好奇心
好奇心の衰えは精神の衰えだと思っている。自分の好奇心がいま衰えていて、映画にも読書にも、ましてやテレビにも興味をあまり覚えなくなっている。そうなると生きている意味すら見えなくなって、日々がただ時間が過ぎゆくだけの無意味なものに見えてくる。由々しきことである。どう立て直すのか。好奇心を賦活させるにはどうすればいいのか。
ところで、好奇心とは何か。手許の岩波国語辞典を引いてみると、好奇心という項目はなくて、「好奇」という項目には、「珍しいこと未知のことに強く気持ちがひかれること」と記されている。なるほど、珍しいことはともかく、知らないことを識ることに私は強く惹かれるのは確かで、それがすでに知っていることとつながったりすると嬉しく感じたりする。
それが、「だから何なのか」などと感じ始めるといけない。本の山が「とても読み切れない」という強迫観念を呼び、たまりすぎた映画の録画が「とても見切れない」という強迫観念につながり、面白さを感じるより先に、「まだまだだ、次だ次だ」と焦燥感に苛まれることになってしまう。精神安定剤が欲しくなる。
心を静めるために座禅でも組もうか。昨晩は眠れないので、本棚にかざってあるだけの、『現代の名著 バラモン経典 原始仏教』などという本を睡眠薬代わりに読み始めたら、意味はさっぱりわからないのにただ字面だけを追って、ますます眠れなくなった。
今日はさいわいどん底から少しずつ這い出せてきたところで、つい先日行ってきたばかりの奈良や飛鳥に都があった時代と、韓国や中国のその時代とのシンクロについてぼんやりと考えたり、関連の本を開いて見たりしている。百済や新羅、高句麗についてほとんど知識がないが、まさにその時代と飛鳥、奈良は時代を同じくしているのだと云うことにちょっと心が動き出したところだ。
« 危険でも減らない | トップページ | 人の振り見て »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
« 危険でも減らない | トップページ | 人の振り見て »
コメント