『塩の道』備忘録(1)
宮本常一の『塩の道』(講談社学術文庫)というたいへん面白い本を読んでいて、そのまま読み飛ばすのがもったいないないので、印象的に感じた部分を備忘録的として書き留めておきたいと思う。この本はもともと『道の文化』という本から採録された『塩の道』という文章と、『食の文化』という本から採録された『日本人と食べ物』という文章と、『日本人の知恵と伝統』という本から採録された『暮らしの形と美』という文章で構成されている。たいへんわかりやすい本だが、とても大事なことがふんだんに盛り込まれている。
人間にとって、とても大事な塩がどのように作られ、そして運ばれたのか、その研究が日本ではたいへん遅れているし、研究している人も少ない。
塩を煮詰めて作るという製塩法が、現在、化学的に作られる方法に取って代わられて、古来からの製塩産地が激減し、日本の塩の文化が失われつつあるため、塩と日本人との関わりを調べるのが困難になりつつある。
塩がこれほど大事であるのに、日本人にはそれに対しての認識が薄いのはなぜか。塩はエネルギーを生まないからだ、という指摘がある。エネルギーを生む物に対して古来日本人は霊的な物を感じたが、塩はエネルギーを生まないからではないか。穀物などには霊が宿るが、塩に霊が宿るとされる地域は日本にはなく、そのため伝承も記録も残されにくかったのではないか。
製塩のために使われた土器は朝顔型をしている。これは全国に分布して発掘されている。これに海水を入れて煮詰めたと推定されている。壊れやすいので大量に破片が発掘される。製塩法が発達し、鉄器も作られるようになり、鉄釜が使われるようになって、飛躍的に製塩量は増えたが、鉄は錆びるので塩が赤味を帯びてしまう。そのために白い塩を作る目的で石釜が作られて使われた地域がある。その石を削れるほどの鍛鉄が採れるのは、その目的にかなうマンガンを含む鉄の採れる近江地域だった、という話を木地師との関連で先日書き記しておいた。木地師の里のことが書きたくて、少し話が飛躍しすぎ、わかりにくかったかと思う。
ところで、鉄釜の錆による赤味付きの問題はどう解決されているのだろうか。そのことについての言及がこの本にはないので疑問が残ったままである。
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