三十年ほど前、四十代前半のときに、胃の定期検査でポリープが見つかった。食道を過ぎてすぐの、胃の天井部分なので、よく見つけてくれた、というところであった。さいわい悪性のものではなかったが、そのポリープはヒドラ状で、いくつもの突起をもち、食べ物が通過する際に引っかかって根元が裂ける恐れがあるという。裂けると胃壁から大出血をする。そうなるとかなり危険なのだと言われた。
医師のすすめもあり、入院して切除することになった。ただ切腹はせずに、内視鏡でポリープ全体を輪になった電熱線で切り取るのだという。手術そのものはそれほどたいへんではないが、切除したあとが穴になるので、それが塞がるまで日数がかかる。当然絶飲食である。手術前から数えて丸五日、点滴で過ごした。腹の減るのはあんがい我慢できたが、喉が渇くのはつらかった。手術は全身麻酔。看護師さんたちには、「重かったー」と笑われた。お世話になった。
とにかく人工的にできてしまった胃の穴が塞がるまでの養生であるから、手術が済めばとくにどこかが痛いということもなく、暇である。夜明けから消灯までのあいだ、ひたすら本を読んだ。一日四五冊は読んだ。息子と娘が見舞いに来るたびに、どこの本棚のどんな本をもってくるように指示してもってこさせた。延べ十一日間の入院期間で三十冊は読んだと思う。人生で一番集中して本を読んだ。
その時にもっとも感激して、涙を拭いながら読んだのが、前回のブログで言及した、王家達の『敦煌の夢』という本だったのだ。帯の文章から引用すると
「大砂漠の中での非人間的な生活と迫害に耐え、人類の至宝「莫高窟」を愛し命をかけて守り抜いた人々がいた。日中両国の敦煌への思いが、熱い涙となってあふれ出す」
と書かれている。
文化大革命は、当時の朝日新聞や社会党が絶賛するようなものではなかった。革命ですらなかった。毛沢東が仕掛けた権力奪取を目的とした権力闘争であり、そのために乗せられた紅衛兵や労働者の暴走であった。古いものは悪いもので、破壊しなければならない、と彼らは狂ったように寺院や文化財を破壊しまくった。そして敦煌の莫高窟もターゲットになったのである。それを守ろうとした人々がどれほどの苦難に遭ったのか、それが詳細に書かれている本なのである。
莫高窟
その『敦煌の夢』の第一章は『王道士の「功徳碑」』という文章で、王圓籙(おうえんろく)の犯した過ちと、その顛末、敦煌文書のその後にについての詳しい経緯が記されている。さらに探検家という名の略奪者たちが敦煌壁画の最も優れた部分を剥がして持ち去ったことが記されている。
そういう背景を知っているので、いま読んでいる余秋雨の『文化苦旅』の中の『道士塔』に書かれている意味が、たぶん普通の人よりも胸に響いたのである。さらに書き足しておきたいことが少しあるが、長くなりすぎるので次回にする。
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