雨に降られた記憶がない
昨晩は久しぶりにシミュレーションゲームなどをしていたら、夢中になって夜更かししてしまった。おかげで朝寝坊である。
今日、一月十五日は旧の成人式の日。そして息子の誕生日でもある。出産のために実家に帰っていた妻が産気づいたというので、車で病院に運んだ。そのころは休日で仕事ではなかったから、それができた。病室に運び込み、「立ち会いますか」と聞かれたが、外で待つことにした。看護師の励ます大きな声などが聞こえていた。さいわい安産で、運び込んでそれほどたたずに産声が聞こえた。
息子が生まれた年の年末に名古屋に転勤したので、毎年この一月十五日に家族で熱田神宮にお参りすることにした。それ以来四十年、よほどよんどころない事情がない限り、お参りは欠かさない。この日が休日でなくなったころには、自分が「毎日が休日」になっていたから問題ない。もちろん今日も行くつもりである。
先週の天気予報はあまり芳しくなかったが、さいわい雨に降られる心配はなさそうだ。このお参りの日に傘をさしていた記憶がない。雨に降られた記憶がないのだ。子供たちが小さいときには、お参りしたあと家族でウナギを食べたりした。ひとりでお参りするようになってからは、金山まで行き、駅前のボストン美術館に立ち寄ったり、大須の電気街をぶらついたりしたが、そのボストン美術館もなくなってしまったので、いまはとんぼ返りである。電車で乗り換えなしで行けるから有難い。
インフルエンザなどにかからないよう、マスクを忘れないようにしようと思う。今日は風が少し強く吹きそうだ。
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