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2025年2月

2025年2月28日 (金)

めでたく復活

消失していたブログの記事が復活していた。なくなったからといって自分で書き直すのは面倒なもので、腹立たしくもある。めでたく復活したのはありがたい。別に消失させたりしなければよかっただけのことではあるが。

お気に入りにリストアップしている方たちのブログも、これから改めて拝見して回ろうと思う。

2025年2月27日 (木)

帰ってからが忙しい

 宿からの帰り道、馬瀬川に沿って南下するのだが、途中からダム湖の形に沿って縁を走ることになる。日向は良いが日陰の部分は、山からの雪止め水が道路に流れ、それが夜間に凍結しているので滑る。それと橋の上があぶない。その辺はゆっくりと慎重に走った。そして予想通り、小牧インターあたりを通過するときにはたくさんのトラックがあふれて渋滞していた。それでも昼前には我が家に無事到着した。今回は娘には連絡していないので土産は無し。自分には湯の華の入浴剤を土産に買い、大好きなトチの実せんべいに手が出そうになったが、つい食べ過ぎて糖尿病に良くないので、今回は我慢した。

 

 どこにも出かけず、ほとんど浴衣で過ごしていたので洗濯物は少ない。持参したものを整理し、収納し直してさっぱり、といきたいところだが、出かける前にレイアウトを変えかけた寝室がごちゃごちゃになったままである。今日はスカスカになっている冷蔵庫の補充のための買い出しをして、そのあと寝室を本格的に片付けなければならない。かなりいじるので、明日までかかるなあ。

 

 さあ、今日からすべてひとりでする日常が始まる。南のベランダ側と、北側の寝室の窓を開け放ち、空気の入れ換えをする。暖かいからありがたい。ブログは、消滅しているものが復活してから岩屋ダムと馬瀬川についての写真で旅の締めくくりとするつもりである。

耳障りな話し声

 静かであることが取り柄の宿に泊まっている。隣室の物音が多少聞こえることもあるが、一時的なものだから気にならない。それが、昨晩は隣の部屋の話し声が気になって、夜中過ぎまで眠れなかった。話し声がやんだのが深夜一時過ぎで、そのあとようやく眠りにつくことができた。女性がひとり、止めどなく繰り言のようなものを喋っているようである。ときどき男の声らしきものがそれに応じている。さらに別の女性がなだめているような声が混じる。最後は延々と喋り続ける女性の声だけになった。誰も相手をしなくなって、しばらくしたらさすがに疲れたのだろう、静かになった。やれやれ、と思ったら、また声がする、という繰り返しだった。

 

 隣室のさらに向こうの部屋からであろう、どーんと壁をたたくような、けるような音が何度かした。私もそうしたかったが我慢していた。あまり音が聞こえないはずのところから聞こえるというのは、小声ではなくて普通の音量で声を発しているのである。深夜にそんな話し方で止めどなく話すのは異常である。ほとんど狂人である。まさかと思い、最初、自分に幻聴でも聞こえているのかと思ったほどだ。しかし耳を塞ぐと聞こえなくなるのだから、幻聴ではない。

 

 ひどい目に遭った。今日、自宅に帰る。

 消滅したブログの記事は今日中に復活する予定だそうだ。無事復活すれば良いけれど・・・。

2025年2月26日 (水)

記事が消えている

直近のブログの記事がいくつか消滅している。ココログ側のメンテナンスの作業によるものと思われる。復活するだろうか。

いつも拝見する方のブログも、昨日見たものがみな消えているようで、私のブログだけの問題ではなさそうだ。

雪が降り出す

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昼前、宿の部屋から見えている景色。今日はときどきこうして雪が降る。気温はそれほど低くないから積もる気配はない。風情があると云えばある。朝は正面の山の上から太陽が出たのだけれど。

休むほど疲れる

 貧乏性ということではないが、温泉でゴロゴロしていて心身を休めているはずなのに、休むほど疲れが体の中から浮き出してくるような気がする。凝り固まった何かが少しずつふやけて剥がれ落ちてくるような感じだ。これを一週間ほど続けると、かなり悪いものを吐き出せるように思うのだが、いつも中途半端である。湯治をしようと思うなら、せめて半月は必要なのだけれど。

 

 テレビはまったく見ない。当然ニュースも見ない。持参したパソコンからネットのニュースは断片的に見ているが、特に大きなニュースはないようでけっこうである。当地(岐阜県中央部あたり)は、昨日は晴れていたが、今日は曇り空。食事のときにチラチラと白いものが舞っていたが、積もるような気配はない。六時半過ぎに夜明けのはずなのだが、山に囲まれているので、その山の間から太陽が覗くのは七時頃である。雲間から少しだけ太陽を拝んだ。

 

 宿の食事は、朝の方が盛りだくさんである。つい食べ過ぎる。宿泊客は今日もそこそこいて、老夫婦が二組ほど、白人夫婦、中年夫婦、その他若い人たちの二人連れが何組かいる。ペアだったり、女性ふたり、男性ふたりだったりする。他に私を含めて男性ひとりというのも何人かいる。みな食事のときも静かだ。たしか風呂には子供連れがいたけれど、あれは日帰りの客だったのか。

 

 明日帰る。こうして気ままに車で出かけられるのも、せいぜいあと五年が好いところだろう、どこというあてはないが、帰ったらまたどこかへ行きたい気がしている。

2025年2月25日 (火)

巨石群

金山町で郡上方面にまず向かうと、郡上への道は通行止めである。除雪が仕切れていないのか、崖崩れでもあったのか。ただ目的地である馬瀬川に沿って遡上する道は問題なく走れると案内板が出ていた。途中の岩屋ダムの手前に巨石群があることは前にもブログに書いた。このままだと早く宿に着きすぎるので、立ち寄ることにした。

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岩屋岩蔭遺跡。

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案内板。巨石には意味があることが判明してきたらしい。

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大きな石にはいうまでもないがパワーがある。

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この石が、たまたまここにあるのではなく、位置などに意味があるとは不思議だ。

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雪が残っている石もあった。

石にパワーをもらい、満足して次は東海地区の水瓶のひとつ、岩屋ダムに向かう。通り道である。

持参

 今回は湯治のつもりなので、同じ宿に三泊する。どこにも出かけないつもりだ。昨日までと打って変わって今日は暖かく、暖房も要らない。雪は一気に融けてしまうだろう。宿は何度も泊まっているので、浴衣も特大が用意され、好みも飲み込んでくれているのが嬉しい。ただ、昨晩の食事は多少物足らなかった。以前より一品か二品少ない気がした。今晩は少し高いコースに料理を変更してもらった。

 

 そこそこの数の客が泊まっていて、その中に六十代後半に見える白人夫婦がいる。食事のときに一緒になるので挨拶だけする。とても静かな人たちで、食事のときの会話も小声である。日本食を食べ慣れているのだろうか、困った様子もなく宿の食事を楽しんでいるようだ。もう少しことばがしゃべれれば話しかけて、どこから来た人か訊くこともできるが、それが叶わないのが残念だ。ただ、静かな人たちだからそっとしておくのが礼儀なのかもしれない。

 

 ゴロゴロしながら読むつもりで持参した本は九冊。すべて文庫本だからそれほどの荷物にはならない。もちろんすべて読み切ることなど無理だ。最低三冊、できれば五冊は読みたい。小説は一冊もない。エッセイが三冊、評論が五冊、民俗学の本が一冊に、日本の妖怪についての本が一冊である。読みながらうとうとして、世界はぼんやりと霞んで、頭の中はすでに春である。

白川

 七宗町を過ぎて国道41号線をしばらく走ると、白川である。白川といっても白川郷とは別で、ここは白川茶で知られる。道の駅があって、私もときどき立ち寄ってお茶を買う。この道の駅ではそこそこおいしいミニコースの洋食が食べられた。妻が入院している間、ときどき子供たちの面倒を見に来てくれていた母をドライブに連れ出したときには、ここで昼食を摂るのを楽しみにしていた。改装したあと、そのレストランはただの食堂になってしまい、以前と比較してしまうので、客あしらいも含めて正直あまり好みではないが、今回はここで軽く昼食を食べた。駐車場の奥に飛騨川が望める。

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これだけの景色だが、好きな場所である。風が冷たい。

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アップにする。褶曲が見て取れる。

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さらにアップする。

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ここに「天心白菊の塔」が移されていた。台風でバスが飛騨川に転落し、たくさんの犠牲者が出た。その慰霊のための塔で、実際は飛水峡の方が現場である。そこにこの塔は置かれていたが、いまそのあたりは工事中なのでこちらに移されたのだろう。ただ、この様子だとこれからもこのままかもしれない。

この先、金山町というところを通る。そこから郡上方面へぬける道があり、分岐すると馬瀬川沿いの道に行くことができる。岩屋ダムのダム湖沿いの道で、アップダウンがあるし、雪があったり凍結している恐れがある。しかし白川で眺める山はまったく雪がないので、遠回りではなくてリスクのありそうな方を走ることにする。あぶなそうだったら引き返せば良い。

2025年2月24日 (月)

飛水峡

雪がなければ宿まで二時間半もあれば行ける。少し余裕を持って出かけようと、11時前に出発した。国道41号線を北上する。いつもは小牧インターの前後でトラックの渋滞があるのだが、今日は振替休日なのでトラックが少なく、流れが良い。たちまち犬山をすぎて木曽川を渡っていた。

美濃加茂をすぎると飛騨川沿いに北上することになる。七宗町からは飛水峡とよばれる景勝地で、その景色が目を楽しませてくれる。

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飛騨川が岩石をえぐって渓谷美を作っている。後ろの山を見てわかるように、山に雪がない。

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少しアップにする。国道41号線は、北上する車は少なくて、反対側の南下する方、名古屋へ向かう側は車が多い。三連休を楽しんだ人たちが帰る車であろう。

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この辺には甌穴群があるのだが、下りる道は崩れかけていて降りられない。

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この地層のせめぎ合いの痕跡にはいつも惚れ惚れする。

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地殻の動きは岩石をこんなふうに押しひしぐのだ。

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飛騨川の流れが地層の断面を見せてくれている。すごいなあ。

このあと何カ所か立ち寄ったが、それはあとで報告する。

とにかく予定よりだいぶ早く宿に入り、風呂上がりのビールを飲みながらこのブログを書いている。

淡雪

 今朝六時頃起きて、まだ暗い外を見たら、車の屋根や中庭の砂地になっているところがうっすらと白い。夜が明けたら、晴れたり曇ったりで、雪はもうちらついていない。日が昇るとともに白いものはたちまち消えてしまった。

 

 今日、下呂郊外の、馬瀬川沿いの温泉に出かける。この何年か、ここが私の湯治場である。日帰り温泉も営業している。三時間もあれば行けて手頃だから、日帰りでも好いのだが、高台にあって静かだし、部屋は広いし、食事もそこそこおいしいので、ゆっくりと過ごすのに適当である。東北まで湯治に出かけることを思えば割安でもある。

 

 飛騨地方は大雪だと報じられているので心配で、宿に連絡したら、スタッドレスであれば問題ないとのこと。積雪はそんなにないが、凍結している場所には気をつけるようにということであった。長良川水系はもともと積雪が多いところで、そちらは今年1メートル前後の積雪があるようだが、飛騨川、馬瀬川水系はそれほどの積雪ではないようだ。

 

 いつもは長良川沿いの景色を楽しみながら、郡上から山越えをして馬瀬川水系へ行くルートを走るが、今回は遠回りになるけれど、国道41号線沿いに北上し、下呂の先、飛騨萩原から馬瀬川水系へ回り込む道を走ることにする。ここも山道だが、道幅は十分あるしアップダウンも少ない。

 

 本を何冊か、そしてパソコンと着替えをリュックに詰め込んで出かけることにする。いまごろはもう美濃あたりを走っている頃だ。

歴史の教訓

 第一次世界大戦の敗戦後に、ドイツが巨額の賠償金にあえぎ、その中でヒトラーナチスが国民的な熱狂の中で擡頭していく様子と、その時に、日本をはじめとする世界の他の国々がどのようであったのかも含めて、映像にした番組を見た。歴史に「もしも」を考えることもときには必要で、第一次世界大戦の教訓が生かされずに、あのような悲惨な第二次世界大戦がなぜ起きてしまったのか、いろいろと考えさせられた。

 

 そうしていま、世界はどういう状況にあるのか。必然の中を生きている、と世界のリーダーたちもそれに従う人々も考えているのだろうけれど、じつは大事な分岐点を選択しているのが自分であることをもう少しよく考えてほしいものだ。そしてその選択には歴史の教訓を生かしてもらいたいものだが、歴史そのものから学ぶことに怠惰なものばかりのように見える。

 

 二度あることは三度ある。三度目のあとには四度目もあるのだろう。人類は増えすぎると暴走するように宿命づけられているのかと悲観的になる。

2025年2月23日 (日)

収拾が付かなくなる

 寝室兼遊び部屋にしている北側の部屋のレイアウトを考えていたら止まらなくなり、あちこち動かし始めたら収拾が付かなくなって寝る場所がなくなってしまった。捨てるものを捨てずに何とかしようとするから無理があるのだ。わかっているつもりでわかっていない。歳をとってもちっとも賢くならない。どうしよう。

好いドラマを見た

 NHKの『リラの花咲くけもの道』(全三回)のドラマを見た。なかなか好いドラマであった。特に主演の山田杏奈という女優は、少し前に『ゴールデンカムイ』という映画とドラマでアイヌの少女を演じていて、好感を持ったが、今回のドラマで本物の女優だと思わせてくれた。大型の動物を扱うドラマや映画では、触れたりその世話をしたりを自然にするのはむずかしいものだと思う。臭いはするし、排泄物などで汚れたものを始末することなどは、なかなか自然にできないものだが、それに正面から向き合って無理がなかった。

 

 裸になったりベッドシーンを大胆にすることよりも、たぶんこういうシーンを自然に演じて、みている人間にその場に立っているかのように感情移入させるのははるかにむずかしいものである。さすがである。好きな女優としてリストに追加しようと思う。

 

 このドラマの出来が良いと思ったのは、登場人物たちの人生の、過去が、現在が、未来が想像できるように描かれているからだ。なにも抱えていない人などいない。抱えているものでその人に厚みというか、ふくらみが加わる。なにも悩みのない、たまたま運良く人生順風満帆な人が、度しがたい傲慢さを見せることがあるということを、繰り返し私は述べてきた。他人の痛みがわからない、想像することのできない人の、そんなしあわせな人生(じつはふしあわせ)はドラマにならない。

こちらの方がうんざりする

 トランプ大統領が、ロシアの軍事侵攻をめぐるウクライナのゼレンスキー大統領の対応を「もううんざりだ」などと改めて批判したそうだ。理由は、交渉のためのカードが無いからだと語ったと報じられている。あげくのはてに、ゼレンスキーは独裁者で、彼がロシアに戦争を仕掛けたなどと言ったらしい。

 

 交渉のカードが無いとは何事か。ウクライナの戦争でアメリカは損をしているという考えであり、今後見返りがなければ援助はしない、と身も蓋もないことをいっているらしい。ましてや、経緯を知っていれば、どちらに正義があるかどうかは別にして(立場によって違うことはある)、戦争を仕掛けたのがウクライナ側であるというのは事実に反する。

 

 しばしばトランプ大統領は、わかっていながら事実に反することを言い立て、わかっていながら交渉のための暴言を吐いているのだ、などとわかったような解釈がされてきた。しかしそのまま彼の言動を見聞きすれば、何でもかんでも損か得かでしかものが考えられず、吹き込まれれば嘘でもコロリと信じる知性の足らないただのバカとしか思えない。

 

 「もううんざりだ」というのは、彼に振り回されているまともな人たちであり、戦火に苦しむウクライナの人々の方であろう。私ももちろん「もううんざりだ」。トランプとともにアメリカは泥沼に踏み込みつつあるように見える。身から出た錆だが、巻き添えにされるのかなわない。

2025年2月22日 (土)

よみがえる

 四十代の後半頃から、まだ生活にゆとりがあったわけではないが(というより妻が入退院して医療費がかかるうえに子供の教育費もかかって苦しいくらいだった)、多少の無理をしてほぼ毎年のように海外旅行に行った。ひとりで出かけるのはたいてい中国か台湾で、途中から友人たちとも年に一回ずつ出かけるようになった。

 

 五年ほど前のトルコ旅行が最後の海外旅行となった。その翌年にいつも一緒に行っていた友人のF君が亡くなり、コロナ禍もあって、出かける機会を失い、さらに体力の低下を自覚してのことだった。それに、ひとりで出かける先の中国が豊かになるとともにおかしな国に変貌し、私の行きたい国ではなくなってしまったことも大きい。行きたい場所はまだまだたくさんあったが、中国人があふれかえるようになってしまって、ゆっくり楽しむことができない。

 

 それでも、過去に使ったことのある二三の旅行会社からツアーの案内の冊子が送られてくる。それをパラパラとめくり、過去行ったことのある場所のルートをたどってその景色などを思い出したりする。そして行きそびれたところに思いをはせたりもする。

 

 テレビで紀行ものの番組を見るのも好きだ。行ったことのある場所や行きたかった場所だったりすれば、自分がその場にたっているような気持ちになることもある。しばらくぶりに自分で撮った写真を見直して、その旅のときにはあっさり見逃していたものを、その空気を、痛切に思い返したりしている。一体何を見てきたのだろうと思ったりしている。

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ないものを隠す?

 米価が高止まりしている。昨年の米の生産は平年作だったので、価格が高止まりしているのは流通段階での供給が滞っているからであると農水省は説明している。つまり、農水省は買い占めや売り惜しみが行われていると言っているのだ。そう言いながら、備蓄米の放出についてはだらだらと先送りしているのはどうしたわけだろうか。備蓄米を放出すれば価格が下がるのは子供でもわかる話で、それを先延ばしにするのは、米をため込んでいるという悪辣業者が損をしないようにしてあげようとするためだろうか。

 

 先日のプライムニュースで、この問題が取り上げられていた。専門家は、農水省の言う、流通の場所で滞っているお米などそもそも存在しないのだという。それを聞いてなるほど、と思った。何しろ悪徳業者の悪事を暴いて白日の下にさらすのが大好きなマスコミが、これこの倉庫にこれだけお米が積まれています、などという報道が全くないのが不審であった。何十万トンの米が滞貨されていれば、隠しようが無い。探せば必ず見つかるはずのものが見つからないから、マスコミも騒ぎようが無いのだろう。

 

 単純に昨年の時点でお米の消費が急増したので足りなくなっただけのことで、その時点で適切に対処しなかったから値段がつり上がってしまっただけなのである。小麦の価格が高騰(円安、ウクライナの戦争などの影響による)し、パンや麺類よりも米の方が割安感があって、需要が増えたときに、これで米価が上げられる、とほくそ笑んだ農水省が読み違いをしただけのことのようだ。足りないのに例年通り備蓄米として二十万トンを吸い上げたりするから不足に拍車がかかり、暴騰しただけのことで、農水省が原因の価格高騰である(たぶんJAとグルであろう)。それを他人のせいにしているのだ。

 

 そもそももうけようと思っている業者がいるとしたら、備蓄米が放出されるという話しに敏感に反応して、すぐに市場にお米があふれ出すはずである。しかしどこの小売り業者にもそのようなお米が持ち込まれたというニュースはない。高値で売らずに、下がるのがわかっていて抱え込む悪徳業者がこの世にいるものか。

 

 国民はあの昭和四十八年の大騒ぎのときのように騒ぐこともなく、冷静に「高いなあ」とぼやいているばかりで、誰かを糾弾しようとしていない。マスコミがあおらないからではあるが、あおりようもないのだろう。

白いものがちらついている

 今朝は薄日が差しているが、よく見ると白いものがちらついている。これから気温が上がるから積もるようなことはないだろうが、今年は本当に寒い。雪国は大変だろう。単身赴任で金沢に足かけ十年ほど暮らしたが、今年のような雪の多い年もあった。その時のことを思い出したりしている。岐阜の山間部は雪が降り積もり続けているようだ。来週下呂、それも少し山の方へ行くつもりだが大丈夫だろうか。明日あたり宿に様子を聞いてみようかと思う。

 

 洗い物をするせいか指先がカサカサになり、親指の縁がひび割れして痛い。料理を作れば洗い物は必ずしなければならず、つい簡単なものだけにしてしまう。昼はスーパーの弁当でも買ってくることにしよう。そんなわずかなことで気分が晴れない。文明人は痛みに弱いのだ。大病でもしたらたぶん意気地の無いことになりそうだ。せいぜい養生に努めなければ。

2025年2月21日 (金)

車を走らせる

 先月は妻の病院へ行ったのを最後に、そのあと一月あまり車に乗らなかった。冬にあまり乗らないでいるとバッテリーがダウンする心配がある。むかしはそうだった。昨日は月に一度の妻の病院へ行くのに久しぶりに車を動かしたら、何の支障も無かった。いまの車は良くなっているようだ。

 

 ちょっと心身が煮詰まっているようなので、温泉で休養するために、来週はちょっとだけ下呂の山奥に泊まりで遠出することにしている。雪はギリギリ大丈夫ではないかと思うが、その日にならないとわからない。もちろん連休は外す。温泉で雪を見ながら読書三昧をするつもりである。だから連泊する。

 

 しばらく運転しないでいると、山道などを走るのが不安だ。そこで本日は少しだけ海までドライブをした。最初は極力スピードを控えめにして、運転だけを楽しむ。行き帰り三時間ほどのドライブで、運転の勘は取り戻せたようだ。カメラは持参したが取り立てて撮りたいものがなかったので、結局撮らず。代わりに魚を買って帰ったので、それで晩はおいしい酒をいただくことにする。

どうしてバカなのか

 バカはどうしてバカなのだろうか。

 

 自分がバカだと気がつくことができないからバカなのである。

 

 トランプを見ているとそのことがよくわかる。しかし、アメリカはそのバカを必要とした。世界も必要としている。

 蛇足ながら付け加えれば、私は自分がバカだと、ほんの少しだけ自覚しているウスバカである。バカではなくなりたいと願っている。ただし、世界は私を必要としていない。

日高義樹『米中時代の終焉』

 日高義樹の『米中時代の終焉』(PHP新書)という本を再読した。まさに米中時代のさなかではないか、と思われるかもしれないが、アメリカも中国も、自身に内包する要因によって、すでに衰退に向かってるというのが著者の見立てである。これが書かれたのは2020年の夏前であり、まだトランプ1.0の頃で、のちにバイデンが勝つことになる大統領選の最中であった。そしてコロナ禍がまさに猖獗を極め始めた時期でもあった。その時点でこの本を読んだのだが、今回処分しようとして、ではこの本の見立てと現在がどれほど的確であるかどうかを見てみようと思って再読してみた。

 

 日高義樹はアメリカの軍事面をベースに世界情勢を概括する。彼は日本やアメリカのその分野に豊富な人脈をもっているのだ。彼はトランプに好意的である。それは人格面から見るという視点からではなく、世界をリアルな力関係をもとに把握するからである。そして人格的に問題があるトランプという人物がアメリカで力を持った背景を必然的なものと見る。そのアメリカでトランプに公然たる造反が起きていることがアメリカの危機であると指摘する。

 

 それから四年半、再びトランプが大統領になった。トランプが自分に反対する勢力を自分の周辺から徹底的に排除しつつあるのは、一期目のときの教訓によるものであろう。それはアメリカの弱点を少しでもなくそうというトランプの意志であろうが、はたしてそれがアメリカにとって良いことなのかどうか。アメリカの知性の否定となっているように見えるのは、こちらがアメリカのマスコミに曇らされているからだろうか。

 

 この本ではアメリカのマスコミの想像以上の偏見偏向が問題点として挙げられているが、アメリカだけではなく日本のマスコミも、正義の名の下に劣化していることをいま目の当たりに見せられていることを思う。

 

 さらにこの本では習近平の誤謬が中国そのものを隘路に追い込んでいく様を指摘していて、たしかにそれが中国を弱体化させていることが結果に現れていることを思う。こういう本の読み方もおもしろい。以前は長谷川慶太郎の本をよく読み返したものだ。

2025年2月20日 (木)

多弁家

 山口瞳の本を読んでいたら、こんなくだりがあった。

 

 多弁家に罪ありとするならば、「聞き上手」でないということである。相手の言うことを聞いていない。それと、喋りだしたら止まらなくなる傾向がある。自分のことを言う。自分の言いたいことだけを言う。そうでないと満足しない。

 

 読んでいて、あの人、この人を思い出した。そして自分のことを思った。

万博

 大阪万博がまもなく始まる。前回の1970年の万博のときは、楽しみに待って待って、三月の開幕直後に弟と行った。私は大学生で、弟は高校に入学が決まったばかりのときだった。かなりのハードスケジュールだったが、思い出に残る万博だった。

 

 しかるに、今回の万博には期待する心があまりない。歳とともにそういう好奇心が衰えたということはあるのだろうが、それ以上に万博に向けての盛り上がりがあまりにも欠けている。何より今回の万博のキャラクターのミャクミャクとやらいうものに、私は親近感をまったく感じない。こんなものを択んだことがそもそも失敗だとすら思っている。そのセンスに呆れる。

 

 キャラクターは大事だと思う。そのキャラクターに対して、誰がどれだけの親近感を持ったのだろう。シンボルがぼけていれば催し物は盛り上がるはずが無い。世界中がこの万博に何かを期待するというのだろうか。

 

 維新は万博の失敗によって威信を失墜する。国民は誰もそのことに痛痒を感じない。ミャクミャクとはなにをシンボルとしているのだろうか。未だにまったくわからない。その予測が外れればさいわいである。

2025年2月19日 (水)

都合の良い公平

 アメリカでは石油や天然ガスが売るほど採れる。穀物も売るほど採れる。その上ドルが基軸通貨であることから、ドル札を刷ればいくらでも金が湧いて出る。

 

 二十世紀初めごろから、世界の経済は石油をジャブジャブ使うことで廻るようになっていた。当然のことに、石油のふんだんに出る国がとてつもなく有利になる。石油によるもうけはその国全体を潤せば良いが、特定の人のみがその恩恵を受けた。すべてが不公平であって、それに怒りを覚え、何とかしようとして起きたのが二度の世界大戦だったという見方ができないことはない。

 

 それらのアンバランスの恩恵を最大限に受け続けたのがアメリカだ。アメリカ国民の生活は他の国がうらやむような豊かな暮らしであって、アメリカ人以外は何とかそのような暮らしができるように努力し続けた。この世の理(ことわり)は格差を是正するように働く。大金持ちは必ずいつか没落し、大帝国は必ず瓦解する。格差こそが崩壊のエネルギーなのだ。

 

 努力し続けた貧しい国は、その努力に見合うだけの生活の向上を享受する。日本がそうだったし、韓国も中国も東南アジアもそうだった。アメリカはどんな努力をしたのか。アメリカが優位である分野はアメリカが努力した分野であろう。アメリカが劣位にたっている分野は、アメリカが努力を怠った分野である。豊かな暮らしを続けるためには高給が必要で、高給の労働者を抱えた企業が世界を相手に戦うのは困難だろう。

 

 トランプは再びアメリカを偉大にするという。偉大とは何か。アメリカ国民が世界をうらやましがらせた、アメリカだけが豊かな時代に戻すことであろう。世界に奪われたものを取り戻す、というのがトランプの言い分である。しかし、アメリカが失ったものとは、他国が奪ったものではなくて、アメリカ自身が自ら失ったものではないのか。

 

 トランプが不平等だ、不公平だと言い立てているものは、トランプの無知から出た理不尽な言いがかりにすぎない。そんなことはみんなわかっている。多少は知性のあるアメリカ人もわかっている。ただ、トランプとその支持者にそれを理解させるのは絶望的に困難なようだ。

欲があるのは

 欲があるのは生きている証のようなものだ。食欲がなくなれば生命力の低下が懸念されるように、欲が無いのは生命力の衰えであろう。何も欲しくないようになったらおしまいである。ところが、仏教の悟りの世界はそのような欲望の囚われから離れることを出発点にするようである。生命そのものを客観視することが悟りには必要なのだろうか。快楽主義者のエピクロスは、すべての欲望から自由になった状態こそが自由で快適であると主張する。無上の快楽とはそのような自由な境地のことを云うようである。

 

 その欲望に囚われている自分を、他人の目で見て苦笑いしながらその囚われを生きる。人間というのはそんな生き物で、なまじ知能があるゆえに苦しむこともある。

 

 欲しくても手に入らないものを求めたりする。永遠の生命を求めたりする。死ぬことが定められている存在ではあるが、子孫を残すというのは、その永遠のいのちを求める欲を満たすために与えられた手段なのかもしれない。

 

 それなら少子化とはそういう無意識の欲望の衰えと云うことだろうか。自らの個体の欲望を最大にするために、種としての無意識の欲望を放棄する。つまり種の生命力の衰えで、人類は滅びに向かっているのであろうか。そしてその継承を子孫ではなく、AIに託そうというのだろうか。

欲しいもの

 小田井オーディオという、その趣味の人に知られた高級オーディオを販売している店があって、オーディオマニアの弟が行きたいといい、案内してくれる人がいたこともあって今月初めにそこへ行った。そこのオーディオルームで、アンプとスピーカーなどを併せて二千万円するというセットで音楽を聴かせてもらった。空間が別の世界に変わったような気がする音を聴いた。

 

 それ以来、我が家の遊び部屋のオーディオで聴く音楽が物足らなく聞こえて困っている。アンプは二十年以上前のAVアンプ(それでも当時としてはかなりハイレベルのもの)で、スピーカーは三十年以上使っているダイアトーンで、デジタル音楽を聴けばクリアでそこそこの音だと思っていたのに、比べる相手が悪すぎる。

 

 オーディオ専用のアンプが欲しい。デジタル向けのスピーカーが欲しい。ネットでさまざまなメーカーのアンプやスピーカーを調べては溜め息をついている。アンプはストリーミングができるネットレシーバータイプが欲しい。それならメディアなしでいろいろな音楽が聴ける。近所迷惑にならないために、どうせそんなに大きな音で聴けるわけではないから、パワーよりはハイレゾのクリアさを感じたい。安いものなら買えないことはないけれど、それでもそのあとの緊縮生活は必須だから、それに見合う満足があるのかどうか、もしかしてがっかりするのではないかと不安でもある。いろいろスペックを見比べて、いまは夢を楽しんでいるところだ。

2025年2月18日 (火)

永井荷風『狐』

 私は子供の頃、夜が怖かった。子供の時ほどではないけれど、いまでも夜の闇は怖い。もちろん自分の家にいれば、夜だろうが闇だろうがどうということはない。

 

 リタイアしてすぐの頃だから十四五年前、宿も決めずに山陰を旅して、出雲の日御碕というところで立ち寄った土産物屋が民宿もやっているらしいので、そこに泊めてもらうことにした。おばあさんふたりで切り盛りしているらしく、泊まってみたら中はTの字になっていて、一階二階で三十部屋くらいある。私は二階の一番奥の部屋だった。そこからは日御碕灯台が見え、煌々とした月明かりも入ってきた。他に誰も宿泊客はなく、しかも部屋部屋の半数は板が打ち付けられて使えないようになっている。 便所はTの字の交点にある。廊下はほとんど真っ暗である。

 

 夜が深々と更けてきて、夜にしっかり飲んだビールで便所へ行きたくなった。灯台は明るいが、だからこそ却って廊下の暗さが不気味である。いろいろな妄想が頭に浮かび、便所へ行くのが怖かったが仕方が無い。用を済ませたあとも、なんだかぐっすり眠れなかった。おばあさんふたりが包丁を研いでいるような気もした。

 

 私の父は豪胆と云うほどのこともないが、夜の山道でも平気な方で、夜の闇を怖がる私を笑った。世の中には怖がりとそうでない人とがいる。

 

 今回永井荷風の『狐』を読んで、そういう闇、暗がりの怖さというものについての記憶がよみがえった気がする。荷風の父親は私の父と同様、闇も夜も怖くないようであったが、子供時代の荷風は想像力が豊かだったから、いろいろなものが見えたであろう。私にもそれが感じられたような気がする。その文章の描写力はさすがである。

 

 山の中で気ままな独り暮らし、などというのに一時期憧れたものだが、よく考えたら山中の夜をひとりで過ごすのは今でもいささか怖いから、無理であろう。

男のこだわり

 処分するつもりの本が少しずつたまって、段ボール箱に五つほどになり、もう手持ちの箱がないので重ねた本のうえにさらに山になっている。その本を眺めていると、山口瞳の本が十冊ほどあって、つい拾い読みするとそのまま読み始めてしまった。

 

 『男性自身 生き残り』という本である。これはシリーズの一冊で、エッセーともつかず小説ともつかず、どちらでもある本なのだが、著者の山口瞳の生き様を自らが自嘲しながら書いていて、しかしそれは自己卑下ではなくて自分のこだわりに自らが縛られている様子をユーモラスに書いた本なのである。いわば男のこだわりにあふれた本で、思えば團伊玖磨の『パイプのけむり』シリーズも、團伊玖磨の生き方のこだわりを書いた本であり、山口瞳が敬愛する「先生」たるドイツ文学者の高橋義孝もいろいろ随筆を書いているが、山口瞳以上に生き方のこだわりにあふれている。

 

 そもそも私にエッセーの面白さを教えてくれたのは伊丹十三の著作からで、これも生き方のこだわりにあふれている。また、内田百閒、奥野信太郎、江國滋、諸井薫、と次々に好きなエッセイスト、随筆家を挙げていけば、ことごとく生き方にこだわりを持っている人ばかりだ。男のこだわりとも云うべきそれらは私の憧れである。女だってこだわりはあるだろうが、私は男だから女のこだわりに憧れると云うまでには至らない。

 

 憧れるのは自分も真似をする、ということへ導きかけるが、なかなかとってつけたこだわりというのはすぐメッキがはげて却ってみっともない。こだわりというのはときに面倒なもので、自分を制約する。その制約の面倒を承知でこだわるのが男のダンディズムなのだろう。

 

 それにしてもこんな事をしているのでなかなか本が処分できないし、並行して読み進める本が多くなりすぎてますます収拾が付かなくなっている。

続けなければ

 昨日の未明に右足の脛(はぎ)がつって、しばらくつったままだったので一体どうなることかと思ったが、だいぶたってからおさまり、すーっと痛みが解消した。このところ足が冷えると云うことがなかったのに、前の晩に足先が冷えるように感じた。冷えると足がつりやすいようである。むかしはつると云えばふくらはぎだったのに、いまはどこがつるかその時にならないとわからない。腿や足の甲裏がつったりする。イヤなものだ。

 

 散歩をすると血のめぐりが良くなるのか、足が冷えることが無い。思えば弟夫婦と奈良や犬山を歩き倒したあと、疲れから散歩をあまりしていない。そこで昨夕、しばらくぶりに五千歩ほど歩いた。腰のちょうつがいがなんだかギクシャクして、スムーズに歩けなかった。歩くスピードがますます遅くなったのを感じる。老化によってほんのしばらくサボるだけで足は衰えるようだ。

 

 自宅にいるとどうしても本を読んだり録画を見たりして、ほとんど座ったままの生活をしてしまう。寒いけれど、ときどきは外に出なければならないようだ。思い切って歩く場所の多いところへ車で出かけようか。明治村やリトルワールドなんかが良いのだけれど、少し寒すぎる。とにかく足の衰えを取り戻すために歩くことを続けなければとおもう。今日は用事ですこし出かける。ついでに歩こう。

2025年2月17日 (月)

読むのに忙しい

 山崎正和の『不機嫌の時代』という本を取り寄せて読み始めたところだが、一番最初の章で志賀直哉の作品、『大津順吉』、『或る朝』、『網走まで』が論じられている。たしかに「不機嫌」というテーマを論じるのならば志賀直哉のこれらの作品が論じられるのは当然であって、そこで述べられていることについても志賀直哉の好きな私には、私なりによくわかる。

 

 しかしより一層わかるために、山崎正和の注目点を意識しながら、これらの三作品を読み直すことにした。『或る朝』は志賀直哉のほぼ最初の作品(この前に『菜の花と小娘』という小品があってそれが処女作とされる)で、短い中に主人公(ほぼ志賀直哉)の心の動きが完璧に記されている。そして『網走まで』はそれに続いて発表された短編小説で、列車の中の情景と主人公の鋭い観察眼、それについての心の動きがやはりパンフォーカス(視界のすべてにピントを合わせる手法)に捉えられている作品だ。この二作品はいままでに何度も読み直している。

 

 『大津順吉』は今回二度目。中編で、これはのちに志賀直哉唯一の長編小説『暗夜行路』 につながるとされる作品であるが、途中で書くのを中断してそのままとなった。この中に『或る朝』と同様、祖母とのやりとりにとてもよく似た心の動き、山崎正和の云う「不機嫌」の描写があり、それを山崎正和は剔抉して見せているのだ。

 

 『不機嫌の時代』という本の、出だしの部分を読むのにここまで読み直したのは、今までにあまりないことで、他に並行していろいろ読んでいるときに忙しい。それでも、評論を読むためにはそこまでするのが本当なのであろうと思う。これから永井荷風、そして夏目漱石が論じられていくから、どれほど読み直さなければならないか、ちょっと気後れがしかけている。

映画『陰陽師0』

 映画『陰陽師0』は2024年の日本映画。原作は夢枕獏の『陰陽師シリーズ』と云うことになっている。夢枕獏のさまざまな伝奇小説のシリーズを読むのが大好きで、一時期は店頭に並ぶと同時に買い込んですぐ読んだものだ。私が読むよりも新作が出るのが早い、と思うほどたくさんの本が出版された。しかし、気がつくとこの十年ほどは、ほとんど読むことがなくなっている。伝奇小説を楽しむことがなくなっている。

 

 それでもこの『陰陽師』シリーズを映画化した二作品は映画館で見ている。安倍晴明を野村萬斎、その友人の源博雅を伊藤英明が演じていて、原作の雰囲気を損なうことなく、出来は悪くなかった。今度の『陰陽師0』はその安倍晴明がまだ陰陽師になるために陰陽寮の学生(がくしょう)として勉強中の若いときの事件が描かれている。安倍晴明を山崎賢人、源博雅を染谷将太が違和感なく演じていて、悪くない。

 

 ヒロイン役に奈緒が出ている。このごろこの人に出会うことが多い。山崎賢人もよく出会う。それぞれの役柄をそれなりに演じていて、どんどんなじみになっていく。脇役で、村上虹郎、嶋田久作(こういう映画には必須)、國村隼、北村一輝、小林薫(『ウンタマギルー』で見たばかりだ)が出ていて、物語を盛り上げている。

 

 人の心の中の無意識に魔物が住む。その魔物が実体化するかどうか。その境目のところがまだ口を空けていた平安時代を舞台にしていて、さまざまな怪異が説明もされるが、理屈はどうでも良いのだ。そういう時代だと受け入れれば、物語はたちまちリアルな冒険談に変ずる。

 

 おもしろいなあ。こういう話が大好きだ。本を読むのは面倒なので、こういう映画があればそれで楽しみたいところだ。最近は中国の映画になかなか見ておもしろいものがあるが、それ以上に駄作も多くて、当たり外れの差がありすぎる。

ついうっかりしそうに

 迷惑メールはますます数が増えるとともに巧妙になり、昨日はヤマト運輸からだというなりすましメールにうっかり返事を返しそうになった。在宅していると云っても、買い物に出たり散歩に出たり、ときどきは家をあけるから、たまたま配達時に不在ということはある。不在通知に気がつかなかったのかと思って、まずそれを確認したが、無い。不在通知が無いのにメールで連絡が来るというのは不審である。

 

 そうしたら、また同様のメールが来た。前のは不在について再配達の確認だったが、今度は私の送ったものの宛先が不備で配達できないから連絡をせよというものであった。私は先日蔵開きの新酒を何人かの人にお裾分けで送ったけれど、すべて「着いたよ」というお礼の連絡を受けている。だからどんなものにしても未着の先があるはずもない。これは明らかに不審なメールだ。

 

 カード会社、アマゾン等々、今度は運送会社を騙ったメールである。繰り返しさまざまな迷惑メールが送られてきてうっとうしい。中には人を不安にするものもないではないので腹が立つ。メールの仕分け項目に、もう一つ「引き受け処理メール」の項目を立て、そこに放り込むと自動的にメール会社がその送り先を登録して警察などの当局に報告するようにしてもらうようにできないものだろうか。できないはずはないのにしないのは、どうしてだろうか。

2025年2月16日 (日)

役員

 私の暮らすのは、四棟ある比較的に大きなマンションである。だいぶ古くはなったが定期的に補修を続けていて、スーパーや幼稚園、小学校が近くて利便性も高く、居心地は良い。当初から完全自治で運営されているのだが、他のところと同様、自治会役員の引き受け手がなかなかなく、一度引き受けると何年も続けざるを得なかったりして、ますます受け手がない状態である。

 

 規約では、役員は輪番制を原則としているとのことであり、その原則に戻って半強制的な輪番制にするとの提案があり、可否が問われている。しかし、高齢者も多く、それぞれに事情を抱えている人も多いから、輪番だと云っても固辞する事態になることは大いに考えられる。私だって役員のたいへんさを見てよく知っているので、もし廻ってきたとしてもとにかく固辞することにするだろう。

 

 役員の仕事をとことん楽に、責任も軽くして引き受けやすいようにするか、または営利の管理会社に委託するしか道はないような気がする。そのための経費を負担するか、役員を引き受けるか、ということになるのではないか。多くのマンションはそうして委託になっていったのだと思う。たいてい費用の負担に絶対反対を唱える人ほど、どんな役割も引き受けない人だったりするから、たぶん紛糾するだろうけれど。

映画『ウンタマギルー』

 映画『ウンタマギルー』は、日本に返還間近の沖縄が舞台の1989年の日本映画。奇妙で不思議な世界が描かれていて、もしかすると沖縄の精神世界の一端を垣間見せてもらったのかもしれない。ほとんどの会話が沖縄の生のことばなので、字幕が付く。字幕がなければまったく会話の意味はわからないだろう。

 

 小林薫が青年・島尻ギルー、のちのウンタマギルーを演じる。ウンタマとは運玉の森のことで、ギルーは森の精霊から霊力を授かってウンタマギルーになるのである。沖縄の芸能人がたくさん出演して、嬉々として演じていて楽しい。共演の戸川純が絶品。この人にしかこの役は演じられないであろう。不思議な不器用さが神がかり的である。物語を説明してしまうとますますなにが何やらわからなくなりそうなので、興味があったら見てみたら良いであろう。見る人により様々な受け取り方がありそうだ。なによりこの猥雑さは土俗的で古代の神々を思わせる。

日本と日本人

 劇作家で評論家の山崎正和(1934-2020)という人に興味があるが、著作は『柔らかい個人主義の誕生』という本しか読んだことがない。題名に惹かれて若いときに読んで、読んだときはいろいろ共感したが、どんな内容だったか忘れかけている。読み直そうと思ったら書棚にない。処分してしまったらしい。残念である。山崎正和はポピュリズムに批判的で、ポピュリズムがファシズムにつながっていくと指摘していた。トランプなどが支持されるアメリカの未来が見えるようだ。

 

 彼の著作リストの中から、『不機嫌の時代』という本を取り寄せた。これから読むつもりであるが、ついでに司馬遼太郎と山崎正和の対談集『日本人の内と外』という本も取り寄せ、さらについでに司馬遼太郎対談集の『日本人の原形を探る 司馬遼太郎歴史歓談Ⅰ』 『二十世紀末の闇と光 司馬遼太郎歴史歓談Ⅱ』も取り寄せた。そして『不機嫌の時代』以外の三冊を、つまりついでに取り寄せた本だけをようやく読み終えた。

 

 普通だと、対談集というのは読みやすくてどんどん読み進めることができるものだが、今回の三冊は内容が濃くて、読み進めながらときどき本を置いて考えることも多く、けっこう時間がかかった。対談は1960年代から1990年代まで、長期間のものを拾い集めて編集されており、日本という国と日本人について、多岐の分野の人と司馬遼太郎がさまざまに論じている。ほんの一部しか読み取れていないと思うので、機会があればいつかまた読み直したいと思う。良い勉強になった。

 

 次は本命の『不機嫌の時代』だが、他にも宮本常一の民俗学の本や『パイプのけむり』シリーズの続きなど、何冊か並行して読んでいるので、いつ読み終わるかわからない。

2025年2月15日 (土)

わからないのは

 本棚の飾りとして哲学書が十冊あまり列んでいて、曲がりなりにも読んだといえるのは二三冊のみである。夜なかなか眠れないときに、そこからとっかえひっかえ引っぱりだして、字面だけ追って睡眠薬代わりにしているのだが、たまたまベーコンという十七世紀のイギリスの科学者で哲学者の随筆集を読んでみたら、やっぱり意味が頭に届かない。自分のバカの壁を思い知らされて情け無い気がしたのだが、よくよく読んでみると、それほど難しいことが書いてあるわけでもないようなのだ。

 

 私の無知と理解力のなさ以外に、意味が頭に届かないのは翻訳の悪文にあるらしい。たまたま開いた部分を引用する。『復讐について』という章の冒頭である。

 

 復讐というものは一種の野性の裁判である。そこへ人間の本性が走りがちであればあるほど、法律はなおのこと、それを根こそぎにしなければならない。というのは第一の不正についていえば、それは法律を犯すだけのことである。だが、その不正に対する復讐は、法律を役にたたないものにしてしまう。たしかに、復讐するにあたっては、人は敵と対等であるにすぎない。だが、それをかまわないでおけば、うわ手になる。(後略)

 

 章の冒頭であるから、この前に前文があるわけではない。これを読んでなにを言いたいのかわかるだろうか。一読してわかる人がいたら尊敬する。たぶん、原文を直訳しただけの、日本語になっていない文章なのだろうと愚考する。よくよく読めばおぼろげに意味がわかる(気がする)。誤読かもしれないが、あえて私なりに解釈すると、

 

 法律のない時代には、復讐は理にかなった裁判のようなものといえたかもしれないが、いまは法律というものがあり、法律で復讐は禁じられている。人は報復のために復讐という行為に走りがちだが、復讐は法を犯すものだ。それをあえて復讐するというのは敵討ちの連鎖のようなことになってしまう。復讐に対しての復讐を生んでしまうからだ。復讐をせず許すことで相手よりもこちらが優位に立つことができる。

 

 しかし読みながらこんな解釈をひねり出さなければならないのは、とてもではないが面倒くさすぎる。たぶん翻訳したのは、これを訳したとされる学者の大学の講座の学生か何かではないか。他の部分を拾い読みすると、場所によってまともに読めるところもあるから、手分けして訳した寄せ集めなのかもしれない。それともその学者そのものが、哲学は理解できるが、この文章並みに日本語がお粗末なのであろうか。

映画『ダブル・スナイパー』

 映画『ダブル・スナイパー』は2024年のイギリス映画。狙撃手の映画は緊張感があっておもしろいものが多い。傑作もたくさんある。小説ではマック・ボランシリーズや映画『極大射程』の原作となったスティーヴン・ハンターのボブ・リー・スワガーシリーズなど、狙撃手が主人公の小説もたいへんおもしろく、夢中で読んだものだ。この映画の冒頭でも語られるが、狙撃手の必須条件は技術もさることながら、それ以上に身を潜める能力である。そのことがこの映画の重要な伏線となる。

 

 サムとよばれる暗殺者は相棒のケンと組んでの狙撃を得意とする。彼は自分の仕事は正義のためだと思い込もうとしているが、内心に疑惑を持っている。そんなとき、ターゲットとともにいた女性が狙撃に気づいてかばったために、その女性を射殺してしまう。そのあとターゲットを射殺して仕事は完遂するが、人が命がけで他人の身を守ると云うことがどうしても信じられずに、狙撃手の仕事そのものがいとわしくなってしまう。 

 

 組織に仕事を辞めることを申し入れた彼を、相棒のケンは必死にとどめようとする。ケンは仕事がなくなることを心配しているのだと云うが、じつは理由は他にあった。彼らを慰留すると云うことで、組織から高級ホテルのガラス張りで見晴らしの良い最上階の部屋とふたりの娼婦があてがわれる。しかしサムは見晴らしの良いところは落ち着かないのでカーテンを閉めようとする。ルームサーヴィスはそれを残念がり、カーテンを引き開けようとする。それから突然の攻防が始まる。

 

 死角のほとんどない部屋で狙撃手に狙われるサムとケン、そして娼婦のふたり。絶体絶命の中で、ケンが銃弾を受けて瀕死の状態になる。さらにパニックになった娼婦のひとりも銃弾を受けてしまう。その合間にかろうじて武器を手にすることができるのだが、下の階からは次々に刺客が押し寄せてくる。リタイアしようとしたサムを殺すために、組織を挙げての攻撃が行われているのだ。

 

 その危地からどう脱するのか。最後にある人物によって主人公の胸にあった疑問の答が届く。その傍らにはその人物に託された者がいる、というラストはなかなか好い。

解雇と雇用

 トランプ政権が連邦職員を20万人解雇するそうだ。トランプは雇用を生み出すことを企業に求めていると思ったが、自分は大量に解雇するらしい。20万人はとても大きな人数だ。解雇された人はどこへ行くのだろう。そんなこと、トランプは知っちゃいないのだろう。

2025年2月14日 (金)

老後は覚悟が必要のようだ

 団塊の世代がすべて75歳以上の後期高齢者になった。私も今年75歳になるからその仲間入りだ。これからますます介護の手が必要だというのに、介護をになう会社や施設の倒産廃業が相次いでいるという。しかもそこで働く人たちの収入は一般の職業よりもはるかに低賃金だという。世の中は人手不足だから、志はあっても生活を考えて介護の仕事に就くことをやめてしまうだろうから、介護に従事する人はますます足らなくなるだろう。

 

 弟夫婦が母を在宅介護してくれて、さらに訪問看護師や介護士にも助けてもらって、その手厚いことに本当に感心もしたし感謝もした。しかしそれはその時期だからできたことで、これからはそれができなくなっていくのだろう。ああいう手厚い介護というのは、ある一時のしあわせな時期だったと云うことで、自分がその恩恵に浴することはたぶん経済的、人的に不可能なのだと覚悟しなければならないようだ。

 

 有り余る資産でもあれば別だが、そういう介護はこれからは期待できない。姥捨て山の時代がくる。仕方がないと諦めておくことにしよう。どうせ人間はいつか死ぬのだ。できればあっさり死にたいものだ。

『新・ガンヒルの決闘』

 『新・ガンヒルの決闘』は1971年のアメリカ西部劇映画。主演のグレゴリー・ペックは、前にも書いたが大好きな俳優である。何しろ高校生の時に生まれて初めて見たロードショー映画というのが、このグレゴリー・ペック主演の『アラベスク』という映画で、それ以来のファンである。ただ、この『新・ガンヒルの決闘』は初めて見た。

 

 『ガンヒルの決闘』という映画があって、カーク。ダグラスとアンソニー・クインが出ていた。これは見たことがあるけれど、この『新。ガンヒルの決闘』はそれとは無関係である。たしかにガンヒルという街が出てくるがそこが舞台になるのはプロローグと最後の部分だけである。

 

 銀行強盗をして、仲間に裏切られ、重傷を負って刑務所に服役し、七年ぶりに出所した男(グレゴリー・ペック)がその裏切った男を捜す。金を預けていた女と待ち合わせるが、そこに列車でやってきたのはもうすぐ七歳という少女だった。成り行きからその少女と旅をすることになるが、それは先んじて彼を待ち受ける、裏切った男の差し向けた狂犬のような若い無頼漢たちによって過酷なものになる。

 

 男の方が敵よりも上手だが、子供連れというハンディがあるうえに少女に情も移って危機が訪れる。ラストは予想外の結末となるが、見た後味は悪くない。やはりグレゴリー・ペックは好い。

人の振り見て

 自分はお粗末な文章しか書けないのにおこがましいが、読んでいてどうしても目障りになってしまう文章というのがある。「てにをは」の使い方がおかしかったり、接続詞が適切に使われていなかったりする文章のことで、内容については別の話である。時間を割いて読むだけの値打ちを感じるような、多少の内容のあるものだと何とか我慢して読み進めるが、たびたびとなるとさすがに苦痛になってくる。

 

 人の振り見て我が振り直せ、というから、私はできるだけ他人の目になって自分の書いたものを読み直すようにしているが、なかなか他人にはなりきれず、あとでおかしな部分に気がついてがっかりすることもしばしばである。校正は他人がしなければならないと思うが、そういう人がそばにいないので如何ともしがたい。

 

 最近は新しいATOKのチェック機能を使うようにして、明らかな誤字脱字は少し減っているはずだと思うがどうだろうか。ことばの用法のまちがいもあるので、もう少し辞書を引くよう心がけたいと思っている。まちがいは恥ずかしいが、まちがいを指摘されるのはありがたいと思える人間なので、遠慮なく指摘していただいてかまわない。ただし内容について、または考え方について指摘された場合は、是々非々となるのは了解いただきたい。

 

 それにしても、自分の書いたものをまったく読み直さずにいるとしか思えない文章に出会うと、ちょっと手抜きが過ぎるのではないかと思わないではない。女性にはそういう手抜きが少なく、男性の方が多い気がするのはたまたまだろうか。だから拝見するブログも女性のものの割合がひとりでに多くなっている。

2025年2月13日 (木)

好奇心

 好奇心の衰えは精神の衰えだと思っている。自分の好奇心がいま衰えていて、映画にも読書にも、ましてやテレビにも興味をあまり覚えなくなっている。そうなると生きている意味すら見えなくなって、日々がただ時間が過ぎゆくだけの無意味なものに見えてくる。由々しきことである。どう立て直すのか。好奇心を賦活させるにはどうすればいいのか。

 

 ところで、好奇心とは何か。手許の岩波国語辞典を引いてみると、好奇心という項目はなくて、「好奇」という項目には、「珍しいこと未知のことに強く気持ちがひかれること」と記されている。なるほど、珍しいことはともかく、知らないことを識ることに私は強く惹かれるのは確かで、それがすでに知っていることとつながったりすると嬉しく感じたりする。

 

 それが、「だから何なのか」などと感じ始めるといけない。本の山が「とても読み切れない」という強迫観念を呼び、たまりすぎた映画の録画が「とても見切れない」という強迫観念につながり、面白さを感じるより先に、「まだまだだ、次だ次だ」と焦燥感に苛まれることになってしまう。精神安定剤が欲しくなる。

 

 心を静めるために座禅でも組もうか。昨晩は眠れないので、本棚にかざってあるだけの、『現代の名著 バラモン経典 原始仏教』などという本を睡眠薬代わりに読み始めたら、意味はさっぱりわからないのにただ字面だけを追って、ますます眠れなくなった。

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 今日はさいわいどん底から少しずつ這い出せてきたところで、つい先日行ってきたばかりの奈良や飛鳥に都があった時代と、韓国や中国のその時代とのシンクロについてぼんやりと考えたり、関連の本を開いて見たりしている。百済や新羅、高句麗についてほとんど知識がないが、まさにその時代と飛鳥、奈良は時代を同じくしているのだと云うことにちょっと心が動き出したところだ。

危険でも減らない

 中国旅行の危険性についてさまざまな警告が行われている。実際に理不尽な拘束事態が発生しているのである。そのような警告があるけれども、それによって中国への外国人観光客の減少にはつながらない、と香港の英字メディアが記事を掲載したことが報じられていた。

 

 この紹介記事からは、中国旅行のリスクがあるかないかはわからない。というより、リスクはあるけれども観光客は減らないと言っているだけに思えてしまう。責任を持ってリスクはないと言ってもらわなければあぶなくて中国に行くわけには行かないが、そんな責任を香港メディアがとれるはずがない。そんなことに自己責任、などと言われても何かあったときにどうするのか。

 

 そうだとすると、リスクがあるのにのこのこ出かけていくのは阿呆だということなのであろうか。そんなことにこだわるのは、中国が好きでいままであちこち訪ね、まだまだ訪ねたいところがあるので、のんびり訪ねて歩けるのであれば無理してでも出かけたい気持ちがないではないからだ。

 

 しかし、私も阿呆ではないから、いくらお誘いらしき記事を読んでも、習近平政権下であれば決して行く気にならない。 

 司馬遼太郎の対談集の中で、山崎正和が語っていることを引用する。

 

「藤原惺窩(ふじわらせいか)は、お互いに信という観念さえ信じていれば、いかなる風俗の違いも乗り越えてやっていける、と言うんです。風俗の違い、習慣の違いは認め合って、信という普遍的理念だけを信じて、お互いに商売しようということです。」

 

 これは実際に安南(ベトナム)との交易の際にもめ事があり、それに対して藤原惺窩が、当事者の角倉素庵の配下にもたせた、安南の王様に渡した手紙のなかの文章のことを言っている。

 

 ディールとは、商売のことではなく、力による恐喝のことなのだろうか。世界はトランプのアメリカとは商売が成立しないと内心では思っている。信のないところには商売は成立しない。いまはただ力に屈服しているだけで、そんなものはいつか破綻する。破綻すると信じたい。アメリカ以外の多くの人はみなそう思っている。それはある意味でのアメリカに対する呪いである。 

2025年2月12日 (水)

松田優作の初出演映画であり、世紀の駄作

 映画『狼の紋章』は1973年の日本映画。平井和正の同名の小説を原作とする。平井和正は一時期私が濫読したSF作家で、この原作は彼のウルフガイシリーズの一作である。あの『幻魔大戦』シリーズも平井和正の原作であり、桑田次郎の漫画で有名な『エイトマン』シリーズは主に平井和正が原作を書いている。

 

 だからこの映画が上映されたときには真っ先に見に行った。そして映画館を出るときには怒りに震えていた。原作をその通りたどってはいるのだが、ほとんど日活ロマンポルノとしか言いようのないものに仕上げられていた。台詞回しのお粗末さ、特殊撮影のさらなるお粗末さ、陳腐さ、メイクのひどさにがっかりする以上に腹が立ったのである。

 

 その映画がWOWOWで放映された。もっとも見たくないものをあえて直視するという自虐的な思いと、その当時はまだそのすごさを感じることができなかった松田優作を改めて見直して見たいという気持ちがあった。

 

 主役の犬神明を演じたのは志垣太郎。それなりに演じていたのだが、シナリオがひどすぎるから大根役者にしか見えない。そして敵役の羽黒獰を演じていたのが映画初出演の松田優作なのである。私の、原作から描いていたイメージの羽黒獰から見ると、スリムすぎることに初めて見たときには違和感があった。しかし、いま見たらこんなお粗末な映画の中で唯一まともに演じて光彩を放っていることを今さらながら強く印象づけられた。

 

 ほとんど見るのが苦痛の映画ながら、最後まで見たのは松田優作のおかげである。

嫌い

 嫌いなものをわざわざ「嫌い」と云うのも大人げないのだが、あまりに嫌いなので、一度腹の中の嫌いの気持ちを吐き出しておかないとおさまらないので、二人ほどその名前を挙げておく。松岡修造という人と、柳沢慎吾という人だ。この二人はいつも名前が出てこない。思い出そうとすると頭が拒否してしまうのだ。

 

 もちろん好きな人はたくさんいるのだが、それよりリストには少ないながら、どうしても受け入れられない人というのもいる。CMなどで出てきたら、即チャンネルを変える。見聞きするのに耐えられない。どうして嫌いなのか理由があるはずなのだが、それをじっくり考える気にもならないほど生理的に嫌いである。

 

 まあだいたいにおいて、むやみにはしゃぎまくったり、やかましいのはたいてい嫌いだ。「たいてい」というのは、例外もないではないと云うことだが、その違いが自分でもわからない。

鉄面皮

 自分が公言したことを平然と言い換える。さっき云ったことと違うことを言っても、そして違うことを指摘されても何の痛痒も感じない人間のことを鉄面皮という。つまり面の皮が厚いことで、しかもその面の皮が鉄でできていると云うことだ。そういう人間は人から信用されず、誰も相手にしない。ところが現代はよほどの権力や資産を持っている人間にはそれが許され、そこへ人が蝟集する時代らしい。

 

 人が矜持を失い、ことばが重みを失えば世は弱肉強食、混乱に向かうのは必然だと思う。人間世界はレミングの暴走を始めたのだろうか。すでに共存できる人口の極限を超えてしまったのかもしれない。

 

 少子化が加速しているかに見える日本の人口は、試算によれば700年後にたったひとりになるそうだ。そんな試算にどんな意味があるのだろうか。今のままなら、ひとりどころかゼロになるのに700年も必要としないだろう。

2025年2月11日 (火)

映画『シャイアン』

 ジョン・フォードが描くシャイアン族の衰亡。1964年のアメリカ映画。南北戦争の余塵の残る頃、アメリカ政府によってもともとの故地であるイエローストーンから二千キロ近くも離れた居留地に移されたシャイアン族は、移動の最中に千人いた人数が三百人足らずに減り、さらに砂漠の中の過酷な居留地では生活が出来ないで苦しんでいた。追い詰められた彼らは生活の改善を要求するが、それは無視され、やむなく居留地からイエローストーンへの移動を始める。

 

 それをとどめようとする騎兵隊などとの戦いにより、双方に死傷者が出るが、それは針小棒大に伝えられてたいへんな騒ぎになる。追跡隊を率いるアーチャー大尉(リチャード・ウィドマーク)はシャイアン族の実情をよく知るために同情的で、極力穏便に納めようとするが、事態はどんどん悪化していく。

 

 インディアンとよばれていた原住民に対して、アメリカ人がどのような扱いをしたのか、アメリカ人というのがどういう国民かをかなり正確に描いていると感じた。正義と自由、人権を高くかかげる彼らのことばは、彼ら白人のみに対してのもので、他者に対しては一切それは適用されない。その象徴がトランプとその支持者だといったらいいすぎだろうか。

 

 『駅馬車』でインディアンをバッタバッタと撃ち殺したジョン・フォードが、この『シャイアン』で伝えたかったものは何だったのだろうか。アメリカの歴史、国民性とはこういう背景のもとに成り立っているのだ、という冷静な事実の提示なのだと思う。

 

 ラストはおさまるべくしておさまるが、そこには男の矜持のせめぎ合いがあり、数少ないそのような者によってのみ、事態というのは収拾される。いまそのような男(あるいは女)がどこにいるのだろうか。

 

 リチャード・ウィドマークは好きな俳優で、ここでもいかにも彼らしい役柄を演じていた。ヒロインのデボラを演じるキャロライン・ベイカーは美しく、かつ崇高である。この映画に挿入される「ドッジシティの大騒乱」で、ワイアット・アープの役としてジェームズ・スチュアートが出ていて、その軽妙な演技がその前に見た『シェナンドー河』と対照的なのがおもしろかった。

映画『シェナンドー河』

 1965年のアメリカ映画。ジェームズ・スチュアート主演。南北戦争末期、南部バージニア州の農場主のアンダーソン一家の命運を描く。アンダーソン家は娘ひとり、息子六人、そして長男の嫁の八人家族、さらに娘に求婚した南軍の将校が加わる。砲火の音が聞こえるまでに戦火が迫る中、戦争とは一切関わろうとしない一家だったが、戦争はそういう意志を斟酌しない。

 

 『風と共に去りぬ』がやはり南北戦争時代を描いたように、アメリカという国が二つに分かれて戦ったこの戦争は、ある意味でアメリカの本土で戦われた唯一の大戦争だった。戦争にまつわる非常時の中で、つまり非条理の中で人々が翻弄されるドラマは、そのままアメリカという国がどういう国であったのか、そしていまどういう国であるのか、アメリカ人の価値観はどんなものかの一端を教えてくれる。

 

 ジェームズ・スチュアートという俳優の魅力が存分に見られるのも楽しいし、その時代の暮らしや風俗も楽しめる。息子の嫁の役でキャサリン・ロスが出ていた。

2025年2月10日 (月)

ゴロゴロして過ごす

 アマゾンミュージックで手嶌葵や平原綾香の歌、アリス・沙羅・オットのピアノ曲などをぼんやり聞きながら、團伊玖磨の『パイプのけむり』シリーズの第十巻を読了、第十一巻を読んだり、それに飽きると司馬遼太郎の対談集などを読んだりしてゴロゴロと過ごした。なにもしなくていいんだよ、と自分に言い聞かせて焦燥感を打ち消し鎮めていく。こういうふわふわした時間が許されていることこそが幸福というものだろう。

 

 その幸福もすぐ飽きる。飽きてまた何か行動したくなる。それが生きていると云うことで、今日はそのための時間を楽しんだ。さあ夕食の支度でも始めようか。

放電する

 せっせとたまったドキュメントやドラマを消化し、ようやくエネルギーも充実したので映画を見て、いつものペースで本も読み始めた。しかし何か時間に追われているようで気分が乗らない。それほどおもしろくないのだ。焦っている自分がそこに見えてしまい、なにを焦っているのだと問う。時間を無駄にしたくはないが、それほどあたふたしなくても良いではないかとも思う。

 

 耐性菌が棲みついて、ときどき悪さをするという泌尿器科の慢性疾患を抱えている。尿が濁ってきたら不調のサインである。しばらく問題なかったが、昨日あたりから濁りが強くなった。疲労はすでに回復したのにどうしたことか。食欲もない。そういうことで今日は心身の休養に努めることにする。静かな音楽でも聴きながら、うつらうつらしたり読みやすいエッセイでも読んで過ごそう。そうしてたまっているらしい焦りのエネルギーを放電しよう。

 近場の温泉にでも行こうかなあ。

2025年2月 9日 (日)

犬山城を見に行く

奈良から帰った翌日、弟夫婦と犬山城を見に行った。電車で約三十分前後。犬山城に行くのはずいぶん久しぶりだ。

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城へ続く道はだいぶ前にきれいに整備されて気持ちが好い。おもしろそうな土産物屋がいろいろある。

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道の突き当たりにある針綱神社をぬけていく。

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緩やかな坂の上に犬山城がある。

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犬山城の石垣。いろいろの色があり、きれいに積まれていて美しい。

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天守閣。ここの階段は段差がとても深くて、たぶん私にはもう無理だから、弟夫婦だけ登ってもらった。

二人とも、下りてきてから私の言ったことに納得していた。

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大手前の垣根から木曽川が見えた。この上流、右手奥が日本ライン下りの場所。

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城のすぐ下から見上げる。

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観光客が多い。ほとんど外国人のようである。

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青空に映える天守部分。

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こちらの石積みは少しランダムのように見える。

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城山から下りて、針綱神社の隣の神社をぬけた。ここは縁結びに御利益があるらしく、いつも若い女性がたくさんいる。

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絵馬がピンクでハート型をしている。

このあと弟夫婦が初めてだという味噌煮込みうどんを食べた。二人ともおいしいと言ってくれた。亭主が話し好きで、犬山城のいわれなどについて詳しく教えてくれた。そして、いま犬山の観光客の九割は外国人です、とあまり嬉しくなさそうに言った。

帰宅して一息いれたあと、弟夫婦は車で千葉の我が家に帰っていった。お疲れ様でした。

行列

 マスコミやSNSなどで名前が知られた店の前で行列しているのを見ることがある。私は行列して待たされるのが嫌いで、そしてたぶん誰でもあまり好きではないと思うが、それでも列ぶのはそれ以上の何かが得られることを期待しているのだろう。そういう期待が大きければ私でも列ぶ。また、列ばなければ手に入らなくて、それがどうしても欲しければ列ぶだろうが、いまはたいていそこまでしなくてもいいものに列んでいるように見える。

 

 先日は名古屋駅の高島屋の前で、開店を待つ長い行列を見た。何でもバレンタインデーのチョコレートを買うための行列なのだという。そういえば昨年もこの長い行列を見た気がする。ある店のチョコレートがお目当てで、かなり高価らしいがそれでもこれだけの行列ができる。渡す相手への思いはこれだけの苦労をしてこそ伝わるのだろう。ご苦労様なことである。あの店でこういう苦労をして買ったのよ、と相手に言えて満足であろう。

 

 そのものの値打ちより、そこに列んで買ったと云うことの方が相手に対するアピールになる。自慢になる。最近はそういう形の自己アピールが大きな自己満足につながるようである。インフルエンサーというのはつまりそれを最初に発見してはやらせる人のことかと思う。みなが後に続けば、それは価値のあるもの、価値のあるお店と云うことになる。それが裸の王様であっても、みながもてはやせば中身は関係なかったりする。タレントなんてときにそんなものだろうとも思う。

飛鳥坐(あすかいます)神社

バスの待ち時間が合ったので、飛鳥寺から飛鳥坐神社を見に行く。

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飛鳥地区の道は狭い。そこをバスが走るのだからすごい。自分の車で走ろうとは思わない。この左手に曲がる道の先に飛鳥寺がある。この一帯の信号は時差で一方通行になっている。四分待ちの二十秒だけ通行可、という変則信号である。

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飛鳥座神社の鳥居。階段は見た目ほど段数はないから、疲れた脚でも登れる。

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拝殿。

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神楽殿。以前来たときに報告したように、ここで行われる神楽は奇祭であり、その時は人であふれかえるという。どんな奇祭か知りたければおもしろいので調べてください。

ここから飛鳥寺前まで戻り、バスで橿原神宮前駅に戻り、近鉄で大和八木駅で乗り換えて名古屋に帰った。特急・火の鳥はビュンビュン快速で走り、座席もゆったりしていて快適であった。

これで奈良行の小旅行の報告終わり。

2025年2月 8日 (土)

飛鳥寺

石舞台からバスで飛鳥大仏のある飛鳥寺に向かう。

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蘇我馬子の発願により建立された飛鳥寺は、むかしは大伽藍だったが、鎌倉時代に焼失して、再建されたのは江戸時代。ずっとこぢんまりした寺になった。

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飛鳥大仏。高さは約三メートル。

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寺が焼失したときに大仏もかなり焼けたが、原型の通りに修復された。私はこの大仏が好きで、何度見ても飽きないし、心が安らぐ。ここは写真撮影が自由である。

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飛鳥寺縁起。

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大仏の納められている本堂を、むかし塔があったあたりから眺める。

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裏へぬけられるところの絵馬堂。

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絵馬を眺めるのも好きである。

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飛鳥寺の裏門から出ると蘇我入鹿の首塚がある。

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左上、オレンジの服の人のあたりが首塚。

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お参りする人が常にいて、いつも花が手向けられている。

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首塚から飛鳥寺を振り返る。

このあと、バスの待ち時間があるのですぐ近くの飛鳥坐(あすかいます)神社を見に行く。

飛鳥の石舞台

近鉄の橿原神宮駅前で昼食を摂ろうとしたら、手頃な店がない。これからバスで向かうつもりの石舞台には店があったはずだ。ここでは石舞台と飛鳥大仏などを見るつもりだが、歩くのは大変なのでバスで見て歩くことにする。乗り継ぐ料金を考えると乗り放題の切符(750円)を買う方が安いし楽である。ただ、バスのある側と反対側の駅の改札で買わなければならないのが面倒であった。

石舞台はバスの終点。時間が遅かったのでメニューが限られており、古代米のカレーライスを食べた。

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石舞台は蘇我馬子の墓というのが定説である。もともとは古墳であり、この石積みのうえには土が盛られていた。

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弟がそばまで行って、石の重量感を確認している。

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石の下は石室になっていて中に入ることができる。

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こうしてみると石の重量感をより感じる。

墓の上に重いものを載せる(いまの墓石もそうだが)のは死者がさまよい出ないための重しなのだろうか、などと思った。

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バスでここから次の目的地、飛鳥大仏に向かう。

2025年2月 7日 (金)

薬師寺

唐招提寺から薬師寺まで歩く。薬師寺は近鉄西ノ京駅の近くにある。つまり、これで近鉄の尼ヶ辻駅から西ノ京駅まで歩いたと云うことである。

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薬師寺近くの塗り塀の上に見えた南天の赤か鮮やかだった。

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薬師寺に到着。ここは南門の前。

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梅はつぼみが少し色づいたところで、咲くのはまだ少し先の様だった。

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これは東の塔。

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こちらが西の塔・・・だったはずだが。

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講堂だったと思う。

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こちらは金堂と大灯籠を撮ったつもり。

ここから西ノ京駅に向かい、さらに近鉄で南下して橿原神宮前駅に行く。まさに修学旅行コースをたどっている。

唐招提寺

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唐招提寺の山門を入ると正面に金堂がある。

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鑑真和上の墓を見に行く。

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ここの苔はとても美しい。

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鑑真和上の墓。

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校倉造りの建物。なにが納められているのだろう。

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歩き疲れたののでベンチに座り、温かいお茶など飲みながらぼんやり辺りを眺めていた。高校生くらいの子供たちの団体旅行。どうも中国の子供たちの様だが、中国には修学旅行はないと聞いている。

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緑の色を見ていると心が静まる。

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金堂をもう一度眺め直して、次は薬師寺に向かう。

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道標に従う。

ようやく定常モードへ戻る

 奈良への弟夫婦との小旅行は強行軍気味だったので、疲れが残った。疲れたときは焼き肉。昨晩は久しぶりにおなかいっぱい食べた。おかげで今朝はすっきりとした寝覚めであり、疲れがほとんどとれていた。

 

 弟夫婦が滞在しやすい様に少しレイアウトを変えていた。それらを普段の配置に戻した。今日からは、気分も生活の手順やリズムも定常モードに戻す。今晩から名古屋も雪がちらつくらしい。

 

 旅の報告はもう少し残っているので、次回からまた続きを載せる。

2025年2月 6日 (木)

垂仁天皇陵と橘

近鉄尼ヶ辻駅から町並みをぬけてすぐのところに垂仁天皇陵がある。

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写真右手に丸い小島がある。

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これは田道間守(たじまのもり)の墓。

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向こうを近鉄電車が通る。

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曇り空に日が差した。

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田道間守は垂仁天皇の不老長寿のために常世の国に橘の木を求めること九年、ようやく手に入れて帰ってくると、すでに垂仁天皇は崩御していた。死後、天皇の陵のそばに葬られたという。

陵から唐招提寺までの道の横に、由緒書きと橘の木が植えられている。ちょうど実がなっていた。みかんの原種と言われる。キンカンより少し大きいくらい。とても酸っぱいと何かに書いてあった。

ここから唐招提寺は近い。

奈良の古い町並みを歩く

二日の朝、少し早めに朝食を食べた後、奈良の古い町並みを散策した。近鉄奈良駅の少し南から西へかけての辺りである。

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曇りで風も少しあり、寒かった。

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玄関前に下がるのは、高山のさるぼぼに似た釣り飾りで、厄をこれに移すものらしい。

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元興寺(元興寺)もむかしは広かったのだ。ここにもたくさんぶら下がっている。

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ついこういうものに目が行く。

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これは彫物だが、歩道に鹿の糞が落ちていたから、たぶん若草山などからこのあたりにも下りてくるのだろう。

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元興寺。朝だが、拝観はできる様だった。しかし、このあと薬師寺や唐招提寺に行きたいのでパスした。

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まだシャッターが下りたままのアーケード街。このまま近鉄奈良駅に向かう。奈良から大和西大寺で乗り換え、すぐ次の尼ヶ辻の駅に行く。

二月堂へ

大仏殿から二月堂へ向かう。

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鹿が案内してくれた。

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苔の載った灯籠。

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苔を撮る。ちょっとピンボケ。

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階段と坂の道を登ったのだが、

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本当はこの道から登りたかった。二月堂に上る。

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回廊の角の有名なフォトスポットから下界を眺める弟夫婦。

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大仏殿が見下ろせる。

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大仏殿の鴟尾の向こうは生駒山か。

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帰りはこちらから下る。

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振り返って二月堂を望む。

途中休憩しながら宿へ戻る。ホテルにチェックインして、部屋で一休みした。そのあと三人でホテルの勧めてくれた釜飯などを食べられて、奈良の銘酒や地元の食材を使ったつまみを楽しめるという店に行く。お勧め通りとてもいい店で、奈良を味わうことができた。

2025年2月 5日 (水)

奈良公園から東大寺大仏殿へ

 興福寺から奈良公園の鹿を見ながら東大寺へ向かう。

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鹿は角を切られたばかりの様である。

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子供連れの人はほとんど鹿の前にいる。日本人より海外からの人の方が明らかに多い様である。

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こんなふうに人出が多い。ことばから、多くが中国からの人の様で、中国にいるみたいな気持ちになる。道の真ん中にたむろしていて人の邪魔になってもまったく斟酌しない。

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仁王様がお出迎え。

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大仏殿が見えてきた。

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何度来ても大きさに圧倒される。

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お釈迦様を見上げる。

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脇侍の如意輪観音。他にもいろいろな仏像があって、弟夫婦は一つ一つ丁寧に見ていた。

奈良(1)興福寺

 一日(日)の朝、新幹線で京都まで行き、弟夫婦の希望で京都駅の中を歩く。一番高いところから辺りを見回すが、方向がよくわからないので、どこに何があるのか説明できなかった。そのあと近鉄で奈良に向かう。大和西大寺で乗り換え。以前はすべてJRのルートを使って遠回りしていた。この辺はようやく覚えた、私鉄を使うルートだ。
 この晩の宿は近鉄奈良駅のすぐ近くなので、場所の確認がてら立ち寄り、荷物を預かってもらう。

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 まず興福寺に向かう。写真は興福寺前の猿沢の池。ここに身を投げた女性がいるという話を何かで読んだ記憶があるが、詳しいことは思い出せない。

 猿沢の池の前の階段を上って興福寺の境内に入る。

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 階段途中の左手に小さなお地蔵さんたちが並んでいた。

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 興福寺南円堂、八角形のお堂。

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 中金堂。ここは比較的に最近再建された。大法要がここで催されたのをテレビで見たし、再建中のときも寄ったし、できたばかりの頃に拝観している。仏様も新しいからピカピカしていた。今回は前を通るだけでパス。

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 興福寺の五重塔は、どっしりしていて好きな塔だが、今は修復中のため周りが囲われていて見えない。今回は、この興福寺国宝館がお目当て。ここに展示されている仏像は、有名な阿修羅像だけでなく、みな素晴らしくて見応えがある。三人でゆっくりと拝観した。

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 観光バスには中国の観光客が乗っていて、写りこまない様にするのがたいへんである。春節中だからどこにもここにもたくさんいた。人の通り道にたむろし、大きな声を出していたらたいてい中国語である。

 このあと奈良公園を横切って東大寺に向かう。そこそこ歩く。

細部がきれいに

 昨夕は、たまっていたドキュメントやドラマを見ながらうつらうつらしていた。やはり疲れていたのだろう。風呂にも入らずに早めに床に入ったら、目をつぶった途端に眠っていた。朝、もしかして外が白くなっていないかとカーテンを開けたが、何事もない朝だった。雪雲は西から東の方に流れて、当地は降らなかった様だ。この歳になっても子供の様に雪を期待してしまうのが我ながらおかしい。

 

 朝風呂に入ったあと洗濯。外ではもちろん乾かないから部屋干しする。ストーブを焚いていればちゃんと乾くし乾燥防止にもなる。あちこちを見ると、弟の嫁さんが細かいところも掃除してくれたのがわかった。香辛料の棚など、細部がきれいになっている。話し相手がいなくなってちょっと寂しい。

 

 寒いけれど、あとで少しだけでも歩こうかと思う。散歩の頻度を上げて足腰を鍛え直して老化を多少は押しとどめ、もう少しあちこちを旅したいから。

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 今回の奈良の旅の報告は次回に。

2025年2月 4日 (火)

くたびれた

 本日は、朝ゆっくりしてから弟夫婦の希望で犬山城を見に行く。電車で三十分、さらに駅から犬山城までもけっこう歩く。犬山は冷たい風が吹いて寒かったけれど、途中から晴れてきて、青空にくっきりと映える犬山城を見ることができた。犬山で味噌煮込みうどんを食べる。お店の人に聞いたら、いまは犬山城界隈は九割が外国人だという。中国人、東南アジアの人、インドの人や西洋人もいて、誠に賑やかなことであった。

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 犬山から帰宅してお茶を飲んで一息入れ、先ほど弟夫婦は車で千葉に帰った。私はこれからゴロゴロできるが、弟はまだたいへんだ。冷たい風が吹いていて、今夜から明日にかけて雪も降りそうだという。今日帰るのは正解である。

 

 とにかくくたびれた。ずいぶん衰えたものだ。今日もほぼ一万歩歩いた。ただし犬山城の天守閣は弟夫婦のみ登って私はパス。あの段差の大きな階段は私にはもうキツすぎる。

たくさん歩いたのに

 1日は弟と蔵開きに行き、2日は弟夫婦と奈良の興福寺や東大寺、3日は奈良の町並み散歩と唐招提寺、薬師寺、さらに飛鳥の石舞台や飛鳥大仏を見て、夜帰宅した。合計で軽く五万歩を超えた。最初は重かった脚が次第に軽くなったのは不思議だ。それなのに体重は却って増えている、それも不思議だ。

 

 今日は三人で犬山城だけ見て、弟夫婦は千葉へ帰る。弟の嫁さんは働き者なので、いろいろ家事をしてもらってしまい、申し訳ないことであった。

 

 旅の写真は今日午後にでも、また報告する。

2025年2月 2日 (日)

今日は奈良へ行く

 昨日の新酒会は友人たちと歓談できて、とても楽しかったし、おいしいお酒も飲めた。弟も私の友人たちとなじんで、会話に加わっていた。ただ、絞りたての酒をついでもらう器が年々小さくなり、もらいに行くのがせわしない。そのぶん、行き来に動くから、気がついたら酩酊していたと云うことがないのは有難い。面倒なので二杯ずつもらった。盛況で、人が毎年増えて、始まる前に長い長い行列ができて、待ちくたびれた。ただ立っているのは疲れるし腰が痛くなる。

 

 酒蔵は最寄りの駅から30分以上歩く。歳とともにだんだん遠くなる。友人たちも同じようなことを言っていた。この日の帰宅までの総歩数は、17000歩であった。帰り着いてときにはくたびれてヨレヨレであった。義妹(弟の嫁さん)に夕食の支度や後片付けなど、全部お願いしてしまった。お客さんなのに申し訳ないことであった。

 

 今日は三人で奈良へ行く。一泊する。心配していた天気はどうだろうか。

 

 

2025年2月 1日 (土)

二日酔い

 昨晩は鍋を囲んで弟夫婦と歓談しながらつい調子に乗って飲み過ぎた。今日は弟と蔵開きに行く。友達も加わってまた美味い酒を飲む。それなのに昨晩は二日酔いするほど飲んでしまった。

 

 今日は粗相をしない程度に飲むことにしよう。話し相手のいる酒は本当に美味い。

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