テレビには見るべき番組もある
言うまでもないことだが、見るべき、というのは、見なければならないという意味ではなく、見る値打ちのある、という意味である。『バタフライエフェクト』というドキュメント番組をときどき見て、いろいろと考えさせられる。今回は『マクナマラの誤謬』、『ベトナム 勝利の代償』の二回にわたって、ベトナム戦争についてアメリカ側、そしてベトナム側からの記録が語られていた。
ベトナムには二度行った。一度はホー・チミン市(旧サイゴン市)を中心とした南ベトナム、そしてもう一度はハノイを中心とした北ベトナムだった。もちろんその時はすでに一つの国であった。とにかく若い人にあふれているという実感だった。若い人があふれているから、街に活気があった。清潔で美しく、伸び盛りの勢いをまぶしく感じたし、人々がよく働くのにも感心した。人々が若いのはベトナム戦争で三百万人以上の死者を出したことによることは明らかだろう。日本も戦後に団塊の世代を生み出し、活気に満ちた時代をもったことがある。しかしその世代が前線から退場し、日本は沈滞して若者の目の輝きは失せていた。そのことをベトナムで強く感じた。
ドミノ理論によって、東南アジアの共産化を阻止する、という目的でベトナムに戦争を仕掛けたアメリカは正しかったのか。中国はともかく、共産化したベトナムやキューバは、人々が圧政に苦しむ国になったのか。キューバにも行ったけれど、キューバが苦しいのは政府のせいではなくて、アメリカの異常な、憎しみに満ちたな制裁によるものであった。そのことはキューバにも行ったのでよくわかる。どちらの国も、腐敗がないという点で、生活は苦しくても人々は豊かだった。共産政権の東ヨーロッパやロシア、中国、北朝鮮の問題は、政権のトップばかりが豪勢な、王様のような暮らしをしていることにある。腐敗が問題であるとする習近平は正しい。
ベトナムは人口が一億を超えてさらに発展するだろう。何より勤勉な人々の国である。その国を結束させた、という意味でのみアメリカはベトナムに貢献した。ベトナムの戦死者は国のために死んだ。アメリカ軍兵士の死者は誰のために死んだのか。もうアメリカは外国のために兵士を死なせることはできないだろう。日本をアメリカが守るなどと言うのは幻想であろう。
ベトナム戦争というのが、アメリカの独善性、異常さの象徴であったことが、このようなドキュメント番組によっていまになって良くわかる。第一次世界大戦のあとに急激に国力を付けて擡頭し、第二次世界大戦によってついに世界をリードする国になったアメリカは、その成功体験を勘違いし、自己正当化の権化の国に成り果てた。
その勢いがついに伸びきったゴムのように、今度は縮みのフェイズに入るのではないか、ということをトランプは予感させる。
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