはそれを今さらのように痛感しているのだ。とはいえ、たぶん何も考えていない人の方が圧倒的に多いだろうなあ。

 

 数日前から小銭入れが見当たらなくなっている。だから熱田神宮へ行ったときには小銭がなくて困った。仕方がないから自動販売機で缶コーヒーを買って小銭を作ったが、今度はポケットでじゃらじゃらして煩わしい。最後に小銭入れを出したときのことは覚えていて、そのあとは出していないから、家の中にあるはずで、いろいろ探したけれど見つからないのが不思議だ。昔よりも小銭を使うことは少ないけれど、それでもないと不便で、仕方がないから出かけたついでに小銭入れを新たに購入した。小銭入れには小銭しか入っていなかったからあきらめもつくが、もっと大事なものをなくすことがないようにしないといけない。大事なものをなくすとあとの始末が煩わしくてかなわない。

眠れなくて本を読み散らす

 夜更かしが続いたので、昨晩は早めに就寝したのに、足がつって目が覚めてしまった。左足の腿がまずつり、それほどひどくならずに治まってほっとして、念のために漢方薬を飲んだのだが、今度は右足の腿がつった。それがなかなか治まらず、もだえていたが、しばらくして薬が効いたのかそれもなんとか治まった。しかし完全に目が覚めてしまったからなかなか眠れない。静かに眠りを誘うクラシック集、などという音楽をかけてぼんやりしていたが眠くならない。

 

 仕方がないからスタンドの明かりを付けて本を読み散らした。なるべく読みにくい本を読もうと思って、張袋(ちょうたい)の『西湖夢尋』(東洋文庫)をまず開いた。この本の前半は詩文集で、漢詩が頻出し、私の力では読み切れない。読み切れないのは簡単に解釈しようとするからで、もっと腰を据えてイメージを喚起しなくてはならない。さいわい西湖には何度も行っているので、たいていの見所は承知している。西湖のある杭州には観光で五回、仕事で三回行っている。仕事で行ったときも、夜に西湖まで足を伸ばして湖岸のレストランで食事を摂ったりした。

 

 わからないなりに何とか齧り付いていて、読み疲れたので後半を開くと、こちらは詩文集というよりも湖岸風景や、そこにまつわる歴史などについて記した紀行文ふうで、それなら読みやすい。明の末期の時代を感じた。そういえば読みかけて遅々として進まない余秋雨の『文化苦旅』の中に西湖のことを書いた一文がある。それを読み直した。そこに張岱について言及していないのが残念だが、その少し先の『夜航船』という章は張岱について書かれたものだった。『夜航船』は張袋の書き残した百科全書といえる本で、そのことが記されている。『夜航船』という船が実際にあって、それについての余秋雨の子供のころの記憶が併せて回想されていて、なかなか好い。どうして張岱が『夜航船』などという題を付けたかについての余秋雨の考えも書かれている。

 

 それでも眠れないので(あたりまえか)、読み始めた永井荷風の日記『断腸亭日乗』(岩波文庫)を開く。ここにどんな本を読んだかも記されていて、興味深い。読んだことのある本や、知っている本があったりすると嬉しい。できれば読んでみたい本もある。大正七年に森鷗外についての言及があり、まだ会っていないと記述されていたので調べたら、森鷗外が死んだのは大正十一年で、存命なのであった。手を広げていくとキリがないし、読み疲れたと思ったところでひとりでに眠りについていた。

2025年1月16日 (木)

映画『トゥヤーの結婚』を見る

 映画『トゥヤーの結婚』は2006年の中国映画、ずいぶん前に録画しておいたものだが見そびれていた。そんな映画が山のようにある。舞台は内モンゴルであり、その土漠の中のテントで夫と息子、娘とともに羊を飼って暮らす女性トゥヤーが主人公である。

 

 プロローグでその女性の結婚式の断片が描かれる。彼女の再婚のシーンである。そして、なぜ彼女が再婚するのか、その再婚とはどういうものであったのか、丁寧に、そして淡々と物語が描かれていく。

 

 水場の水が涸れて、どんどん遠くなり、不便なので夫が井戸を掘り進めるのだが、その時に事故で怪我してほとんど半身不随状態なってしまい、トゥヤーは水運び、羊の世話、子供の世話と夫の世話で疲労困憊している。そんななか、トゥヤーまで腰を痛めて途方に暮れてしまう。

 

 夫の姉の提案で、彼女は夫と離婚するのだが、夫を引き取るという義姉の申し入れを断りそのまま彼女は夫とともに家族で暮らし続ける。そして夫を含めて家族を世話してくれるなら、という条件で夫を求めるのである。求婚がたくさんあるのだが、彼女の条件が変わらないことで、みな断りを入れてくる。

 

 そうして有力な結婚相手があらわれ、ほとんどきまりかけるのだが・・・。そこから二転三転して再婚に至る。それが彼女のしあわせにつながるのか、そうでないのか、それは誰にもわからない。

 

 彼女は賢く、働き者である以上に自立心を持ち、矜持を持つ女性であることが、見ていてどんどんこちらの胸にしみてくる。二胡の音色、モンゴルの詠唱、広々とした平原の風景、好い映画だと思う。トゥヤーを演じるのはユー・ナンという人だが、漢字で書くと余男であるのがおもしろい。もちろんれっきとした女性である。

正しくてよいことであるはずのことでも

 読みかけで本棚に戻してあった谷沢永一の選集第2巻の『日本史のバランスシート』という章を読んだ。この本は四章からなり、それぞれが単行本一冊のボリュームがある(実際にそれぞれが単行本だった)から、ほぼ四冊分の大部の本である。第一章は有名な『紙つぶて』を収録したもので、これは三度か四度読み直していて、この優れた書評は何度読んでもおもしろい。

 

 『日本史のバランスシート』は、もともと『「正義の味方」の嘘八百』という題で出版されたもの。私はその題名に惹かれてこの本を一度読んで、そのユニークな視点に影響を受けた。今回読んで、前回感じなかった感想や、新たになるほどと思ったことなど、いろいろあって考えさせられ、おもしろかった。このごろエンターテインメント小説があまり読めなくなった。それは、読みながら、そして読んだあとも考えさせられる本を、より面白く思うようになっているからであると気がついた。

 

 この『日本史のバランスシート』を読んで感じたことはいくつもあったが、それを引用して紹介するにはまだ頭が整理されていない。ただひとつあげれば、大正時代に普通選挙推進運動が盛んになった点が、結果的に昭和初期の軍部の暴走につながったという見立てにおもしろいものを感じた。もちろんそれにはいろいろな経緯があったので、制限選挙から普通選挙への流れが間違っていたというわけではない。正しくてよいことであるはずのことでも、その推移の中で悪いことの原因になるということを承知しておくことは、歴史を学ぶ上で大事なことかも知れないと思ったのである。

 

 そういえば、光州事件などをきっかけに盛り上り、激しくなって達成された韓国の民主化がいまの国民分断の原因であり、結果であるのだという見立てを、誰か韓国の専門家が言っていた。国民が政治に熱くなりやすいのもそこに発しているだろう。民主化が悪いなどという意味ではないのはもちろんである。

不審な電話

 昨日の午後、熱田神宮から帰宅して一息入れていたときに、固定電話にNTTから自動音声の電話が入った。おかしな電話がしばしばあるので、固定電話は留守電にしている。受話器をとらずに聞いていると、この電話番号は二時間以内に使えなくなります、オペレーターにつなぎますか?という女性の声でそう告げている。びっくりして電話に出そうになったけれど、待てよ、と思いとどまった。電話回線を打ち切られるような心当たりは全くない。そもそも事前に何らかの事情説明があるはずだが、一切なしのいきなりの通告である。絶対おかしい。

 

 不審電話があったらここへ掛けてくれというNTTのご相談窓口、というところに掛けてみた。こちらも出るのは自動音声で、こういう場合は1を、こういう場合は2をなどと、どんどん枝分かれをたどりながら、用件を伝えようとするのだが、その場合は別の電話番号に掛けてくれ、などと案内された。人間相手なら即座に通じる話が、自動音声だと通じないのである。私は気が短いので途中で打ち切った。

 

 どうせ二時間経てば迷惑電話かどうかハッキリする。回線を切るなら切ってみろ、その時は許さんぞ、と思った。三時間以上すぎてから、固定電話からスマホに電話してみた。携帯に電話することができたのはもちろんであるが、それでもほっと安心した。安心したのは多少は不安だったのである。

 

 似たようなことがあるかも知れないのでご注意を。

2025年1月15日 (水)

熱田神宮にお参りする

昼少し前に熱田神宮に向かった。昼ころから晴れるはずが、どんよりしている。最寄りの駅から電車で神宮前まで30分あまり、案外近いのである。

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歩道橋の上から。左手が神宮の杜。この中に拝殿や本殿がある。

 

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濃い緑の中、椿の赤が目立つ。

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正面の鳥居。今日は神事があるので、けっこう人がいる。

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参道。初詣のときほどではないが、露天もちらほら出ている。

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参道は突き当たりになり、そこから右手に曲がると拝殿への道である。

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奉納されているお酒と大楠。手水舎で清めてから拝殿に向かう。

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正面が拝殿。家内安全をお祈りした。

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巫女さんの赤い袴が目を引いた。

このあと拝殿後ろの本殿をぐるりと囲んでいる塀沿いに、熱田の杜を散策する。

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ここで弓の神事がある。すでに終わったのか、これからなのか。神事の時は通行が止められる。

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艶やかな振り袖姿はいいものだ。

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お守りやお札、破魔弓などをここで買う。私は事故を体験したので、交通安全のお守りを買った。

このあと域内にある上地我麻(かみちかま)神社が知恵を授けてくれるというので、お参りして帰路についた。

へつらい外交

 日本の政治家が大挙して中国に押しかけ、融和的に態度を変えた中国の要人とにこやかに対話をしていた。まさかこれで日中関係が善くなる、などと考えているわけではなく、中国にはそうする事情があることを承知のことであるだろうが、その中国へ行った面々の目的について、考えてみた。

 

 訪問の目的は日本の水産資源の輸入規制解除と、拘束されている日本人の解放であると報道されている。その通りであろう。しかし拘束されている日本人の解放はなかなか困難で、よほどのお土産が必要になる。しかし水産物輸入規制解除は簡単である。そもそも言いがかりによる嫌がらせの規制で、中国が勝手に行ったことで、それをただ中国が、やめた、といえば良いだけだ。

 

 どうもそれができそうだぞ、と感じた面々が、もし規制解除となれば「自分たちが行って規制解除を成し遂げた」と手柄顔に胸を張ることができると期待してのことではないのかと私は考えている。そもそも中国側が不当であるのに、感謝して頭を下げることになるとしたら、なんと情け無いことか。へつらい外交ではないか。どんなお土産を持って行ったのだろうか。中国は腹の中で日本をあざ笑っているだろう。また何度でもこの手が使えることを学習したであろう。中国には何の損失もない。魚なんか他の国から買えるし、いくらでも日本近海で獲れるのだから。福島沖で獲ったものだって、中国船で獲ったものならたぶん問題にしていなかっただろう。

雨に降られた記憶がない

 昨晩は久しぶりにシミュレーションゲームなどをしていたら、夢中になって夜更かししてしまった。おかげで朝寝坊である。

 

 今日、一月十五日は旧の成人式の日。そして息子の誕生日でもある。出産のために実家に帰っていた妻が産気づいたというので、車で病院に運んだ。そのころは休日で仕事ではなかったから、それができた。病室に運び込み、「立ち会いますか」と聞かれたが、外で待つことにした。看護師の励ます大きな声などが聞こえていた。さいわい安産で、運び込んでそれほどたたずに産声が聞こえた。

 

 息子が生まれた年の年末に名古屋に転勤したので、毎年この一月十五日に家族で熱田神宮にお参りすることにした。それ以来四十年、よほどよんどころない事情がない限り、お参りは欠かさない。この日が休日でなくなったころには、自分が「毎日が休日」になっていたから問題ない。もちろん今日も行くつもりである。

 

 先週の天気予報はあまり芳しくなかったが、さいわい雨に降られる心配はなさそうだ。このお参りの日に傘をさしていた記憶がない。雨に降られた記憶がないのだ。子供たちが小さいときには、お参りしたあと家族でウナギを食べたりした。ひとりでお参りするようになってからは、金山まで行き、駅前のボストン美術館に立ち寄ったり、大須の電気街をぶらついたりしたが、そのボストン美術館もなくなってしまったので、いまはとんぼ返りである。電車で乗り換えなしで行けるから有難い。

 インフルエンザなどにかからないよう、マスクを忘れないようにしようと思う。今日は風が少し強く吹きそうだ。

2025年1月14日 (火)

『心の傷を癒やすということ』

 2020年に製作されたNHKのドラマ『心の傷を癒やすということ』(全四回完結)の再放送があったので見た。神戸地震から今年で30年、このドラマは、その神戸で精神科の医師をしていた主人公(柄本佑)の物語で、ほぼ実話をもとにしているようである。

 

 精神科の疾患は実際に存在しているが、精神科医療というのは多分に砂上の楼閣の部分があるのではないかという気持ちが拭えないでいるのだが、この医師が目指すのは、砂上の楼閣を築くこととはまるで違う、精神的に苦しんでいる患者に寄り添うことで、その苦痛を和らげること、患者が孤独ではないのだと感じさせ、生きることに希望を持たせることに全力を注ぐことである。このドラマは精神科の医療には意味があるのだということを改めて教えてくれる。

 

 病院で医師と患者が接するのは、長い時間を待たされたあげくに、わずかな時間でしかなく、しかも医師は患者の顔も見ずにカルテを眺め、パソコンの画面を見るばかりという場合が多い。精神科ほど患者と向き合い、会話する必要があるのに、同様なのが実情である。

 

 この主人公は違う。しかも彼は在日であるという生い立ちをもつ。それに正面から立ち向かい、乗り越え、医師として苦悩しながらも静かに話を聞き続ける。阪神淡路大震災という、人々が身体と同様か、それ以上に心に傷を負ったとき、それを癒やすために彼がどうしたのか、それが静かに語られていく。見応えのある、とても好いドラマだった。

口を噛む

 噛むと言っても自分の口なのでご安心を。いまよりずっと肥満していたとき、睡眠時無呼吸症候群のために息が苦しくて無意識に口腔を噛むことがよくあった。口の中が傷ついているからときどき口内炎になり、不快であった。

 

 そのころよりだいぶ体重も落としたので、いまは睡眠時無呼吸症候群の兆候はなく、昼間突然眠くなったり、口腔内を噛むこともほとんどなくなっていた。

 

 それがまたときどき口を噛むようになった。昨晩は夜中にその痛みで起きてしまった。口をゆすいだら血が混じっている。口内炎にならないように口腔内を清潔に保つようにしなければ。睡眠時無呼吸症候群の再発か、または昨年末に抜歯したことによる噛み合わせの狂いによるものだろうか。

 

 息子が、オーダーメイドの高い枕を買ったらよく眠れるようになったし、首や肩のこりや痛みが改善したという。枕の問題も大きいかも知れない。いろいろ考えられる対策を講じてこれ以上ひどくならないようにしたいと思う。

連絡があって楽しみ

 蔵開きについて酒蔵に問い合わせていた返事があった。早速いつものメンバーに連絡した。すぐに連絡があった人もあり、少し間を置いた返事もあり、まだの人もいる。たぶんいつもの顔ぶれがそろうであろう。弟も昨年に続いて今年も来てくれる。

 

弟は、夫婦で我が家に来てくれるかも知れない。以前そのように誘っている。弟の嫁さんはまったく飲まないので、酒蔵には来ない。ただ、せっかく来てくれるのだから、私の家を拠点に行きたいところはいくつもある。娘にはその時に接待するように頼んでいるので、来てくれるはずだ。いつも弟夫婦には世話になっているので、ささやかなお返しをしたいと思っている。

 

 友達に会えるのはとても楽しみだ。

2025年1月13日 (月)

映画『スリーパーズ』を見る

 1996年製作のアメリカ映画『スリーパーズ』を見た。内容は承知していて、一度見たつもりでいたのだが、映画の詳細がどうしても思い出せない。そこで見始めたらどう考えても初見である。あらすじを何かで読んだことがあるだけだったようだ。

 

 幼なじみの悪ガキ少年四人組が、たちの悪いいたずらのつもりで人を殺しかけてしまう。その罪で少年院に送られた少年たちが、そこでどんな凄惨な目に遭ったのか、正視に耐えない様子が描かれていく。その仕打ちとは、看守による、性的なことも含めての暴行だった。やがて刑期を終えて出所した四人はそれぞれの道に進み、成人する。互いの交流は続くが、自分の体験したことは決して口にせず、彼らの中で封印される。

 

 この様子を見て、ジャニーズを連想するのは私だけだろうか。

 

 四人のうちの二人はギャングになり、一人は語り手でもある新聞記者シェイクス(ジェイソン・パトリック)に、一人は検事補(ブラッド・ピット)になっている。そのギャングとなった二人が、たまたま看守の中のもっともたちの悪かった男(ケヴィン・ベーコン)に遭遇し、目撃者のいる中で射殺してしまう。

 

 その裁判を検事補の男が自ら望んで担当する。彼がギャングたちと知り合いであることは誰も知らない。あえて検事役となることで有罪に持ち込むふりをしながら無罪に導こうとするのだ。そして弁護を引き受けるのはアル中の弁護士(ダスティン・ホフマン)である。誰が見ても勝ち目のないこの裁判が始まるが、すべてを裏で誘導しているのは検事補であった。そして彼にはシェイクスと組んだ、とっておきの切り札が用意されていた。

 

 どんな人生もかけがえのない人生である。虫けらのように生き、死んでいった人間にもそれなりに友人がいて、それぞれにかけがえのないものが胸の内にある。不条理で残酷な世界にも、輝きとともに記憶される瞬間がある。それを見つめる眼こそが優しさというものなのだろう。それがあるからこそ、たとえば『ゴッド・ファーザー』で描かれていたマフイアの世界にも美しさが感じられたりするのだ。

贅沢な料理

 野菜たっぷりの野菜炒め(ウインナ入り)を作った。中華鍋にたっぷり作った。材料費をざっと考えると、贅沢な料理だなあと思った。こんな事を思うようになるとは思いもよらないことである。それほど野菜が高い。野菜も果物もみな高い。仕方のないことだとわかっていても、わかったからといって財布にこたえることにはかわりがない。

 

 こんな日本でも、海外から来た人には、日本は何もかも安いと言われているらしいから、海外はどれほど高いのだろうと思う。もちろんそれに見合った給料ももらっているのであろう。ただ、それが十分ではない人もいるだろう。そういう人が増えれば政府に対して不満が高まるのは自然の成り行きである。誰かのせいであると皆が思えば、代わりに糾弾してくれる人に支持が行く。

 

 何かに対して糾弾するのがいまの流行みたいだ。些細なことのように見えても対処を間違うとすぐ糾弾される。それだけ不満がたまっているのだろう。ロサンゼルスの山火事のように、不満という乾いた山林に火が付けば手が付けられなくなるだろう。誰かが意図的に火を付けるのが何より怖い。

返事がない

 毎年二月初めに、親しい友人たちと、ある酒蔵の新酒会に参加する。毎月にでも会いたい、一緒に飲みたい友人たちだが、この日だけしか会う機会がない友もいる。私が酒蔵に一番近いので常任幹事を自任している。酩酊するほど絞りたての原酒を飲んで歓談するのが毎年一度の楽しみである。

 

 その酒蔵に今年の開催日をメールで問い合わせたのだが返事がない。来週くらいには公式に蔵から発表があるはずだが、大阪や京都から来る友もいるので、早めに知らせてあげたい。千葉から弟も参加するつもりでいるはずだ。

 

 いま新酒の仕込みで忙しい時期だから、あまり邪魔をしては申し訳ないので催促はしたくないのだが、今朝もう一度問い合わせのメールをいれた。待っているだろう友もいるし、幹事の役目でもある。返事、もらえるかなあ。

2025年1月12日 (日)

映画『散り椿』を見る

 葉室麟の同名の小説を原作とした、時代劇映画『散り椿』を見た。主演の岡田准一は古武道を身につけているだけあって、体捌き、剣さばきがほんもので、それだけでも見応えがあった。

 

 ところで葉室麟といえば、彼の小説の舞台が見たくて日田に行った。その時にお世話になった方に年賀状を書いたら返事をいただいた。またおいでくださいとあって、心が動いた。九州は遠方だから、他のところよりもなじみが少ない。それでも仕事も含めれば十回近くは訪ねている。とはいえまだまだ行きたいところはたくさんあるので、できれば年内に、四国と九州にはまた行きたいと思っている。今度は鹿児島を中心に走り回ろうかと思う。

Dsc_0212_20250112105401日田城址の石垣と堀

 葉室麟は九州在住だったから、九州が舞台の小説が多い。この散り椿は架空の藩が舞台なので九州とは限らないが、そう思って見ていた。藤沢周平が庄内地方の架空の海坂藩が舞台であることが多いのに似ている。

 

 故あって妻とともに藩を離れていた男(岡田准一)が、妻(麻生久美子)の病死のあと、藩に戻ってくる。妻との約束を果たすためなのだが、藩では過去の人と思われていて、しかも戻るはずがないと思われていたこの男の目的がわからず、藩の内部に波風が立ち始める。この男がどうして藩を離れたのか、そのいきさつとなる事件が映画の進行とともに明らかになっていく。

 

 男は妻の実家、いまは妻の両親も亡く、妻の妹(黒木華)と弟(池松壮亮)が暮らしている家に身を寄せる。男が動くごとに藩内が騒然となり、やがて男の目的が、もと友人であり、むかし妻と恋仲だった藩の重鎮(西島秀俊)を助けるためであることがわかってくる。藩を牛耳る家老(奥田瑛二)派との確執、新しい主君を迎えようとする中での藩内の権力闘争が激しくなっていき、ついに実際の武力衝突が起きてしまう。

 

 絶体絶命の状況の中、男の豪剣が振るわれる。

 

 東映の時代劇を見て育ったので、時代小説や時代劇映画が好きである。その期待を裏切らない映画であった。麻生久美子も黒木華も好きだし、もっと好きな富司純子が脇役で出ているのも嬉しかった。この人の和服姿は本当に凜として美しい。

まだ残っているが

 私のパスポートの期限は、今年もいれればあと五年弱残っているが、もう海外へ行くつもりはない。海外旅行は結構体力が必要で、その体力に自信がなくなったし、さまざまなことがデジタル化していて、それらがよくわからないので煩わしい気もする。それでも未だに旅行会社から送られてくる海外旅行案内のパンフレットを打ち切りにせずにいる。それを眺めて夢想するのもささやかな楽しみであるからだ。

 

 昨日届いたパンフレットにはかなり心が動いた。「シルクロードの旅、ウルムチ・トルファン・敦煌・西安の旅」というパック旅行に、である。敦煌から先に、いつか行こうと思いながらかなわないままなので、最後の海外への旅として行きたい気持ちになった。見せられる西域しか見ることはできないだろうが、それは仕方がないことで、想像の目で過去を重ね合わせて見れば良いだけだ。とはいえ習近平政権下の中国に出かけるリスクはとりたくない。どんな言いがかりが加えられるかわかったものではない、というおびえがこころに浮かぶ。わかっていながらの危険を冒したいと思わない。

 

 安心して行けるときに行っておけば良かったと、心から後悔しながら冊子を閉じた。

0403710二十年前の敦煌

 

お茶と漬物

 昔、もう五十年以上前のことだが、新人時代に地方の繊維関係の工場や地元の代理店を担当していた。繊維製品を作り上げるにはいろいろな工程があり、私の就職した会社の一部門では、その工程で必要な資材を生産販売していて、その営業で廻っていたのだ。その繊維生産の工程は長い歴史の中で分業化されていて、産地と言われる地区が全国にあり、全体で有機的に生産が行われていた。

 

 小さな工場や代理店は家族的で、担当者や経営者などが手が空くまで待たされることがしばしばあり、その間事務所や場合によって社長の家の座敷で待つ。その時にお茶を出され、たいてい茶菓子ではなくて漬物が供される。お茶も漬物もとても美味しい。そこで茶飲み話でいろいろささやかな情報を聞いた。私はもともと漬物がそれほど好きではなかったけれど、次第に美味しいと思うようになった。

 

 そういう産地も過当競争の時代になり、さらに海外との競争の中で次々に縮小し、壊滅していった。そういうものを見続けた。

 

 いまお茶を淹れて、自分で漬けた白菜の漬け物などを箸で摘まみながら、その時代を思い出したりしている。懐かしいというのとは少し違う気持ちである。今回の白菜は少し漬かりが浅いようだ。気温が低いからだろうか。塩をきかせすぎたのかも知れない。

2025年1月11日 (土)

手の平側の指の根元を

 暮れにうっかりして皿を割ってしまった。変な割れ方をしていて、それを注意せずにうっかりと拾い上げたときに右手の人差し指の根元を切ってしまった。慌てて傷口を洗ったが、押さえていても血がしばらく止まらなかった。手の平側でしかも屈伸するところだから傷テープもとまりにくい。血が止まるのにしばらくかかった。娘や息子がいてくれたときは洗い物はほとんどやってもらったので、問題なかったが、一人になってからは、自分でやるしかない。しばらく不自由したが、さいわいきれいに傷は塞がった。

 

 安い台所洗剤を使っているせいか、冬はお湯と洗剤のせいで指先がガサガサになる。とくに親指の先の角が硬くなって小さく割れてしまい、沁みて痛い。指先はやはり傷テープでは留めにくい。とはいえ手袋をするのは面倒だ。横着をして、二回分、または三回分の洗い物をため込んで一気に洗うことで回数を減らし、よく手当てしていたら、何とかひどくならずにすんでいる。

 

 わずかな傷で大の男がイライラしている。

 

 新しいコーヒーメーカーが配達されてきたので、早速使ってみた。違うメーカーなので(タイガーから象印に替えた)使い勝手が悪いが、慣れればどうということはないだろう。思ったより出費は大きくなかったので、助かった。

 

 ようやく本を読む元気が出てきた。

正しいことを否定するのは困難だが

 ポリティカル・コレクトネスということばがある。社会的弱者に対する配慮のことで、たとえばマスコミのことば換えはそれを根拠とする。めくらを眼の不自由な人、などとするようになったのをはじめ、保健婦を保健師、看護婦を看護師、スチュワーデスをキャビンアテンダントなどと言い換えるのがそれだ。母子手帳はいつの間にか親子手帳に換わっているらしい。いまはそれが微に入り細を穿ち、マスコミのことば狩りは、あたかもことばの魔女狩りのようである。

 

 そう私が感じるのは、そのことば換えの神経の使い方が異常に過敏であるように感じるからで、しかもその過剰さは弱者に対する配慮という本筋以上に、ことばにいちいち目くじらを立てて糾弾する、ほとんどカスタマー・ハラスメント的な連中に対する防衛のための面が多いように思うからである。どんなことばも悪意を持って使えば差別的になることがあるが、それが全くないのに糾弾されることのなんと多いことかと思う。

 

 お客様は神様です、を私が毛嫌いするのは、カスタマー・ハラスメントを助長するからで、カスタマー・ハラスメントの差別意識ほど虫唾が走るものはない。何しろ客は王様どころか神様になってしまうのだから。

 

 世の中のある程度の見識のある人たちはうんざりしている。ことあるごとにだれかのことばの切れ端を取り上げて騒ぎ立てる風潮に、である。しかしそれは一見正しいことを正しく言っているかのようなので、よほど論理的な知能がないとなかなか否定しきれない。そしてそのような正義にもとづく揚げ足とりの人は、論理的なことばに耳を傾けないのが普通だから、空しいことになることが多い。

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 トランプの出現に拍手喝采が起きていることの一因に、そういうイライラがあるのではないかという気がするが、飛躍しすぎだろうか。なかなか否定しにくいけれどもちょっとやり過ぎではないか、ということに、トランプは無神経にかみついて否定してみせる。論理もなにもないけれど、論理がないゆえに、論理に聞く耳持たない正義の味方に言い勝ってしまうのが、痛快だと思う人がそれだけ多いということではないかと感じてしまうのだ。

 

 民主党は、どうして正しいほうが負けるのか理解できずに呆然としているように見える。世界中のあちこちで正しい者が負けて、論理などくそ食らえの政権が誕生しつつあるように見える。マスコミは正義の味方だから凋落していくばかりだ。立て直すにはもう少し強靱な、不条理な現実を直視した上での視点に立つ必要があるのではないかと思う。正義の味方であることが商売になった時代は終わりつつあるようだ。

米沢の雪

 大学二年生から四年生の三年間を米沢で過ごした。雪の多いところだった。昨日や今朝の米沢の降雪の景色をテレビで見て、当時のことを思い出した。大学受験も米沢だった。当時山形大学は二期校なので受験日は三月の後半で、私の地元の千葉ではもう春になっていたけれど、米沢の宿に着いたら雪景色だった。そして夜からまた雪が降り始め、もともとの雪に、その晩だけでさらに30センチ以上積もった。宿が大学まで歩いて行けるほど近かったからよかったけれど、車や列車の人は遅れてたいへんだったと聞いた。見たこともない大雪だった。

 

 実際に米沢で生活したときには、冬はそういう中で暮らした。寮生活をしていたが、その寮が郊外にあり、大学のキャンパスには近いが街中からは遠くて、さらに雪が多かった記憶がある。米沢は盆地で、すり鉢の底にある。壁のような斜平山(なでらやま)から雪が吹き下ろし、雪が上から降るというより下から吹き上げる。一年間だけ暮らした山形は、雪が降るときは風が止まり静かに降る。米沢は雪が降るときは風が吹く。寮から冬だと歩いて30分以上かかる街中に、吹雪に背中を押されて飲みに行き、帰りは山から吹き下ろす吹雪に向かって帰る。大酒を飲んでも寮に着くと醒めていたりする。コートのポケットには雪が勝手に積もる。風で吹き込むのだ。

 

 雪はいつでも一メートル以上道路脇に積まれていた。寮に雪下ろしのアルバイトの募集があったりする。何度か応募したが、一度高い建物の屋根で怖い思いをしてから、いくら時間給が高くても雪下ろしのバイトはやめた。山岳部の連中は嬉々として学校の体育館などの屋根に登っていたようだ。

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 卒業してからも、何度か冬の米沢に行った。だんだん雪の量が少なくなっているなあ、というのが実感だった。今回の雪でも、むかしなら話題になるほどの量でもないように見えた。もちろん、本格的に積もるのはこれからだろうけれど。

2025年1月10日 (金)

世の中が理不尽であることを直視する

 闘う哲学者・中島義道の本を読みながら、以下のような一節に、頷いたりしている。

 

「大人の要件として挙げたいのは、現実の社会における凄まじいほどの理不尽に立ち向かう能力である。自分を棚に上げて「この社会は汚れている!間違っている!」と叫んで周りの者を弾劾し続ける少年、「人生不可解!」と叫んで華厳の滝から飛び降りる青年は掛け値なしの子供である。大人とは、他人を責め社会を責めて万事収まるわけではないことがよくわかっている者、人生とはある人は理不尽に報われある人は理不尽に報われない修羅場であること、このことをひりひりするほど知っている者である。(いわゆる)正しい人が正しいゆえに排斥されることがあり、(いわゆる)悪い奴がのほほんとした顔でのさばっていることもあり、罪のない子供が殺されることもあり、血の出るような努力が報われないこともあり、鼻歌交じりで仕上げた仕事が賞賛されることもある。いや、そもそも人生の開始から、個々人に与えられている精神的肉体的能力には残酷なほどの「格差」があり、しかもこれほどの理不尽にもかかわらず・・・なぜか・・・「フェアに」戦わなければならない。こうした修羅場に投げ込まれて「成功している奴はみなずるいのさ」とか「世の中うまく立ち回らねば」という安直な「解決=慰め」にすがるのではなく、この現実をしっかり直視する勇気を持つ者、それが社会的に成熟した大人であるように思う。」

 

「子供は自分が他人を理解する努力をしないで、他人が自分を理解してくれないと駄々をこねる。他人の悪口を散々言いながら、自分がちょっとでも悪口を言われると眼の色を変える。濡れ衣を着せられると、もう生きていけないほどのパニックに陥る。いじめられると、あっという間に自殺する。だが、大人は、他人を理解する努力を惜しまず、他人から理解されないことに耐える。悪口を言われたら、その原因を冷静に追求する。濡れ衣を着せられたら、いじめに遭ったら、あらゆる手段でそれから抜け出すように努力する。このすべては・・・誤解しては困るが・・・「善いこと」あるいは「立派なこと」をする能力ではなく、この世で生きるための基礎体力なのだ。私はわが列島の津々浦々に響き渡る「思いやり」や「優しさ」の掛け声に反吐の出る思いであるが、こうした体力に基づいてこそ、他人に対する本当の「思いやり」や「優しさ」が湧き出すように思う。」

 

 こういうことは、大人から子供へ代々伝えられてきたことだったと思う。子供はそれを実社会で体験して大人となり、さらに次に伝え続けてきたはずだが、いつしかそういう伝達が失われてしまったようだ。いや、伝わっている人がたしかにいて、その人たちが、いまのところ、何とか社会を支えているのだと思う。もともとすべての成人が大人であったことなどなかった。しかしその割合が減り、それが本当に失われると、怨みと妬みにあふれた、分断の深まった社会を招来するのだろう。まさにそうなりつつある。

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調子が悪い

 だましだまし使っていた古いラップトップパソコン(Acer)がおかしな動作を始め、いろいろ手を尽くしたが回復せず、ついにご臨終となった。そのパソコンにだけあったデータは、つい先日、すべて別に移しておいたのでとくに大きな問題はない。きわどいところであった。デスクトップもwindows11には移行できない古いものなので、遠からず今後まともに使えるのは少し不満のある現在のノートパソコンだけになる。

 

 コーヒーを飲もうと思ったら、五年あまり使っているコーヒーメーカーが作動しかけては中断して、ついには動作をしなくなった。何かが詰まっているのかといろいろ弄り、クリーニングなどを試みたが、うんともすんとも言わなくなった。こういう機械の五年使用というのはまあまあもったほうかな、という気はする。しかし突然のことなので、困るし腹も立つ。

 

 何より自分自身の気力がいま低下している。さらに、泌尿器科の疾患を抱えているが、しばらく問題なかったのに、このごろ再び尿が濁るようになってきた。棲みついた耐性菌が眠りから覚めて活動を始めかけている気配だ。それによって体調が損なわれて気力が低下したのか、そこのところの関係がよくわからないが、いまはつまらないことが気になりやすい状態にある。そしてその結果、私がもっとも大事だと思っている集中力が低下していることが私を苛立たせている。そういうときは長く本が読めない。

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(悪いのはおまえ自身のせいじゃ!そんなこともわからんのか、バカ者め)

今シーズン初めての雪

 夜半から明け方に、雪がちらつくかも知れないという予報だった。

 いつもなら五時前後に起きるのに、今朝は七時前で、もしやと思ってカーテンを開けると一面が白くなっている。すでにやんではいるが、うっすらと雪が積もっているのだ。雪が降るときは音が吸収されて静かだから、それで目が覚めなかったのかも知れない。

 この程度の雪では子供たちが雪合戦したり雪だるまを作るというわけにはいかないだろう。とにかく寒い。これから出勤、通学する人はたいへんだろう。不要不急の外出は控えるようにということだから、私は今日も引きこもり。

2025年1月 9日 (木)

ただいまテンション激下がり

 ただいまテンションが激下がりし、なにもする気か起きない。読書と映画鑑賞にのめりこみすぎて、エネルギーが切れたようだ。こういうときはなにもしないでぼんやりする。昼からうつらうつらとして、なにもしないで過ごした。正月に年甲斐もなく少し過ごしたので、数日酒を控えめに飲んでいたけれど、今日は酩酊するほど飲もうと思っている。

 

 ポテサラを山盛り作り、肉じゃがも作ってつまみはたっぷり、酒も飲みきれないほどある。さあ酒盛りだ。

人間のロボット化

 人間の身体の動きを検知してデジタル化し、映像化したり機械操作をするセンサーの技術革新がめざましいようである。さらに一歩進めて、脳にセンサーを埋め込み、脳から発する情報を取り出すこともできるようになっているという。脊椎損傷などで動くことができないだけではなく、口をきくこともできない人が、脳に埋め込まれているセンサーによって、モニターからことばを発することができているというニュースを見た。ことばが発せられるくらいなら、すでにかなりのことができるようになっているということであろう。画期的なことである。

 

 日本はロボット好きだから、機械をどんどん人間化することに熱心であったような気がする。しかしいま世界では、人間を機械化することに熱心なようである。それが良いことか悪いことか、いまはまだわからない。善いことがたくさんあるだろうことは想像できる。しかし、そうではないこともあるだろうことが想像できないことはない。善くないことへの歯止めが考慮されているのかどうか、寡聞にして知らない。

あたりまえの発言

 ドイツのシュルツ首相が「国境不可侵の原則を守れ」とトランプ次期大統領の発言に対して苦言を呈した。あたりまえのことである。当のデンマークの代表はともかく、どこの国の代表であれ、トランプのあのような発言には即座に苦言を呈するのは当然ではないか。シュルツ以外にもたぶん同様の発言はあったのだろうが、日本のマスコミはそれを報道しない。少なくとも私の耳にはまだ達していない。日本はどうか。アメリカに苦言を呈しにくい立場の日本政府については百歩譲ったとしても、野党がそれについてコメントしたという報道を聞かないのは不思議なことだ。マスコミが訪ねれば「言語道断」というかも知れないが、問われることもなく、自発的な苦言もないのか。

 トランプはグリーンランドが安全保障上重要だから、中国やロシアからアメリカが守るためにアメリカのものにすべきだ、という。それなら台湾もアメリカのものにするのか、日本もアメリカのものにするべきだというのか、朝鮮半島もアメリカのものにすべきだというのか。世界をアメリカのものにするのか、その論理がプーチンや習近平とどこが違うのか。

2025年1月 8日 (水)

先祖返り

 NHKのドキュメント番組『バタフライエフェクト CIA 世界を変えた秘密工作』を先日見た。CIAが、つまりアメリカが、イラン、東欧、チリなどで、どのような謀略行為を働いたのか、当時の秘密資料が期限が切れて公開されて明らかになったことをもとに再構成していた。それは公然たる秘密だった。なぜ中東で、そして東欧で、さらに中南米で、アメリカがかくも嫌われているのか、その理由がこの番組からも明確に読み取れる。アメリカの正義とは、それはイギリスなどのヨーロッパの先進国も同じだが、いかに自己中心的な利権確保のための建前であるか、改めて教えられた。

 

 キューバに行って、アメリカがキューバに何をしていたのか、そしてなぜかくもキューバを敵対視しているのか、そのことの裏側を知った。行く前に本を読んで勉強したし、帰ってからもキューバ革命の背景についての本を読んだので、キューバで聞かされたことを鵜呑みにしたわけではない。だからチリのアジェンデ政権が軍事クーデーで倒されたのも、キューバでの失敗から学んだアメリカの謀略だったこともよくわかるし、ペルーのフジモリ大統領の失脚も、たぶんCIAが背後にいたのではないかと私は思っている。

 

 ベトナムもそうだし、アフガニスタンでもそうだった。アメリカは結局すべてで失敗した。人心を摑むことができなかっただけではなく、嫌悪される存在になった。それはアメリカがその国の利権を権力者と分け合う構造から脱却できなかったからだ。

 

 トランプはグリーンランドをよこせ、とデンマークに言った。よこさなければ経済制裁を科すぞ、と言い、軍事行動も排除しない、と言った。パナマ運河についても脅しを掛けて、戻せ、と言った。これのどこがプーチンのウクライナ侵略と違うというのか。カナダはアメリカに帰属しろと言った。仮にもよその国である。その国に向かって脅しを掛けて自国に従えというのは、異常なことである。その異常さを承知で公然とそんなことを言う。たぶんトランプ支持者たちは拍手喝采だろう。アメリカの本音の侵略主義が先祖返りで現れた。

 

 冗談ですむ話ではない。これからは武力のある国が弱い国を切り取り放題、などという世界がやってくるというのか。恐ろしいことである。

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映画『湖の女たち』を見る

 吉田修一の同名の原作をもとにした映画『湖の女たち』を見た。監督は大森立嗣、出演は福士蒼汰、松本まりか、福地桃子、浅野忠信など。

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 学生時代、日活映画が立ちゆかなくなりかけ、起死回生のために路線を日活ロマンポルノに変更した。そのころ、そのロマンポルノのさまざまな作品をリアルタイムで見た。この映画を見て、その時代を思い出した。この映画はある意味で社会派のロマンポルノという見方ができる。どちらをメインに表現したいのか、そして受け取る側はどちらをメインに受け取るのか。

 

 私は松本まりかという女優があまり好みではない。好みではないのは、たまたまいままで見てきた彼女の役柄からの印象が大きいが、そういう役柄が誰よりも彼女に似合うとも思う。彼女しか演じられない役柄を見事に演じているということは評価する。

 

 施設入居の寝たきり老人の殺人、人体実験をしたといわれる731部隊事件、薬害事件、それらが絡んでいるようないないような曖昧な展開が続いていく。何かを解明していくというよりも、起こった事をそこに提示してみせるという視点で物語は展開していく。そうして目星を付けた人物を徹底的に尋問して暴走していく刑事たち。

 

 思わせぶりな真犯人のほのめかしで映画は終わってしまう。すべてが絡まり合っているようでもあり、ただ出来事がたまたま並んで起きていっただけとも取れる終わり方だ。たしかなのは、この映画での松本まりかは猥褻であるということだけだ。屁理屈で愚考すれば、人間の業を描きたかったのか。そうとれないことはないが。

こんなことがあった

 團伊玖磨の『パイプのけむり』シリーズをゆっくり味わいながら楽しんでいる。冊数を重ねるほど内容が濃厚に感じられるようになっていくのは、もともとクラシックの作曲家である著者が、文章家として成長しているからなのか、または彼の世界観に、読んでいる私が共鳴していくからなのか。

 

 こんな一節があった。

 

「こんな事があった。遠い親戚のような人から電話で、急に頼みたいことがあるので、銀座でお茶が飲みたいと言う。そこで指定の時間に指定の喫茶店に行ったら、モーニングを着込んだその人物が忙しげに現れて、すぐ自分に付いて来て呉れと言う。付いて行くと、そこは結婚式場で、いまや結婚の披露宴が酣(たけなわ)だった。その人物は、その宴の司会をしているらしく、こちらには何の説明もせずに、アナウンスをして、新郎新婦の将来を祝福して、自分の親戚の音楽家が駆け付けて来たので、これから、結婚行進曲を演奏させます、と言っているのである。魂消(たまげ)た僕が棒立ちになっていると、すでに拍手が沸き起こって、僕は、まったく名前も知らぬ新郎新婦に祝福の結婚行進曲を弾いた。無論、祝福の祈りをこめて弾いたけれども、こういう乱暴な依頼法を執るこの親戚のような男の頭脳構造は、一体どうなっているのかと考えた。その男は、呆然として帰った僕に、その夜電話を掛けて来て、有難かった、自分が面目を施した、面目を施した、と、自分の面目が立った事だけを繰り返して嬉しそうに電話を切った。」

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 こういう話を読んでどう感じるだろうか。いま並行して読んでいるドイツ文学者、中島義道の『人生、しょせん気張らし』(文藝春秋)では、他者との関わりを極力排する生き方を貫く姿勢が描かれている。独り暮らしの私などは、その偏屈さでははるかに及ばないものの、その生き方に共感する部分が多いし、團伊玖磨の生き方も、他者との関わりに対しての節度にひときわ厳しいところがあるので、こういう羽目にあってどれほど呆然としたのか、そしてどれほどの怒りと侮蔑の気持ちがわいたのか、想像する。

2025年1月 7日 (火)

新しい目標

 昨年立てた目標は、八月半ば以降から年末までに映画を百本見る、というものだったが、残念ながら八十八本に終わり、未達成だった。思い立ったのが中途半端な時期だったので、今年は半年で百本ずつ、一年で二百本見ることにした。映画の消化とは時間の消費そのものである。読書は時間が決まったものではないが、映画は誰にとっても上映時間は映画ごとに決まっている。だから時間を用意できれば、映画はよほど見るに堪えないもの以外は、消化できるはずである。だから見る映画は時間との交換であり、時間は貴重だから択ばなければならない。

 

 読書記録を記した手帳によれば、昨年読了した本は百五十七冊。この数年、ほとんどそんな冊数しか読めていない。現役時代は百五十から二百冊ほど読んでいたから、時間があるのに却って減っているのだ。理由は読み飛ばせるような小説をほとんど読まなくなったからで、代わりに時間のかかる歯ごたえのある本が多い。だから内容的な読書量はそれなりだった。たぶん今年ももこんなペースだろうから目標を百五十冊にした。ただ、この数年、ときどきひどい読書スランプになって、半月くらいまったく本が読めないときがある。以前にはなかったことで、それがひどくならなければ良いが、と心配している。そういうときは何も考えずにひとり旅に出る。

 

 あたりまえだが、年金暮らしで年金以上の金を使っているから、手持ちの金が少しずつ減っていく。それを気にし出すと、金が気持ちよく使えなくなってしまう。ある間は使う、なくなったらおとなしくする、それでいいのだと気を取り直す。そのための本と録画した映画は、使い切れないほどあるのだ。

使い切るとうれしい

 消耗品だから使い切るのが前提なのに、なかなか使い切れずに捨てることが多い。食品ではしばしばあって、野菜でも冷蔵庫の隅でいたんだりさせてしまうことがたまにある。賞味期限が多少過ぎた瓶詰めなど、あまり気にしないけれど、あまり古くなればさすがにまだ残っていても処分することになる。服でも、もう身につけるのは無理だな、というところまで着倒すのは、よほどお気に入りのもので、大して使わずにタンスの肥やしになっているものの方が多い。

 

 いろいろなものが丈夫になっているので、壊れにくい。壊れなければ買い換える気にならない。普通の寿命以上に使って、それで壊れると納得もできるし、なんとなくうれしい。寿命を全うさせたという満足感と、新しいものにできる喜びがあるからだ。必要以上に持っているものが少しずつ減るのもうれしい。靴下やタオルがもうさすがに使うのは無理だなと納得できる状態で捨てられたりするのはことのほかうれしい。ボールペンを使い切るなどというのもうれしい。ありそうであんがいないものだ。メモ帳やノートも、最後まで使い切るとうれしい。これもありそうであんがい少ない。

 

 一生使い切れないほどあるのになかなか減らないものがある。減ったと思っても、もらったりする。ありすぎるとイライラすることがある。それはたぶん普段忘れている自分の寿命を思い起こさせるからかも知れない。いままでありすぎても平気だったし、自ら増やしていたものでは、録画したたくさんの映画に対してイライラが少し起きている。まったく我ながら捨てるのが苦手だと思う。本質的にケチであるし、子供の時からしつけられた、もったいない、という気持ちが染みついてもいる。

 

 今のところまだ大丈夫なのは本で、すべて読み尽くすのが、つまり使い尽くすことが前提とは考えていないからだ。ある意味で、とうにあきらめているところもある。読んだら処分するような本は使いきったものといえて、ほぼ処分し尽くしたが、いま残されている書棚の本は、たいていもう一度読みたい、読まねば本当に読んだことにならないと思う本ばかりだ。本当に読む、なんて、本当はできないことなのだけれど。

映画『居眠り磐音』を見る

 映画『居眠り磐音』は、佐伯泰英の時代小説シリーズを原作とした2019年の日本映画。このシリーズは本編だけで文庫本で51巻、サイドストーリーや主人公の息子空也の『空也十番勝負』に続いており、全部で何冊もある。そして私はそれをすべて読んだ。新刊が出るのが待ちきれず、出たらすぐ買い、その日のうちに読んだ。そこに描かれた世界は私の頭の中ではひとつの現実世界でもある。登場人物についても、それぞれの運命に感情移入したという、時代小説愛好家の私にとって忘れられない小説だ。

 

 NHKの連続ドラマにもなった。主人公を山本耕史が演じていた。第一シリーズ、第二シリーズ、第三シリーズ、正月スペシャルなど、長いあいだ楽しませてもらった。こちらもすべて見た。原作の雰囲気をあまり損なわずに、しかし独自の世界を構築していた。

 

 そしてこの映画も作られた。しかしテレビドラマでの山本耕史のイメージがあまりに強く定着してしまい、一度ならず衛星放送で放映されていたのだが、つい見そびれていた。今回NHKで放映されたので録画して見た。もともとの導入部は少し暗い。主人公の坂崎磐音の性格は春風駘蕩、明るい性格なのだが、この導入部での凄惨な事件を彼がどう乗り越えていくか、そして多くの人との関わりが彼を成長させていったかが物語の肝である。映画はその導入部をクローズアップしている。そこがメインといってもいい。作品全体のほんの初めだけであるが、それはそれなりに完結している。

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 松坂桃李の坂崎磐音は悪くなかった。おこんは、テレビでは中越典子、映画は木村文乃で、こちらは不思議なほどイメージが似通っていて違和感なし。映画は少し原作を改編している部分がある。一話で完結させるにはその必要もあったのだろうが、そこは少しおもしろくなかった。磐音の許嫁の兄であり、親友でもあった小林琴平(きんぺい)は、ある事件が理由で磐音と決闘し、討ち取られることになる。その琴平役を演じた柄本佑が今さらながら素晴らしかった。この人、やはり上手い。

2025年1月 6日 (月)

氷と火の国

 自分としては、海外旅行に結構行った。それは一緒に行く友人のおかげだったともいえる。自分だけなら中国と台湾ばかり行っただろう。キューバやウズベキスタンなどに行けたのも、友人が行こうといったからである。ヨーロッパには結局どこにも行かなかった。強いていえばトルコのイスタンブールのヨーロッパ側に足を踏み入れたことがある、というだけだ。

 

 ヨーロッパの国であえて行こうと思えば、まず第一にデンマークに行きたかった。思い入れのあるキルケゴールとアンデルセンの国である。次に行くとしたらアイスランドである。氷と火の国、そしてバイキングの国、まったく未知の場所を訪ねる楽しみと、アイスランドの北欧ミステリーのアーナルデュル・インドリダソンの描く世界の舞台が見たい。

 

 そのアイスランドを大沢たかおが訪ねた、紀行ドキュメント番組『氷と火の国のバイキングスピリット』を見た。いつも海外に一緒に行ったF君が亡くなり、コロナ禍もあって、もう海外旅行に行く気が失せてしまったから、代わりに大沢たかおがアイスランドを案内してくれたと思って見た。

 

 大沢たかおは沢木耕太郎の『深夜特急』をテレビドラマ化した番組で初めて見た。最初は大沢たかおと沢木耕太郎とを同一視してしまった。まさに演じている大沢たかおは沢木耕太郎自身としてしか見えなかった。この番組をきっかけに沢木耕太郎の著作も書棚に並ぶようになった。大沢たかおがしばしば個人的に海外旅行に行くようになったのも、この『深夜特急』がきっかけではないかと勝手に想像している。

 

 案内してくれる人が良いと、自分が行ったような気分にさせてくれる。この番組はそういう意味で好い番組だった。

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今日が雨のようなので

 大晦日に息子とぐるっと回って約一時間のコースを散歩した。久しぶりに長く歩いたが、最後まであまりペースも落ちず、息子も大丈夫そうだね、と安心したようだ。元旦には近場の塩竈神社に息子と二人で初詣に行く。ここにはほぼ毎年お参りしている。そのあと刺身などを買い出しに行って歩いたので、その日も五千歩のノルマを達成した。そのあとはあまり歩いていなかった。

 

 今日が雨のようなので、昨日暗くなる前に散歩に出た。あまり風はなくて、せっせと歩けば寒くもない。それでもたまに木枯らしが吹き抜けることもある。もう正月気分はどの家からも感じられない。何とかノルマの五千歩を達成。明日は雨だから引きこもって本を読み、映画を見ることにしよう。

 

 江國滋の『俳句とあそぶ法』という本を読了した。この本は初心者に俳句の楽しさと面白さ、そして奥の深さについてわかりやすく教え、句作の世界に誘い込んでくれる本だ。初心者以外に読まないでほしい、などという章もあったりする。

 

「旅先で一句というと、すぐに、山だの、川だの、草だの、木だの、と、みなさん、なんでそうそっちのほうばかりきょろきょろなさるのか。旅イコール風景イコール自然という公式に、あまりにとらわれすぎておられる。山川草木もとより結構だが、それは、すっと、詠めたら、の話であって、初心のうちは、なにも自然の景色にこだわることはないのである。町中の田仲のビラでもいい、パチンコ屋の看板でもいい、カサカサのほっぺたが林檎を思わせる少女でもいい、通学ホームにあふれた学生服のにきびの行列でもいい。土地の人情、土地の料理なんかは最高の素材なんだし、地酒に方言ときたら、ますますよろしい。句になるものはいくらだってごろごろしているではないか。」

 

「初心者だからといって、臆することはないのである。こんな句を詠んだらはずかしいとか、笑われるとか、みっともないとか、そういう弱気がいちばんいけない。」

 

ということで、散歩途中に浮かんだ句


  木枯らしと人と車とぬける道

 

やはりもう少し勉強してからにしよう。

2025年1月 5日 (日)

いちばん醜いこと

 現役の人たちの多くが明日から仕事であろう。今回は長い休みの人が多かったようだが、終わってみればあっという間だったに違いない。休みとはそういうものだ。テレビの集団馬鹿笑い番組の氾濫が終わり、正月気分も終わって日常が始まる。私も酒でふやけたざる頭はなかなか定常に戻らないままだが、祭りが終わればなにがなし寂しく哀しい風かふき、少しずつ醒めていく。

 

 今年は、または今年こそ良い年でありますようにと願ったけれど、ときどき見るテレビニュースやネットニューを通して世界を見回せば、明るい話題が例年以上に少なく、将来に不安を抱かせるようなものばかりが目につく。

 

 そんなときに、読んでいる江國滋の本の中に引用されていた、福沢諭吉の人生訓の第一条


「人間にとっていちばん醜いことは、人をうらやむことであります」


ということばが胸にしみた。

 

 妬み心から発する言動は恥ずべきことだというたしなみが、建前ではあったとしても、日本の世間では共通認識だった。損得が価値観の中心に据えられるようになって、そのたしなみがほぼ失われてしまった。だからこそ、人をうらやむことだけは控えよう、と思った。

夫婦別姓

 選択的夫婦別姓の論議については前にも書いたことがあるが、日本の法律で夫婦は同一の姓を名乗ると決めていることが不都合であるという主張の根拠は、便宜上の旧姓使用を認めることで解決するものばかりのような気がする。その旧姓使用がしにくいシステムがしばしば取り上げられて、選択的夫婦別姓の必要が主張されたり報道されている。とはいえ、女性が社会で男性と同等に働くこのご時世なら、選択的夫婦別姓を認めることに理解のある人が増えていくのは自然の成り行きであろう。別姓にしたい人はそうすれば好いということである。

 

 問題は選択的夫婦別姓は過渡的なもので、めざすのは選択的を取り除いて「夫婦別姓」だとする者たちの主張だ。それこそが男女同権で、海外ではもともと夫婦別姓の国がいくらでもあるではないか。それで不都合はないのだからそれをめざそう、という人たちだ。もともと夫婦別姓の国で、古来から男女同権だったかといえば、そんなことはなくて、男女平等は現代になってようやくあたりまえになったことである。男女別姓が男女同権を支えたという事実はないと思う。

 

 夫婦同姓だった多くの国でも、やはり女性の社会進出とともに選択的夫婦別姓を認めるようになっていったということであろう。それに対して日本が遅れている、という言い立てはあまり主張の根拠にならない気がする。なにが不都合か、どうすれば解消するのか、ということについての論議があまりに少ない気がする。

 

 日本の社会が自然の成り行きで夫婦別姓に移行するにはたぶん多くの時間が必要だろう。それが受け入れられる時代がいつか来るならそれでかまわない。しかし正義の名の下に夫婦別姓を主張しようとしているように見える立憲民主党などの言い立てには、「選択的」の部分がほとんどかすんで見えないほど小文字で書かれているように見えて気になる。

タフなのか繊細なのか

 自分には詩才どころか詩を解する能力すらないことを子供の時から強く実感していたので、却って詩にあこがれる。かろうじて定型詩にはリズムがあるので、そのリズムの助けでおぼろげに何かを感じた気持ちになったりする。だから漢詩や藤村の詩集、上田敏の『海潮音』などを、声に出して読んでみたりする。リズムがイメージ想起の助けになるのである。

 

 俳句という定型詩は日本語の曖昧さとマッチして、ことばの意味がじんわりと墨絵のようににじむところが好い。短いから解釈が多様で、読み方で、つまり想像力と素養の深さで見える世界の広がりが違うようだ。だから私などは、優れた解釈の助けが必要で、それによってイメージを喚起する。

 

 江國滋の本を楽しみながら一冊ずつ読み直している。彼は編集者であり、文筆家であるが、落語についての造詣が深いからその方面の本も多いし、テーブルマジックではプロをうならせるほどの腕前でもあった。俳句では『東京やなぎ句会』の一員であり、俳句についてもたくさんの本を残している。


  おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒


が辞世の句であるのは有名。

 

 その江國滋の『俳句と遊ぶ法』(朝日新聞社)という本を読んでいる。 その中の、『人の悼み方』という文章に久保田万太郎の俳句を評しながら、

 

「追悼句でも作らなければ悲しみにおしひしがれてしまいそうで、いてもたってもいられなかったのか、そのへんの心の襞(ひだ)をのぞくすべはないけれど、次から次へと相ついだ人生の凶事のたびに、これだけかたちのいい句を、とにかく詠めるというところに脱帽せざるを得ない。よほど神経がタフなのか、よほど神経が繊細なのか、どっちかに違いない」


とある。

 

 この、神経がタフであるか繊細であるかについては、私はどっちか、という問題ではないと思っている。鈍感であるか繊細であるかは同時にはあり得ず、どっちかでしかないが、タフであり繊細であることは同時にあり得ると思っている。繊細な神経がたくさんあって束になっていれば、繊細な感性を持ちながら、しかもタフであり得るのだと思っている。通常は繊細な神経がたいした本数しかないからか弱いが、細いものがたくさん撚りあつまっている場合は、鈍感な太い神経より強靱なのである。

 

 繊細でタフ、というのが人間として望ましいと思っている。

2025年1月 4日 (土)

買収阻止命令に対しての非難

 日鉄のUSスチール買収に対して、バイデン大統領が中止命令を出した。以前から買収反対を公言していたこともあり、この結果は予想されていたことでもあるが、専門家は間違った判断だ、と批判している向きが多いようだ(そういうものばかりが日本で報道されがちだったかも知れないから、たしかなことはわからない)。そもそもこの買収は日米双方にとって有益で、安全保障上の脅威があるという理由は理解しがたいものだ、と批判者は言っている。冷静に見ればそうだろう。

 

 組合が猛反対していて、その組合はアメリカ人国民で、国民と国家のために重要な基幹企業を買収されるのは国家の安全保障に関わる、というのがバイデン大統領の反対のための建前である。しかしすでにUSスチールは危機に瀕しており、このまま推移すれば経営危機は深刻となり、縮小廃業へまっしぐらに進むことになりかねない。そのことは組合の幹部も承知のことである。いまそれを挽回するには、買収により、資金投入し、老朽化した古い設備更新のための設備投資をしていくしかない。その力は単独ではUSスチールにはすでにないのである。そして買収することにより、中国の過剰生産鉄鋼製品と対峙するしかないのである。

 

 買収反対は却ってアメリカの国益に反する。選挙用に反対はしていたけれど、たぶんバイデン大統領もわかっている。それなら賛成に転じたら良かったのに、なぜ反対をしたのか。どうせ賛成しても、トランプに覆されるに決まっているから、同じことだと考えたのだろう。賛成すれば、そのことをもってトランプはバイデンをとことん罵倒するだろう。そうしてUSスチールの末路の責任を引き受けるのはバイデンではなく、トランプなのである。バイデンの側近は賛成するようにアドバイスしたらしいが、もともとバイデンは国家のことなど考えていないか、計算ずくか、やけくそか。

 

 ところでUSスチールのCEOが、バイデンの判断は「恥ずべき腐敗したもの」と最大限の痛烈なことばで非難したという。よほど腹が立ったのだろう。しかしこのCEOも、会社のため、従業員のため、国家のために腹を立てているのではないのだと私は思っている。というのは、そもそも日鉄とUSスチールの買収の合意にあたり、組合など労働者の了解を取るための責任はこのCEOにあったのである。ところが一切表面に立たずに顧問弁護士に任せっきりであり、しかもその顧問弁護士も真剣な交渉を行っていなかったという。さらにこのCEOに対して買収成立のあかつきには巨額のロイヤリティが支払われることになっていたことも明らかになっている。

 

 組合は弁護士からの一方的な通告のみという事態と、無能な、会社を危機に追い込んだ責任のあるCEOに巨額のロイヤリティが支払われるということに激怒したのである。すでにその時点で、会社の存続などをはるかに超えた感情的なわだかまりが生じてしまったのである。それにようやく気がついた日鉄側が、副社長直接の交渉によって何とか糸口を見つけかけたところで今回の買収中止命令に至ったのであるから、日鉄にしたら非合理的で信じられない結果だっただろう。

 

 中止命令に対して、痛烈に非難したCEOは、ただ自分の懐に入るはずだった金が手に入らなくなったことに激怒しただけなのではないかと私は勘ぐっている。日鉄は任すべきではない者に任せたことの責を引き受けるしかない。

余秋雨の慨嘆

 敦煌・莫高窟の貴重な文物が、奪うようにして持ち出されてしまったことに対して、もしその場にいれば身を挺してそれを止めたいと願う士は多かった。余秋雨もそう思った。しかしそう願ったのはすべてが取り返しがつかなくなってからのことで、空しい。そのこともよくわかっている。しかしそれよりも大きな慨嘆がある。

 

 そのことを以下に引用して、結びとする。

「ぼくは、またも溜め息をついた。牛車隊を本当にひき止めたら、それからどうしよう。ぼくも、当時の都に運ぶほかなかっただろう。輸送代を無視できたとしても。しかし、当時、洞窟から文物の一部がまちがいなく都に送られたではないか。その情景たるや、木箱に入れず、ムシロでいいかげんに縛っただけのものを、道々役人どもが巻き上げるわ、宿を取るたびに、いくつもの梱包を残すわで、そのあげくの果てに、都に着いたときは、バラバラの無残な姿に変わり果てていた」

「中国は広大なれども、数巻の経文すら蔵することができないというのか!役人たちにないがしろにされるよりも、大英博物館に預けた方がよっぽどましだと、ときには心を鬼にして叫びたくなる!こんなことを口にするのは畢竟、気分のいいものではない。ぼくに引き止められた牛車隊はどこに行くべきか?どこもかしこも難しいなら、砂漠に踏みとどまってもらうほかなく、それからぼくは思いのたけ泣きたい。」

 

 まさにそのような事実を王家達は『敦煌の夢』で記している。膨大な量だったために持ち去られずに残された敦煌の文物もあった。しかしそれのどれほどが中国の博物館に収められたのか。ほとんどが四散してしまった。奪われて失われたものは、現に外国の博物館に収められ、保存され、研究に供することができる状態である。しかし中国に残されたはずのものは本当の意味で失われたのである。わずかに金持ちや文化人に私蔵されていたものも、多くが文化大革命などによって失われた。そして運良く北京の故宮博物館の地下まで運び込まれたものも、死蔵されたまま目録も作成されないで、あるやらないやらいまだにわからないという。

 

「ああ恨めし!」と余秋雨は慨嘆したが、中国人でない私も同じ気持ちになるのである。

2025年1月 3日 (金)

三十年ほど前に

 三十年ほど前、四十代前半のときに、胃の定期検査でポリープが見つかった。食道を過ぎてすぐの、胃の天井部分なので、よく見つけてくれた、というところであった。さいわい悪性のものではなかったが、そのポリープはヒドラ状で、いくつもの突起をもち、食べ物が通過する際に引っかかって根元が裂ける恐れがあるという。裂けると胃壁から大出血をする。そうなるとかなり危険なのだと言われた。

 

 医師のすすめもあり、入院して切除することになった。ただ切腹はせずに、内視鏡でポリープ全体を輪になった電熱線で切り取るのだという。手術そのものはそれほどたいへんではないが、切除したあとが穴になるので、それが塞がるまで日数がかかる。当然絶飲食である。手術前から数えて丸五日、点滴で過ごした。腹の減るのはあんがい我慢できたが、喉が渇くのはつらかった。手術は全身麻酔。看護師さんたちには、「重かったー」と笑われた。お世話になった。

 

 とにかく人工的にできてしまった胃の穴が塞がるまでの養生であるから、手術が済めばとくにどこかが痛いということもなく、暇である。夜明けから消灯までのあいだ、ひたすら本を読んだ。一日四五冊は読んだ。息子と娘が見舞いに来るたびに、どこの本棚のどんな本をもってくるように指示してもってこさせた。延べ十一日間の入院期間で三十冊は読んだと思う。人生で一番集中して本を読んだ。

 

 その時にもっとも感激して、涙を拭いながら読んだのが、前回のブログで言及した、王家達の『敦煌の夢』という本だったのだ。帯の文章から引用すると


「大砂漠の中での非人間的な生活と迫害に耐え、人類の至宝「莫高窟」を愛し命をかけて守り抜いた人々がいた。日中両国の敦煌への思いが、熱い涙となってあふれ出す」


と書かれている。

 

 文化大革命は、当時の朝日新聞や社会党が絶賛するようなものではなかった。革命ですらなかった。毛沢東が仕掛けた権力奪取を目的とした権力闘争であり、そのために乗せられた紅衛兵や労働者の暴走であった。古いものは悪いもので、破壊しなければならない、と彼らは狂ったように寺院や文化財を破壊しまくった。そして敦煌の莫高窟もターゲットになったのである。それを守ろうとした人々がどれほどの苦難に遭ったのか、それが詳細に書かれている本なのである。

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 その『敦煌の夢』の第一章は『王道士の「功徳碑」』という文章で、王圓籙(おうえんろく)の犯した過ちと、その顛末、敦煌文書のその後にについての詳しい経緯が記されている。さらに探検家という名の略奪者たちが敦煌壁画の最も優れた部分を剥がして持ち去ったことが記されている。

 

 そういう背景を知っているので、いま読んでいる余秋雨の『文化苦旅』の中の『道士塔』に書かれている意味が、たぶん普通の人よりも胸に響いたのである。さらに書き足しておきたいことが少しあるが、長くなりすぎるので次回にする。

王圓籙の道士塔

 井上靖の原作をもとにした映画『敦煌』の最後のところのシーンで、莫高窟の洞窟にたくさんの書物や絵画などが隠され、壁に塗り込められるシーンがあったのを覚えているだろうか。そのシーンは井上靖の創作だと思われるが、しかし実際に膨大な量の文物が隠されていたのは事実であった。なぜ、そして誰が隠したのか不明であり、井上靖はそれに彼なりの想像の筆を加えたのだ。

 

 千年後、隠されていたこれらの歴史的資料が暴かれた。暴いたのはここに棲みついていた乞食道士の王圓籙(おうえんろく)である。それは十九世紀が二十世紀にまさに変わるときだった。経緯を知るものは、彼が行ったことは、中国文物の災厄であったと断罪する。ほぼ同じときに英仏軍などによって破壊され尽くし焼き尽くされた、円明園に対する暴挙に匹敵する災厄だというのだ(by王家達)。たまたま壁の割れ目から覗いて、何かが秘蔵されていることに気がついた彼の、愚かな行為によって敦煌文物は世界に四散してしまった。

 

 彼の写真が残されている。その写真の姿を余秋雨はこう描写する。

 

「ぼくは彼の写真を見たことがある。布製の綿入れを着て、目はぼんやりとし、おろおろしている様子は、あの時代どこでも見かけるありふれた百姓のものだった。もともと湖北麻城の農民だった彼は、飢饉から逃れるため甘粛にたどりつき、道士になった」
「いくたの曲折を経て、莫高窟の主として、中国古代の燦然たる文化を牛耳ったことは、なんとも不幸なことだった。彼は、外国の冒険家からわずかばかりの金と金目のものを握らされただけで、おびただしい敦煌文物を箱ごと持ち去るに任せた」
「憤怒の洪水を、彼にぶつけてしかるべきである。しかし、彼はあまりにもちっぽけで、取るに足らず、愚昧だったため、力の限り罵倒しようとも、糠に釘、ぼんやりとした表情と取りかえるのがおちだろう。この重い文化のつぐないを、彼の無知な体躯に負わせることは、我々でさえナンセンスなことだと思う」
「これはこの上ない民族的悲劇だった。王道士などはこの悲劇の中で、出番を間違えた道化に過ぎなかった」  

 

 これはいま読んでいる余秋雨の『文化苦旅』という本のなかの『道士塔』という文章からの引用である。彼が敦煌の莫高窟を訪ねたとき、そこにいくつかの円寂塔(円寂とは仏教で言う涅槃のこと。円寂塔とは功績のあった僧の墓のことである)があり、その中でも比較的状態のよいものの碑文に王圓籙の名前を見たのである。彼の功績が記されていた。そのことについては王家達の『敦煌の夢』という本にも詳しく記されている。これは涙なくしては読めない本である。中国の哀しみが胸にしみる。その哀しみとは、魯迅が感じたものと同じである。それで魯迅は医学の道を捨て、文章を書くことにしたのだ。

0403506_20250103071701莫高窟前の円寂塔

 どうも思いが強すぎて、書きたいことの欠片(かけら)しか書き切れない。考えがまとまったら続きを書こうと思う。

2025年1月 2日 (木)

天才がとことん頭を絞り抜いても

 NHKに『笑わない数学』という番組があって、昨年末に第二シーズンをまとめて放送してくれていた。それを録画しておいたので、一部を息子と見た。そして残りを箱根駅伝のあとに見た。数学の天才が何世紀にもわたって考え抜いた難問を教えてくれる。正月の酒でふやけた脳みそには多少の薬になる。もちろんほんとうには理解できないけれど、なぜ命を削るようにして、ときには精神の平衡を失うほどの思いをしてその難問を考え抜いたのか、その意味がおぼろげにわかる番組になっている。

 

 人類にはまだまだわからないことがあって、何かがわかればさらに新たな難問がそこにあって、じつはわかっていないことの方がはるかに多いのだ、ということを教えてくれる。問題を理解する能力はなくても、自分が知らないことが世界には山のようにあるのだということを教えてくれて、知らないことがあるということに、ささやかな興奮と、不思議なことに喜びすら感じたりする。

 

 知の巨人といわれる人のことばに、いままで知らなかった視点からの世界を垣間見せてもらう番組も有難いし、おもしろい。ただ、最近は「知の巨人」というレッテルが安っぽくなって、ただの知ったかぶりもそう呼ばれたりするから気をつけないといけない。

 

 暮れから正月は、テレビを見ても、ただ集団でけたたましくでわめき笑う番組だらけでうんざりするが、そういうときほど少し頭を使うとほっとする。
 
 そういえば、この休み中に息子と映画『デューン 砂漠の惑星』の第一部と第二部を見た。私は第一部は見たことがあるが、世界観がわかりにくいこの作品は、続けてみた方が良い。たぶん第三部もつくられると思うが、その時にはまた第一部、第二部、第三部と続けてみるつもりである。息子とこの映画の素晴らしさを楽しみ、傑作であることをあらためて実感した。若いときに原作を読んでいるが、重苦しいばかりでイメージ化がしにくい印象だった。映像化不可能というこの作品をよくここまでの映画にしたものだ。

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箱根駅伝の途中で

 朝から箱根駅伝を見ていたが、先ほどその途中で息子は広島へ帰っていった。洗い物などもこまめに手伝ってくれたし、掃除の不十分なところもきれいにしてくれた。親と違って、もともときちんとした性格なのである。

 

「健康に注意するように」と言うことばを残し、息子は愛妻の元へ帰った。まだ正月は終わっていないが、息子のいる好い正月はこれで終わりである。昨日は朝から一日飲んでいた。いくら飲んでも美味しくて好い気持ちの酒が飲めた。くたびれた胃腸をこれから休めて整えなければと思うけれど、惰性がついているから、もうちょっと飲むつもりだ。もちろんルール通り、飲むのは五時過ぎからである。正月用の料理がまだ少し残っている。

 

 さあ、引き続き箱根駅伝を楽しませてもらおう。

2025年1月 1日 (水)

明けましておめでとうございます

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明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

そして今年が皆様にとって良い年でありますように祈念しております。

今日は朝から飲むことを自分に許している日なので、いつも以上に酩酊酔眼状態になります。

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