戦狼外交
中国が戦狼外交から転じて、穏健な外交に転じたかのように見えるのは、中国自身が内政に弱みがあるからであることは誰にでも見え見えである。つまり、その穏健さは強面を隠しているだけで、本質には変わりがないということだ。
二階氏から対中国友好の役割を引き継いだ森山氏が、中国で王毅外交担当と固い握手を交わしている図を見ると、相変わらずだなあと思う。そもそも習近平政権の戦狼外交を主導しているのがこの王毅という人だと私は思っている。ただし、信念でそうしているというよりも、ひたすら上昇志向の強い、そして賢いこの人が、習近平の意向を忖度しての行動であろうと想像する。それは一歩間違うと責任をとらされる危険な賭けだが、いまの地位からさらにのし上がるにはそうするしかないと判断したのだろう。
英語はもちろん日本語もペラペラ、多国語を操ることのできる王毅は、知能がとても高いらしいが、その分、たぶん習近平などにはあまり好まれないタイプのはずで、それでもここまでのし上がるには、それこそ命を削るようなたいへんな忍耐と苦労があったはずである。それがいかにも紳士面だったこの人の顔に刻まれて、近頃のあの顔になった。どう見えるかは見る人によるのだろうが、私にはゆがんで見えている。そこまでの思いを乗り越えた王毅に、そこまでの修羅場を経験していない日本の政治家が対等であるつもりで向き合っても、太刀打ちできるとはとても思えない。
これからトランプ政権に向き合うとき、王毅のさらなる活躍か、はたまた習近平に見限られての失脚か、それに注目している。人一倍論理的でありながら、一貫性を歯牙にも掛けないで平然としている外交官ほど恐ろしいものはない。さらにそんな人間を相手にしても、平然と打ち砕いていくのがトランプという人物で、鵺とキングコングでは勝負にならないか。
« 痛快な毒舌、罵詈讒謗(ばりざんぼう) | トップページ | 製塩と木地師の里 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 細部がきれいに(2025.02.05)
- たくさん歩いたのに(2025.02.04)
- 今日は奈良へ行く(2025.02.02)
- 二日酔い(2025.02.01)
- わかっていたらやっていられない(2025.01.31)
コメント