前回の具体例
前回のブログに書いたことの具体例を『巻末御免』の中から引用する。
『見ない書誌学』
我が国の苗字は多種多様なること諸国に冠絶し、薬袋と書いてミナイと読ませる姓もある。置き薬は信用して中身を見ないのを旨とするのに対し、学問一般は対象を見届けるに始まること常識であろう。いわんや文献の実体を調べ誤脱を訂すべき書誌学が、見ていない事柄を記載するなどありうべくもない。しかるに現代社会のお題目である省エネと経費削減の競争は労を厭い正道を避け手順を踏まず見掛けを装う見ない書誌学をもたらした。
松本勝久が『司馬遼太郎書誌研究文献目録』と偽称する定価八千八百円の書冊に刷られた「著作目録」は、国会図書館のオパック(opaqueか?それなら、不透明な写しか)その他に記録されているデータから、著作者の作品名書名を転写しただけの一覧である。松本勝久は司馬遼太郎の豊富な述作のどれをも自分の目で見ていない。むかし関所を避けて間道を行く者を関所破りと呼んだ。松本勝久の所業は関所破りであり、転記であり、謄写であり、編者の見たこともない文献を、本人の名の下に置き並べた詐欺であり、瞞着である。
大阪の西条凡児は、こんな話がおまんねんや、と語り出すのを常とした。松本勝久は、こんな記録がおましたんや、とのっけから明記する奸策により、誤脱錯繆乱脈は機器の入力に関係した職員の落度であり、我が責任に非ずとの意を籠めている。オパックを信用した経営体が火傷するのは自業自得であるものの、かりそめにも著書を成したものが我に責任なしと言いたてるほど、読者利用者を愚弄した例はかつてない。
作家の書誌を志す者が、例外なくもっとも苦労するのは、散佚(さんいつ)を常例とする随想の探索と集録であった。保存もせず記録もしなかった膨大な司馬遼太郎の随想を六百編以上も独力で発掘蒐集し、『司馬遼太郎が考えたこと』(新潮社)の編纂に貢献した山野博史の明細な書誌記述からの転記をもって、松本勝久の偽装書誌は外面が整った。松本勝久は挨拶して闖入した無恥名声欲の窃盗犯である。
どうです。強烈でしょう。
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