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2025年3月17日 (月)

読み飛ばせない

 いま、永井荷風の『あめりか物語』という三百ページほどの長編小説を読んでいる。長編ではあるが、二十あまりの独立したエピソードで構成されているので、ある意味で短編集ともいえる。ずいぶん読むのに時間がかかっているが、読みにくいものではないから、いままでなら二三日で読み終えるはずのものだ。ぞれがなかなか読み飛ばせない。ひとつ読むたびにその短い物語を反芻し、登場人物やそのエピソードを語る人物の人生、心の裡を想像し、その背景まで考えてしまう。そしてそういう物語を生み出している永井荷風の、アメリカでの生活とはどういうものだったのかについても考えたりする。彼がアメリカに滞在した明治三十年代のアメリカと、そこにたまたまいる日本人がどういう点景として見えているのか、それを見ているアメリカ人、そしてその心に見えている日本人とはどんなものかを想像している永井荷風の、アメリカ人の心の鏡に映じている日本人、つまり永井荷風本人の像を想像する。つまり彼は彼自身を見ているのだ。自分自身の姿を見るには、自分を他人の目(他人という鏡)を通してしか見ることができない。

 

 こういう小説をいままでは読み飛ばして表面だけ、時にはストーリーだけを追って読んできた。娯楽小説は別として、文学作品として評価され残ってきたものは、もっとじっくりと読めば良かったとこころから後悔している。もちろん後悔先に立たず、である。そういうことを教えてくれるから、評論というものがおもしろくて胸に響くようになったのだろう。時間がないからこそ急いではいけない。急いでやり直すような無駄な時間は無いのだから。

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コメント

おはようございます
どうも永井荷風を見ていると(特に彼の代表作である『断腸亭日乗』を見ると、です)まあ、当時の状況ですから仕方がないのですが、日本人を下に見ている気がします。彼は「日本人とアフリカ系がアメリカで増殖している事実を考えると、今のアメリカの移民排斥は仕方がない」と述べています。ここら辺が時代の限界なのでしょう。まあ、彼は大逆事件以来日本人(特に日本政府)を相当低く見ていたと言いますが。
では、
shinzei拝

shinzei様
明治時代以後の日本について、彼は強い違和感を感じていたのであろうと思います。
彼がのちに江戸趣味に傾いていったことなどを考えると、その時代の日本に自分の居所がなかった、その時代の日本人のひとりであることに嫌気を感じていた、といえるかも知れません。
もし日本人を見下していたというのなら、彼自身もその日本人の独りであることを誰よりも自覚していたと思います。
だから嫌悪感もいっそう強かったでしょう。
今の時代のひとのように、自分が日本人なのに自分を含まない日本人を論じて平気なほど荷風が鈍感であったとは思いません。
鷗外、荷風、漱石をいま読み直しているのは、彼らの感じた明治以後の日本に対する違和感について、海外経験を元に見直す、という視点を教えられたので、それを意識して読んでみているところです。

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