立ち位置の自覚
拙ブログにいただいたコメントへのお返しを考えていて、おぼろげだったことに少しピントが合った気がした。このブログに、新聞というマスメディアの凋落、そしてテレビというマスメディアの凋落の兆しについて感じていることを何回か書いた。テレビ、特に民放のCMの氾濫は、私には常軌を逸している様に見える。新聞のCMなら読まなければ良いが、テレビのCMは、リアルタイムで見るときには避けようがない。貴重な時間を奪うから、ただほど高いものはない、と書いてきた。
テレビ局は多すぎて、CMの費用対効果は低下しているだろうと想像する。フジテレビの騒動をきっかけに、提供会社がいっせいに引き上げたのは当然の成り行きで、これはたぶん他局にも利がなく、却って波及するのではないか。貧すれば鈍するで、番組内容もさらに劣化していくかもしれない。そもそも芸人やタレントについての幻想から醒めればテレビそのものの虚像が明らかになってしまう。タレントや芸人に人格的な完璧さを求める、などという倒錯した追求が芸能レポーターもどきの記者たちの騒ぎに見られて見苦しい。
記者会見でフジテレビを糾弾する記者たちの、当の本人が同じマスメディアに属するもの、という自覚があったのだろうか。今回の騒動のさまざまな言説に接するとき、なるほどと思うものと不快に感じるものとの差を考えると、自らの立ち位置を自覚して発しているかどうかがあるように思う。前回のブログで、自己顕示欲の観点から記したが、マスコミで語る者たちの、同時に自分とは何者か、なにに属しているのかという自覚があるかないかも重要なことの様に思う。それがないのに正義の味方を標榜して居丈高になっているのを見せられるのはうんざりする。もうこの件については見飽きた。
こんばんわ!
俺もあのニュースにはうんざり、見る気もしませんでした。もう10時間もこの
ことで時間をとったようで・・・国会のニュースも報道なしで・・・日本も呆れた
国になったものです。
投稿: でんでん大将 | 2025年1月29日 (水) 19時48分
でんでん大将様
日本全体が呆れた人ばかりになったと云うことではなくて、呆れた人がのさばる様な世の中になっていると云うことなのでしょう。
投稿: OKCHAN | 2025年1月29日 (水) 20時46分