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2025年1月 8日 (水)

こんなことがあった

 團伊玖磨の『パイプのけむり』シリーズをゆっくり味わいながら楽しんでいる。冊数を重ねるほど内容が濃厚に感じられるようになっていくのは、もともとクラシックの作曲家である著者が、文章家として成長しているからなのか、または彼の世界観に、読んでいる私が共鳴していくからなのか。

 

 こんな一節があった。

 

「こんな事があった。遠い親戚のような人から電話で、急に頼みたいことがあるので、銀座でお茶が飲みたいと言う。そこで指定の時間に指定の喫茶店に行ったら、モーニングを着込んだその人物が忙しげに現れて、すぐ自分に付いて来て呉れと言う。付いて行くと、そこは結婚式場で、いまや結婚の披露宴が酣(たけなわ)だった。その人物は、その宴の司会をしているらしく、こちらには何の説明もせずに、アナウンスをして、新郎新婦の将来を祝福して、自分の親戚の音楽家が駆け付けて来たので、これから、結婚行進曲を演奏させます、と言っているのである。魂消(たまげ)た僕が棒立ちになっていると、すでに拍手が沸き起こって、僕は、まったく名前も知らぬ新郎新婦に祝福の結婚行進曲を弾いた。無論、祝福の祈りをこめて弾いたけれども、こういう乱暴な依頼法を執るこの親戚のような男の頭脳構造は、一体どうなっているのかと考えた。その男は、呆然として帰った僕に、その夜電話を掛けて来て、有難かった、自分が面目を施した、面目を施した、と、自分の面目が立った事だけを繰り返して嬉しそうに電話を切った。」

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 こういう話を読んでどう感じるだろうか。いま並行して読んでいるドイツ文学者、中島義道の『人生、しょせん気張らし』(文藝春秋)では、他者との関わりを極力排する生き方を貫く姿勢が描かれている。独り暮らしの私などは、その偏屈さでははるかに及ばないものの、その生き方に共感する部分が多いし、團伊玖磨の生き方も、他者との関わりに対しての節度にひときわ厳しいところがあるので、こういう羽目にあってどれほど呆然としたのか、そしてどれほどの怒りと侮蔑の気持ちがわいたのか、想像する。

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